第79話 陣中食
ガストンがマラキア軍を撃破した報せはビゼー伯爵が率いる本隊にも届いた。
この報告を聞いた伯爵はガストンと騎士ランヌを激賞し『必ず厚く報いるだろう』と上機嫌であったという。
なぜなら、このマラキア市の先制攻撃は2ケ所への同時攻撃であったのだ。
ガストンらは果敢にも寡勢で敵軍を撃破し、もう一方の城は『建設中の拠点では防ぐことは難しい』と判断し拠点を放棄して引き上げたのである。
軍を引き上げたことは常識的な判断であり、それを咎められることはない。そもそも挑発に近い築城だったのだ。
だが、それだけにガストンと騎士ランヌの戦果が際立ったことは確かである。
彼らを抜擢した騎士テランスと騎士サレイも大いに面目をほどこすこととなった。
『可能であれば占領地を拡げ維持せよ』
ビゼー伯爵はガストンらに占領地の維持を命じ、そのままもう一方の攻め口よりマラキア領へ侵入を開始した。
この戦争はマラキア市が『もう伯弟など庇っていられない』と音を上げるまで締めつけるのが目的である。
ガストンらが城を完成させ、周囲を占領することはマラキア市を疲弊させることにつながるのだ。
⚫️
「ゴホッ、ゴホッ、占領地を確保せよですか」
「城もできてねえし、あまり手を広げちゃ上手くねえ。ま、近くの村をもう1つですかのう」
「ンンッ、ゴホッ、人手ならば占領した村から人を徴募することもできますが」
「いや、それはやめときましょう。上手くねえ」
ビゼー伯爵から伝令を受けたガストンと騎士ランヌは鍋を挟んで軍議をしていた。
軍内での食事は、仲が悪くなければ序列や身分の近いもの同士が集まりがちである。
ガストンと騎士ランヌは軍議も兼ねて食事をよく共にした。そこそこのつき合いはできている――とガストンは信じている。
「ンンッ、上手くありませんか?」
「うん、まあ……なんと言いますか、村人を甘やかすわけではねえのですが、優しくするほうが手っ取り早えと思いますわ」
騎士ランヌは「ふむ」と頷き汁をすする。
鍋の中身は兵士が狩ってきた山犬、山鳥、兎と野菜の塩漬けを
体の弱い騎士ランヌは食も細いが『獣肉の煮汁は滋養がある』と煮汁は好んで食していた。具材は主にガストンが食べる。
「ンッ、理由をお聞きしても?」
「そうですのう、村衆というのは小さな世間で生きてるものですわ。戦で暮らしをメチャクチャにされては恨みますし、年貢や賦役が重くなれば恨みます。自分のことで手いっぱい、戦や殿さまの事情なんてこれっぽっちも知りませんで」
「ン、ゴホッ、なるほど」
「だからね、優しくするのですわ。自分の暮らしが少しでも楽になりゃ『エラい殿さまだ、前の殿さまよりずっとええ』と喜ぶはずで。逆に何度も戦の手伝いを命じられたら『元の殿さまが良かった』と俺達を恨みますわ」
騎士ランヌは鍋をじっと見つめながら「そうしたものか」と呟いた。
従騎士は大きな農場などの財産を所有することはあっても領主騎士とは違い給金で身を立てている。この辺りの機微に疎くても仕方がない。
「そりゃ村長や乙名衆はまた違うでしょうが、まあ、大抵の村衆は殿さま同士のケンカよりその日の暮らしが大事ですわ。優しくすりゃ俺たちの味方になるはずで」
「ン、ンンッ、なるほどヴァロン殿は徴税人でしたな。よく下情に通じておられる」
「いや、俺は村の出ですわ。村のことはよう知っとりますで」
これを聞き、騎士ランヌは「そうでしたな」と穏やかに頷く。
だが、その目はギュッと力を増したようにガストンは感じた。
「ならば、ヴァロン殿も自らの利があればこそ、ビゼー伯爵に従っておられるのですか?」
ある意味で際どい質問である。
だが、ガストンからすれば『なにを当たり前のことを』といったくらいの話でしかない。
ガストンは村から追い出され、他にアテがないからなりゆきで兵士になった。
そして生業だからこそ未だに続けているのだ。それだけの話である。
「まあ、そうですな。俺が武家奉公しとるのは飯の種だからで」
「ンンッ、なるほど。ならば他家から高禄で誘われたならば?」
「まあムリで。村から追い出された俺を人がましくしてくれたのはリュイソーの殿様。そこから引き上げてくれたのはビゼーの殿様。馬に乗せてくれたのはバルビエのレオン様。恩も義理もありますわな」
これを聞き、騎士ランヌは「つまらぬことを言いました」と素直に頭を下げた。
庶民は自分の生活しか考えないと聞き不安になったのだろうか。
「いや別によいので。しかしランヌ
何気ない一言であるが『殿』とは同輩や身分の近しい者に対しての敬称である。
騎士ランヌに『殿』で語りかけるガストンの内心はさぞ誇らしいものだろう。
「ゴホッ、いやここは私にとって夢にまで見た場所なのです。そう邪険にされますな」
「いやいや、邪険と言われますと、そのう、申し訳ねえことで」
騎士ランヌは軽く咳き込みながら薄く笑う。
さほど気分は害していないらしい。
「ンンッ、ヴァロン殿はボードワン・ド・バシュラールを知っていますか?」
「いえ、存じません」
「ン、ンンッ、ゴホッ、ゴホッ……失礼。ボードワン・ド・バシュラールはリオンクール初代王バリアン1世の好敵手です」
「ははあ、さようでしたか」
「ええ、ボードワンも私と同じく……いえ、私よりも病弱でした。それこそ床を払えず、移動は
これにはガストンも驚いた。
リオンクール初代王といえば偉躰の大豪傑である。その好敵手が自ら歩けぬほどの重病人とは意外な話だ。
「ゴホッ、ゴホッ……しかし、ボードワンは病床から計を練り、軍を縦横に指揮したと伝わります。そしてバリアン1世を何度も苦しめた」
「そらすげえ知恵者だ。大したお人ですな」
「ンンッ、そうですね。まさに恐るべき千里眼の知謀。バリアン1世は『我は幾千の敵を恐れぬ。だがボードワン1人が恐ろしい』と左右に語ったほどだとか」
このような武勲譚を大抵の男子は好むものだ。
ガストンも例に漏れず聞き入っている。
「ンンッ……ン、最後の戦いに臨み、ボードワンはバリアン1世に罠を仕掛けます」
「ほう、罠ですかい」
「ゴホ、ええ、自らを囮にしてバリアン1世を暗殺しようと試みました」
「ふむ、自分を囮ですかい。肝っ玉もあるわけで」
「ン、そうですね。あるいは、病床の中で自らの寿命を悟ったとも伝わります。そしてバリアン1世は窮地に陥り、片目を失うほどの手傷を負いました」
ガストンはゴクリとツバを飲み「どうなりましたか」と身を乗り出す。
騎士ランヌは話も上手い。
「死にました。ボードワンは討ち取られたのです」
「あ、そう……まあ、囮ですからのう」
そもそもバリアン1世は建国したのであるから、ボードワンは敗れたのに違いはない。
冷静に考えれば分かりそうなものではあるが、ガストンはガッカリと気落ちした。
「ゴホッ、でもねヴァロン殿、体の弱い私はバリアン王ではなくボードワンに憧れたのです。体が弱くとも知恵で戦えると軍学書を何度も読み返しました」
「なるほど、ようわかります。俺も初耳でしたが凄い大将ですわ」
ガストンの言葉に騎士ランヌは我が意を得たりと笑顔を見せた。
相変わらず影のある笑みではあるが、嫌な感じはしない。
「ンンッ、この城にいるとね、私はボードワンになれたような気分なのです。どのように戦えば、兵を動かせばよいのか。抜け目のないボードワンならどうするだろうかと毎日が夢心地なのですよ。こんなことは独断即決の伯爵の元では不可能……ハッキリ言えば楽しい」
「ははあ、左様でしたか」
「ゴホッ、それにヴァロン殿は私にできぬ仕事がとびきり上手い。先日の戦は痛快でした」
それはガストンも感じることである。
騎士ランヌは地元との折衝、城の運営、冷静な用兵……などなど、ガストンには手も足も出ない部分を担当してくれていた。
「村の占領は明日にでも行いましょう。すぐに終わりますよ」
「そうですな……ま、互いに知らぬ顔でもなし、間違いは起こらんと思いますわ」
次に狙うのは
村を守る領主も野戦で撃破された今、彼らが抵抗を続ける理由は少ない。
「村長らとの交渉はランヌ殿にお任せせねばなりませんのう」
「はは、ゴホッ、ゴホッ……失礼、少し疲れました。先に休ませていただきます」
「そうですか、お大事になさってくだされ」
ガストンも引き止めたりはせず、騎士ランヌを見送った。
影の薄い、力ない印象の背中だ。
(ランヌ殿にボードワンねえ)
生来ガストンは体が強く病知らず。せいぜいが数年に1度風邪をひく程度のものである。
こればかりは神と父母に感謝をせざるを得まい。
その翌日、ガストンらは何の問題もなく次の村を占領し、占領地を1城2村に拡げた。
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