魔王の執着

 タイムリーパーになったっぽいから、あなたが喪ったものを取り戻してくる、これでやっと恩が返せる。

 そう言って心臓を止めた女の身体から魂が抜け落ち、何処かに消えたその瞬間のことを今でもまだ鮮明に覚えている。

 気まぐれに拾ったその女だけが全てを取りこぼした自分が抱えることができたたった一つの持ち物であったというのに、女はあっさりと自分の手からすり抜けた。

 魂が抜けた身体は死にかけていた、それでも魔王である自分の力全てを使ってその身体が完全に死ぬことを防いだ。

 許さない、許さない、許さない、ふざけるな。

 お前だけだった、もうお前しかいなかった、自分に残った温もりはお前だけだった。

 魔王の力で無理矢理生きながらえさせている身体は冷たくて、泣くことも笑うこともなく眠り続けるだけ。

 こんな抜け殻になるくらいならあの日ひと思いに殺してしまえばよかった、拾おうだなんて気まぐれなんて起こすべきではなかった。

 そうすれば、もう何度目になるかわからない喪失を味わうことはなかったのに。

 それでも、それでもまだ女の身体は生きていて、抜け落ちて何処かに消えた魂も風が吹けば途切れそうなほど弱い糸で繋がっている。

 それならばまだ間に合う、いいや、間に合わせる。


 女の魂が何処かに消えてから、十年もの月日が流れた。

 その十年間、女の魂を取り戻すためだけに力を注いだ。

 邪魔をする者は全て殺した、もう彼女さえ取り戻せば他のことなんて全部どうでもいいし何の害も及ぼすつもりもないのに、魔王である自分にはあまりにも敵が多すぎた。

 そうやって邪魔者全てを殺しているうちに、いつの間にか世界は滅んでいた。

 生きている生命はほんのわずか、この星に生きる人間もおそらく自分と辛うじて生きながらえさせているだけの彼女だけになった。

 十年の間に色々なことを試した。

 まずは何処か、おそらく過去の時空に消えたであろう彼女の魂を引きずり戻そうとした。

 しかし無理だった、魂と身体を繋ぐ糸はあまりにも細く頼りない、無理に干渉すればあっけなく引きちぎれてしまうだろう。

 この方法では無理だと悟ったのは三年ほど経った頃だった。

 ならばと細く頼りない糸が繋がる先を探り続けた。

 魂が存在する場所さえわかれば、その魂に直接干渉して引っ張り出してやればいい。

 それには随分難航した、また探り当てた魂を引っ張り出す術も模索したが、自分ではほとんど不可能であるという結論しか出せなかった。

 仕方がないので彼女の身体から彼女がタイムリーパーとしての力を使った時の記録を引きずり出し、それをひたすらに解析し、再現した。

 再現は辛うじて成功した、彼女の魂の居場所も特定できた。

 今の時点から二十年前、彼女が十七歳になる直前の時空に彼女の魂は存在しているらしい。

 その時間にいる彼女がタイムリープした直後なのか、ある程度時間が経っているのかはわからなかった。

 ただ、自分が探り当てられたのはその時間の彼女だけだった。

 すぐにでも向かいたかったが、彼女のタイムリープを再現するための術を使うためには星一つを枯らすほどの力が必要だった。

 だからそれを集めて、あと少しで溜まり切るというところで夢を見た。

 もう何度も見ている悪夢だった。

 子供みたいな顔で笑っている自分と同じ顔の少年と、あの女が一緒にいるのを、遠くから眺める夢。

 夢の世界の自分は人を殺したこともない、ただのどこにでもいそうな気のいい少年だった。

 そんな少年に、自分の唯一の持ち物は笑顔を向け心を許している。

 それは気が狂うほど穏やかで優しい光景だった。

 返せと、戻ってこいと叫んでも、少年にも彼女にもこちらの声は一切届いていないようで、彼らは二人きりの世界で睦言を交わし続けている。

 そんな夢で彼女は基本的にいつも幸せそうに笑っていた、自分でさえ何度かしか見たことがないような、本当に幸せそうな顔で。

 確かに、あの少年は愚かだがきっと人の心によりそう優しい人間だ、誰も殺さないだろうし、暴力を振るうこともない、邪魔だからという理由で人間を滅ぼそうともしないだろう。

 自分とあの少年と比べれば、きっと誰もがあの少年の方がいいというだろう。

 きっと、お前すらそうなのだ。

 

 悪夢から飛び起きる。

 過去の世界に戻った彼女とその時間の自分がどういう関係になっているのかはわからなかった。

 それでもあの女は魔王になって何もかもどうでもよくなった自分が『ほしい』と思うほどの女だ、なら過去の自分も同様に欲しがるはずだろう。

 きっと全力で手に入れるし、手に入れれば手放されないように純粋に愛すのだろう。

 そうすればきっと、あの女はこんな自分のことなんて忘れて、あの少年に素直に愛されるのだろう。

 だってあの少年は確かに『自分』で、彼女にとってあの少年と魔王である自分は同一人物なのだから。

 それでも違うのだ、たとえ元が同じであろうとその少年は自分ではない。

 随分と滑稽な話だ、かつて欲しくてたまらなかったであろう平穏な人生を手に入れたであろう自分自身を、自分はこんなにも妬んでいる。

 しかし、それも今日で終わる。

 タイムリープする力は手に入った、後は迎えに行くだけだ。

 彼女がいる時間軸の自分の身体を乗っ取る形になるので、きっと彼女が救ったであろう少年の自我は潰れて消えるだろう。

 その事を彼女は深く嘆くかもしれないが、そんな嘆きは許さない。

 お前は俺のもの、世界すら滅したこの魔王の唯一の持ち物。

 たとえ自分自身であろうとも、この自分以外の有象無象の所有物になることは絶対に許さない。


 タイムリープは、成功した。

 元の時間に残した自分の肉体がどうなったのかはわからない、おそらく彼女と同じく魂が抜け落ちた事で心臓が止まっているのだろう。

 しかし、そんなことはどうでもいい、元の時間に戻るつもりはなかったからだ。

 というかおそらく戻るのはほぼ不可能だ。

 それにどんな時間であろうとも、どんな場所であろうとも、あの女が自分の手元に戻ってくるのであればどこであろうといつであろうと構わない。

 タイムリープした事で魔王だった自分の魂はこの時間の自分の魂と溶け込んだ。

 フラッシュバックのようにこの時間の自分が経験したことを追憶する。

 両親は死んでいなかった、友も初恋の相手も弟妹も、仲間も一人も死んでいない。

 そんな極々普通の平穏な人生を歩んだ少年の精神を完全に乗っ取って、とどめを刺す。

 意外なことに少年の人生にはひとかけらもあの女は存在していなかった。

 どういう意図かは不明だが、彼女はこの世界の自分に関わろうとはしていないらしい。

「お兄ちゃん?」

 この時期にはとっくに死んでいたはずの妹が心配そうにこちらの顔を覗き込んでいる。

 ここはどこだと視線を彷徨わせると、何年も前に焼け落ちたはずの家のリビングルームであるようだった。

 窓から差し込む太陽の光は赤みを帯びている。

「……今日、は」

「ん?」

「何月、何日だ?」

 問いかけると妹は「急になにを言っているんだこのトンチキは」とでも思っていそうな顔をした後、日付を答えた。

 妹が口にした日付は、彼女の十七歳の誕生日の前日だった。

 思わず舌打ちをした、この後何が起こるのか知っていたからだ。

 十七歳の誕生日に彼女は父親の借金のカタにされ、売り払われた。

 その後は――考えるだけではらわたが煮えくりかえる。

『今』の彼女がどうしているのかはわからない、彼女自身の悲惨な人生をついでのように変えているという可能性だってある。

 しかし、おそらくこの少年の人生を変えることだけに手一杯になっていて自分の人生はおざなりにしている可能性の方が高い。

 あの女には大した力もないし器用でもない、だからきっと。

「……出かける」

 立ち上がると妹は慌てたような口調で「どこに!?」と喧しく叫んでいたが、それは無視した。

 彼女の魂がどこにあるのかは把握できている。

 ならばさっさと取り戻しに行くまでだ、彼女の人生がどうなっていようと絶対にこの手の中に取り戻すし、誰の手にも触れさせない。

 あれは、俺のものなのだから。


 肉体的に今の自分はただの平凡な少年だが、魂が魔王のものであるので力は普通に使えるようだった。

 この肉体をのっとったことでただの少年としての力しか振るえなかったら面倒だ、と思っていたが杞憂ですんで助かった。

 彼女の魂の気配を辿って駆ける、道中でとっくの死んでいるはずの友人や初恋相手、仲間達なんかと遭遇したが全て振り切った。

 まだ辛うじて息を残していた少年の意識が小さく抵抗しようとしたので、容赦なく蹴潰したら今度こそ黙り込んだ。

 そんな事をしているうちに、廃墟の塔にたどり着いた。

 上の方に彼女の魂の気配を感じた、こんなところで何をやっているのだろうかと顔を上げる。

 そうして、俺は見た。

 茜色の空から落ちてくる、彼女の姿を。

 細く小さな身体が今、地に――

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タイムリーパーと魔王 朝霧 @asagiri

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