その他テキスト:ある詩人を訪ねて思うこと

 私がある詩人のもとを訪ねたとき、彼は多くの物語を口にした。ただそれらはすべて、我々の世界とは違うある単一の場所について話していた。そこでは我々人間どころか哺乳類や鳥類などセキツイ動物は存在せず、虫や草花だけが存在しているという。しかもその生物たちには、対となるようにそれをあらわす妖精がいるらしい。特に彼が語るのは、森を中心とした植物の妖精たちの話であった。


 どうやらその世界では妖精たちが、戦争をしているらしい。陣営の分かれ方は、植物の精とムセキツイ動物の精である。戦いはムセキツイ動物側が優勢だが戦線は動かない。なぜならこれは、われわれの目から見て合理的な目的のない戦いだからだ。精たちは天から授かった運命だからと、ただ命を戦場に散らしている。確かに食虫植物の精たちは虫の精を喰らい、草を食む虫の精は草花の精を喰らう。それは合理的に思えるかもしれない。だが精たちは、精同士喰わずとも、自らがあらわす虫や植物の果実などを食うことができるのだ。つまり戦わずとも生きていけるのだ。それなのに戦うのをやめないのはどうしてか。この詩人によれば「私たちの文化のようなものさ。生物として存在するのに意味がないこともあるが、一生という物語は彩があってこそ素晴らしいものとなる。その彩が生物としての存在を高めることもある。例えば日本の成人式みたいにだ」とのことである。


 さらに文化について詳しく聞けば精たちは星空へ信仰心を抱いており、彼女たちの魂は死後、星になると言う。星になった魂は四十九日後に流れ星として地上に落ち、再び同じ姿形の精として命を得ると言う。ただし死ぬ前の記憶はすべて失うらしい。星は記憶を燃料として光っている。そのため戻る頃には、燃え尽きてしまうのだ。


 さて、このような妖精たちの世界を語る詩人だが、彼以外にも存在している。しかも矛盾なくまったく同じ世界のことを語っているのだ。彼は植物の精について語るが、また別の詩人は虫の精について語る。戦場における視点は変われど、彼らの語る戦況は同じだったのだ。しかもこの世界を語る者たちは、揃って「これは未来の話である」という。こんな未来が訪れるのか、それこそ、植物人間や虫人間のような精たちなど、ファンタジーでしかないが、詩人たちの語る共通性を見るとこの世界は実際に存在する、あるいはいつか存在する世界なのかもしれない。


 だとしてこれを記録するのに意味はあるのだろうか。そう思った時、私はまた詩人の言葉を思い出す。「生物として存在するのに意味がないこともあるが、一生という物語は彩があってこそ素晴らしいものとなる。その彩が生物としての存在を高めることもある」。私が作っている記録は文化だ。この世界の価値はわからないが、少なくともいくつもあるファンタジー作品のうちのひとつには違いないのである。

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