第10話

 事務所は駅から歩いて10分ほどのビルの一角であった。だだっぴろい室内には、二つのソファに挟まれて、テーブルが置かれている。殺風景ではあるがインスタントラーメンの容器と、飲みかけのマグカップを見ると生活感が少しあった。本格的な開業はまだ先になるとは言っていたが、書類やパソコンが置かれていることを考えると、事業そのものはスタートしているのかも知れない。ソファで寝転がっていた天音は僕を認識すると、気怠そうな視線を送った。


「やあ、すまないね」


「本当だよ。わざわざ向かいに来いなんて」


「少し仕事が立て込んでいてね」


「少し?? 仕事を受け持っているのか」


「まあ、そうだな。ありがたいことに何件か仕事を受け持ってる。昨晩も遅くまで情報整理していた」と天音は酷く充血した眼を晒した。


「意外と人望があるんだな」


「聞き捨てならんな。私は優秀な探偵だぞ。まあそんなところだ」


「肩書きが多すぎて、どうにも信用できないんだよ。そこまで言うなら実際に、どんな案件を抱えているんだ」


 要は私立探偵と言うやつだろう? 漫画やドラマ見たである。興味は多少だがある。


「これは過去の話だが、新築を建てたばかり奥さんから盗聴機の発見依頼を受けたことがある。何でも無言電話が掛かってくるんだそうだ。早速調査に乗り出すとソファの裏に盗聴機を発見した。この盗聴機は電池の交換を必要とする物なので頻繁に出入りしなければならない。つまり盗聴機を仕掛けた人物は身近な人物による犯行が妥当な線である。解決策として監視カメラを設置して犯人を特定することを提案した。そして、奥さんが茶を入れるために席を立った時に、遊びに来ていた義母がソファの盗聴器の電池交換する映像を捉えたわけだ。奥さんは驚いていたよ。義母は家を建てる時に大金を援助してくれたのにってな」


「いや、何で祖母は奥さんを盗聴したんだ? 目的がさっぱりわからん」


 どうして祖母が?? 金銭の援助が何だかんだ納得がいかなかったのか。人間の気持ちなんて複雑だ。盗聴をする理由が思いつかない。よくあるのはストーカー。相手の本心が知りたいとかだろうか。


「わからんのか。まず奥さんはどうして盗聴されていると思ったのか、無言電話だけで盗聴されているなんて普通は思わないだろう。他にも嫌がらせを受けていたんだよ。言ってしまえば浮気だ。奥さんは旦那の後輩を家に上げては、関係を持っていたんだ。そのことに気づいた義母が、関係の修復ができるうちに、注意勧告をしていたってわけだ」


「なるほど。録画された音声だったり、印象的なやり取りを何らかの形で奥さんに提示していたってことか。何でもない日常に戻ってもらえるようにした結果が、盗聴だったってことか」


「まあ、全て私の想像だがな」


「え!? 嘘なのかよ」


 落胆した。ここまで落胆するとは思わなかった。ニヤニヤする天音の顔を見て思ったのが、こいつは僕を弄んでいる。以前にも、ケーキを買ってこいと頼まれたことがあった。世界的な有名なスイーツの巨匠である某人物の本店が、僕の地元にあるらしく。ついでに買ってきてくれと頼まれたことがある。僕は一体彼女の何だろうか。と少し思ってしまう。まあ暇だからいいんだけどね。それに天音が甘い物を美味しそうに食べる姿を割と好きではある。



 歴史を感じる日本家屋と聞いて、どんな建物を思い浮かべるだろうか。整備された広い庭に、立派な門構え。旅館と言われても疑うことなく受け入れられる。熊谷家の家屋は、まさにそんなイメージだと言って差し支えない。門を潜る家なんて初めてだったので、妙に緊張した。


「あら京子ちゃんじゃない。すっかり綺麗な大人の女性ね。うちの子とは全然違う。いくつになっても部屋に篭って、ゲームばかりしてるわ」と親しげなのは、熊谷明里の母親らしい。とてもアラサーの娘を持つ母親には見えない。若々しい容姿を保っている。


 彼女に案内された先にいた女性は、名前の印象とはかけ離れた人物であった。名前負けした華奢な体躯に、明里と呼ばれるには、影を残す人物だ。事実として学生時代も、影に属するタイプで、決して目立つ方ではなかった。規律を守り、制服を正しく着こなしている姿は、女子高生らしい華やさと、可愛らしさを、敢えて拒んで、地味なものを選んでいるようにも思えた。牛乳瓶の蓋みたいなメガネを実際にかけている訳ではなかったが、熊谷にはそんなメガネのイメージがある。そんな彼女が学校の裏掲示の創設者だと思うと、悪寒が走った。


「それで私に何が聞きたいんだ」


 成人を迎えた熊谷は、いわゆる汚部屋に僕らを招いてくれた。飲みかけのペットボトルが数え切れない、汚れた皿、カップラーメン、服、電化製品、座るところはない。こんな部屋に人を招き入れられる感覚は理解できないが、熊谷の痛んだツートンの金と赤の髪を見ていると、他人よりも自分の感覚を大事にしているんだと思った。


「電話でも話したが、姫岡のことを聞きたいんだよ」


 天音は珍しく声を荒げた。いつも男性のような口調ではあるが、様子が違う。素が滲んでいる。おそらく卒業後も、定期的に連絡を取り続けていたのだろう。率直に仲がいい。


「私から語ることはないんだけど。まあ……手短にお願い」と熊谷はキーボードを操作する。リズミカルで高速な打音が室内に響いた。熊谷は在宅プログラマーで、たまに出社するだけで、半ひきこもり生活をしているそうだ。それは造像するに不自由のない生活なのだろう。煩わしい人間関係から隔離されて、実家の離れ座敷を一人で占有しているのだ。熊谷家の母屋は立派な日本家屋で縁側が似合う雰囲気があるからして、それなりに裕福であることは想像できる。両親も健在らしいので、炊事、洗濯もしない。きっと家事を生涯したことないまま、そこそこ甘やかされて育ったに違いない。


「姫岡とは仲が良かったか?」


「うーん。普通じゃない? 彼女は誰にでも積極的に話しかけるタイプだったし、みんなからも好かれてた。それくらいよ。私から言えることは」


 キーボードを高速で打ちながら、熊谷は答えた。しばらくの沈黙の後に、熊谷は指を止めた。パソコンのディスプレイには英語と記号が並んでいる。難解に並んでいた。


「そう言えば、私がプログラマーになろうと決意ができたのは姫岡さんのお焦げかも。親の意向で進学するつもりだったんだけど、学校なんて言う団体に所属することに違和感があって、早く働きたかったのよ。その話を姫岡さんにしたら、立派だって褒めてくれたことがあった。実際は何も立派ではないんだけど、私が社会不適合者であることを高らかに熱弁しただけだから。それなのに褒めてくれたな」


 熊谷は一呼吸した。


「今思うと、姫岡さんも案外、私サイドの人間だったのかもね。普通は嫌悪するものなのに、私になんかに共感しちゃって。だから私は姫岡さんが交通事故にあった時、自殺したんじゃないかと真っ先に思ったよ。彼女は自分を解放したかったの。次の世界に大きな一歩を踏み出した。そんな気がした」


「君の目に姫岡咲は、自殺する動機が充分にあったと、そう思っているのか?」


 天音は神妙な様子であった。


「実際、姫岡さんは不登校になってた時期もあったじゃない。事故に遭う前にも掲示板で、姫岡さんを悪く書く人もいたし」


「裏掲示板のことか?」と僕が聞く。熊谷は高笑した。


「裏ってなんだよ。なんでもない普通の掲示板だよ。そもそもはただのブログ。誰でも書き込めるようにしたせいで、裏掲示板みたいになってただけだ。書き込みをしたのだって誰かはわかっている」


「誰なんだよ」


 僕は呟いていた。姫岡を自殺に追い込んだ可能性がある人物の名前。その名前を知った時に、僕は冷静でいられるのだろうか。無理だ。僕は感情の在りどころを失う。きっと、言葉にならない怒声を吐いて、慣れない暴力に走るだろう。想像するだけで情けない姿だ。


「それは言えない。まず私としては、今更になって姫岡が事故なのか自殺なのか、もしくは他殺なのかがどうでもいい。第二に、その人物は反省している。私から傷口を広げるようなことはできない」


「なんだよ、それ。お前だけ納得をして終わりかよ。そしたら僕はどうすればいいんだよ!!」


 強い感情が押し寄せた。心音が唸るように内側から込み上げる。これをコントロールする術は僕にはない。


「お前はその人物を見つけてどうするつもりだ。罵倒するのか? 暴力で訴えるのか? どちらもつまらない。そもそも君は姫岡咲にとってなんなんだ?」


 つい最近も同様の質問をされた。僕はその時と同じ言葉を吐いていた。


「友人だ」


 おそらく彼女が求めている言葉ではない。しかし、これ以上の形容は僕にはできなかった。


「そんなに怒らないでくれ。私たちの仲だろ?」


 天音は熊谷の肩に腕を回す。


「そこの根暗男は違う。敵か味方の二択なら揶揄は敵だ。それも友達が一人もいないかわいそうなやつなんだ。許してやってくれ。コミュ障なんだ。社会不適合者なんだ」


「おいおい。いい加減にしろよ」


「すまんな」と天音は高笑した。


「しかしまあ。私としてはもう一つの謎の方が興味深い」


 熊谷は椅子の上で、胡座かいた。


「私が知らないと思っているのか? 平間学位だよ。あの小説は読んだ。間違いなく同級生だろ。そいつの正体の方が気になる」


「知っていたのか」


「当たり前だろ。天音京子が派手に動いてることくらい情報は得ている。京子、あんたは平間学位の正体を知ってるんじゃないか? あの根暗男の正体に」


「私は何も知らないよ」


 天音は右上を見ながら言った。


「そうか。なら私が当ててみよう。この男だ」と熊谷は僕を指差した。当然のように僕は「違う」と即答した。


「そんな馬鹿な。あの小説はどう考えても、根暗で地味な男の視点だったじゃないか! 君だろ。君しかいない」


「だから違うって、僕は小説なんて書いたことはないよ」


 本当だ。僕は小説を書いたことはない。


「ならこの質問ならどうだ? 京子と君はどういう関係なんだ」


「僕らは友達ですよ」


「男女が二人で行動するなんて、そう言う関係だろと勘繰られるのは必然だろ? それとも何か。なんでもない友人関係だったと通せると思っているのか」


 熊谷は敵意すら感じる口調と視線で、僕を捉える。


「そんなことを言われても実際、何もないしな」


「そうか。なら京子のことは、あんまり知らないんだな」


 熊谷はどこか勝ち誇ったような顔をする。僕は敵意を向けられている理由に少しずつ気付いてきた。


「なんのことだよ?」


「明里。余計なことは言うな」


 天音が口出しすると、熊谷は恐々とする。この二人の力関係は、天音が上らしい。



 熊谷家を辞去する。助手席の天音は頬ずえをしながら、流れる外を見ていた。僕は運転に集中する。常に前を走る車と、充分な車間距離を意識した。信号が黄色になると、丁寧にスピードを落として、車体を静止させた。行き先は天音の自宅である。もちろん彼女の家に上がる予定はない。ディナーを共にする予定もない。僕らの間にロマンスはなかった。今も昔も。運転をしながら、天音に対する不信感を蘇らせた。聞くべきか、悩んだ。これを聞いたら、関係性が変わるのではないか。しかし、抱いた不信を打破しなければ、姫岡の真実にはたどり着けない。赤信号で停止したタイミングで、僕は声帯を震わせた。緊張で口が渇いているので、声も頼りないものであった。


「僕に隠し事があるのか?」


「なんのことだ」


 天音は即答した。僕から思考を奪うようであった。


「熊谷が言ってたじゃないか。一体何を隠しているんだ。フェアじゃない」


 先刻の熊谷とやり取りを反芻する。よくよく考えたら僕は、天音京子のことをあまり知らない。交友関係も、好みの音楽も、免許を持っているかも知らない。辛うじてデザートをこよなく愛していることを知っているくらいだ。天音は思考を巡らせているのか、黙示を続けた。


「熊谷が煽るようなことを言うと、君はわざわざ口止めをしたじゃないか。僕に知られたくないことがあるんだろ? それはなんだ」


 僕が問い詰めると、天音は顔色を変える様子もない。景色から視線を逸らすこともなかった。しばらく沈黙を突き通してから、天音は言葉を発した。


「そうだな。君に本当のことを話さそう。私は姫岡咲と友人関係だった。中学の時からの仲だ。これで満足か」


 投げやりの口調が癇に障る。血流の上昇を認めて、深呼吸をした。冷静にならなければならない。


「どうして隠していたんだ。なにか後ろめたいことでもあったのか?  家には遊びに行く仲とは行ってたけど、本当は」と僕の話しを妨げて天音は「咲とは、二人で遊ぶこともあったよ。中学のときには互いの初恋の話しもしたことがある。家に泊まったこともある」


「それは、かなり親しい関係と言うんじゃないか??」


僕の疑問に天音は寂しそうに言う。


「それは中学までだ。高校も一緒ではあったが、私は進学クラスで、咲は普通科だった。君ならわかるだろ」


僕ら通っていた高校は、優秀な生徒が集まる進学コースと、平凡な生徒が適当に授業を受ける普通コースがあった。大規模なマンモス校だった名残もあって、校舎とグラウンドもそれぞれ別れて授業を受けてきた。在校生だった僕としては、全く別の高校に通っていると言う認識すらあった。制服が同じこと以外は、隔てる壁があまりにも大きかった。


「わかる。けど、そんなに仲が良かったなら、どうして僕に嘘をつく必要があったんだ」


「不安だったんだ。彼女がもし事故死ではなく、自殺だったなら、私は友人と言えたのかと。高校生になってから私は咲とまともに話したことが、果たしてあったのか自信がなかった。事実、咲が高校生活に馴染めずに不登校になっていたことを私は、知らなかったんだ。かなり時間が経ってから知ったくらいだ。そんな私に友人を名乗る資格があるだろうか? ない。私はそう思った」


「それが理由か」


「それとは?」

 

 天音が振り返った。彼女の目には運転する僕の横顔を映っているだろう。僅かに切れた意識を車の運転に注いだ。


「姫岡の死因。姫岡に何が起こったのか調べようと思った理由だよ」


「ずばりその通りだよ。私が友人としてやれることと言えば、これしか思い浮かばなかった」


「だけど違うやり方もあるんじゃないのか? 何も平間学位のように同級生をかき回すようなことをする必要はないと思うが」


「いいや。これはチャンスだろ。平間学位の小説が注目を浴びたことで、動きやすくなった。私はこれを好機と見たんだ。君もそうだろ?」


 天音の物言いに僕の思考は停止した。


「君は姫岡と親密な関係にあったんじゃないか。私よりもずっと親しい間柄だった。違うか?」


「どうしてそう思うんだ」


「まず、私の協力要請に君が承諾したことだ。いかに派遣で、タイミングよく離職できたとしても、君のようなタイプが報酬のないことをするとは思えない。咲とは特別な関係だったんじゃないか。後は妙に感情を表に出すそれくらいだが」


「なんだよその理由は。その二つの理由に関しては一つだけ正解だ。姫岡咲に感情移入したそれだけだ。それ以上の理由はない」


「君はそこまでお人好しだったのか」


「そうだよ。僕は名探偵ではないし、警察でもない。悪人にすらなれない臆病者だ。だけど姫岡の死因を調べたいと思った。もし自殺だとしたら、その事実を突き止めることが、彼女への手向けだと思ったからだ」


 天音は満足そうに高笑した。


「君を選んで正解だったよ」


 指定されたコンビニに駐車すると、天音は降車した。


「こんなところでいいのか? 家まで送って行くけど」


 時間は夜の9時を過ぎていた。深夜ではないが、女性を一人にさせるには、不安が残る。


「家はこの近くだから安心しろ。それにジムに行くつもりだから」と天音は隣の建物を指差した。ビルの二階が24時間ジムのようだ。


「わかった。気をつけてな」


「君こそ運転には気を付けてくれ」


 なんだか他人行事だ。僕と天音は学生時代から、何も変化がない。


「なあ、もう一つ答えてくれ」


 僕が引き止めると、天音は「なんだよ。手短に頼む」


「平間学位の正体は誰なんだ?」


 この問いは以前にもした。天音の答えは「時期にわかる」だった。やはり天音京子は、平間学位の正体に気付いてる。僕は確信した。

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