第62話 降参

「我が主よ、お味方にございます」


 ガストンが身を屈めながら洞穴に入ると、従士マソンが奥に向かって声をかける。すると奥からは「う」と低いうめき声のみが聞こえた。

 内部は高さこそないものの、なかなかに広い様子だ。暗さに目がなれていないガストンでは騎士タイヨンの姿は見えない。


(ふむ、相当に傷が深いようだの。これは気つけ薬の出番のようだ)


 ガストンは小物入れから布に包まれた小壺を取り出した。気つけ薬だ。

 気つけ薬とは、失神したり意識がもうろう・・・・とした者を覚醒させるための薬だ。大抵は強い刺激臭がし、その匂いを嗅がせるように使用する。

 ガストンのこれは馬の蹄、牡鹿の角や睾丸、硫黄、香草、その他あやしげなモノを豚の脂で練り固めた練薬だ。

 もちろん刺激的な臭気が洩れては大変な迷惑なので小さな陶壺に入れて固く栓をし、さらに布切れで包んで持ち歩くのである。


「マソンどの、俺の気つけ薬を使おう」

「かたじけない。ヴァロンどの、お任せします」


 徐々に目がなれたガストンは洞穴で横になる騎士タイヨンの姿を見た。止血だろうか、鎖帷子をつけたまま腹部を何かで縛りつけている。


(あ、こりゃダメだな)


 気つけ薬を嗅がせるため騎士タイヨンの間近に寄ったが、この様子を見てガストンは早々に見切りをつけた。

 先ず、腹部を大きく負傷しているようだ。これは良くない。さらに血を流しすぎているのか、ほとんど意識がないようだ。

 唇はカサカサに乾いてすぼんでおり、鼻柱やひたいにやつれ・・・がある――死相だ。おまけにブンブンと虫までたかっていた。

 騎士タイヨンはすでに生きていない。まもなく死ぬ。


「タイヨン卿、失礼いたす」


 ガストンは騎士タイヨンの身を抱えるようにして気つけ薬を鼻先に突きつける。すると騎士タイヨンはビクリと身を震わせ、薄く目を開いた。


「あ、あ、兄上か……?」

「しっかと気を保ちなされ。言い残すことはあるか?」


 騎士タイヨンは意識を取り戻したが、すでに目が見えていないのだろうか。

 うわ言のようにガストンへ向かい「兄上、すみません」「不覚をとりましました」などと繰り返している。


「おう! 俺はオマエの兄いじゃ! 謝らんでええ! オマエの戦ぶりはしっかと見たぞ!」


 ガストンが気休めにそれのみ伝えると、苦しげだった騎士タイヨンの表情は和らぎ、ガクリと力を失った。


(……死んだ。この者の兄いは、化けて出てまで何がしたかったのかのう。遺言の証人にするのかとも思ったが、何も言い残さなんだわ)


 どれほど考えてもガストンの中には納得のいく答えは見つからなかった。

 死者の思考は分からないし、そもそもあれがアベル・タイヨンだったかも不明だ。疲れが見せた悪夢と考えればそれまでである。

 だが、迷信深いガストンからすれば『幽霊と出会った』ことはれっきとした事実であった。


「亡くなられた」


 ガストンは淡々と事実のみを伝える。

 すると、従士マソンは喉が詰まったような声で「かたじけない」と呟き、瞑目した。

 彼も場なれした歴戦の従士である。騎士タイヨンが死に傷を負ったことは承知していたであろう。それでも万が一を期待していたのだろうか。


(そうかもなぁ、俺もレオンさまが死に傷を負ったら……諦めきれんわなぁ)


 この時、ガストンは従士マソンにすっかり同情してしまった。

 騎士タイヨンに大して親しみはないが、近しく仕えた主君を失った痛みは心中を察してあまりある。


「マソンどの、残念なことですがこのままでは獣に遺体を荒らされます」


 ガストンは従士マソンを助け起こすようにして洞穴から出て、騎士タイヨンを葬る穴を掘ろうと提案した。

 だが、木々の根が強く張る森の中では思うように掘れず、これは諦める他はない。そこで2人は石を集めて洞穴内で騎士タイヨンの遺骸の周囲を組み、積石塚を作ることにした。

 これは仮の墓所だ。従士マソンが無事に生き長らえれば迎えに来て改葬すればよいのである。


 石を集める作業は退屈だ。ガストンは作業をしながら従士マソンと様々な話をした。

 今回の戦争について、家族について、出自について、主君について――石組みができるころには互いの事情を理解し気心が通じた。つまり、仲良くなった。


 ジャン・マソンはガストンよりちょうど10才年上の37才。ずいぶんと老けて見えるが敗戦の心労ゆえだろうか。

 タイヨン家譜代の家来ではなく、従士の三男に生まれた彼は、主家を数度渡り歩いた後にタイヨン騎士家に仕えたそうだ。アベル・タイヨンの戦死後、壊滅状態だったタイヨン家を再建するために集められた家来の1人だったらしい。

 従士や兵士などは好待遇を求めて仕官先を変えることはざらにあり、ガストン自身もリュイソー男爵家、ビゼー伯爵家、バルビエ騎士家と渡り歩いているので珍しい話ではない。


 従士マソンから見た騎士タイヨンは優れた騎士であったようだ。

 兄から家督を継ぐや広く人材を求め、家来や領民を慈しみ、そして勤勉で博学だった。

 武芸はさほどのモノでもなかったようだが勇気は持ち合わせており、先の撤退戦でもタイヨン勢のしんがりを自ら担い、敵の槍を受けたのだとか。そして離脱し、従士マソンとともに森に身をひそめた。

 つまり、バルビエ勢におけるガストンと同じ働きを当主自らが務めたともいえる。


 この話を聞き、ガストンは大いに驚いた。


 ガストンにとって騎士タイヨンとは逆恨みで他者を貶める卑怯者である。嫌悪感を隠そうともせず露骨にガストンへ暗い視線で恨みをぶつけてきた陰険な男だ。

 互いに多少の贔屓ひいき目があるにせよ、従士マソンの話とはイメージが一致しない。


(わからんもんだのう。ひょっとしたら、身内想いだからこそ兄貴を殺した俺を深く恨んだのかもしれんな)


 人とは複雑なものだ。

 仇に対して卑劣な罠を仕掛けるような陰険男が、領地で立派な殿様でも矛盾せず両立するのである。


 だからといってガストンが騎士タイヨンに好感を持つわけではないが――人の評価は見方によって真逆のものになる、人の複雑さというものをガストンは知ったといってよい。


「……うむ、これでよい。ヴァロンさん、世話になりました」

「いやいや、戦場でお味方に加勢をするのは当たり前のことで」

「いや、当家とヴァロンさんの遺恨を思えば――」

「マソンさんも殿様のために色々とこらえて俺を頼ったではありませんか。そちらも並々ならぬ辛抱あったことですわな」

「厚かましいことをいたしました。お許しくだされ」

「いやあ、マソンさんは難しく考えすぎですわ。遺恨は遺恨、戦は戦、それはそれ、これはこれで」

「それはそれ、ですか……自らの偏狭を恥じ入るのみです」


 ガストンが生まれたような農村では、葬儀、火事、戦争などの大事があれば、どれほど疎んでいても加勢をするのが作法である。

 これは村内で決定的な対立や孤立を防ぐ決め事なのだ。

 しかし、従士マソンの感覚はまた違うものなのだろう。このガストンの言葉に感じ入った様子だ。


 騎士タイヨンを葬る簡素な積石塚が完成する頃、2人はヴァロンさん、マソンさんと呼び合うまでには打ち解けていた。

 ガストンも騎士タイヨンとの遺恨で苦境の従士マソンに恨みをぶつけるようなことはない。このあたりは少しずつ意識するようになった騎士道――武人とはかくあるべしという美意識も影響しているだろう。


 ガストンも妻を得て、バルビエ領での生活を経験し、少しずつ変化したのだ。村の偏屈なきこりのままであったなら、こうはいかなかったに違いない。

 人の本質的なところはなかなか変わらないものだが、こうした社交性は後づけで何とでもなる。


「む、これは……ヴァロンさん、まずいかもしれんぞ」


 洞穴の中でひと息ついていると従士マソンが外を見ながら腰を浮かした。すでに佩剣の柄に手を添えるほどの警戒ぶりだ。


「敵ですかい?」

「……これは多いな、5人やそこらではないぞ」


 ガストンの目には数は分からないが、たしかに人の気配がある。

 まとまって動いているところを見るに敗軍の味方ではなく敵だろう。


「どうもこの洞穴を狙っとるようで」

「むう、これは参った。不意をついて飛び出したところで囲みは破れまい」

「俺も槍すら持ってねえし、やれて2、3人ってとこですわ」

「私も似たようなものだ。よしんば数人を相手にしたところで味方を呼ばれるのが目に見えている」


 敵は明らかに2人が潜む洞穴を包囲していた。

 地元の者が落ち武者の潜みそうな洞穴へ案内したかもしれないし、猟師の心得のある者がガストンと従士マソンが森に残した痕跡を追跡した可能性もある。

 つまり地の利は敵にあり、無策で逃げても追跡は逃れがたいということだ。


(こりゃ、もうダメだわ。うまく降参できりゃ御の字だ)


 事態がここに至ればガストンが取りうる行動は少ない。

 無難に降参といきたいところではあるが、そうなれば従士マソンとの意識を合わせる必要がある。


 ガストンが降参を申し出ても、従士マソンが良しとせず敵に斬りかかれば降参どころではない。

 さらに言えば「卑怯者」と逆上してガストンに襲いかかってくる可能性も……さすがに考えづらいがないとはいえない。


「これは下手なことはせず、降参するしかありませんわなぁ」


 ガストンはハッキリと降参を口にし、チラリと従士マソンの顔色を窺う。

 すると従士マソンもどこかホッした顔つきで「いかにも」と頷いた。

 どうやら同じことを考えていたらしい。


「しかし問題は敵が降参を許すかどうか」

「たしかに。血迷って我らをなぶり殺しにするかもしれませんのう」

「従士が2人ともなれば死にものぐるいに暴れられるよりは捕虜にして身代金を、となるのが道理だが……ここは賭けるしかあるまい」


 戦闘中や直後であれば降参しても興奮した兵士に殺された、なんて話はザラにある。

 だが、今回は戦闘から時間をあけた落武者狩りだ。敵兵もそこまで興奮状態でないだろう、と2人は考えた。


(こればかりは運だわな。俺もあまり捕虜をとるのは好まんし、敵の気質次第といったとこだのう)


 ガストンと従士マソンは「降参する!」と怒鳴るように外へと呼びかけた。

 すると外からも「姿を見せい!」と声が届く。これで少なくとも、いきなり矢を射掛けられるようなことはないだろう。


 2人は緊張の表情で頷き合い、洞穴の外へと踏み出した。

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