第74話 港湾都市マラキア
「やはりかっ! あの痴れ者めが!!」
ある日のこと、家臣が居並ぶ中で密偵頭ともいえる出世をしたセザール・セザール(31話登場)の報告を聞き、ビゼー伯爵は怒り狂っていた。
潰しても潰しても現れる反乱者。その首謀者とその所在地が判明したのだ。
やはりというべきか首謀者は伯弟ジェラルド・ド・ビゼー。
反乱者からすれば今のビゼー伯爵と相容れないのだから、有力な後継者たりうる伯弟と手を組むのは自然な流れである。これはいい。
問題となるのは伯弟が身を寄せる拠点、港湾都市マラキアだ。
マラキア市はビゼー伯爵領より北東に進んだ海岸線にあり人口4000人足らずの規模、ほどほどの経済力を持つ自治都市である。
このマラキア市は代々フィルドルーフという一族が市長を務める伝統があり、このフィルドルーフの家祖がリオンクール初代王の父ルドルフ大公の庶子なのだ。
この家名も『
今となっては血縁関係はほぼないが、ルーツをたどれば王族と言えなくもない。
この縁でマラキア市はリオンクール王国諸侯の所属ではなく古くから王家直参の土地だった。
つまり、この土地に向けて軍事行動を起こせばリオンクール王国への謀反となる可能性が高く、さすがのビゼー伯爵も自分からは手が出しづらい。
さらに話をややこしくしているのは貴族にありがちな複雑な血縁姻戚関係である。
このフィルドルーフ市長と伯弟の妻は姉妹であり、リオンクール北部諸侯バシュロ伯爵の相婿だ。
伯弟、フィルドルーフ、バシュロ伯爵は婚姻で強力なスクラムを組んでおり、いざとなれば協力してビゼー伯爵に対抗するだろう。
ここにビゼー伯爵の血縁関係も関わってくる。
リオンクール北部で最大の勢力を誇るドレーヌ公爵の姉はビゼー伯爵と伯弟の母親であり、近隣での紛争を望まないドレーヌ公爵は折にふれて和解を斡旋しようとしてくるようだ。
さらにビゼー伯爵の妻はドレーヌ公爵の背後に当たるアルボー辺境伯の娘であり、こちらはドレーヌ公爵と仲が悪い。
まあ、この辺りの事情は覚える必要もないだろう。
とにかく、リオンクール北部で争えば玉突き事故のように事態が膨れ上がる可能性が高いということだ。
(よう分からんが、身内でケンカするべからずってことかのう)
我らがガストンの理解もこの程度のことである。
会議では末席に座る身分になったものの、ガストンが披露するような知見はなにもない。
「マラキア市にジェラルド様を引き渡すように抗議をする。受ければ良し、断られればさらに責める口実になりましょう」
「それは手ぬるい! 反乱を主導していた証拠はある、兵を入れて逮捕すべきだ」
「しかし、マラキア市は王国の土地、攻めるにも名分が必要であろう」
「今の王国に軍を興す余力はあるまい」
「そうだ! マラキア市ごときが我らに抗えるものか!」
「反乱の首謀者を援助、兵を送る名分としては十分である」
「それは性急すぎます。ドレーヌ公爵に仲介を頼みマラキア市長やバシュロ伯と交渉すべきでしょう」
「たしかに。後ろに控えるバシュロも厄介だが、こちらが軍を興せばドレーヌ公爵もどう動くか」
会議ではビゼーの重鎮たちが喧々諤々と論を競っている。
だが、政治や外交の分からないガストンは会議の末席でかしこまり、訳知り顔で「むう」だの「うむ」だと唸っているだけの賑やかしに過ぎない。
「ヴァロン、何かないのか?」
サボっているガストンを目ざとく見つけたのは騎士テランスだ。
騎士テランスは伯爵派の最古参で一貫してビゼー伯爵の軍務を補佐し、今では剣鋒団長として百人隊を4組、団員総勢200人ほどを指揮下に置く重鎮中の重鎮である。
今も伯爵のすぐ左に位置し、こうして会議の進行を助ける役目もあるようだ。
「へ、へいっ!? あいや、
「ふん、似合わぬ遠慮などするな。先ほどから首を傾げて唸っておったろう」
どうやら騎士テランスには先ほどのガストンの様子がいかにも思案ありげに見えたようだ。
思いのほかガストンの演技は上手かったということだろうか。
(いやはや、こりゃまいったのう)
周囲を見ればガストンに注目が集まっているのを感じる。
むしろガストンが静かに視線を動かしたことで聞く姿勢になってしまった。
こうなれば『何でもありません』は通用しない。
「それがしに思案など……ただ、殿様のご不便をお察ししたまでのこと」
「ほう、我が君の不便とは何か? オヌシは主君の心に寄り添うのが得意である。申してみよ」
騎士テランスの言葉はやや嫌味がある。
周囲の騎士たちにも白けた雰囲気がただようが……まあ、これは日ごろのおこない(72話)のせいだろう。こと城内において伯爵とガストンに人望というものはない。
「それがしにも弟がおりもうす」
「うむ、マルセルにジョスか」
「へい。この場合はジョスですが、親父を早ように亡くしたもので、弟めが言いつけを聞かぬ時はそれがし殴りつけて躾けたもので」
「ふむ、なるほど」
「それも叶わぬとは殿様の立場とは不便であるのだと、その……お察ししておりました」
意外にも騎士テランスは「それはそうであろう」と感心して頷いた。
こうした会議での騎士たちは『ああしたい』とか『こう思う』と自己主張こそ強いがガストンのような上におもねる言葉は少ない。
プライドも学もなく、上の顔色をうかがい続けたガストンの思考と名誉を重んじる騎士たちの価値観には乖離があるのだ。
騎士は基本的に自らの名誉と利益を求めているために自らの活躍の場をアピールする。良し悪しではないが、ここがガストンと違うところではあるだろう。騎士たちからすれば会議で沈黙しているのは無欲というよりも無能に近い行為なのだ。
「ならば問おう。叱りつけた弟が――そうだな、この場合はバルビエ卿に泣きついたとしよう」
「そ、それはとんでもねえ」
「そうだ、とんでもないことだ。さらには事態を重く見たバルビエ卿は俺にも応援を頼んだ。さてオヌシはどうする? バルビエ卿に詫びを入れ、悪さをした弟に和を請うか?」
この質問にガストンは瞑目し、じっと数秒ほど考えた。
(なるほど、それはムリだのう)
騎士テランスの言葉は分かりやすく、ここにはガストンを育てようとする意図もあるかもしれない。
ガストンにとって、実弟のジョスが周囲を巻き込んで叛くのは許せるようなことではない。
「へい、それはムリな話で。そんなことを許せば筋が通りません」
「ならばどうする? 得意の槍を担いで殴り込むか?」
こうした家同士のトラブルはどう対処するか――実はもうガストンは学んでいる。
リュイソー男爵に仕える騎士カルメルから『互いの家でトラブルがあれば従騎士同士で相談しよう』と教わった(58話)ことをガストンは忘れてはいない。
「……そうもいきませんで。先ずはこちらから家来を送って、向こうさんの家来と家来同士で話をつけるのが筋かと」
「うむ、一理あるな。冷静な判断だ」
そこで言葉を止め、騎士テランスはチラリと伯爵に視線を送る。
周囲の騎士たちもガストンが慎重論を唱えたことが意外だったのだろう。視線を伯爵に集めた。
伯爵は「カッ!」と短く怒声を放ち、手にしていた短杖で床を強かに打つ。それを2度、3度と繰り返し、最後に不快気に口を歪め『ふん』と鼻を鳴らした。
「テランス、ガストン、つまらん芝居はやめよ!」
どうやら伯爵は騎士テランスとガストンが申し合わせて婉曲に意見を具申したと勘違いしたらしい。
騎士テランスはいざ知らず、もちろんガストンにそのような意図も知恵も持ち合わせていない。
ただ恐れ入って「へへえっ」と頭を下げるのみだ。
「マラキア市には問責の使者を送る。だがこちらの本気を見せるために兵は集めよ。いざとなれば戦をためらわぬ――いや、足りぬ」
伯爵はさらに短杖の石突でカツカツと床を鳴らし、小さく怒りを発散させている。
こうなった時の伯爵は敵対者をいかにいたぶるかに集中し、その優れた頭脳をフル回転させているのだろう。その目は
「テランス、剣鋒団を分けていくつか……2ケ所だな。マラキア市の領域に築城させよ」
「承知しました。百人隊を派遣しましょう。築城と輸送に人足も手配いたします」
これは事実上の宣戦布告だ。
一戦も交えずマラキア市が領土を諦める決断をするはずはない。間違いなく戦端は開かれるだろう。
ただ『どちらから手を出したか』を曖昧にするだけの詐術に過ぎない。
この短時間で伯爵はマラキア市と戦う決断を下したようだ。
「――ガストン!」
伯爵は続けてガストンを指名する。すでにその目は狂気に似た色を帯びており、ガストンは慌てて「へいっ!」と進み出た。
「つまらぬ小細工をしよって……望み通りに戦わせてやろう。テランス、ガストンを上手く使え」
「はっ、承知しました。この者は城内に置いておけば悪さしかせぬ困り者ですが、戦場では無類の働きを見せる大曲者。必ずご期待には応えましょう」
「はーっはっは、ガストン! 言われているぞ! お前は悪さばかりしておるからな!」
このテランスの言葉を聞いた伯爵は大喜びで高笑いを見せた。
周囲の騎士たちも思わず、といった風情で釣られて笑う。
思いがけずさらし者にされたガストンが面白いはずがない。
家臣に恥をかかせて喜ぶのは伯爵の悪癖である。
(よく言うわ、俺の悪さは全部が全部殿様の命令じゃねえか。くだらねえ)
理解の及ばぬまでも、なんとなくバカにされた気分のガストンは下唇を突き出して「ふーっ」と鼻から息を吐いた。
その拗ね顔を見た伯爵はさらに手を打って喜ぶのだからしようもない。
(なんでえ、よく分からねえがテランス様にいいようにされたみてえだ。でもまあ、ええわい。殿様につき合って城の中でバカをやるよりは気が紛れるってもんだ)
多少腹は立つものの、宮仕えに飽き飽きとしていたガストンである。
ここは切り替えて次なる戦場に向かっていこう――そう前向きに考えることができるほどには宮仕えに嫌気が差していたようだ。
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