第76話 陸の魚
数日後、ガストンと騎士ランヌが率いる130人ほどの軍勢は街道を進み、ビゼー伯爵領の領域ギリギリのところで足を止めた。
予定では付近の小山に築城することとなっている。
「ランヌ殿、そろそろビゼー領は出たことになりましょうか」
「ンッ……ええ、ンッ、おそらく候補はあの小山でしょう。周囲に高い山もなく、街道もほど近い」
「なるほど、水があれば文句なしですのう。周囲の森は全部刈り取って裸山にすれば城らしくなりますわ」
ガストンは騎士ランヌと
この軍はガストンと騎士ランヌは同格の主将。両名で兵を率いる形だ。普通なら大なり小なり主導権争いはある。
だが、この騎士ランヌ、よほど控え目な性格なのかガストンや団員にも威張ったところがない――というよりも生気がまるで感じられない。
年の頃は30半ばにも至らぬようだが頬がこけるほどに痩せており、額や鼻先はカサカサ、目の下には濃いクマが貼りついている。
そして常に「ンッンッ」と咳払いをし、まれに気味の悪い咳をしていた。
騎士サレイが病弱と称していたが、ガストンから見ても心配になるほど体が悪そうだ。
「では、それがしは手下を連れて水場などを探してまいります」
「ンンッ、承知しました。ならば我らは近隣の村を訪ねます。近隣の山野に慣れた猟師や
「おお、そらええ思案で」
「……ゴホッ、ゴホッ……失礼、その間は兵を休めてはどうですかな?」
「なるほど、もっともですわ。すぐにそうしましょう」
すぐにガストンと騎士ランヌは兵を動かし、開けた場所で休ませた。
街道とはいえ、他領と繋がる道は整備がされていない。敵の軍勢が通りづらいようにと曲がりくねり、凸凹もひどく道幅も狭い。
道の真ん中で兵を休ませられないのである。
「マルセルやい、ちょいと物見に出るから十人長を連れてくわ。留守は頼む。ボネは念のために見張りに立ってくれ」
「物見か。こんな小働き、百人長が自ら出んでもよかろうよ。他の十人長に任しちゃどうだ?」
ガストンが指示を出すと逆にマルセルに意見をされてしまった。
本来、これを許しては
彼らからすれば、マルセルを通せば百人長ガストンに意見が通るかもしれない。これに文句を言う筋合いはなかった。
ガストンにとっても細かいところに気がつくマルセルから気安く意見を聞けるのはありがたい。
つまり、お互いにとってやりやすい形に落ち着き始めているといったところだろう。
ガストンが贈った老馬はもう20才に近く、見るからにヨレヨレで戦闘には耐えられそうもないが、それでもマルセルを乗せて元気に働いているようだ。
馬に乗った十人長など他にはおらず、マルセルは得意満面である。
「ふうん、いや、やめとこう。下手な者より俺のほうが森歩きは慣れとるわ」
「ほうか、ならええわい。弓隊を連れてくとええぞ、百人長がクマやイノシシに
「ばかぬかせ、こんな多数を襲うクマなどおるものかよ」
このやりとりで周囲の兵たちもドッと笑う。
指揮官と兵士の距離が近すぎるのも問題だが、剣鋒団とガストンの家来を合わせても60人足らずである。
自然と皆が顔見知りであるし、軍隊というよりはガストンを中心とした共同体のような気安さがあった。
ちなみに騎士ランヌが率いるランヌ家は雑用含め15人。
全体の総数130人のうち戦闘員は半数ほど、残りは雇入れた荷運びの人足や奴隷である。彼らは雑用だが、軍には欠かせない人員でもある。
「ギー、隊を連れて供をせい。まずは山の周囲に水場があるか探るぞ」
ガストンが声をかけたのはギー・ゴモンという十人長だ。
ギーは比較的最近十人長に抜擢された赤ら顔の無口な若武者である。
背は高くないが体がガッチリしており肩幅も胸板も厚い。この立派な体格で背丈に余る強弓を引く弓士だとの評判だ。
この『ギー』という名はガストンの亡父と同名であり(よくある名前ではある)、なんとなくガストンは目をかけていた。
ギーは「御意」と妙にしゃちほこばった返事をしてガストンの側に駆け寄った。きびきびとした動作である。
(ふうん、ギーは若いのにずいぶん苦労をしてそうだの)
なんとなくだが、ガストンはそんな気がした。
十人長ギーに従う団員もまとまっている印象だ。これなら戦場でも活躍するだろう。
「山に登って水場を探すぞ。あまり手こずるようなら交代するが、まずそうはならねえ」
ガストンは馬を降り「これを見てみい」と兵士たちを促した。指し示すのはヤナギの木である。
「ヤナギは水を好む。つまり、どっかに水は湧いとる。気を入れて探すぞ」
訓示というにはあまりに素っ気ない言葉をかけ、ガストンはギーの隊を引き連れ小山に分け入った。
何も言わずとも護衛としてドニはくっついてくる。
(本当は俺の留守を率いてほしいのだがのう。ま、ええか。ドニも頑固者、変にムリをさせてもロクなことにはならねえ)
ガストンもヴァロン家としてドニ、イーヴ、スカラベ、それに雑兵らを合わせて総勢9人を率いているのだ。
イーヴやスカラベが留守ではいかにも頼りない。
だが、この忠臣は『ガストンの背中を守ることこそ我が使命』と思い定めているようだ。実際に役に立つ男でもあるので、ガストンもなんとなく強く言えないらしい。
少しばかり歩くと小山の麓は窪地になっており、底は沼のようにぬかるんでいた。
傾斜がさほどキツくない山ではあるが、なかなか複雑な地形をしている。
それにゴツゴツとした岩がそこかしこにあり、建材としても使えそうだ。
(ふうん、これならなんとかなりそうだのう)
築城といえばいかにも大げさではあるが、実際には木柵で囲った陣地に毛が生えたようなものである。
さらに駐屯するのは130人である。小山全体を城にする必要はなく、地勢を上手く利用して攻められ難くすればよいのだ。
「おい、ギーよ。この窪地を見て何か気づくか?」
「御意、上手く使えば堀になるかと」
「おう。それに見てみい、底がぬかるんどる。これは水が湧いとるかもしれんぞ。近くを探すとするかい」
「な、なるほど」
ガストンは自らの発見を伝えることで考えをまとめ、若いギーはそれを学ぶ。
それはかつて、騎士テランスから教えを受けた自分のようだとガストンは昔を懐かしんだ(30話)。
「こっち側は坂も緩いし、守るなら何か工夫がいるのう。思案はあるか?」
「むう、
「うん、悪くねえが……思い切って堀を切るのもええな。左右を窪ませれば登り口は馬の背みたいに細くなるわ」
「……あ、なるほど、攻め口が細ければ少ない弓でも狙いやすくなりまする」
「攻め口を細くすると反撃のための馬出しは造れんし、せめて門の脇に櫓が欲しいのう」
それなりの心得がある者が、それなりの心構えで歩けば、それなりの縄張り(基礎設計)は見えてくるものだ。
ガストンも築城術こそ学んだことはないが、城や陣地を攻めたり守ったりの経験は10や20ではない。何をどうすれば敵が嫌がるかは知り尽くしている。
この手の小陣地くらいなら十分に縄張りは可能だ。
「お頭、ここから水が湧いとるようです」
ほどなくすると、窪地からやや上がったところでドニが声を上げた。
見れば両手ですくえる程度の水たまりがある。この水が窪地を湿らせていたようだ。
「ドニ、でかした。これでここに城を築けるわ」
「しかし、ちと……水が足らなくないですかい?」
「いや悪くねえぞ。ここを掘って
高いところからぐるりと周囲を確認すると、小山からやや離れた場所に小さな泉も発見した。
この様子なら井戸も掘れるだろうし、水源に困ることはないだろう。
(水が豊かな土地だが、平地も少なけりゃ岩ばかり。畑を耕すのは厳しいが……ヤギでも飼うかのう)
ガストンが命じられたのは築城である。
別に土地を拓いて農民を入植させるわけでもないのだが、この地で村の生活を想像してしまうのは育ちのゆえだろうか。
「俺はつくづく、城の中は向いてねえ男だ」
ガストンがポツリとこぼすと、ドニが「間違いねえ」と嬉しげにニイッと笑った。
「戦が近づけばお頭は活き活きとしなさる。城の中では、窮屈で苦しげでした」
「ほうか? 城の俺はそんなに苦しげかい」
「そらもう、窮屈そうなこと陸の魚みてえなもんで」
「そら言い過ぎだわ」
ガストンは苦笑いをし「ここに兵を入れるぞ」とギーに声をかけた。
地勢は複雑で水源もある。あとは兵士を入れて工事を始めるだけである。
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