第28話 読めない手紙

 村へ滞在してひと月たらず。

 ガストンの傷も肉が盛り上がり、完治も近い日のことだった。


 トビー少年ら、村の若い衆と槍の稽古をしていたガストンに思わぬ客が現れた。

 女だ。ルモニエ城から助け出された女がそこにいた。


 思わずガストンは「う」と小さく声を漏らす。

 実はガストン、今の今まで女のことは放ったらかしにしていたのだ。意外と苦手なことは後回しにするタイプなのかもしれない。


「あの、ヴァロンさま……あちらに、その」


 しばらく稽古に打ち込むふりをして誤魔化していたガストンだったが、とうとうトビー少年から指摘をされてしまった。

 これでは無視することもできず、ガストンは「稽古を続けてくれ」と弱々しい声で伝え、女と向き合った。


 やつれてはいるが死にそうだった顔色には血色がもどりつつあるようだ。

 首の傷口は赤黒いかさぶたのようになっており、あまりムリをすると今にも開いてしまいそうな危うさを感じる。


「……床払い(回復して病床から離れること)、できたかね?」

「いえ、まだ少し……ただ、今日は少し気分が良くて」


 ガストンと女はぎこちなく言葉を交わし、気まずく黙りこんだ。

 不意打ちだったこともあり、ガストンには何を話して良いのか全く見当がつかない。

 時間にして数十秒、沈黙に耐えかねたのか、女が「あの」と小さく声をあげた。


「ヴァロンさま……は、ビゼー伯爵のご家中と耳にしました」

「ああ、うん。その通りだ」


 女はキュッと下唇を噛み、一拍を置いた。やはり思うところはあるようだ。


「なぜ、私をお助けになられたのですか?」

「なぜ? うーん……なぜと問われてものう、不満かね?」

「分かりません。ただ、お仕えしていた男爵夫人を思うと心残りもあります」


 ここでガストンはこの女が救い出された経緯を思い出した。恐らく女は男爵夫人とやらと刺し違えたのだろう。


(そうか、そら気の毒なことだわ)


 ガストンは伯爵が討ち死にし、ジョスやマルセルが死んで自分だけが生き残ったらと想像し、ゾッとした。

 素直に生き残ったことを喜べるであろうかと自らに問い――『とてもムリだ』と納得をした。


「そうよな、思いこみで悪いことをしたかも知れんのう。許してやってくれんか」

「……いえ、すみません。お礼を伝えるつもりでしたのに。お救いいただき、このような治療まで……感謝にたえません」


 女は頭を下げ、ガストンはひどく動揺した。

 なぜなら女を助けたのはジョスであり、自分は難色をしめした側なのだ。

 このまま感謝をされるのは筋が通らない、真実を伝えるべきだ、そう考える偏屈さがガストンにはある。


「いや、違うのだわ。お前さまを助けたのは俺ではねえ。その……気まぐれで助けて、ここまで運んだ愚か者がおってな」

「それは……失礼ですが、ヴァロンさまではないのですか?」

「いや、まあヴァロン……と言えばヴァロンだ。弟、あ、そう、弟が助けてな」


 ガストンが「だから恩に着なくていい」と告げると、その場にいた者たちは困惑気味な表情を浮かべた。

 女も、トビー少年も、村の若い衆たちも皆が『なんと嘘のヘタな男だ』『なぜここまでムキになるのか』と不思議そうにしている。

 ガストンが語ったことは間違いなく真実なのだが、あまりに話しぶりと会話の流れが不自然すぎた。

 すべてはロクに説明もせず、めんどうだからと後回しにしてきたガストンのせいである。


「――では、その弟さまに感謝を捧げます」

「ああ、うん、それでええわ。俺には無用だ」


 ガストンのホッとした様子におかしみを感じたか、固い女の表情がやや緩んだ。


 美しい女だ、とガストンは思う。

 年の頃はガストンと同じくらいだろうか。

 ただ、首元の傷痕がなまなましく、その容姿にとって大きな瑕疵となるだろう。その事実はガストンの気持ちを少しだけ重くする。


「それで……おかげさまで、このように身動きができるようになりました。今後、私はどのようにすればよいのかヴァロンさまに――いえ、弟さまでも良いのですが、たずねに参ったのです」


 この言葉にガストンは首を傾げた。助けたはいいが、その後のことは全く考えていない。


(……まさか、嫁でもないのに養うわけにもいかんわな)


 ガストンは『嫁ならば?』と考え、すぐに首を振ってその考えを追い出した。家もないのに嫁をもらうのは非現実的である。


「そんなもん……好きにすれば良かろうよ」

「好きに、ですか?」

「ああ、頼れる親戚でもおれば会いに行けばいいし、修道女になって死んじまった奥さまがたが神様に愛されるよう祈ってもよかろうよ」


 これには女が戸惑った。

 戦場で戦利品となった以上は『それなり』の扱いも覚悟していたのだろう。まして、わざわざ治療まで施されていたのだ。意図がないと思うほうがおかしい。

 村人たちから『おかしなヴァロンさま』の話は聞いていたものの、本人の口から聞けば驚きもひとしおである。


「あの、それではあまりにも――」

「トビーさん、女の一人旅はよくねえ。悪いけど、そん時は供をしてやってくれい」


 何かを言いかけた女に背を向け、ガストンは無理やり槍の稽古に戻る。

 女はまだ何かを言いたげにしていたが、しばらくすると諦めて去ったようだ。

 トビー少年らも複雑な表情だが、当のガストンは『なんとかなった』と安堵しているのだから呆れる他はない。


 なにはともあれガストンはこの結果に満足し、以後は女と会話もすることなく数日後にビゼー城へと帰還した。

 それに遅れること半月ほど。すっかりと女のことを考えなくなったガストンの元に、傷を癒やしたマルセルが「あの女から預かった」と意外なモノを届けてくれた。

 剣帯に着ける飾りひもと手紙だ。飾り紐は色とりどりの糸で編み込んであり、簡素ではあるが品がある。


(……む、これは髪か?)


 ガストンは飾り紐をしげしげと眺め、黒い糸が人毛であることに気がついた。長い髪をつむいで糸にしているなのだろう。

 色味から『あの女の髪だ』とガストンは見て取った。


(こんなにキレイな髪をもったいねえ。さぞ高く売れただろうにな)


 人毛は丈夫であり、また人体の一部であることから美しい髪には霊的な力が宿るともされた。

 利用方法は様々で、女性の頭髪を魔除けとして衣類に編み込んだり、ファッションとしてカツラに使われたりと意外なほど様々な品に加工される。あまり一般的ではないが、時には強度のある人毛で作った縄もあったそうだ。

 特に手入れの行き届いた長い髪は珍重され、驚くほどの高額で取り引きされることもある。

 まさに女の髪は財産であり、ガストンが『もったいない』と感じたのも無理からぬことではあった。


「魔除けとはありがてえ。さっそく使わせてもらうわ」

「はっは、馬のクソを踏むより女の髪の方が良いわな」


 ちなみにマルセルの言うところの『馬のクソ』とやらも魔除けのまじないである。なんでも『芦毛馬の馬糞を踏めば矢に当たらない』のだそうだ。

 実にバカバカしいが手軽で元手がかからず兵士たちに好まれるゲン担ぎの1つでもある。特に『芦毛に限る』とことわっているのが『いかにも効きそう』でおもしろい。


「手紙も預かっとるが……ま、渡しとくわ」


 マルセルは苦笑いしながらガストンに手紙を渡し「ほんじゃ、また後での」と去っていく。

 ポツンと残されたガストンは手紙を開き『読めん』とガックリうなだれた。


 この世界、時代では識字率は低く、武張った貴族など『読書は女々しい』として文盲を誇る者までいる。ガストンやマルセルが文字が読めないのは当たり前だ。

 だが、城の聖職者に小銭を渡し、手紙を代読してもらうのはガストンをひどく情けない気分にさせた(手紙の内容はさしたるものではなく、彼女はルモニエ男爵家に縁のある豪族領主家出身で、名をジョアナ・バルビエということ。これから親族を頼ること。ガストンへの謝辞と、せめてもの礼として飾り紐を受け取って欲しいとあった)。


 これが、ガストンが文字を学ぶきっかけであった。

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