第60話 退却戦

 この潰走の最中、ガストンらのビゼー伯爵勢、バルビエ家勢はややましな状況にあった。

 それは主君たるビゼー伯爵がアルベール3世に毛嫌いされており、陣立ての中で後方に置かれたためだ。


 本来、戦で後方に配置されることは武勲をあげるチャンスから遠のくことにつながる。だが、これが幸いして先陣の壊滅から逃れたのは不思議としか言いようがない。

 これもビゼー伯爵の武運というものだろうか。


 だが、敵勢は逃げ惑う味方と共に容赦なくビゼー軍に殺到する。もはや戦闘と呼ぶのも怪しい集団による狂奔だ。


 戦術眼に長けたビゼー伯爵は『ここに至れば抗戦は無用』と判断し「各々で退却せよ」のみ言い残し、手近な家来を引き連れて離脱をしてしまった。非情だが合理的な判断といえる。


 そして残された家臣ら――つまりガストンらは各々小さな単位で固まり、なんとか戦場からの離脱を試みることとなる。




 ●




「こりゃあ! 早よ逃げろ!  苦しくても止まるな、石を投げられるぞ! 槍で突かれるぞっ! 走れ走れっ!!」


 ガストンは味方を叱咤し、ドニと共にバルビエ勢の最後方で槍を振るう。すでに徒歩だ。

 馬術に不慣れなガストンはすでに馬からは下りており、馬丁のイーヴに任せていた。

 混戦の中で馬を走らせるほど技術はガストンになく、何より騎馬は狙われる。騎士の誇りや体面と命を比べれば命が重い。


「走れ走れ! 足を止めるな!」

「おい、はぐれるなっ! バラけたら狙われるぞ!」

「得物をぶん回せ、身内以外は誰も寄せるなっ!」


 もはや指揮どころではない。

 バルビエの従士たちも味方の雑兵らが逃げ散らないよう怒鳴りつけるのみである。


「この野郎めが、ついてくるんじゃねえ!」


 ガストンも自ら槍を振るい、近づく者を殴りつけ、足を払う。

 駈け寄る者が敵兵か、逃げる味方か、それすらも分からない。

 数人は打ち倒したがトドメを刺さないのはガストンの慈悲ではなく、単に余裕がないからだ。


「レオンさまに続け! バラけるな! バラけたら殺られるぞっ! 走れ!」


 敵が怯めばこちらも背を向けて走る。逃げながら戦う撤退戦は流れを読むのが難しい。

 対する敵勢は勝利に乗じて功名や略奪の好機、欲に酔い疲れ知らずに追いかけてくる。この殿しんがりを務められるのはバルビエ家ではガストンしかいない。


(こりゃムリだ! バルビエの衆を死なせたかねえが手に負えねえ!)


 ガストンは息も絶え絶えの味方を追いたてるようにして走らせる。

 まとまって逃げれば敵も手を出しづらくなるが、散り散りになれば囲まれて死ぬ。すでに何人かは脱落しただろうか。


(畜生め、畜生め、こんなところで死ねるかい! 俺は負け戦じゃしぶてえんだ!)


 ガストンも兜や背に衝撃を何度も受けながら走る。

 矢石を受けたのだ。動けなくなるほどの手傷を負っていないのは運が良いだけだろう。


「クソったれめ!」


 振り向きざま、追いすがる敵兵の顔面を槍で横殴りに引っぱたく。

 するとガストンの側を守っていたドニが敵の槍で叩き伏せられ倒れているのが目に飛びこんできた。


(こりゃ、まずい!)


 ガストンは思わず駆け寄り、今にもドニを討ち取らんとする敵の目を狙い槍を突き出した。

 ドニはガストンにとって一の家来である。見殺しにすることなど思いもよらない。


 だが、ドニを叩き伏せていた敵兵はパッと体を開き、仰け反るように間一髪でガストンの槍先を巧みにかわした。手練れだ。


(む、コイツは手強いわ)


 ガストンも油断なく構え、この敵に対峙した。顔に凄い傷のある厳つい男……見るからに強敵だ。

 こちらもガストンを手強しと見たか、槍を構え直して間合いを測る。


「おいドニ! さっさと起きて逃げろ! ここは俺が引き受けた!」

「すまねえお頭、助かりました! お任せしやす!」


 ドニも戦場往来の戦士である。ここで『1人では逃げません』などとは言わない。自らの負傷を考え、足手まといにならぬようにサッと走り出した。

 あとはガストンも離脱をするだけだ。


「こらぁ! 死にさらせ!」


 ガストンは大声で威嚇をし、連続で突きを繰り出した。上下で狙いを分けた2段突きだ。

 だが、これは敵に防がれ反撃まで繰り出してくる。槍同士で打ち合うこと数合、互角の様相だ。


(コイツ、やりおるな。しかし手間取るわけにもいかんぞ)


 この敵もガストンが腰を据えて相手取れば負ける相手ではない。

 しかし、今はとにかく逃げる必要がある。

 互いに「えい、おう!」と槍を合わせていたが時間をかければ状況は悪くなるばかりだ。


(こうなりゃ、一か八か)


 ガストンは上段に槍を構え「ウオーッ!」と裂帛の気声を発した。

 それを見た敵が身構えるのと同時にパッと槍を投げ出して逃げる。


「あっ、卑怯者っ! 待て、引き返せ!」


 この意表をついた動きに驚いた敵が声を上げるがもう遅い。

 卑怯もなにも敵を騙すのは武芸のうちである。


(待てと言われて待つわけなかろう。しかしアヤツのせいで味方からはぐれてしまったわ)


 どうやら強敵に手間取り、味方から遅れたようだ。

 1人で逃げては狙われる。ガストンはとっさに身を隠すため、道から外れて森へと一目散に駆け出した。


(槍を失ったがまあええ。身を隠すのに長物は邪魔じゃ)


 森に慣れた自分なら逃げ切れる、ガストンは自らを励ましながら森の中へ中へと進んでいった。

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