第75話 城内の不和
会議から数日たち、ガストンは騎士テランスから『戦のことで相談したい』と呼び出された。
呼び出されたのはビゼー城の防壁に作られた尖塔の1つで、これは騎士テランスが伯爵から与えられた城内でのプライベートスペース――ではあるのだが、実質的には剣鋒団の本部といった風情である。
「うむ、来たか」
騎士テランスの家来に案内され、塔の一室に入ると騎士テランスともう1人、初老の騎士が迎え入れてくれた。
この初老の騎士の名はジャン・バティスト・サレイ。ビゼー伯爵に仕える世襲の従騎士であり、大きく禿げ上がった額と、口から頬にかけてふっさりとした立派なヒゲがいかにも
(おや、サレイ様かい。こりゃ珍しいのう)
ガストンが不思議に思うのもムリはない。
ビゼー伯爵の従騎士は世襲や名家も多く(領地を継げなかった領主の子弟が従騎士になることも珍しくない)、伝統や良識をないがしろにするビゼー伯爵とはあまり関係が良くない――つまり、ビゼー伯爵の腹心である騎手テランスやガストン、さらには子飼いである剣鋒団とも仲が悪い。騎士サレイはその従騎士たちの中にあってまとめ役のような存在だ。
当然のようにガストンとも疎遠だし、親しく言葉を交わしたこともない。
(よう分からんが、さすがに無視とはいかんのう)
ガストンは騎士サレイに会釈をし「お呼びと聞きましたが」と騎士テランスに向き合った。
「うむ、ご苦労。今日は先日の出陣の話である」
騎士テランスは言葉を止め、チラリと騎士サレイに目配せをした。
どうやら騎士サレイが言葉を継ぐようだ。
「ヴァロン殿、この城は大きく2つの勢力があるのは存じておるかね?」
「へっ? それは、殿様の……弟御のことで?」
騎士サレイの言葉はやや突飛だ。
ガストンが慌てて答えると、騎士サレイは「それはそうだが、そうではい」と首をふる。
ちなみにガストンと騎士サレイは同じビゼー伯爵に仕える従騎士同士ではあるが、家格、年齢、俸給、経歴、何もかも違う。本来なら騎士サレイはガストンを呼び捨てにしても問題はないほどに格上なのだ。
しかし、その騎士サレイがわざわざ『ヴァロン殿』と敬意を払って呼ぶあたり遠慮が垣間見える。口調も穏やかではあるし、どうやら悪い話ではなさそうだとガストンは心の中でホッとひと息ついた。
「伯弟との争いはつまるところ、我が君への不満から起きている。ほら、我が君の性格はアレ。大層キツいゆえ」
「うん、ま、ねえ」
いきなりの伯爵に対する悪口にガストンは返事もできず、あいまいに愛想笑いをするしかない。
ここで下手に同調しては思わぬ災いがあるかもしれないからだ。
だが、騎士サレイは気にした様子もなく言葉を続ける。
「元々は違ったかも知れないが、今や『我が君にはつき合いきれぬ』と思い詰めた者が仕方なく加わることも多いのだよ。伯弟を支持するのではなく、我が君が嫌いだから向こうについてしまう」
「そうかも、知れませんなぁ」
「そして城内でも我が君に与する勢力と、良く思わぬ勢力と大きく分かれている。これは根が深い。好き嫌いの感情は理屈ではないからな」
これは騎士サレイに説明されるまでもなく、ガストンも十分理解している。
そもそもガストンが仕え始めた頃からビゼー伯爵家は親伯爵派と反伯爵派に分かれて争っていたのだ。
そして騎士テランスは親伯爵派の重鎮であり、ガストンは最右翼である。
「私とテランス殿はいがみ合う両派をまとめ、競わせることで衝突を避けていたのだが――残念なことに我らが伝統派は押され気味なのだよ」
「伝統派、とは……その、サレイ様のお仲間で?」
「うむ、我らは伝統を重んじるゆえに自らを伝統派と称しておるのだ」
「そのう、そうなると伝統派は弟御に味方をしているので?」
「いや、それは断じて違う。我らはあくまでも我が君が嫌いなだけなのだよ。伯弟は……ま、ダメとは言わぬが、並べれば戦が上手い分だけ我が君のほうがマシだろうな。見た目は立派だが、何をやらせても人並み以下にヘタクソだ」
「へえ、や、そうなので」
この騎士サレイ、品は良いがすさまじく口が悪い。
嫌いだと口にするだけはあり、主家への遠慮というものがまるで感じられないのだ。
(こりゃあ、どうも……まいったのう)
これは伯爵に取り立てられたガストンと、生まれつきに家と立場があった騎士サレイの差であろうか。
サレイ家は伯爵がいなくてもビゼー伯爵家がある限り存続するだろうが、ガストンはそうはいかない。忠誠心に差があるのは当然のことだった。
伯弟の味方はしていないという言葉も、どこまで本当か知れたものではない。
(どうにもやりづれえな……こりゃアレだ。アイツ、騎士セルジュに似とる。口と腹が別々の手合だあ)
ガストンはもう騎士サレイに苦手意識を抱き始めた。この手の口舌の徒とは相性が良くないらしい。
「ちなみにキミたちは忠義派と言うそうだよ」
「はあ、左様で」
「そう、名前はどうでもいい。しかしだね、最近は伝統派に良いところがまるでない。まあ……伯弟に転ぶのは伝統派ばかりだから仕方もないが、我が君は伝統派が大嫌いだ」
「そら、ま、お互いさまといいますか……」
「そうなのだ、このままではマズい。不満が溜まればガマンができなくなり、このまま伯弟との戦になれば後ろで悪巧みをするだろうな」
「ははあ、そいつらを
ガストンの言葉を聞いた騎士サレイは心底呆れたといった表情を見せ、チラリと騎士テランスに視線を送った。これには騎士テランスも苦笑いだ。
だが、
「ヴァロンよ、話はそう単純ではない。要は大きな不満を爆発させる前に伝統派にも手柄を立てさせてやりたいという話だ。仲間が褒美の1つも貰えれば気も紛れよう」
「そうでしたか。そりゃ悪くないと思いますわ」
「であろう? そこでオヌシが率いる隊に伝統派の騎士を混ぜてやりたいのだ」
「なるほど、それで俺が手柄の助太刀をするので?」
「うむ、そういうことだ」
話が回りくどい騎士サレイと比べれば騎士テランスの言葉は分かりやすい。
これは長年、剣鋒団などと身元も怪しげな荒くれ集団を率いている経験ゆえだろう。
騎士サレイもガストンが納得した様子を見てホッと小さく息を吐いた。
「ヴァロン殿には従騎士のランヌ殿と共に兵を率いて欲しい。ランヌ殿と面識はあるね?」
「へい、お顔は存じております。俺よりやや年嵩くらいのお方で」
「それで十分だ。ランヌ殿は家柄は良いが病弱で騎士としては頼りない。だが身のほどを知っているし、愚かではない――いや、むしろ自らの立場をよく知る良識家だ。私からも言い含めておくから問題はない」
これを聞いてガストンは「なるほど」と頷いた。
家柄と良識がある男は間違いなく伝統派だろう。
剣鋒団のような荒くれ集団を好み、良識を軽んじる伯爵と仲良くできるはずがない。
「死ななければ良いさ。生きていれば手柄などはどうにでもなる」
「死ななければ良し、承知しました」
古くから大貴族に仕える従騎士というものは主君の傍で働くだけはあり、家禄よりもずっと権力があるものだ。
騎士サレイは派閥のリーダー格である。手柄など『どうにでもなる』というのは間違いではない。
ビゼー伯爵が仲の悪い従騎士たちを粛清できない理由もここにある。自らに近い従騎士たちが本格的に叛けば宮中が大変なことになるのは火を見るより明らかだ。
ある意味で、やりたい放題に見える伯爵の思わぬ急所――それが従騎士たちでもあった。
「くれぐれも頼むぞ、ヴァロン殿。短気を起こさないでやってくれ」
最後にこれだけを伝えると、騎士サレイは部屋から退出した。用は済んだということだろう。
何のことはない。軍の編成前に下話をしたかっただけのようだ。話の長い男である。
(死ななければ良し、ねえ……ま、運次第ってとこだわな)
戦場での生き死には運が大きく左右する。運がなければ後ろで隠れていても矢石が当たって死ぬものだ。
「ヴァロン、ランヌ殿がどうあれオヌシは百人長として百人隊を率いることに違いはない。実質の指揮官はオヌシだ。おかしな心配をするなよ」
「へい、心得ました」
「だがオヌシも知っての通り剣鋒団は我が君の手足として最も危険な戦場に投入される」
「へい、承知しとります」
「これからオヌシは片時も休まる時もなく、戦場から戦場へと転戦するであろう。出世を喜んでばかりではおられぬぞ、ここからオヌシの将器が測られるのだ」
騎士テランスは相も変わらず口うるさいが、ガストンにとっては気まぐれな伯爵の下にいるよりはるかに気が休まる。
「率いる十人長に希望はあるか?」
「へい、身内のマルセルは気心が知れておりますで」
「うむ、道理だな。他はどうだ?」
「目の良い者がおれば」
「よし、ニコラ・ボネをつけてやろう。他は育てよ」
「へい、心得ました。ボネをいただけるとはかたじけのうございます」
ガストンは騎士テランスに深々と頭を下げる。
ニコラ・ボネはガストンらと入団を同じくした最古参の団員だ。
剣槍の腕前はほどほどだが不思議な勘働きがあり、見張りをさせるとよく敵を見つけた。古参兵らしい落ち着きと度胸もある。
まさに願ってもない人材だった。
おそらく今の剣鋒団なら百人隊には平隊員が40人余り、十人長が5〜6人ほど、総勢50人ほどの大所帯になる。
マルセルが十人長筆頭、ボネが2番頭となれば心強い。
「いいか、ランヌ殿が何を言おうが、戦力の過半である剣鋒団はオヌシが率いるのだ。それさえ忘れなければ軍の長はオヌシである。短慮はするなよ」
「へい、肝に銘じます」
「うむ、ならばよい。続けて城を築く場所であるが、すでにいくらか目星はつけておる。現地を見てオヌシが判断せよ」
騎士テランスは簡素な地図を広げ、築城の候補地に印を打つ。
「ヴァロン、急ごしらえの城に必要なものは何か?」
「へい、水場と柵でしょうか?」
「うむ、それでよい。細かなことは地形と相談すれば問題なかろう。できれば街道も抑えよ。伯弟の密使が通らぬよう目を光らせるのだ」
「関所ですか」
「そこまでせずとも街道を見張る事ができれば問題なかろう――」
そこで騎士テランスは言葉を溜め、ギロリとガストンを睨む。
「オヌシは大層
さすがにこれにはガストンも参った。
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