第72話 宮仕え

 ビゼー伯爵の元に戻ったガストンの待遇は悪いものではなかった。

 具体的に言えば年に12万ダカット――現代日本の貨幣価値に直すのも難しいが、およそ1200万円〜2500万円ほどだろうか。

 伯爵レベルの貴族に仕える従騎士としては平均よりやや下くらいの待遇であるが、ガストンがリュイソー男爵の元で手にした初任給が年1000ダカットであったことを思えば雲泥の差といえる。

 これも『もと樵のガストン』から『騎士バルビエの姉婿であり従騎士ヴァロン』として、いわば出自ロンダリングを行った結果だろう。


 たしかに給料は増えた。

 しかしながらビゼー市内で小ぶりな敷地の屋敷を維持し、軍馬を養い、家来たちの給料を支払い、下男下女の衣食を賄うとなれば実情はカツカツ。武具などを買い換える資金を貯える必要もあり、生活に余裕はない。

 ただガストンの家はジョアナの化粧料もあるので他と比べればだいぶマシといったところであろうか。


 ガストンのような下級騎士の屋敷はそれほど良いものではない。

 この屋敷は伯爵が取り潰した家臣のものをガストンに『貸した』ものであり家賃の必要はないが、ビゼー家から離れるときには返還の義務はある。

 借家住まいではあるが、伯爵は良く言えばムダを嫌う性格であり、そこを加味すれば賃料なしは破格の厚遇と言えなくもない。


 母屋はガストン夫婦の生活の場ではあるが、客人を招くための施設、家来たちが集う広間兼食堂、そして下男下女の共同生活スペース、それに厨房、その他の施設と限界まで詰め込んである。

 敷地内は馬を繋ぐための厩舎があり、これには蹄鉄などを扱う小鍛冶まで含まれるのだからなかなか大きい(馬を調教したり馬術を稽古する馬場は別にある)。

 物品を収める倉庫もあるし、さらには家来たちが住む長屋のような住居――ここに住むのはドニ、トビー・マロ、イーヴ・サドル、それにスカラベだ。彼らは下男や雑兵ではなく、俸給を得てヴァロン家に従士として仕える家来衆である。


 これだけの施設が広くもない敷地内にひしめいているのだから現代日本人の感覚で見ればプライバシーの観点で非常に問題がある。だがしかし、当人らの感覚的には敷地内はヴァロン家という共同体であり、あまり問題にはならないらしい。


 今の従騎士ガストンの従士は4人。このくらいが適数ではあるが、ムリをしてもう1人か2人ほど増やしても良いくらいだろうか。

 その4人の従士を序列の順に紹介すると――


 従士長はドニだ。彼はガストン一の家来であり、最近はマンクという姓を名乗り始めた。

 マンクとは『乏しい』とか『欠けたもの』を意味する言葉だが、ドニはガストンに迷惑をかけた過去(47話)を忘れぬようにと自らを戒め名乗ったものらしい。 

 狷介(他人と折り合わない)な性格であり人望的にやや難はあるが武勇に優れ、ガストンのことを師とも父とも慕う忠義の士である。

 戦場では常にガストンの側に控え、恐れ知らずに槍を振るう姿は従士らしい従士といえるだろう。

 最近バルビエ領の村娘を嫁にもらった。


 2人目は白子症のトビー・マロ。彼はガストンの留守を守ることが多く、家宰(執事)としてガストンを補佐している。なかなかの美男で育ちもよく、ジョアナをはじめ家中の女衆との折り合いは極めて良い。

 ガストンとのつき合いは家来の中で最も古く、ある意味でドニより厚く信頼されているようだ。

 こちらも既婚者であり、すでに2児の父でもある。


 3人目は鼻が曲がった馬丁長イーヴ・サドル。本来はレオンに仕えていた馬丁なのだが、なぜか当然のような顔をしてガストンについてきた。

 騎士に必要不可欠な馬を世話する馬丁は特殊技能でありプライドも高い。それゆえかドニやトビーらと仲が悪く、これはヴァロン家の中で少しばかり問題になっている様子だ。

 厩舎は現在2頭の馬を管理しており(レオンから譲られた老馬とヌシャテル城で手に入れた種無し馬)ガストンは老馬をマルセルに譲ることに決めた。そこでイーヴはマルセルの家来や下男を弟子として馬丁の技術を伝えている。

 この鼻の曲がった風体の悪い馬丁長は意外なほど優秀な教師らしく、弟子たちからは慕われているようだ。人は見かけによらない。


 末席はスカラベだ。すでに老人ではあるが新参者のため待遇は他3人と比べれば軽い。

 初めは『何の役に立つのだ?』と冷ややかに扱われていたが、世慣れたスカラベは都市での生活に便利な存在であり、いつの間にかヴァロン家の雑務を引き受ける総務担当のような立場になったようだ。

 また、出どころの怪しげな噂話を聞きつけては大げさに語るため、意外と人気もあるらしい。

 最近は立派に見られたいからと『ベルナール・ド・パンティヨン』なる大仰な姓名を名乗り始めたのだが、誰からも呼ばれないことが不満らしい。


 彼らの出自はバラバラであり、互いの関係は決して良好ではない。

 だが、それぞれがガストンに縁があり、大なり小なり恩を感じて仕えている。

 つまり、仲良し集団ではないがガストンに迷惑をかけられないと自重しているのだ。ヴァロン本家はガストンの人徳により、まあまあ平和に治められていると言って過言ではない。


 それよりもガストンを悩ませたのは城での勤務であった。

 当のガストンとしては剣鋒団で戦に駆り出されると思っていたのだが、なぜか与えられた仕事は伯爵の側近である。

 ビゼー伯爵はお気に入りのガストンを側近くに置き、反乱を起こした貴族の身内・・(反乱者本人ではないところに伯爵の加虐趣味が見てとれる)をいたぶり辱めて喜ぶのである。


 例を挙げれば、廊下などをすれ違う時に伯爵は「嫌なヤツが来たぞ。からかってやれ」とガストンをけしかけるのだ。

 そうした時ガストンは断ることもできず、かと言って身分のある相手を殴るわけにもいかず、大きな身体で通せんぼなど子供じみた真似をする他ない。


 相手が「なにをなさるか!」と怒れば、ガストンは知らん顔をし、さらに手を広げ進路を塞ぐ。

 相手も伯爵が見ていることを知っているので強く出ることもできず、反乱者が身内にいる負い目もあって顔を真赤にしながら「そこをお通しくだされ」と頭を下げる。もしくはスゴスゴと引き返す。

 それを見て伯爵は手を打って喜ぶのだ。実にバカバカしい。


(ああ、こんなことしたくねえなあ。つまらねえ仕事だ)


 ガストンは露骨に嫌な顔をしているはずなのだが、なぜか伯爵はガストンが自らと同じ嗜好の持ち主だと信じて疑わない。

 伯爵はガストンがいれば常に上機嫌なのだ。


 これを伯爵の家来たちが面白く思うはずがない。

 同僚たちはガストンのことを『ご機嫌取りばかり上手い成り上がり者』と露骨に嫌う。身分の低い者たちはガストンを恐れて顔を合わせぬようにとビクついて過ごす。

 いつの間にかガストンは『君側の奸』や『伯爵の威を借る佞臣』などとも呼ばれているらしい。


(ああ、もう嫌だなあ。バルビエ領に戻りてえ)


 ガストンがどれだけ願っても、バルビエの従士は弟のジョスに譲ってしまった後だ。

 世渡りとはいつの時代、いかなる世界でも、先の見通しが立たず、なかなかうまく行かないものである。

 大貴族に気に入られ宮仕えするというのも、なかなか悩みは尽きないものらしい。

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