第80話 樵の愚痴

 半月ほど時が流れた。

 伯爵が率いるビゼー軍はマラキア領へ侵入し、各地で城や村落を破壊して回っている。

 だが、マラキア側は決戦には及ばずのらりくらりと時間を稼ぐ。バシュロ伯爵の援軍を待っていることは明白である。


 また、マラキアのフィルドルーフ市長はなかなかのやり手であり、王家からの調停者も往復しているらしい。

 つまり、時間はマラキアの味方になる。ビゼー伯爵はどこかで決定的な勝利を得るためにかなりムリをしているようだ。


 一方、ガストンらの城はさほどのことはない。

 村を奪還すべく地元領主の兵がウロチョロしたり、返還交渉の使者が来たくらいのものだ。矢戦は数度あったが本格的な戦闘には発展していない。


 工事も門、柵、櫓は簡素ながらも形となり、今は主塔や堀などを造設している。

 これが終われば少しずつ規模を拡張していく予定だ。


「ヴァロン様、とりあえずはこんなもんでどうですかい」

「石や切り株の根っこはまだ残ってるから凸凹してるよ。人なら大丈夫だけど馬を走らせるのはムリかもなあ」


 こうガストンに語るのは占領した村のきこり親子だ。


 ガストンと騎士ランヌは占領した村の物資を略奪したり、徴兵したりはしなかった。軽い賦役として村から城に向かって間道を拓かせたのみである。

 それも藪を切り拓いた程度、獣道に毛の生えたようなものだが、今までは街道から迂回をして村へ向かっていたのだ。

 関守をしていたガストンは新しい道の重要性を十分理解していたのである。


「おう、ご苦労さんじゃの。道はおいおい拡げりゃええ。厨房で飯でも食ってけ」

「そりゃありがてえ。切り出した木材もこっちでもらっちまったし悪いくらいだ」


 樵の親父が言う通り、この賦役工事もさほど村の負担にはなっていない。

 変わったのは日に何度か剣鋒団が巡回に来る程度のことで、2つの村は戦火におびえつつも鎮まっていた。

 少なくとも村の樵がこうして気安く話しかけるほどには民心は安定している。


「ヴァロン様よ、戦はまだ続くのかい?」

「ほうだのう、少なくとも引き上げの報せは届いとらんな」


 ガストンの返事に樵の親父は分かりやすく「たまらんねえ」と深いため息をついた。

 村衆にとって戦など天災に近い迷惑でしかないのだ。


「うちの村からも戦に出た若い衆がおってなあ。ヴァロン様が散々にやっつけるから皆が心配しとるよ」

「それを言われると心苦しいがのう……そのうちここに石造りで礼拝堂を作るはずだわ。俺も村衆の無事を祈るで堪忍してくれい」


 これは口からでまかせではなく、城内に小さな礼拝堂を造る計画はあった。

 命を奪い奪われる戦士たちに祈りは欠かせないものである。

 中には敵の命を奪うたびに追悼ミサを行う信心深い者もいるほどだ。


 ガストンとて好んで人殺しなどしたことはない。たまには神に手を合わせたい気分にもなる。

 城に礼拝堂は必要なものなのだ。


「そうかい、ムリを言ってすまねえな」

「悪いとは思うが戦のことは神頼みしかできん部分もあるでなあ」


 樵の親父も愚痴をこぼしただけでガストンを恨んでいるわけでもない。

 親子で連れだち城の厨房へと向かって行った。


「さて……おいスカラベ、俺は新しくできた道を通ってみるとするわ。ランヌ殿に伝えてこい。ドニは何人か率いて供せえ」


 道は人が往来すれば自然と固まり拡がるものだ。

 今は獣道に等しくとも森歩きに慣れたガストンならば問題はない。すぐにガストンはヴァロン家の家来らを引き連れて拓かれたばかりの道に足を踏み入れた。

 湿気の高い、少し陰気な印象の森である。


「この小せえ沼は危ねえが、埋めるにしても骨だのう」

「へい、なら落ちねえよう目印に棒杭でも立てちゃどうですかい」

「そりゃいい思案だ。いずれは柵にしてもええわな」


 ガストンとドニには街道整備の経験がある。2人が少し歩けば気づくことはいくらでもあった。


「しかし、この辺りはよう水が湧いとるのう。この辺りの平らな土地を上手く拓けば畑も作れそうだわ」

「そりゃすげえ。あの城がモノになりゃ、ここが城下町ってわけですかい」

「そりゃ気が早えわ。だがまあ、城の衆が家族を呼び寄せりゃ、そのうち村になるかもしれんわな」  


 ただの思いつきではあるが、ガストンもつい『この辺りは気をつけて拓いてやるか』などと考えてしまう。

 自分たちの手で人の営みが拡がる――それは楽しい想像だった。


 一団は伸びる枝や転がる石を払い除けながら間道を進む。

 道幅は狭い場所で大柄なガストンが歩けば枝葉が肩に当たるほどか。


「ドニよ、明日から巡回はこの道を通らせようと思うが――」

「むっ、お頭! 後ろからスカラベが来ましたぜ! なんぞ変事があったに違いねえ」


 ガストンらが間道に入り、ほどなくするとスカラベが追いかけてきた。珍しく走っているところを見るに異変があったのだろう。


 この老人は日々をのらりくらりとやり過ごす名人で、まるで急ぐということをしない。

 そのスカラベが走って追いかけてきたのだからドニが驚くのも無理ないことだ。


「ひい、ひい、はあ、はーっ、はーっ……親方あ、報せが届いたぞお! 急ぎの用事だあ!」

「おう、走らせてすまねえな。ビゼーの殿さまからか?」

「うんにゃ、知らねえ。ランヌの殿さまが親方に報せろってよ、なんでも大事だから俺じゃなきゃダメってことでなあ……はあ、たまらねえ、息が切れた」


 スカラベによると、ガストンが出てからすぐに急使がやってきたらしい。

 他家の従士であるスカラベを走らせるほどだから大事な要件なのだろう。内容を知らせないのは用心のためか。


「よう報せてくれたな。俺はひとっ走り帰るから、お前らスカラベと帰ってこい。くたびれた爺さんを放っておくような不人情すんじゃねえぞ」


 ガストンはそれだけ言い残して走る。

 ドニは不満気ではあったが、素直に残ったようだ。さすがに疲れたスカラベを1人にしてシカやイノシシに突き飛ばされては寝覚めが悪い。


 人が野生動物に殺された話など、いくらでもある世界なのである。

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