第63話 互いに負けた一騎討ち

 ガストンと従士マソンが洞穴の外へ姿を見せると、小頭らしき兵士から「ゆっくり出てこい!」と怒鳴りつけられた。見れば目のあたりから口の上ほどまで内出血で赤黒く染まった凄まじい形相をしている……今回の戦で負った負傷ならば敵であるガストンらに甘い顔はしないだろう。幸先が悪い。


(あ、あてがハズレたか……殺気だっとるわ)


 パッと見で洞穴を包囲する兵士は10人強、後ろには妙に横幅が大きい指揮官も控えている。

 この指揮官はなかなかの統率ぶりらしく、配下の兵士らは油断なく得物を抜いて身構えていた。


(しかし、もうどうにもならんわ。ジョアナをまた後家にするわけにもいかんし、今から背中むけて逃げるよりは腹くくって降参したほうがまだ目はあるわな)


 ガストンは剣も抜かず、両手を広げて敵に向かい合った。敵意のないことを示したつもりだ。


「俺はビゼー伯爵に仕える騎士家、バルビエ家中の従騎士ガストン・ヴァロンだ! 降参をしたいがどんなもんだ!?」


 ここでガストンはバルビエの従騎士と名乗った。

 当主レオンの姉を娶ったガストンならばバルビエ騎士家の女婿じょせい(一族の女の夫)としてバルビエ家の一門を名乗ることもできるし、本来の身分である従士を名乗っても間違いではない。

 しかし、降参するときの身分というのはなかなか考えどころなのだ。


 まず、当たり前だが身代金の額は身分で変わる。

 これに相場というものは有って無きようなものだが、現実的に支払いが可能な金額として年収前後を請求されることが多いようだ。

 つまり従士であれば15000〜3万ダカット程度(むりやり日本円換算すれば200万円〜600万円ほどだろうか? これは何を基準にするかで全く異なるのでほとんど意味はない)、従騎士であれば軍馬と馬丁を養う経済力があると考えられ5万〜8万ダカットくらいは請求されるだろう。このあたりは仕える主君の身分や相手の懐事情にもよるので幅が大きい。


 また捕虜が領主貴族ともなれば身分や所領で大きく変わる。つまり国王や王太子が捕虜になれば、国家予算並みの身代金を請求されるわけだ。


 もちろん値段交渉もあるし、物納、領地の割譲、なんらかの利権の移譲するなど、さまざまな方法を交換条件にすることも可能だ。

 しかしながら、捕虜は身分相応の待遇がなされるために交渉が長引けば長引くほど滞在費や食費などを身代金に加算される。なんとも世知がらい話だ。


 ならばガストンのような場合は身分を低く申請すればよいのかと問われれば難しくなる。

 捕虜としての価値がない、と判断されては「面倒な身代金交渉しても大した額にならないし、殺して身ぐるみを剥いでやるか」となる可能性も大いにあるからだ。

 実際に以前、兵卒だったガストンが捕虜になった時は身ぐるみを剥がれて解放されている(19話参照)。あれは横の国同士の争いで人死を避けた幸運な例外にすぎない。


 それとやや余談だが、捕虜が看守を傷つけたり買収などを行って脱走した場合は『犯罪』となり、捕まれば囚人として扱われる。そうなれば身代金どころの話ではない。


 つまり適切な身分の申告は生存率や身代金の額に関わるわけである。

 ガストンにそこまでの考えがあったのか、はなはだ疑問ではあるが……従騎士と名乗ったのは無難なところだ。

 従騎士としての身代金も下世話な言い方をすれば『嫁の実家が太い』ガストンならば問題なく支払われるだろう。


「同じく、ビゼー伯爵に仕えしタイヨン騎士家にあっては従士マソン! 奮戦むなしく敗軍の中にあって我ら2人の槍は折れ、糧も尽き果てた! ことがここに至り降参いたす!」


 さすがに従士の家で生まれ育ったマソンはもの慣れている。降参の口上ひとつとってもガストンとは比べ物にならない。

 こうした敵に侮られない振る舞いはさすがである。


「間違いなく2人かっ!?」

「おう、見ての通りじゃい!」


 兵士頭の質問を合図にしたか、敵兵がガストンらを拘束するために間合いを詰める。緊張の瞬間だ。


 すると、どうしたことが後方に控えていた指揮官が「やめろ、やめろ」と前に出てきた。

 色褪せた赤い上着と、水牛のような角兜。この姿にガストンは見覚えがある。


「バルビエのヴァロン、久しいな!」

「アッ! お前はギユマンじゃねえか!」


 なんと、包囲の一団を率いていたのはかつてガストンと一騎討ちをした男(51話参照)であった。

 ギユマンの主家であるプチボン男爵家は対ビゼー伯爵の先鋒であったのだから、ここで出会っても不思議ではないということか。

 それにしても何万人もが参加した会戦で知り合いに出会うとは奇遇としかいいようがない。


(まさか、こんな偶然があるとはのう。これもあの亡霊騎士の導きってやつかい?)


 これはさすがにガストンの考えすぎだろう。ニコラ・ギユマンとアベル・タイヨンの間に関わりはないはずだ。

 しかし、森に入ってから奇縁が続くガストンは何をとってもアベル・タイヨンの影がチラついて仕方がないらしい……それだけ亡霊や祟りのたぐいを恐れているのだ。


「ほれほれ、槍を引っ込めろ。この男はワシを一騎討ちで負かした荒武者だぞ。下手に怒らせて破れかぶれで暴れられたら道連れに何人も殺されるか知れたものではない」


 このギユマンの言葉にガストンは『はて?』と内心で首を傾げた。

 ガストンの認識では一騎討ちで負けたのはガストン自身である。これではつじつま・・・・が合わない。


 だが、このギユマンの言葉で包囲の兵士たちは腰が引け、やや圧が弱まった。

 なかなかギユマンも戦士として一目置かれる存在らしい。


「やあ、ヴァロン。ずいぶん働いたようじゃないか。大したもんだ」

「ん? 何の話か?」

「おかしな謙遜はするなよ、その姿を見ればおよそ戦りぶりは想像がつく。大暴れだったようだな」

「あ、これね、これは、恥ずかしい話だが逃げ回ってのう」

「がっはっは、あの戦とは逆だな! あの時は我らが逃げておった」


 ガストンの上着はボロボロ、土ぼこりで汚れはてている。

 なんだかガストンは錯乱して森を走り回ったことを見すかされた気がした。どうにも面白くない。


(どうにも話が食い違っとるし、コイツは曲者だからのう。油断できんぞ)


 ガストンは下唇をむっと突き出して慍色うんしょく(不機嫌な表情)を示す。

 するとギユマンはガストンの様子を見て「悪気はない、ゆるせ」と素直に謝った。

 どうにもやりづらい相手である。


「ううむ、思わぬ再会は嬉しいものだが……しかし捕えたのがオマエとは困った、困った」

「なにを困っとるんじゃ。降参したからには手向かいはせん。縄を打たれても文句は言わねえ」

「いやあ、そうもいかぬだろうよ。ワシも従騎士、面目というものがある。オマエに縄を打つわけにはいかん」

「面目? 口はばったいが俺とこちらのマソンさんを捕まえたほうが武功になるでねえか?」


 ギユマンは「そうもいかんさ」と天を仰いだ。大げさな動きだが、周囲の部下にも聞かせているのかもしれない。


「オマエは先の戦で傷ついたワシを見逃したろう? わかるさ、武人のなさけだ。流れ矢に当たったワシを討つことをよしとせず、オマエは見逃した。大きな借りだ」

「む、そうか……そういうことか」

「そういうことだ。なさけをかけられた相手を手柄ほしさに縄を打つなど名誉がない。主君や祖先に顔向けができん」


 どうやらこのギユマン、一騎討ちで流れ矢が当たったおり、ガストンに追撃をされてトドメを刺されると思ったようだ。それを見逃され、恩を感じたらしい。

 実際にはガストンも九死に一生を得た心地で呆然と見送ったのみだが――なるほど、立場を逆にすればそのように捉えても不思議はない。

 あの一戦は互いに負けた不思議な一騎討ちだったわけである。


「しかし、ここで俺たちを見逃すでは筋が通らねえだろう? 降参を認めて捕虜にしてくれたらそれでええわい」

「オマエ1人なら見逃すところだがなァ……部下の手前、そちらの従士を逃がすわけにもいかんしなァ、困ったもんだ」

「や、や、そりゃダメだ。俺だけ逃げては卑怯だ。捕虜はかまわねえから両方で頼むわ」


 なんとも珍妙な交渉である。

 この間、従士マソンは気まずげに鼻先を指でかいたり、ヒゲをつまんだり落ち着きがない。実に居心地が悪げだ。


「おうい、野郎ども! ちょいと知恵かせえ!」


 なんとギユマンは部下たちに声をかけ、10数人の男たちが集まり「ああでもない」「こうでもない」と相談をはじめた。

 たしかにガストンと従士マソンの扱いは隊としての報奨を左右するだろう。全員が他人ごとではない。


(それにしても組下の者の意見をよう聞くのだのう)


 ギユマンの資質なのか、プチボン男爵家の家風なのか。この手の相談をガストンはあまり見たことはない。

 そもそも雑兵などは全く教育を受けず経験もないウスノロばかりでロクな知恵など望むべくもないが……意外にもギユマンの組下は「見なかったことにして逃がせばいい」だの「面倒だから殺せ」などハッキリと意見をもち発言している。

 ひょっとしたら、ギユマンの組下は専業兵士ぞろいの精鋭部隊なのだろうか。


「いやはや、なんとも変わった御仁ですな」


 従士マソンからすれば、思わぬところで助かる目がでてきたようにも感じるのだろう。先ほどよりも顔色は柔らかい。


(ふうん、皆で車座になっとる今ならマソンさんと逃げられそうなもんだが……)


 この様子を見たガストンにチラリと魔が差したが、さすがにこれは口にはしなかった。

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