05 全ての本は水に浮くが、全ての本が食べられるわけではない(2)

 そう。まず一度目の洪水の後、我々は神を怒らせるとどうなるか、身に染みて思い知ったはずだった。それでも長く平和な時間が過ぎると、ケロリと忘れてしまうんだから、困ったもんさ。


 天にも届く塔を建設しようなんていう我々の傲慢さは、またもや神の怒りを買い、罰を受け、塔の建設は中断した。何故か突然、相手の言っていることが理解できなくなり、意思の疎通ができなくなったからね。

 しかし、そこに書記という、神をも恐れぬ不敬な輩が誕生したのさ。我々司書の前身だね。


 書記はまず、自分達の言葉を書き記すための記号、即ち文字を作り、粘土板に刻むことから始めた。最初に見せた『世界が滅びた時に読む書』、あれはオリジナルの粘土板からの複写だが、あれに使われているのがその太古の文字さ。粘土にヘラで刻むのに適した形をしているだろう。

 文字に書き起こすと、言語の法則性が見えやすくなる。そうして、異なる言語を話す書記と、粘土版の交換をした。他言語の解読には時間がかかったが、まあ、後に司書に転じる者達だからね。文献をこねくり回すのが生きがいみたいな連中でさ――おっと、ご先祖様に失礼かな。


 そしてその結果、言語の異なる者同士でも意思の疎通が図れるようになり、長く中断していた塔の建設を再開した。こっそりとね。

 とはいえ、これだけでかい建物だから嫌でも目立つ。神がいずれ気付くであろうことは予測できたから、我らのご先祖は、大切な書物を塔の中心部にこしらえた図書館に運び入れ、隠すことにしたんだ。だから現在の塔は、中心をどこまでも伸びる図書館を覆い隠すように肉付けされ、増築されたものなんだよ。

 できるだけ目立たないようにやったつもりだったけど、いくらこっそりと書物を運び入れても、どれだけ静かに塔の拡張工事を進めようとも、神に露見しないわけがなかった。ばれるよ、そりゃあ。人間って、結局愚かだから。


 それで二度目の洪水が、ある日予告もなしにやってきた。


 これは、一回目の時みたいに、特に信心深い誰かに予告されることもなく、完全なる不意打ちだった。生き残ったのは、たまたま塔の内部で作業をしていたわずかな司書と建築作業員だけ。食料も少しは備蓄していたけど、微々たるものだった。我々司書の関心事は、いかにして貴重な書物を守り保存するか、だったからさ。愚かだよねえ。


 洪水は八十日八十夜続き、ようやく荒れ狂った天候が治まり、太陽が顔を覗かせるようになっても、水は一向に引かなかった。神はどうやら今回は本気でヒトを滅ぼすつもりらしいと察し、いかに不敬な輩でも震え上がっただろうね。

 備蓄していた食料はほどなく尽き、塔の中で飢え死ぬしかないと誰もが諦めた――と思うだろう。

 だがね、司書は諦めなかった。彼らは腹を空かせ、塔の周りは相変わらず水に浸かったままだ。それでも、書物に囲まれた彼らは、大変ハッピーだった。遅かれ早かれ死ぬにしても、膨大な蔵書の半分ぐらいは読んでから死にたい。そういう強い願いが、思いもよらぬ大発見へと繋がった。それが、ある種の本は、パンになるということ。


 だがこれは司書にとって大変なジレンマだった。食べてしまったら、当然その本はなくなる。永久に失われて、読めなくなってしまうんだ。司書にとっては飢え死ぬより悪い事だった。

 だから、またまた発見をした。僅かな書物から紙とインクを大量生産する方法をね。これは大変な皮肉でね。僅かな材料(本)からパンを大量生産する方法は未だに見つかっていないんだからさ。もしも司書が、書物に対するのと同等の情熱を食料にも向けることができていたら、食料問題だってとっくに解決していたかもしれないね。


 でもまあ司書って輩はさ。わかるだろう? 基本的には役立たずなんだ。そのせいで我々は常に空腹を抱えているんだが、とにかく、わずかな材料で大量の紙とインクを作り出す方法を見つけた賢い司書がいた。司書達は、それらの紙やインクを使って、パンになる書物の内容を写し取り、製本した。

 しかし、そうして内容を写し取られ新たに作成された本は、必ずしも以前と同じポテンシャルを持つとは限らなかった。

 つまり、オリジナルの書籍はパンになる資質を持っていたとしても、紙に写し取られ新たに作成された本は、パンになれたりなれなかったりする。この原因は未だ解明されていない。装丁が異なるからか? 紙質? インクの量? 一頁に含まれる文字数か? 文字の大きさ? ありとあらゆる試みがなされてきたけど、まだ完全な原因究明には至っていない。

 だけど、現在では、六割程度の確率で、オリジナルの特性を再現することには成功しているんだ。だから、君らが今口にするのは殆ど、写本から製造されたパンなのさ。


 ああ、話が大きくそれてしまったな。


 要するに何が言いたいかというと、君も書記の末裔で司書の端くれなんだから、読み方など教わらずとも、文字を解読できるはずだ。とはいえ、最初は色々苦労するだろうから、ヒントをあげるよ。


 長い語りを終えると、パウは掌より少しはみ出すぐらいの薄い本を懐から取り出して、ワタルに渡した。


「これは、挿絵がついているし、子供向けの内容だから簡単さ。文字数も少なくて最も簡単な言語で書かれている。ちなみにこれは写本で、燃やすと灰で頭痛薬が作れるはずだ。まあ、写本だから確実に頭痛薬になるとは限らないけど。読み終えたら、どのような特性があるのか色々試してごらん」

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