03 呪いの原理と台湾ラーメン

 今回の依頼人である木全きまた 公佳さんは、周囲の人から悪意を向けられることに心当たりがなくもない、と言っていた。

 加えて、僕の目にはっきり視えるどす黒い『念』は、今も彼女の身をすっぽりと覆っている。

 この二つを結び付ければ、誰かが彼女を呪っているのだという樹神こだま先生の説明にも納得できる。

 しかし。


「えっ……『呪い』って……あの、私、壺とかブレスレットとか、そういう怪しげなものを買うようなお金なんてありませんよ。翼沙つばさちゃんが弟さんの事件を解決してもらったって聞いたから来てみたんですけど、基本的に私、そういう話は信じてませんから」


 公佳さんは先生を睨み付け、ショルダーバッグを手繰り寄せて、今にもソファから腰を浮かせようとしている。

 視えない人にとっては、まぁそうなるだろう。胸の奥がヒヤッと冷たくなる。


 対する先生は相変わらず、完璧な微笑を崩さない。


「そう仰る気持ちもよく分かります。しかし心配はご無用です。壺もブレスレットも売りません。ひとまず今日の相談料はいただきますが、それ以降のことは成功報酬ですので」

「成功報酬?」

「えぇ。私どもの調査でご依頼者さまの問題が解決したら、その分の報酬をいただきます。そうでなければ、本日の相談料のみで結構です。一般的な探偵事務所と同じく」

「はぁ……じゃあ、そういうことなら」


 公佳さんは座り直し、両手を膝の上に揃えた。そして、どことなく挑戦的な視線を先生へと向ける。


「で、その『呪い』とやらはどうやったら解けるんですか?」

「簡単に言えば、『呪い』の媒体を特定して無効化することですね」


 先生は一口コーヒーを飲む。カップがソーサーに触れるかちゃりという音で、緊張感がわずかに増す。


「まずは基本的な『呪い』の原理からご説明しましょう。『呪い』とは、誰かが何かしらの強い感情を抱いた結果、それが『念』となって他者に悪影響を及ぼすものです。発信者は、霊の場合も生きた人間の場合もある」

「『念』?」

「『念』とは思念の塊のことです。悪意や執着など負の感情が多いですが、愛情というケースもありますね。実を言うと、今、木全さんの周囲に『念』が纏わり付いています。頭痛などの原因はそれでしょう」

「えっ?」


 あ、言うんだ。

 案の定、公佳さんはきょろきょろと自分の身体を眺めて、首を捻った。


「私、霊に取り憑かれてるってことですか?」

「いや、霊の存在は感知できません。『念』だけです。霊のものなのか生きた人間のものなのかは判別できませんが、何者かが別の場所から発したものだ。それをするためには『念』を仲立ちするものが必要なんです。今回は鏡に化け物が映るということですが、決まった鏡ではないというのが一つのポイントですね。物に『念』を込めて『呪いのアイテム』のようにするなら、必ず特定の個体だ」


 鏡そのものが呪われているわけではないということか。


「つまり『呪いのアイテムを手にしたから呪われた』ということではなく、木全さん個人が遠隔的に呪われているということになろうかと思います。例えば、藁人形なんかがイメージしやすいでしょう。呪いたい相手を象ったものを媒体にして、狙った先へと『念』を飛ばす。この場合、藁人形を然るべき方法で無力化すれば『呪い』は収まります」


 本人の髪や爪などを藁人形の中に仕込むことで、『念』を受信させたい相手にチャンネルを合わせる方法だ。


「鏡とは、どういう関係があるんですか?」

「考えられるのは、自分の姿を目にした時に発動するような条件付きの『呪い』がかかっている可能性。しかしスマホ画面やガラスの反射では起こらないというのが気になる点です。化け物が『ムラサキカガミを忘れるな』という言葉を発することからも『鏡』がキーになっていることは確かでしょうが、現段階では何とも言えませんね」


 先生は、わずかに芯を宿した声で問う。


「確認ですが、『ムラサキカガミ』という言葉に何か強い思い入れ等はありませんか」

「えぇと……強いて言えば、その言葉が流行った当時イジメに遭ってたってことくらいですかね。でも私、いつもそんな感じなんで……慣れました」


 これだけの美人だと、仲間外れにされたりするんだろうか。女子の世界は恐ろしい。


「今現在、誰かから恨みを買うような心当たりは」

「さぁ……陰口言ってる人たちとも、直接的に恨まれるほどのことなんか何もありませんよ。ただの妬みそねみでこんなことになったりするものですかね」

「ないとは言い切れません。とりあえず今起きている現象を止めるだけならば、さほど難しくない。それで良ければ、『念』の媒体を探し出して『呪い』を解きますが」


 リアルな人間関係の拗れはどうにもできないと、先生は暗に言っている。


「……化け物は、見えなくなりますか?」

「えぇ。上手くいけばね」


 公佳さんはしばし考えた後、半信半疑の顔のまま、おずおずと頷いた。


「じゃあ……よろしくお願いします」




 『呪い』を解くにも準備が要るため、また後日ということになった。


 公佳さんが帰るや否や、先生は懐からから煙草を取り出す。黒い箱にインディアンの絵が描いてあるパッケージのものだ。仕事の区切りの、いつもの一服である。

 先生は渋いデザインのオイルライターで煙草に火を点けると、旨そうに煙を吐き出しながら言った。


「服部少年、腹減ったことない? ちょっと早いけどメシ行こうか。奢るでさ」

「いいですよ。いつもすいません」

「いやいや、受験生の貴重な時間をいただいとるわけだでな」


 先ほどまでとは打って変わって、緩い笑顔だ。ただし、薄っすらと疲れが見える。

 お客さんの前だと恥ずかしいくらいの気障キャラで他人のふりをしたくなることもしばしばあるし、ちょっとした言動も胡散臭く見えたりするので決して真似したくはないけれど、先生は根本的に面倒見がいい。

 今の僕があるのも、先生のおかげと言っても過言ではないだろう。


 先生が一本吸い終わるのを待って、僕たちは事務所を後にした。

 居酒屋やホテルやコンビニの合間を埋めるように小さなビルが建つ、雑多な街並みの中を進み行く。

 既に太陽が沈みかけている。秋分も過ぎた十月の初め。これからどんどん日が短くなっていく季節だ。

 夕方の爽やかな風に乗って、付近の飲食店からいい匂いが漂ってくる。腹の虫が思い出したように鳴いた。


 行き着いたのは、金山駅近くにある台湾料理のチェーン店。黄色の地に赤い文字の看板でお馴染みの店だ。

 店内に足を一歩踏み入れた途端、スパイシーな香りに包まれる。平日かつ早めの時間帯のせいか、他のお客さんはいない。

 整然と並んだ赤い天板のテーブル席の一つを選んで、僕と先生は対面に座った。


 ここへ来たら、頼むべきものは決まっている。

 中華風の黄色い服を着た店員さんを呼び、僕は注文を伝える。


「台湾ラーメンお願いします。あとチャーハンも」


 続いて先生。


「台湾ラーメンをアメリカンで。それから餃子」


 店員さんが去るか去らないかのうち、僕は口を開いた。


「先生、アメリカンなんですか?」

「うん。君はまだ若いで分からんかもしれんけど、三十過ぎると辛いものがだいぶキツなってくるんだわ」


 アメリカンとは、唐辛子の効いた本来のスープをマイルドにしたバージョンの台湾ラーメンである。コーヒーのアメリカンに由来しているらしい。

 そもそも『台湾ラーメン』は、台湾には存在しない。『アメリカン』にしても和製英語だ。

 名古屋名物・台湾ラーメンのアメリカン。多国籍的に見えてアイデンティティが行方不明なネーミングである。


「だったら別のラーメン屋にしや良かったですかね」

「いや、たまには辛いもの食いたいなと思って。今日のお客さん、なかなかスパイシーだったでな」

「関係あるんですか、そこ。確かにちょっとヒヤッとしましたけど」

「まぁ、気の強い女性は嫌いじゃないんだけどね」

「好みのタイプでしたか」

「うーん、そういうわけでもない。俺はやっぱ、包容力のある人がいいな。ありのままの俺を受け止めて、丸ごと愛してくれるような?」


 先生は恋する乙女みたいに両手で頬を包んで、あざとく小首を傾げた。三十路の男が取っていいポーズではない。


「君ならよぅ分かると思うけど。一緒におれる相手って限られるでしょ、こういう仕事や体質だと」

「あぁ……」


 多くの人には見えないものを視たり、聞こえない音を聴いたり。

 今日の公佳さんの反応を仕方ないと思う一方で、それが忘れたふりの傷痕を掠めていったことも無視しきれない。

 無性に刺激物が食べたくなる気持ちも、そこでやっと腑に落ちた。


 程なくして注文の品が運ばれてくる。

 真っ白な丼に映える、赤味の強いスープ。ミンチの中には刻んだ唐辛子。全体に散らされたニラとネギの緑も鮮やかだ。


 先生と一緒に手を合わせる。


「いただきます」


 どっさりの具材に埋もれた細麺を掬い上げ、ひと息に啜った。たちまち喉の奥を突き刺すような辛味がほとばしる。濃厚なスープが麺によく絡んでいて、引き肉の旨味とニラの風味が口じゅうに広がった。美味い。

 チャーハンはニンニクが効いていて、腹にガツンと来る。程よくピリ辛で、こちらも美味い。


 先生は僕のより淡い色のスープに浸かった麺を丁寧に口へ運びつつ、時おり水を飲んでは、餃子をつまんでいる。


 食べ進めれば進むほどに、体温が上がっていく。

 互いに無言。先生がネクタイを緩めたので、僕も学ランの第一ボタンまで外して喉元を解放した。暑い。


 ラーメン、チャーハン、ラーメン、チャーハン。舌の辛みが治まらぬうちに、次の辛みを乗せていく。

 胃に収めたものが発火して、ただでは消化しにくい何かを燃やしている。

 二人ほぼ同時に食事を終え、息をついた。


「あー……」

「美味かったー……」


 だいぶ汗をかいた。謎の達成感がある。


 会計をして外へ出ると、夜風が涼しい。

 そこで僕はようやく、気になっていたことを口にした。


「先生、今回の件、どうやって解決するんですか?」

「現象としてはシンプルだでな。『呪い』を解く手順なら、だいたい目星は付いとるよ。ただ、根本の原因に何があるのか、探りながらやることになる。何にせよ作業に人手が要るもんで、また君にも手伝ってほしい。受験生に頼むのも忍びないが」

「いいですよ。このままじゃ気になって勉強にも集中できませんし」


 すると先生は、にぃっと片頬で気障に笑った。


「頼りにしてるよ、我が助手」

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