第59話 第6次クード川西岸戦役

 自由都市バトーに集結したリオンクール軍が南下を開始し、後の世に『第6次クード川西岸戦役』と呼ばれる大戦が始まった。

 総勢は号して16万人――さすがにこれは盛りすぎであるが、実数2万にやや余るといった大軍である。


 この戦を解説するにあたり、しばし視点をガストンから離したいと思う。


 なにしろガストンは騎士といえども王の家来の家来の家来だ。やってることは「我こそはバルビエ家の騎士ガストン・ヴァロン」と得意げに名乗るのみで大勢にまったく関わりがないのである……書くべきことは何一つない。


 軍を率いるリオンクール王アルベール3世は31才で王位を継ぎ、37才の今に至るまで無難に国を治めた。明君とは言えずとも暗君や暴君とはほど遠い人物と言えるだろう。


 良く言えば故事に通じ、前例と古式を重んじる統治者である。

 人柄もマジメで、不正を憎み勤勉さを愛する正義の人であった。

 才気ばしるような鋭さはないが守成の君主としては合格点以上、現時点でまずまずの王だとされている。


 このような人物が親征に乗り出したのは、もちろん十分な成算あってのことだ。

 この軍事行動の目的は10年前の敗戦(1話)により失ったクード川西岸の奪還、および揺れる東岸の安定である。

 あわよくばダルモン王国旧都を制圧し、有利な条件で交渉を行うつもりだ。

 常識的なアルベール3世には、ダルモン王国を滅ぼし征服し尽くすような気組みはない。


 ここ数年、ビゼー伯爵がダルモン王国の方面軍に善戦し続けていたことがアルベール3世の決断のきっかけとなったことは間違いないだろう。

 もともとアルベール3世は、慣習を無視し法律を軽んじるビゼー伯爵を毛嫌いしていた。

 だが、不幸にもこの王は嫌いな者の成果を評価するだけの公正さを持ち、複雑な横の国の政局やダルモン王国の戦力を読み切るだけの才覚に欠けていた。


 アルベール3世は本質的に武人ではない。

 兵力や戦略を見比べればビゼー伯爵に劣るはずのないダルモン王国の敗戦を『クード川西岸の土豪は士気が低い、リオンクール軍が押し寄せれば彼らはすぐに降参するだろう』と考え、あるいは『当代のダルモン王国の将帥は弱いのだ』と判断した。

 武運が太いとしか言いようのないビゼー伯爵の『理屈ではない』神がかり的な勝負強さを理解できないのだ。


「ダルモン王国の将は弱く、兵の士気は低い」

「横の国の豪族は忠義に薄く、我らが兵を進めれば抵抗らしい抵抗もないだろう」

「兵を分けて進め、旧都付近の平原にて集結し決戦に挑む」


 リオンクール軍は常識的だが、やや甘い見積もりで横の国西岸から侵攻を開始した。

 大軍は補給の問題がある。軍を分けて進めることも、この時代にあっては常道だ。

 そして目論見どおりに横の国の豪族は先を争うようにアルベール3世の下に帰順した。


 道中ではダルモン王国の城砦をいくつか攻略し、補給路の憂いも少ない。

 まさに万全の進撃だった。


「ダルモン旧都の平野は、かつてリオンクール開祖バリアン偉躯王が勝利した地である」


 間違いなくアルベール3世は得意の故事を披露し、運命的な勝利の再現を確信したであろう。

 だが、ロマンを抜きにすれば会戦が行われるような開けた土地は限られており、近くで戦えば似たような戦場になるのも必然ではある。


 かくしてリオンクール軍は布陣を終え、ダルモン軍と睨み合った。

 横の国の豪族を加えたリオンクール軍はおよそ21000人〜22000人、ダルモン軍は9000人強といったところだ。


 数の上では倍以上のリオンクール軍ではあるが、遠征軍ということもあり非戦闘員も多く抱え込んでいるし、行軍の疲れもある。

 優勢は揺るがぬまでも油断はできない戦況だろう。


 だが、ダルモン軍の布陣を見たアルベール3世は大いに敵を侮った。


「あれを見よ、ダルモンの将帥は軍略を知らぬぞ! 兵法の道に反し、低地で身を縮めておる!」


 この時リオンクール軍は高所にあり、窪地で守りを固めるダルモン軍を身下ろす布陣だった。


 古来より高所の軍が有利なことは常識である。

 石投げひとつとっても下から上に投げるより、上から投げ下ろした方が勢いづくのは幼児でも理解できるだろう。


 また、ダルモン軍の将帥ジャン・ド・ダルモンは王の一族ではあるものの(先々代王の庶子の子、つまり王から見て身分の低い従兄弟いとこだ)、ほぼ無名の軍人だった。

 アルベール3世から見れば、王の血縁というだけの愚将が判断を誤ったようにしか見えなかったのだ。


「ひと揉みにせい、矢を射かけよ!」


 有利な布陣をした大軍に小細工は必要ない。

 それは間違いのない常識である。


 ダルモン軍は高所から放たれるリオンクール軍の矢勢に為す術もない。ただ盾を並べて耐え、ジリジリと後退する有様だ。

 それを好機とみたリオンクール軍は攻撃命令を待たず我先にとダルモン軍へ突撃を開始した。それは地響きをたて、天を焦がすような勢いである。

 この時代の軍は諸侯や領主がそれぞれの手勢で戦闘単位を形成しており、こうした勇み足は良くあることだ。


 雄叫びを上げ、斜面を逆落としの要領で駆け下りるリオンクール軍に異変が起きたのは先頭が斜面の中腹に至るころであった。

 やにわに人馬の足が止まったのだ。


 ただでさえ急斜面を駆け下りたところ、長雨で緩んだ赤土の土壌が騎士の突撃を支えきれなかったものらしい。地面が滑り、土に食い込むひづめを嫌った馬が足を止めたのだ。


 そこに、後続の軍が押し寄せた。


 足を止めた騎馬武者が後ろから押され、驚いた馬は棹立ちとなり、あるいは転倒して足を折り、騎手は斜面に放り出された。

 後続は倒れた騎手や馬につまづき、踏みつけ、さらに後続から押し倒された。

 斜面で勢いづき、ぬかるんだ足元。次々と押し重なる後続。

 大混乱が起きた。逃げ場はない。


 そこへ、ダルモン軍が一斉に矢石を浴びせた。


 リオンクール軍は大混乱の中、盾を構えることすらままならず、石で打たれ、矢に射抜かれ、暴れる軍馬に蹴り殺される。

 斜面で勢いづいた後続は異変を目の当たりにしつつも足を止められず、折り重なるようにして次々と転び、踏みつけられ、圧死した。

 そこに矢石が容赦なく降り続ける。


 肉塊のようになり斜面を転がり落ちた人馬の死体が折り重なるころ、リオンクール軍にさらなる危機が迫る。

 ダルモン軍が動いたのだ。


 この時、実際に大混乱に陥っていたのはリオンクール軍の1割程度だろう。

 だが、先陣が壊滅した軍が立ち直ることは不可能に近い。


 地形を知りつくしたダルモン軍はリオンクール軍を殺戮した。彼らの侵略者へ対する憎しみは深く、追撃に容赦はない。

 リオンクール軍は完膚なきままに壊滅し、将兵はすべてを投げ捨てて逃げ出した。


 邪魔になる弓や槍を捨て、身軽になるために盾や兜を捨て、挙句の果てには狙われるからと軍馬まで乗り捨てた。

 文字どおり潰走である。


 この混乱と喧騒の中、いつのまにかアルベール3世は姿を消した。

 捕虜にもならず、遺体は略奪の限りを尽くされ全裸で打ち捨てられていたと伝わる。流れ矢に当たったか、雑兵にでも殺されたか、それは誰にも分からない。


 この敗戦により、リオンクール王国は横の国西岸に有した影響力を完全に失った。


 やらなくても良い戦争を行い、大軍を有しながら寡兵に敗れ、王が野垂れ死にしたリオンクールの国勢は大いに翳りを見せた。

 この事態を引き起こしたアルベール3世は『無能王』と呼ばれ、歴代でも最悪の王の1人として記録されるのである。

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