最終回 ずっと……

「うう、寒くなってきたな」

「そうですね。せんぱいのぽっけに手、入れてもいいですか?」

「うん、いいよ」


 秋も終わりに近づいてきた。

 俺は幸いなことに外の寒さを実感できている。

 監禁はされていない。


 日葵と、約束をしたからだ。


 逃げないと。

 そもそも好きな相手のすることを嫌だと思うことがおかしいと。

 私ならせんぱいのおむつのお世話でもなんでもできるのにどうしてせんぱいは私の嫉妬を迷惑がるのかと。

 

 こんこんと説明されて説教されて、三日三晩寝ずに話をした挙句。

 俺は生まれ変わった。


 目線はいつも地面か日葵。

 女子どころか人の気配がしたら目をつぶり、なんなら二十四時間できる限り日葵の姿を網膜に焼き付けることを心がけるようになってから、彼女はすっかり機嫌を取り戻した。


 ラブラブだ。

 もう、付き合いたてのカップルのようにラブラブだ。


 家でも外でもどこででも。

 四六時中イチャイチャするのが俺たちの日課。

 日葵はそれが嬉しくてしょうがないようで。

 段々と俺もそれが嬉しくてしょうがなくなった。


 吹っ切れたともいえる。

 

 もう、逃げようなんて微塵も思わない。

 それどころか俺の方から、


「玄、今日もどこにも行ったらダメだぞ」


 なんて言ってみたりする。


「ふふっ、私はどこにも行きませんよ。せんぱいじゃないんですから」

「俺もあの頃はどうかしてたよ。ほんと、バカだなあ俺は」

「ほんとです。でも、今のせんぱいは前よりずっと素敵ですよ」

「前はダメだったのか?」

「違いますよ。もっと魅力的になったんです」

「ははっ」

「ふふっ」


 もう、この通りだ。

 ようやく俺は自分を見つけた。



「せんぱい、旅行にでかけましょっか」


 夏休みに入ってすぐ。

 

 俺たちは旅行に出かけることになった。


 旅行といっても行先は隣町にある海だ。

 高校生同士、その辺りが妥当だろうといったのは日葵の方で。

 俺は彼女に行先も宿泊先もなにもかも任せ、当日の朝を迎えた。


「さて、行こうか」


 朝。

 部屋を出るとすぐに日葵が俺に微笑みかける。


「せんぱい、今日は楽しみですね」

「ああ、でも海って人が多いんじゃないのか? だったら」

「いえ、いいんです。よく考えたらせんぱいは私しか見てないって気づいたので」


 最近。

 誰と何を話したのかすら覚えていない。

 高校に入ってからあれほどまでに仲のよかった親友の柳ですら、ここ数カ月話した記憶もない。

 最後に交わした言葉はなんだったのか。

 その時あいつはどんな顔をしていたのか。

 あいつは、どんな顔をしていたのか。


 それすらよく思い出せなくなっていた。

 でも、もう関係のない話だ。


 家の近くのバスに乗って二人で並んで車窓からの眺めを満喫する。

 のどかな街並みを過ぎていくと、段々の田んぼだらけの景色が広がっていき、また街並みが見えてを何度か繰り返す。


 そして海が見えた。


「せんぱい、着きましたよ」


 バスを降りて数分。

 夏休みとはいえ平日の海は閑散としていた。


 数組のカップルや大学生らしき人たちがまばらに。

 そんな中、水着に着替えることもなく日葵は。


 俺を見る。


「な、なんだ?」

「いいえ、ちゃんとせんぱいと目が合ったなって」

「そ、そりゃそうだろ」

「だって、あの子たちを見てるんじゃないかなあって心配したんですよ」

「それはないって、さっきお前が言ってたろ」

「あはっ、そうでした。でも」


 見てたら刺せたのに。

 最後の日葵の言葉は俺には届かなかった。



「せんぱい、こっちですよ」

「お、おい待てって玄」

「あははっ、楽しいですね」


 ビーチを私服で走り回る俺たちは、傍から見ればさぞバカップルに見えることだろう。

 以前はそんな視線を気にすることもあったが。

 今は誰の視線も気にならない。

 届かない。

 本当に、この世界に二人っきりになったような、そんな気持ちにさせられる。


 これが幸せなんだと。

 俺は確信する。

 好きな人とだけ一緒にいる世界。

 好きな人だけが目に映る世界。

 二人だけの世界。


「玄、ずっと一緒だよ」


 そんな浮いた言葉を彼女に向けながら、俺の夏は潮風と共に過ぎていく。



 ずっと一緒。

 せんぱいとずっと一緒。

 一生、一緒。

 死ぬまで。

 死んでも。

 ずっと。


 そんなことを願って止まない私は、もう誰もこの世界に必要ないとすら思ってしまう。

 思ってはいけなくても。

 思いたくなくても。

 それが私にとっての幸福であると、私は自覚する。


 少し向こうまで走っていって、笑顔で手を振るせんぱいを見た後、波打ち際で何度も揺れる名前も知らない貝殻を見つめながら私は。


 後悔する。


 こうしてせんぱいと海にくるなんて、私もちょっとどうかしてた。

 やっぱり、せんぱいが誰か他の女の子を見てるんじゃないかって、今でもそんなことばかり考えてしまう。


 すぐそばではしゃぐカップルを。

 少し向こうで海を眺める若者を。

 海水浴を楽しむ家族まで。


 私は忌む。

 嫌う。

 せんぱいの視界に入る全てが、私の敵。


 私は病気だ。

 だからごめんなさい。


 私はせんぱいのような世界では生きられない。

 一緒の世界は見られない。

 せんぱいが、私のようになってくれても……。

 多分、私にはなれない。


 でもね。

 せんぱいが私の世界で暮らすことを望んでくれるのなら。

 やっぱり二人っきりの世界がいいって思ってくれるなら。


 いつかの続きをしましょう。

 二人っきりの世界。

 誰もいない、そんな世界で。


「ずっと一緒ですよ、せんぱい」


 Fin

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

可愛くて一途で積極的な後輩女子はいかがですか? 天江龍 @daikibarbara1988

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ