第19話 無一物
「――ろっ! 起きろ! 兄い!」
「……ぐっ、痛っ……?」
ガストンは頬を叩かれる感触と、耳元の声で覚醒した。
灯りのない真っ暗な室内、見慣れない石造りの建物だ。
周囲を見渡せば多くの気配が感じられた。だが、まるで活気や生気が感じられない。
(そうだ、俺は金玉を蹴り上げられて……?)
ガストンはおそるおそる自らの股間に触れ、それが無事なことに大きく安堵のため息をついた。
「兄い、目え覚めたか。息が止まったように見えて肝が冷えたわ」
「……む? ジョスか、ここは……ぐっ!」
ガストンは顔に引きつるような違和感を感じ、触れて確かめるとパラパラと乾いた血がこぼれ落ちた。半日以上は気を失っていたらしい。
「痛むかい? 顔の傷は縫ってもらったけど深いから大事にしなきゃ」
「……おう、すまねえ。ここはどこだ?」
「あれからすぐに殿さまが降参したんだ。そんで……主塔って言うのかい? 修道院だった建物の中に皆が押し込められたんだ。武器や鎧は取り上げられちまったよ」
「……ほうか、道理でなあ」
ここでガストンは自らの半裸に近い姿を確認し、納得した。
鎧兜も剣も略奪されたのだろう。シャツや靴まで脱がされている。
ここまで徹底されると怒りよりも
むしろガストンは『ズボンは残してくれたのか』と妙な感謝まで覚えたほどである。
「水、飲むかい?」
「ああ、もらおう」
ジョスから受け取った水は疲れ切った体に染みわたり、ガストンは思わず「うめえな」と呟いた。
「兄いはうまそうに水を飲むね」
「ああ、村の水にゃ負けるがな。うめえわ」
「飯もうまそうに食うし」
「うん、腹に入れるものがうまいのは生きとる証だわ。互いに命を拾って良かったのう……神さまに感謝せにゃならん」
水を飲み、気を落ち着かせると震えがきた。
この敗戦、兄弟が枕を並べて死んでもおかしくなかったのだ。ガストンは本気で神に感謝を捧げた。
「斧もとられたか?」
「……すまねえ、兄いが大切に手入れしとった斧を――」
「ええわ、ええわ、気にすんな。どうせ
これは強がりである。
鉄斧はガストンの宝であり、誇りであった。自身や家族の次に大切にしてきた相棒だった。
それが失われたことは身を切られるようにつらい。
(だけどよ、兄弟が無事だったんだからな。神さまへの捧げものとしちゃ安いと思わにゃならん)
ガストンは怒りや
「一人前の男衆がベソかくもんじゃねえ。村の若い衆らはどうしてる? 生きとるか?」
「生きとるよ。たぶん違うとこに押し込められとるはずだけど……まあ、大きなケガもしてねえと思う」
「ほうか、ならええわ」
死んだのならば同じ村のよしみで郷里に報せるくらいはするものである。
生きているのならば問題はない
「負けたのう……剣はともかく、良い鎧兜だったから残念だ」
「うん、残念だ。でも兄いは凄いわ。騎士とも張り合っとった……アイツが敵に転ばなきゃ戦も負けとらんよ。俺は口惜しくて口惜しくて」
ジョスの恨み節を聞きながらガストンは鼻で大きくため息をついた。
(負けちゃ何にもならねえ。褒美もなしで斧もなくして……ないないづくしだのう)
リュイソー男爵は『勝たねば名誉は失われる』と言っていた(12話)。つまり負けた今となっては褒美はなし、ガストンらは装備を奪われたのみだ。
ろくな手当ても貰えない兵士には粗末な貸具足(装備の支給)があるが、奪われた鎧兜とは比べものにもならない安物だ。
「……俺は3つ戦に出て2回も負けとる。負けばかりだの」
「そんなことねえよ。勝ちか負けかは半分だろ? 次は勝ちの順番だ、と……思う。よく知らんけど」
ガストンは再度ため息をつき「俺にゃ運がないのかのう」ひとりごちた。
思い返せば3戦2敗。あまり良い結果ではない。
「俺たちはもっと稼がにゃならん。おっ母を養って、武具を用意して……いくらでも金がいるわ。武運をつけるにゃ、どうしたものかのう?」
「古い蹄鉄とか、黒い猫とか?」
「馬鹿たれ、家がなきゃ玄関に蹄鉄は吊るせんし、猫も飼えんわ」
兵士自らが参加する戦争を選べることはまずない。彼らにとって参加した戦の勝敗は運だ。
そして戦に出れば不思議と手柄を拾うこともあれば(初陣のガストンが好例だ)、不運にも勝ち戦の中で流れ矢に当たり死ぬ者もいる。
バカバカしいと思いながらも古参の軍人ほど
「――うむ、お前は若く、体力と度胸がある。立身を目指すのは自然なことだ。験担ぎも必要だろう」
唐突に声をかけられガストンらが振り返ると、そこにはペルランがいた。暗い室内、さらに見なれた従士の上着も鎧もない姿ゆえに気づくのが遅れたらしい。
「お頭、ご無事でしたか」
「いや、ダメだ。足の筋を切ったようで全く動かぬ」
「そ、そりゃいけねえ……座って休めてくだされ」
ガストンは驚きペルランの足を見やると、たしかに固く縛った右ひざの上辺りから血が滲んでいるようだ。以前見た傷だ(17話)。
(しかし、足がだめになったにしては平然としとるのう。とんでもない豪傑じゃ)
ガストンは呆れるやら感心するやら、やや気持ちの整理が落ち着かない。
「ふん、同じ戦で2度も負傷するなど俺の運もつき果てたらしい。今までになかったことだ」
むっつりと仏頂面のペルランは足を投げ出すように座り、ジロリとガストンをにらむ。
なれたガストンはまだしも、ジョスは少々居心地が悪そうだ。
「……その、痛まねえので?」
「痛がって傷が癒えるものか」
「へい、そりゃそうです。間違いねえ」
メチャクチャな理屈ではあるが、ガストンは妙に納得をした。
たしかに痛がろうが傷は治らないだろう。変人の理屈にも一理はある。
「そんなことはどうでも良い。出世を望むのであれば、お前たちはリュイソー男爵の元を離れよ」
思いもよらぬひと言。ガストンの口から思わず「はあっ?」と声が漏れた。
「我らが主君は良き騎士だ。戦もなかなかに上手いのはお前も知ってよう」
「へい、存じとります」
男爵の奮戦ぶりはガストンもたびたび見かけていた。
戦下手では孤城で何倍もの敵を支えきれるものではない。
「だがな、我が主のもとでは立身は叶わぬ」
「さ、左様で……?」
「考えてもみよ、リオンクール王国には王がおり、その家来のビゼー伯爵のまた家来がリュイソー男爵となる。さらにはリオンクール北部には旗頭たるドレーヌ公爵までおる。上から押さえつけられては下に立身の余地はない」
「……なるほど、上が詰まっとるわけですか」
いつになくペルランの口数が多く、ガストンはただの世間話ではないと理解した。大切な何かを伝えようとしてくれているのだ。
「できれば……王家が良いが、これは無理だ。ならば敵と接するビゼー伯爵が良かろう。新たに奪えば与えられる可能性もある」
「し、しかし伯爵とやらは援軍も寄こさぬ薄情者でねえですか」
「うむ……伯爵は代替わりしたばかりだ。若く侮られ、兵を集めるのに手間取ったのやもしれぬ」
ガストンは思わず『兵も集められないボンクラじゃねえか』と考え、下唇を突き出した。
愚か者の家来になるのは真っ平だ。
「……不満か?」
「いえ、とんでもねえです。ただ……その、他に転ぶのは筋ちがいの気が、そのう、おかしなことだと」
しどろもどろになるガストンにペルランは「ふん」と鼻を鳴らし苦笑した。
いつもと違う、眉間にシワのない穏やかな表情だ。
「横の国の者は国をまたいで主を選ぶのだ……俺も男爵に仕えるまで4人も主を変えた」
「へっ、左様ですか……?」
「お前の村は男爵の膝下だ。しかし同郷は新入りを除けばマルセルのみであろう。他の者は移ったのだ。そうしたことは珍しくない」
この言葉に驚き、ガストンは小さく眉を動かした。
ペルランは頑固一徹、古くから男爵に仕える生え抜きの従士だと思い込んでいたのだ。
「お前なら悪いようにはならん、良く考えろ」
「へい、考えます」
それきり、ペルランは目をつぶり黙り込んでしまった。
ガストンとジョスは思わず視線を合わせたが、さすがにペルランの前で何かを言うわけにもいかず、互いに首をすくめるのみだ。
●
翌朝、ガストンら下っ端はアッサリと解放された。何のことはない、横の国の不文律である。大した身代金がとれない兵士を拘束しても食料がもったいない。ゆえにお互いさまでさっさと身ぐるみを剥いで解放してしまうのだ。
ただ、男爵や従士といった身分のある者は身代金交渉のため身柄を引き続き拘束されている。
ガストンら丸腰の兵士はまとまるようにしてリュイソー城へと引き上げていった。その数は20人弱ほど、数が合わないが、要領の良い者は落城前後のタイミングで逃散してしまったようだ。マルセルの姿もない。
そして城で何事もなかったように「ひどい目にあったのう」とヘラヘラと笑うマルセルを見てガストンは大いに呆れたものだ。
留守の騎士の下でガストンは見廻りや訓練といった日常勤務へと戻り、ジョスら村の若い衆らはどさくさ紛れに兵士となった。
下っ端の仕官など存外に適当なものだ。
そして月日は流れ、年が改まるころに男爵は帰還し、ガストンは19才となった。
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