第20話 名字

 クード川が冷気を運ぶ横の国の冬の寒さは降雪量以上に厳しい。

 余談ではあるが、リオンクール王国周辺の冬は厳しいが、カブやキャベツなどの野菜を塩漬けにした漬け物が広く普及しており、冬期の栄養状況や食糧事情は他地域と比べかなり恵まれている。

 これもリオンクールの建国王が考案した言い伝えがあり『王家の野菜』などとも呼ぶ名産品だ。


 まあ、それはともかくガストンはわりと良い栄養状態にあり、アゴの傷もすっかりと癒えた。


 ただ、アゴから右頬にかけてムカデが貼りついたような傷跡が残り、ただでさえいかめしいガストンの顔に凄みを与えている。見る者によっては凶相と呼ぶかもしれない。


「おおガストン、来たか」

「へいっ、お召しと聞き及びまして」


 ある雪の日、ガストンは男爵に呼ばれ、底冷えのする城の広間でひざまずいた。

 リュイソー男爵の脇には騎士カルメルも控えており、ニコニコと笑みを見せている。その様子を見たガストンは『悪い話ではなさそうだ』と小さく安堵の息を吐いた。


「うむ……最近は槍の稽古のみならず、レスリングにも励んでおるようだな」

「へいっ、取っ組み合いに負けたくねえのです」


 ペルランに初めて稽古をつけられて以来、ガストンは槍の稽古を欠かしたことはない。

 そして、先日のリーヴ修道院跡での騎士セルジュとの戦いで敗れた経験――特に格闘戦で負けたことでガストンはレスリングの重要性に気がついた。今では機会があればレスリングの稽古に参加するようにしているのだ。

 優れた体格と運動神経をもつガストンは数ヶ月でメキメキと頭角を現し、すでにリュイソー家中では(とはいえ雑兵をのぞけば総勢50人弱だが)レスリング巧者と目されている。


(はて、世間話をするために名指しで呼び出したわけではあるまいに)


 これにはガストンも首を傾げた。

 主君から名指しで呼びつけられ、それなりに緊張していたのだが、どうにも様子がおかしい。


 男爵は良く言えば果敢で男らしい人柄だ。決して目下に遠慮をするような性格ではないのだが、どうにも何かを言いづらそうにしている。


「こたびの戦で当家はビゼー伯爵家に借りができたのは存じておるか?」


 この言葉にガストンは再び首を傾げた。伯爵には援軍が来なかった『貸し』こそあれど『借り』があったのは知らない。


「金だ。我らの身代金はビゼー伯爵の懐から出たのだ」

「へいっ、左様でしたか」

「うむ……伯爵は直参の兵力を増やしたいらしくてな」

「ほほう、左様ですか」

「ああ、家臣らから兵が集まらなかったのが援軍が遅れた理由なのだ」

「はあ、左様で」

「つまり、ビゼー伯爵は兵を探しておる」

「へえ、左様で」


 この世界、この時代で『軍を起こす』というのは、主君が配下に陣触れをするところから始まる。

 陣触れがあると、配下は封建的な契約で定められた数の兵を揃えて主君の元に参じるのだ。

 兵の集合に時間がかかるため、リーヴ修道院跡の戦いのように急ぎの場合は直参の兵だけが先行し、参集した兵力は合流する形をとる場合もある(12話)。


 この軍制だと、配下が知らん顔を決めこむと兵が集まらない……無論、それは明白な契約違反であり、謀反に他ならないのだが、主君の力が弱いと罰を与えることすらできないのが現実だ。

 そこでビゼー伯爵は自らの権力を強化するために直参の兵力を増強したいのだろう。


 直参の兵力とは生産活動に従事しない成人男性を養うことに他ならない。

 安易な増強は問題も多いのだが、伯爵の現状はそうも言っていられないほどに切迫しているのだろうか。


 だが、そんなことはガストンには知ったことではないし、理解もできない。

 何を言われても「左様ですか」と適当な相づちを打つくらいのことだ。だんだんと面倒になり返事もぞんざいになりつつある。


「私としても、お前のような兵士は当家にいてもらいたい。だが、義理のある伯爵家から『若い腕利きを紹介しろ』と言われては――」


 男爵は苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。

 これを見たガストンは『偉い人にも悩みがあるのだな』とぼんやりと眺めるのみだ。話の半分も理解していない。


 言葉が詰まった男爵に代わり、騎士カルメルが「これはペルランの口添えもあったのだ」と言葉を継いだ。


「……お頭が、ですかい? 俺を?」

「ああ、惜しい男であった。あれほどの剛の者が見込んだお前を手放すのは我らとしても口惜しい話ではあるのだ。了見して伯爵家に仕えてくれぬか」


 そう、ペルランはにわかに病を発し、そのまま苦しみもだえるように死んだ。

 その死にざまは全身を痙攣けいれんさせ、引き絞られた弓のように体をのけぞらせながら泡を口から吹き、最後は息が止まるという世にもおぞましいものだったという。

 身代金の交渉がまとまり、帰還の直前のことだった。


 これは恐らく破傷風だろう。

 破傷風は古くから知られ、傷口から毒が入る病と伝わってきた。

 だが、顕微鏡がない世界のことである。ハッキリとした原因も分かず、予防もできない恐ろしい病であり、感染は完全に『運』であった。すなわち、戦傷での感染は『武運が尽きた』と言われるのである。

 この知らせを聞いたとき、ガストンは武運というものの恐ろしさにがく然としたものだ。生前のペルランが『自分の運はつきた』とこぼしていたのを思い出すと身震いする思いである。


(ビゼー伯爵に仕えろとは、お頭が言うとった通りの話だわ……いや、お頭が話をつけてくれたに違いねえ)


 ガストンはペルランの心づかいに気づき、恥ずかしくなるような思いだった。

 ペルランは粗野で乱暴、すぐに殴るような怖い上司だった。その強さに尊敬の念を抱いてはいたが、ガストンは心のどこかでペルランをうとんでいたのは否めない。

 しかし、ペルランは懐かない部下の将来を案じ、負傷をおして伯爵家への仕官の筋道をつけてくれていた。


(お頭、すまんことでした。俺はもっとお頭の助けになるべきだった)


 ガストンは後悔にさいなまれ、下唇をグッと噛みしめる。

 すると、それを勘違いしたのか男爵が「不承知か?」とたずねた。


「いえ、お話はありがてえと思います」

「ふむ、何かあるなら申してみろ」

「へい……弟のジョスのことですが、できれば、その」

「みなまで言うな。ジョスの分も推挙しよう。悪いようにはならぬはずだ」


 ガストンは「ありがとう存じます」と床に這いつくばるようにして頭を下げた。

 本来、小作人が貴族に直接おねだりなど許されることではないのだ(この場合は君臣関係なので事情は異なるが、無礼なのは間違いない)。


「うむ、ではこれよりガストン・ヴァロンと名乗るが良い。ヴァロンの村の出だからヴァロンだ。覚えやすくて良いだろう?」


 この男爵の言葉の意味がわからず、ガストンはチラリと騎士カルメルに目配せをした。

 すると騎士カルメルは「ありがたく頂戴せよ」と苦笑をする。


「我が主が推挙する勇士が名なしのガストンでもあるまい。これは先の戦の褒美でもある」


 名字とは農村部であれば土地、都市部であれば市民権、もしくは世襲の役職や利権など『代々受け継ぐもの』がある家が名乗ることが一般的である。

 没落した名家や別れに別れた末の分家が『ルーツ』を伝えるために名乗る場合もあるし、実情をともなわない者が勝手に名乗ったり、下賤が僭称する場合もある。だが、この場合のガストンは事情が違う。

 名字の由来が『戦功によりリュイソー男爵より与えられた』となれば堂々たるものである。誰にも恥じるものではない。


「俺ごときに名字を……かたじけねえことです」

「うむうむ、ガストン・ヴァロンにジョス・ヴァロン。ヴァロン兄弟か、なかなか強そうではないか」


 ガストンは先の籠城戦で騎士に槍をつけ、従士を討ち取り、敗れたりといえども衆人の前で騎士セルジュと一騎討ちを行った。

 戦に負けたとはいえ目だつ活躍には違いない。働きに報いなければ士気にも関わる。

 そう考えれば名字を与えるとは良い考えであった。男爵からしても名字を名乗らせるだけなので懐が痛むわけでもない。

 あまり乱発しては価値がなくなるだろうが、今回に関しては『伯爵に推挙する』という理由もあるので問題ないだろう。


「良し、決まりだ。素肌(非武装のこと)で伯爵家に行くわけにもいくまい。貸具足はくれてやろう」

「……重ね重ねかたじけないことです」


 これも男爵の好意というよりは面目の問題もあろうが、ガストンは深い感謝を男爵に捧げた。

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