第15話 不審火

 ガストンがリーヴ修道院跡に籠城してより早ひと月。

 包囲されているわけではないので食料などはドロン男爵領から運び込まれるものの、連日の攻勢に守兵は疲れが目だちはじめていた。


 一方の敵はさらに数を増し、300人ほどに膨れ上がったようだ。交代で寄せる敵に攻め疲れはなく、ガストンら守勢は徐々に押し込まれているのが現状である。


「石投げよ! 柵に取りつかせるな! 声出せぇっ!!」


 ガストンらはペルランの指揮に応じ、怒声を張り上げながら石を落とす。

 だが敵も勢いづいており、ここ数日の攻撃で乱杭や逆茂木さかもぎは破壊され尽くしている。今や木柵に取りつく敵兵は少なくない。


「こっちはダメだっ! 兄い、助太刀頼む!!」

「バカたれ! 柵の縄を切れ!」


 ガストンの隣で粗末な槍を振るうジョスが弱音を吐いた。

 見れば柵に縄を掛けられ、堀の下から引っ張られている。このままでは柵を破壊されるのは時間の問題だろう。

 ガストンはジョスが背に担ぐ斧を引ったくり、ギシギシと音をたてきしむ・・・縄に打ち込んだ。木柵からも破片が飛び散るが構ってはいられない。


(この野郎めが! 縄を湿らせてやがる! 硬えわ!!)


 苦労しながらも数度ガストンが斧を振るうと、縄はバツンと大きな音を立てて引きちぎれた。堀の下から小さな悲鳴が聞こえたが、縄を切ったことで引っ張っていた連中が転んだのだろう。


「兄い、助かった!」

「油断するな、ハシゴ来るぞ!」


 すぐ近くの切岸に人の身の丈ほどのハシゴが立てかけられた。こんなモノでも、あるのとないのでは大違いだ。

 敵も手をこまねいているわけではない。縄やらハシゴやらと次々に工夫をこらし攻め寄せてくる。


「俺が槍で食い止める、お前は石を落とせ。大きいのでハシゴを壊したれ」


 このひと月でジョスもすっかり慣れたが、ガストンから見ればまだまだ頼りない。

 こうして庇いながらジョスに指示を出すことでガストンも視野が広くなり、冷静さを保てるようになってきた。兄という立場が成長を促したのだろうか。


「コラあっ!! 痛い目みたいかっ!!」


 ガストンは身を乗り出し、威嚇をしながら槍を素早く振り下ろす。

 ハシゴを上がる敵兵は粗末な盾を構えており、刺突は通用しない。何度も叩いて足を止め、そこにジョスがひと抱えもある石を放り込んだ。

 見事に石は命中し、敵兵は後続を巻き込んで堀に落ちていく。


「よっし! 見たか兄い! 1度で食らわせたわ!」

「おう、大したもんじゃ。俺より勘が良いわ」


 これは天性のものだろうが、ガストンは飛び道具のたぐいは下手くそだ。当て勘がないのである。

 鍛えればモノにはなるかもしれないが、籠城中にいちいち苦手を克服する時間はない。


「火事だっ! 火をつけられたぞ!!」

「曲者に入りこまれたぞ!」

「手をかせ、兵舎を壊せ!!」


 ひと息つく間もなく、城内から悲鳴じみた声が聞こえた。

 どうやら兵舎に火をつけられたようだ。もくもくと立ちのぼる煙が見えた。


「ガストン、城内に向えっ!! 混乱に乗じて敵が来るぞ、柵で食い止めろ!!」

「へいっ、柵を守りまっ!!」


 ペルランからの指示を受け、ガストンは返事もそこそこに走り出す。数人が続いたが、いちいち確認している暇はない。


「ガストン、こっちじゃ! 柵から煙を吹いとるぞ! 火事だぁっ!! 火事っ! 柵が火事だぁっ!! 柵が破られるぞぉっ!!」


 一緒に走ってきたらしいマルセルが騒いで人を呼ぶ。

 ガストンも負けじと「こっちだぁ!」と声を張り上げる。


 攻防の喧騒から離れた裏側の柵が燃えているようだ。柴や薪が積まれているようでパチパチと勢い良く火柱が立っている。油をまかれたかもしれない。


「火元に誰ぞおるわっ!!」

「やいテメエが曲者かっ!! ぶちのめしたらあっ!!」


 ガストンは火元に見えた人影に向かい、思いきり槍を振り下ろした。

 だが、これは上手く外され、人影は「血迷うな! 谷! 谷だ!」と片手を突き出すようにしてガストンに訴えた。


「やめい! ガストン、味方じゃ! 合言葉じゃ! 山っ!」


 後ろでマルセルがわめき散らし、ガストンも今日の符丁を思い出した。装備も適当な軍勢である。顔見知り以外はこうした符丁や合印(目印)などで敵味方を判断するのだ。


(む、谷と問えば山か……今日の合言葉だわ)


 見れば男は見覚えのある若い男だ。青い袖なしの上着を羽織り、立派な鉄の兜を被っている。紋章入りの盾を背負う騎士だ。


「ドロンの陣代、セルジュ・ド・ドロンだ! 俺も曲者を追ってきたのだ!」

「こ、こりゃ申しわけも――」

「かまわん、戦場のことだ! それよりも火を消すぞ! 水は間に合わん、燃え広がる前に壊せ! 後で土を盛る!」


 このセルジュと名乗る騎士、名字が主家と同じであり『ド』がつくからには男爵のごく近い親族であろう。この『ド』がつくのは大抵の場合は貴族だ(落ちぶれて貴族とは呼べない者が名乗りだけ伝えている可能性や自称の場合もあるから一概には言えない)。

 まだ年若く20才そこそこだろうか。鼻筋も通り、垂れ目がちで涼しげな目もと、役者のような優男である。

 しかし、その貴族ぜんとした堂々たる態度と立派な身なりにガストンは気圧された。先ほどの身のこなしといい、武芸もかなりやりそうだ。


「おぉーい! こっちだ! 手を貸してくれえっ!!」

「火事っ!! 火事だぞーぅっ!!」


 この騎士セルジュの指示でガストンらは消火にかかるが、これがはかどらない。声を張り上げても人が集まらないのだ。

 いまだ馬出しでは攻防が続いており、城内では兵舎が燃えている。やっと数人ほど追いついたが手が足りない。 


「こりゃまずいぞ、敵がこっちを狙っとる」

「燃えたまんま放って置くわけにもいかんが、柵を壊すのもまずいな」


 火の手が見えるのは城外も同じ、敵が集まるのも自然なことではある。だが、あまりに早い。

 敵勢はすでに数十人も集まり、中には緑の上着を着た集団――従士隊まで含まれているようだ。

 明らかに何かしらの準備がなされていたのだろう。ハシゴや鉤縄まで持ち込んでいるようだ。


「これはマズイぞ。ドロン勢を集めて参る! しばし持ちこたえよ!」


 言うが早いか、騎士セルジュはさっさと駆け出してしまった。ガストンとマルセルは呆れ顔で顔を見合わせる他はない。


「おいおい、逃げちまったぞ」

「味方を集めるとは言うとったが……」


 しかし、敵は待ってはくれない。武者押しの声を上げながら堀に迫る。

 ガストンは少ない味方と共に火傷を恐れず火のついた柴や薪を堀に捨て続けた。それでも横に広がった敵勢は止まらない。止められない。


「こりゃどうにもならん!」

「文句を言うな! 叩き落とせっ!!」

「入ってくるぞぉ!!」


 味方から悲鳴じみた声が聞こえる。逃げ出さないのは逃げ場がないからだろうか。

 侵入してきた敵は従士だ。強敵である。

 剣と盾を構えたごつい・・・ヤツだ。


「ガストン、2人がかりで行くぞ。お前は背が高いから上から攻めろ、俺は腹から下を狙うわ」

「心得た、上からぶっ叩いてやるわい」


 兵士の戦いに卑怯はない。これはペルランの教えである。

 ガストンには2人がかりで戦うことに躊躇いはなかった。


「ぃいいああぁぁぁっ!!」


 先手必勝とばかりにガストンは槍を振りかぶり大上段から殴りつける。これは盾で防がれたが、まだ剣の間合いではない。ガストンは構わず、そのまま盾をバシバシと叩き続けた。

 当たり前だが槍は剣より長い。長さを利にするのが常道だ。


「この畜生めがっ!! 死にさらせっ!! ひっくり返って死ねっ!!」


 ガストンは相手を罵倒しながら槍を振るう。しかし敵もさるもの、盾を駆使してガストンに詰め寄る。

 そこへ油断なくまわり込んだマルセルが敵従士のふくらはぎ辺りを槍の穂で払った。粗悪な槍だが荒釘のような穂で払われれば皮膚は裂け、鮮血が舞う。


 敵従士はたまらず膝をつき、そこへガストンがフルスイングで槍を振り抜いた。

 槍の柄は側頭部に命中し、首をおかしな方向に曲げた敵従士はうつ伏せに倒れ込む。


「マルセル、トドメ任せた!」

「あいよっ、コイツの上着はもらうぞっと」


 ガストンはトドメは見届けず、振り向きざまに柵を乗り越えていた敵兵を槍で払いのける。

 そこからは無我夢中だ。


 ガストンは大声を張り上げながら槍を振り回し、マルセルが背後を守るようにうまく立ち回る。

 いつの間にか消火に当たっていた味方や、数人の部下を率いてきた騎士セルジュも加勢した。

 だが、敵もここが切所と見たのか譲らない。


 敵味方が入り乱れ、この籠城戦で最も激しい戦闘となった。

 ガストンも何度か殴られ、剣で突かれたが運が良かったのだろう。鎧兜が刃を防いでくれたらしい。


 多くの死傷者を出した戦闘は諦めた敵勢が引き上げ、からくも守勢の勝利で終わった。

 だが、柵は破壊され、兵舎も焼けた。休む場所がなくなれば士気は落ちる。死傷者も含めて大損害といっても過言ではない。


「ガストン、無事かあ?」

「ああ、かすり傷はあるがの」


 疲労のあまりヘタリこんでいたガストンに声をかけたのはマルセルだ。

 意外なほどの元気は年季のゆえだろうか、それとも要領の良さか。目だつ外傷もないようだ。


「そんなに恨めしそうな目で見るな、ちゃんとお前と取ったと伝えるわい」

「ん? ああ、上着か。アイツは手強かったのう……1人では勝てん相手だわ」


 凄いやつだった、とガストンは思う。

 敵従士は力自慢のガストンの攻撃を盾でいなし、防いでジリジリと間合いを詰めて来た。あのまま戦えば危なかっただろう。


(従士ってのは凄いもんだわ……お頭にも全く敵わんしのう。アレができれば俺も稼げるわけだ)


 従士は武装が全て自弁(時には個人的な従者を雇う場合もある)であり、それを維持するためかなりの高待遇だ。

 兵士としての出世が見込めないリュイソー男爵家では従士となるのが出世の道となるだろう。そうなれば母も弟も養える。


「それにしてもよ、ちょいちょい引っかかるのよな」

「うん、どうした?」

「いやな、戦のさなかだぞ? 供も連れずに一手の大将が後ろにいて……しかも戦いの前に引っ込んだ」

「曲者を追っていたと話しとったな」

「まあ、の。味方を疑うのはうまくねえが、うちの頭の耳にゃ入れないかんだろうよ」


 ガストンは「ふうん」と興味薄げに頷いた。半ばほども理解しているとは言い難い。

 マルセルはそれ以上いわず「まあ、いいわ」と苦笑いをするのみだった。


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