第40話

 二学期になった。


 日葵の嫉妬はエスカレートした。


「せんぱい、今見てたあの子は誰ですか?」

「み、見てないって」

「せんぱい、どうして嘘つくんですか?」

「だ、だからほんとに」

「せんぱい、私以外を見て楽しいですか?」

「た、楽しくなんか、ないよ」

「せんぱい、ねえせんぱい」


 学校に行くまでの間もずっとこんな感じ。

 そして学校でも。


「せんぱい、どうしてせんぱいはせんぱいなんですか? ねえ、私と一緒に卒業してくださいよ」


 と、休み時間の度に彼女は俺のところに来てそう話す。

 留年しろと。

 だからそのために監禁するとも。

 ただ、それはさすがに二つ返事できない。


「い、いや別に俺は留年は」

「じゃあ、大学で先に浮気するんだ。せんぱいは私みたいなのは嫌なんだ」

「そ、そんなこと言ってないだろ……」

「じゃあ一緒に卒業してくれる? 私、せんぱいと離れるのヤダよ?」

「……」


 そもそも留年するというのは、うちの学校では逆に相当ハードルが高い。

 出席日数も七割くらいあればなんとかなるし、テストも全教科赤点だったとしても追試があるし、なんなら先生たちは留年なんてさせたくないから全力で進級に向けてサポートしてくれる。


 風紀委員が健在だったころだったって、その辺に関してはちゃんとしてた。

 だから留年するなら事故にでも遭って怪我して入院とかじゃない限りは……。


「で、でも俺は痛いのは嫌だぞ?」

「痛いの? 私が何かするって思ってるの?」

「そ、そうじゃない、けど」

「ふーん。あ、そろそろ授業だね。せんぱい、またあとで」


 ちなみにこんな会話をしている時の日葵のポジションは俺の膝の上。

 風紀委員でなくても目も当てられない光景だと思う。


 そんなことを二学期になって毎日。

 来る日も来る日も繰り返されて。

 

 俺はついに限界を迎えた。


 田舎に、逃げかえった。



「ただいま」


 一年以上帰省しなかった実家は、通っている学校からなら新幹線とJRを乗り継いで四時間ほど。

 そこからバスに乗って更に三十分。

 ようやく田舎の実家に着く。


 今朝のこと。

 まだ眠っている彼女を置いてこっそり部屋を出た。

 そして始発に乗ってそのまま実家へ。

 始発より早い便は当たり前だがない。

 それに彼女は俺が部屋を出て行くまで寝ていた。

 起きてびっくりしてるかもしれないが、俺は携帯も置いてきた。


 GPSもついてる。

 連絡も多分めちゃくちゃされる。


 それを警戒して部屋に捨ててきた。

 

 いやなに、別れたいとかそういう極端な話をする気じゃないけど。

 お互い頭を冷やす時間がいるんじゃないかって、そう思ったから。


 もうこれ以上一緒にいると嫌な感情が沸いてくる。

 俺はそれが嫌だった。

 日葵を嫌いになりたくない。

 だから逃げてきた。


「……あれ、誰もいないのか?」


 父は仕事でいないにしても、母は専業主婦だからいつも家にいるはずなんだけど。

 ちょうど昼時だから、誰かとランチにでも出かけたのか?

 

「ま、いいか」


 久々の実家だった。

 勝手平日に帰ってきて、親はさぞ驚くだろうけどそれはまあいいだろう。

 

 二階建ての普通の一軒家の一階の奥にある自室に帰ると、中は中学校を卒業した時のままに。

 でも埃っぽくないのはちゃんと掃除をしてくれているからだろう。


 はあ。

 心配かけてばかりで悪いなあ。

 同棲の話も電話でうやむやにして済ませたし、ちゃんと話をしないと。


 布団もしいていないベッドに寝そべると、マットの弾力に揺られて段々と眠気が襲ってくる。

 朝早かったからな。

 少しだけ、寝よう



「ん……」

「おはようございます、せんぱい」

「ああ、おはよう玄……玄!?」


 目を疑った。

 夢から覚めた時、実家の部屋に日葵がいた。


 夢じゃ、ないよな……


「ど、どうしてここ、に」

「えー、だってせんぱいったら携帯忘れてたでしょ? お届けに参りました」

「い、いや、それは」

「忘れたんじゃないの?」

「そ、それは」


 怒るわけでもなく、にこにこと。 

 満面の笑みを浮かべる日葵が怖い。

 ここに日葵がいることが、怖い。


「せんぱい、勝手に帰省なんて水くさいですよ。私も言ってくれたら休んだのに」

「え、ええと」

「それとも、私に言いたくなかったとか?」

「え、あ、あの」

「まあ、いいです。今から夕食の支度なので。と一緒に今日はお鍋を作るんです。じゃあせんぱい、ゆっくりしててくださいね」


 さっさと、日葵は部屋を出て行く。

 ゆっくりと部屋の扉が閉まるその時、彼女はその隙間から俺をちらりと振り返って、クスっと笑った。


「せんぱい、もう監禁確定ですから」



「誠也、夕食できたわよ」


 眠ることもできず、部屋で怯える俺を呼びにきたのは母だった。

 久しぶりだというのに別段久しい感じも見せず。

 当たり前のように俺を呼びにきた母は俺に笑いかける。


「あんた、いい子捕まえたね。玄ちゃん、ほんといいお嫁さんになるわよ」


 なぜか打ち解けていた。

 日葵にそんな社交性があったことに驚いたが、しかしそういう話は今することではない。

 俺はそのできた彼女に帰ったらお仕置きされるのだ。

 助けてほしい……でも、言えない。

 母親に「彼女に監禁されそうなんだ」と大真面目に訴える高校生なんて聞いたこともない。


 渋々、部屋を出て。

 重い足取りでキッチンに向かうといい匂いがしてきた。


「あ、せんぱい。ちょうどできたとこですから座ってください」


 にっこりと。

 日葵はエプロン姿で笑いかける。


 怖い。

 普通なら可愛いとおもうところだが、怖い。

 笑顔が、怖い。


「せんぱい、たくさん食べてくださいね。長旅ご苦労様です」


 俺は色々と考えた。

 脂汗を流しながら警戒した。

 

 煮えたぎる鍋の中に顔を突っ込まれるんじゃないかとか、煮え切った油揚げを口にツッコまれるんじゃないかとか、色々。

 でも、それはなかった。


 ただただ平和に食事が進む。

 途中、母と楽しそうに会話する日葵は、本当によくできた彼女に見える。

 いや、実際よくできた彼女なのだと思う。

 彼氏の母親とすぐ打ち解けて、料理もできてかわいくて明るい。

 それを満たす女性が世の中の何割いるというのだと。

 

 悪いところではなくいいところを。

 そう考えるようにしていたのは、きっと悪いことではないのだと、そう思いたかった。



「じゃあ玄ちゃん、ゆっくりしていってね」

「はい、おかあさん。せんぱい、お部屋行きましょ?」

「う、うん」


 終始和やかな雰囲気の中でも、俺は日葵が部屋を出る時に言ったセリフを忘れない。

 監禁確定。

 それが意味するのはやはり言葉通りのことなのか。

 それとももっとひどいことになる可能性も。

 だから一緒に部屋に入るのは怖くて。

 でも、そうする以外に方法はなかった。


「……なあ、そういえばだけど実家の場所って言ったっけ?」

「あはっ、知ってるに決まってるじゃないですか。それに、せんぱいが実家に帰ったんだなってこともすぐにわかりました」

「お、俺を監禁する、のか?」


 もう、監禁が怖くて足が震える。

 あの日の恐怖は俺にトラウマを植え付けた。

 監禁ときくだけで体が委縮する。


「えへへっ、せんぱいはどうしてほしいですか?」

「で、できれば、その、監禁だけは」

「んー、じゃあ一回だけ、許してあげてもいいですよ?」

「ほ、ほんとか?」

「その代わり」


 条件付きで。


「条件……」

「はい、条件です。もし次にまた同じことをしたら」

「か、監禁するっていうのか?」

「いえいえ」


 その時は。


「殺します」

「え」

「冗談じゃありませんよ?」

「……」


 殺すとは。

 言葉の綾なんかではなく。

 俺に待っているのは死だと。

 彼女は真剣な目で伝える。


「どうしました? もうやらないなら許してあげるんですよ?」

「……でも、もし次が」

「次なんかありませんから」

「……うん」


 ごめんなさい。

 俺は部屋に入ると同時に土下座した。

 そしてゆっくりと部屋の扉が閉まる。


「せんぱい、頭をあげてください」

「……うん?」

「せんぱい、私は男と別れたことがないって話、覚えてます?」

「あ、ああ」

「私はせんぱいに嘘は言いませんから。だからこの話も本当。せんぱいと別れることはないんです。絶対に、何があっても、たとえ死んでもです」

「……うん」

「ふふっ、頭を冷やそうと思って逃げたんだとしたら大間違いですよ。だって」


 そんなことしたら、冷たくなるのはせんぱい自身なんですから。


 そう言って、彼女は俺にそっと口づけをした。


 

 お知らせ


次回最終回となります。


最後まで、どうぞよろしくお願いします。

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