第58話 王

 領地を発ったバルビエ軍はビゼー城に集う軍勢と合流した。

 ビゼー伯爵麾下の軍だけでなく、周辺の小勢力も集まっているらしく総勢3000人に迫る大軍だ。


 主君であるレオンは軍議や着陣の挨拶などで席を外していることが多く、30人あまりのバルビエ勢はガストンが統率していた。


(なんでえ、ちらちら盗み見などしおって。文句があるなら言ってみやがれ)


 合流したビゼー伯爵軍の中でガストンは居心地の悪い視線を感じ、少しばかりイラだっていた。

 たしかにガストンは少しばかり注目されていたのは間違いない。

 ビゼー伯爵から勘気を受けて追い出されたはずのガストンが数年のブランクの後に馬に乗る身分となって現れたのだ。目だつのは自然のことだった。


 だが、全軍から見ればガストンのことを気にかける者ばかりでもない。数年も姿を消していた軽輩など記憶に残すほどのことでもないからだ。

 ガストンが感じた居心地の悪さは『女房のおかげで出世した』という一種の後ろめたさからくる自意識過剰もあるだろう。


「おや、見なれぬ騎士と思えばガストンではないか。騎乗の身分とは成り上がったのう」


 不機嫌だったガストンに声をかけてきたのは懐かしい顔であった。リュイソー男爵に仕える騎士アロイス・カルメルだ。

 偶然を装っているが、自らの陣所を離れているところを見るにわざわざ訪ねてきたのだろう。


「あっ、これはカルメル様、お久しゅうございます」

「かしこまらずとも良い。大出世の手柄話でも聞かせてくれい」

「いやいや、手柄などはないのですわ。たまたま縁あって嫁にもらった女房がレオン・バルビエ様の姉御でして……」

「うわっはっは、見事な槍働き・・・ではないか! 主君に気に入られたのだな、素晴らしいことだ」

「槍? あっ! なるほど、良うしてもらっとります」


 数瞬ほど遅れてカルメルの冗句を理解したガストンも頭をかいて苦笑いをした。

 現代の日本ではいわゆる『おやじギャグ』としてバカにされるような話だが、ガストンらの世界ではこうした当意即妙の洒落を『知恵のめぐりの良さ』として評価する貴人もいるというのだから文化の違いというものだろうか。


「弟も一緒か?」

「いえ、ジョスはまだ伯爵家の世話になっとります」

「そうか、伯爵は子飼いの兵団(剣鋒団)を徐々に増やしておる。ジョスのような古参は重宝がられるだろう」

「へい、頼りねえ弟ですがありがてえ話で」


 ガストンは騎士カルメルのことを理屈抜きで尊敬していた(16話)。

 こうして親しげに話しかけてもらえて機嫌もすっかり治ったようだ。


「ところでガストンよ、戦陣にはケンカや盗みなどの揉めごとはきりもないが、こうしてよしみのある我らだ。バルビエ騎士家とリュイソー男爵家で騒動があったときには互いの主君の耳に入れる前に我らで談義したいのだがどうだろうか?」

「ああ、よう分かります。剣鋒団でも百人長の耳に入れる前に十人長同士で相談したもんですわ」

「おう、さすが歴戦のガストンじゃな。小さな騒動でいちいち上の裁定を待つのはムダよ。オヌシも機会があれば他家の騎士と知己になるのが良い」

「へい、折あらば他家の騎士に挨拶するようにしやす」


 互いの家同士でトラブルが起きたときは自分たちで談合して隠蔽しよう……などとは怪しげに聞こえるが、こうしたつながりで解決する話はいくらでもある。

 従騎士や家宰の顔が広ければ他家のトラブルを仲裁することだってあるのだ。


 騎士カルメルは戦はあまり得意ではないようだが、世慣れた重臣ゆえに男爵も信任しているのだろう。この世界ではまだ外交とは個人の顔や感情で成立している部分が大きい。


「ガストン、今回は大きな戦になるかもしれぬぞ」

「へい、左様でしたか」

「こうした戦では個人の槍働きより主君と兵士の間をつなぐ気働きを心がけよ」

「へいっ、気働きを心がけます」


 騎士カルメルとの再会はこれだけである。あとは適当に『女房殿によろしくな』と挨拶をしたのみだ。


 だが、この再会にガストンは思うところがあったらしい。


(良いことを聞いた。他の家に挨拶をするのかい……なら俺をちらちら見とる者どもに挨拶をするのも悪かねえ。なに、愛想をする必要もなかろう。『バルビエ家のヴァロンでござい』と顔をつなぐだけのことじゃ)


 こうした思考のシンプルさはガストンの強みだろう。さらに私淑している騎士カルメルの言葉となればガストンにとって疑う余地はない。


 この日からガストンの奇妙な挨拶が始まった。

 身分ありげな騎士と目が合うたびに『バルビエ騎士家のヴァロンです』と名乗るのだ。

 時としてそれは失笑の的となったが『カルメル様のいいつけ』だと曲解したガストンには気にもならない。

 そして意外にも挨拶を受けた他家の騎士たちからはおおむね好意的に見られたようだ。


 はからずもアロイス・カルメルがもたらした一言がめぐりめぐってガストンが『バルビエの騎士』と認知される結果となったのである。




 ●




 リオンクール王国の軍制の特徴は、大きく分けてリオンクール盆地を中心とする王都軍と北部平野の諸侯軍の2軍に分けられることだろう。

 北部諸侯軍は北部の有力者ドレーヌ公爵家を中心とし、ビゼー伯爵家もこちらに編入される。


 この北部諸侯軍は大きく北へ周り、クード川の島イル・ド・クードと呼ばれる(正確には中洲)土地へ進入した。

 ここには古くより水運で栄える自由都市バトーがある。

 横の国の例に漏れず、自由都市バトーは軍が近づくやいなや降参し、諸侯軍を受け入れたようだ。

 ここまでなんら軍事的な衝突はなく、特筆すべき戦闘はない。


 占領の後、王都軍はクード川を船で下り、リオンクール全軍はこの地で集結した。

 この諸侯軍の中にあって、ガストンは初めて王というものを見るのである。


(すげえ、あれが王様か……ピカピカと輝いて、まるで神様じゃ)


 遠目に王を見たガストンの感想も的はずれとは言えないだろう。

 鏡のように磨き抜かれたプレートアーマー、目にも鮮やかな緋色のマント、そして兜の上で輝く金の王冠。

 それらは陽光をはじき、物理的に輝いていた。


 周囲を固める護衛の騎士も人馬ともに深い青色の外套で揃え、それぞれに瀟洒な戦装束に身を固めている。

 その絢爛たる勇姿はガストンの目には神の軍勢にも等しく見えただろう。


 リオンクール盆地は陸の孤島にも等しい地形だが、初代王が興した産業はいまだに猛威を振るい、経済的にも文化的にも先進的な地域だ。

 それらが目に見える形で軍装に表れている。


(あの王様の下知で俺は戦うんか、こりゃすごいことになったぞ)


 ガストンは無邪気に喜び、出迎えの軍勢の中でワアワアと歓声を上げた。


 リオンクール王アルベール3世、当年とって37才の男盛りだ。

 後の史書に『無能王』と記される王である。

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