第16話 幼稚な望み

 激戦の翌日は珍しく敵の攻撃がなかった。

 休戦というわけではない。ただ単純に、双方とも無視できないほどの損害が出ただけである。


 リーヴ修道院跡では焼けた兵舎を取り壊し、その資材をもって柵を修復中である。

 だが、その輪の中にガストンの姿は見当たらない。


「たまらんのう、兵舎は壊れて、味方は死ぬし、援軍は来ねえ。話が違うわ」

「これから毎日毎日、ぎゅう詰めか野ざらしで寝るのかねえ」

「そもそも戦のさなかで曲者が入れるかよ、見張りもおるわ。内側から火をつけたに決まっとろう」

「口に出すにゃはばかり・・・・あるが、あの騎士はクセえ。ありゃおかしいわ」


 門の前で見張りをするガストンの横でぶつくさと文句を言うのはマルセルだ。

 はじめこそガストンも相づちを打っていたが、あまりにも愚痴っぽいのでつき合いきれない。何しろ先ほどの言葉は全てマルセルのものだ。


 こうした口の軽い男は勝ってるときこそムードメーカーたり得るが、苦境に陥るとたちまち周囲の士気を低下させる。

 見張りという形で体よく隔離されたものらしい。


はしこい・・・・男だが、これでは重宝されんだろう。仕方のない男だわ)


 ガストンが見るところ、マルセルは諸事器用で知恵も回る。だが、5年も下っ端に甘んじているのはこうした軽薄さが災いしているように思えてならない。

 憶測だけで声を上げて味方を非難するなど、ガストンから見ても良くないことだと理解できる。飛語ひご(根拠のない噂話)のたぐいは村でも叱られたものだ。


(まあ、言われてみりゃおかしなとこもあったけどな……お頭にゃ相談したんだ。それ以上に騒ぎたてるのは筋ちがいよ)


 騎士セルジュの行動はガストンもマルセルも互いの頭に報告したのだ。後は上の者が思案するだろうとガストンは信じ込んでいた。


 これは思考の放棄というよりも、まともな教育を受けていないためだ。

 誰かが決めたことを、決められたように――それこそ一生をそうして送るのが小作人階級である。


 ガストンの頭脳は決して人並み以下ではないが、戦場での経験も浅く、人生で1冊も本を読んだことのない者にこの手の判断力や思考力を求めるのは酷な話だ。

 マルセルはそれだけ経験を積み、誰かの体験談などで『怪しい』と判断する材料を蓄えていたのである。それはガストンにもいずれ可能になるであろうが、今ではない。


「これマルセル、あまり放言するでない。お前の悪い癖だ」


 鷹揚に声をかけてきたのは騎士カルメルだ。この騎士は戦場ではまるで目だたないが、よく男爵の隣を守っている姿を見かける。

 立場柄あまり目下の兵士に親しむことはないが、今日は機嫌が良いのか気安げな雰囲気だ。


「言いたいことは理解できるが、あまり味方を悪しざまに言うと罰を与えねばならん。慎め」

「……へい、相すいません」


 さすがのマルセルも騎士に叱られてはしおれるより他はない。


「次の戦はドロン勢と代わり、我らが単独で馬出しを守る」


 騎士カルメルの言葉にガストンとマルセルは「へいっ」と応える。

 わざわざ下っ端に言う必要もないだろうが、事情を知る2人に気を使ってくれたのだろう。

 ガストンは『ちゃんと上の者が考えてくれたのだ』と安心した。


「そこで、だ。マルセル、ガストン、お前たちは私の組で戦ってもらう」


 この言葉にガストンは心底驚いた。

 内容にではない。自分の名前が出てきたことに呼吸を忘れるほど驚いたのだ。


「この戦、お前たちには武運がついておるからな。無理を言って引き抜いたのだ、頼むぞ」


 騎士といえば、村のきこりをしていたガストンからすれば雲上人(高位の貴人)といって過言でない。

 正確に言えば従騎士は貴族でない場合が多いのだが、下から見上げる分には同じ夜空の星だ。


 その口から自分の名前が出た、自分を認識していた、話を聞いてくれた、頼りにされた、この衝撃たるや余人には伝えがたい大きさだったのである……もっとも、たかだか70〜80人くらいの集団で目だつ働きをすれば名前くらい覚えられようし、事実稀にあることなのでマルセルは何とも思っていない。


(そこまで俺を買ってくれたのか……ようし、カルメルさまのために働いてみせるぞ!)


 良くも悪しくも、まだ兵士に不慣れなガストンゆえに起きた半ば誤解に近い心境の変化ではある。

 忠誠心や騎士道といった立派なものではない。


「へいっ! 目一杯に働いてみせます!」

「おうおう、期待しておるぞ」


 騎士カルメルはガストンの言葉に満足気に頷き、修復中の柵へと向かった。おそらくは他の者にも声をかけに言ったのだろう。

 リュイソー男爵勢は組織として極めて未熟なので、戦となれば近くの高位者に適当に指揮されることも多い。こうした『約束ごと』を伝えることで、配下になる者がバラバラにならないように努めているのだろう。


「なんだ? やけに張り切っとるじゃないか」


 叱られたマルセルの不満顔にガストンは「ああまで言われちゃのう」とアゴを掻きながら答えた。


 ガストンは働き者でありながら他者から認められることの少なかった若者である。こうして承認欲求を満たしてくれる相手のために働こうと思い詰めても、ある意味で仕方がないところだ。

 良く言えば純粋、悪く言えば世間知らずの田舎者なのである。


(俺は戦場なら褒められる、もっと働いて、えらい人からもっと覚えてもらいてえ)


 ややいびつではあるもののガストンの中で『もっと認められたい』という欲が――さらに言えば『出世欲』が生まれた瞬間であった。

 それは自覚もない、幼稚な望みである。


 だが、間違いなくガストンの中で何かが変わった瞬間であった。

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