逝き狂い
彼女がどこに住んでいるかは知っていた。
時折ぽろりと溢れる自分語りを紡ぎ合わせて、彼女の本名、年齢、住所まで全て把握している。
だが同棲している男が気掛かりだ。
住居が変わっている可能性があるかもしれない。
そう思って情報収集を進めたところ、住居は変えず、会う時にだけ泊まりがけになるらしいことが分かった。
彼女本人からは警戒されていたとしても、彼女の周りの交友関係を当たれば情報を集めるのは容易いことだ。
だから。
僕は全身レインコートで姿を隠し、マスクとグラサンもかけて、夜中に彼女の家へと向かった。
手にした金槌で玄関をブチ破る。
すぐに騒ぎになるだろうが、時間はそうかけない。
僕だってこんなことをして後先なんて考えていない。
堂々と破壊した扉を踏み越え、慌てて様子を確認しにきた彼女を視界に入れると、僕は躊躇なく突き飛ばした。
電気もついていない暗い部屋の中、何も分からず吹き飛ばされた彼女は鈍い音を立てて崩れ落ちる。
手探りで電気のスイッチを探して電源を入れると、どうやら彼女は壁に頭をぶつけて気絶したらしいことが分かった。
頭部からは命の危険を感じさせるほど出血している。
顔立ちは、悪くはないが、想像を大幅に下回るものだった。
———つくづく僕も嫌な奴だな。
顔で人を選んだつもりじゃないのに。
こんなしょうもない理由で、こいつへの殺意に躊躇いがなくなっていく。
彼女に馬乗りになって、その首を強く締め付けた。
その途中で、どうせ破滅してしまうのなら、と、下世話な男心が鎌首をもたげていく。
成人誌で見た様に服を破こうとするが、素手で破くには想像以上に衣服は頑丈なんだな、なんて、当たり前のことを実感していた。
「おい」
彼女の命か、或いは女として命よりも大事なものか。
どちらにせよ取り返しのつかないものを奪おうとしていた僕の背後から、声が届く。
それは威圧する様にドスが利いた声でもあり。
怯えた様に震えた声音でもあった。
だが彼の声は、たった一度しか聞いたことがなかったハズなのに忘れられないインパクトを残している。
だって奴が、彼女の彼氏だから。
勇敢にも危機に陥った彼女を助けにきたのだろう。
「さっきまで通話してたんだが、突然大きな音が聞こえてから反応がなくなった。急いで駆けつけたところに、お前がいた」
「もう手遅れだよ。彼女は死んだ。死んでなくてもいずれ死ぬ」
「ならお前を許さない……!」
目に一杯の涙を湛えて、男は僕を強く睨み付ける。
———勇敢だなお前は。
文句のないヒーローだ。ルックスも良くて、精神的にも果敢で。
自分の女の為なら命だって張ることができる。
お前に、僕の気持ちなんて分かりはしない。
常に見下されて。常に何も上手くいかなくて。
いつも後ろ指を差されるだけの虚しい人生の辛さなんて、お前に、わかってたまるか。
「なんでこんなことをしたんだ」
「言えば納得してくれるのか」
「納得できなくても教えてくれ。この子がお前に、何をしたっていうんだ……」
「僕のことをバカにしたんだ」
「……それだけ?」
それだけじゃないと言いたい。
もっとたくさんの葛藤や悩みがあった。
毎日吐きそうになる日々だって送ってきたんだ。
でも、お前にはわからない。
そんな小さなことで、と、きっと世界中から一蹴される。
だから理解なんて求めないよ。
僕はこれが最期だと思って、やりたいことをやるんだ、全て。
「こんなことができるなら、もっと、他にその情熱を向けることができただろう!?」
金槌を手に飛び掛かる僕に、男は悲痛な叫びを返した。
不思議なんだよね、そこは。
人生に躓いた者が自殺したり、人を傷つけたりする気持ちがよくわかる。
ネガティブな時に希望的にはなれないんだ。
自分と同じ、或いは自分以上に不幸な人間で世界を埋め尽くしたい。
そんな終末思想が、今の僕の胸中には深く深く、渦巻いている。
「死んでくれ。みんな、僕の前から消えてくれ」
もう止まらない。もう引き返せない。
思い切り男に向かって金槌を振り落とす。
ごとり、と、重苦しい音が響いた。
それは、金槌が男の左腕を破壊する音で。
同時に、男の右拳が僕の顎を粉砕する音でもあった。
意識が遠のく。
破滅すら恐れずに僕は狂ったはずなのに。
死すら恐れないヒーローには、勝てないのか。
なあ、神様。どうしてなんだ。
神様がもし世界中の人々を幸せにする為に見守っているというのなら。
どうして、こんな気持ちにならなきゃいけないんだ。
努力が足りないからか?気持ちが足りないからか?
何もしなくたって"普通“を手にしたいと願う僕は、欲張りなのか。
苦労しなきゃ手に入らないものだって言うなら"普通"ってなんなんだよ。
分からない、何も分からない。
僕には何も———分からないんだよ。
***
「ありがとう」
ネットに狂った男の凶行は、一人の青年の活躍で何とか事なきを得た。
ターゲットとなった女性は青年の胸で泣き崩れ、意識を失った男は警察の手で拘束されていく。
「怖かった」
「そりゃそうだろう。こうなった心当たりは?」
「あるわけないじゃん」
「まあ、そうだよな」
青年は男が言っていた、"馬鹿にされた“という言葉を思い出す。
それがどれほどの重さを持つかは知らないが、どんな理由があるにせよ命を奪う程の動機が過剰であることに間違いはない。
元から、あの男は正気でなかったのだと結論づける。
おかしな男に命を狙われ、危うく失いかけた彼女を腕の中に抱いた青年は、噛み締める様に呟いた。
「良かった」
こうして、ヒーローは悪役をやっつけた。
明日からは、青年と彼女の幸せな日々が待っている。
邪魔する者はもう、どこにもいない。
キモオタ @Aegis1996
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