第10話 砦試し

 リーヴ修道院跡は、その名が示す通り100年ほど前には修道院であった。しかし、クード川の渡河ポイントを抑える要衝ゆえにリオンクール王国、ダルモン王国の兵によって長らく争われ荒廃した歴史がある。

 現在、修道院はリオンクール王国側に移転し、当地は砦としてのみ機能を残している。


(おや、もう兵が入っとるわ)


 リーヴ修道院跡にはすでに兵が入っており、20〜30人ほどが柵や堀に手を入れている。

 後に聞いたところによるとクード川西岸に蟠踞ばんきょするドロン男爵の手勢らしいが、ガストンからすれば「そうか」としか感想は持ち得なかった。


「ガストン、お前はきこりであったな」

「へい、そうです」

「あれを見よ」


 輸送した物資を建物に運び込み、体を休めているとペルランが何やら話しかけてきた。示す先は工事をする兵士たちだ。

 彼らは堀に木の枝や杭を並べ固定しているらしい。


「へい、見ました」

「あやつらが設置しておる乱杭らんぐい逆茂木さかもぎを切り出してこい」

「へい、あの……もじゃもじゃと枝が混んだのと、棒杭でよろしいですか?」


 本来なら威勢よく返事をするところだが、ガストンには乱杭や逆茂木と言われてもサッパリ理解できない。

 ガストンからすれば質問してペルランから殴られるのは嫌だ。だが、見当外れのことしても殴られるだろう。ならば先に殴られておくかと開き直っただけではある。


「……慣れた兵をつける、共に作業しろ」

「へいっ! 承知しました!」


 意外にもペルランは怒り出さず、ベテランの兵士をつける指示を出した。素人同然のガストンに任せることに不安を感じたのだろうか。

 すぐに組のベテラン兵士がガストンの手伝いをしてくれることになった。


「お前さんはとりあえず木をたくさん切りゃええわ。全て我らでやる必要はないでな、人手を使って使えるようにすればええ」


 ベテラン兵士はなれた様子でガストンに指示を出す。

 この兵士は体も細く、腕っぷしは大したことないのだが、やはり場数を踏んでいる。


(やれやれ、兵士もラクではないのう……覚えることが仰山ぎょうさんあるだわ)


 ガストンはため息をつきながら斧を振るう。

 世の中にはラクな稼業などない。


 乱杭とは先を尖らせた杭を地面に突き刺して固定し、城を剣山のように守る防御設備だ。杭と杭を縄でつないで人馬の足をとり、侵入を阻む。

 堀底にあれば転落したときに串刺しになるし、浅瀬にあれば舟を阻み立ち往生させることもできる。簡単で効果があるので広く用いられてきた。


 逆茂木とは別名で逆虎落さかもがり鹿砦ろくさいともいい、枝のついた倒木をいくつも並べたバリケードのことだ。枝が絡み合うようにして敵側に向け、倒木自体を地面に固定することで敵の侵入を防ぐ。

 もちろん枝を刀で切り分けることも乗り越えることもできるが、敵を前にして藪を切り開くことの危険性は言うまでもない。


 乱杭や逆茂木は何よりシンプルな構造で簡単に作れるし、コストも安い。また、周辺の木を切り出せば見晴らしも良くなるし、一石二鳥というわけだ。

 ありふれたモノには違いないが、有用だからこそ普遍的に広く用いられている。


「逆茂木ってやつは、やはり木に棘があったりしたほうが良いんですかい?」

「そら敵は嫌がるな。けど数を揃えるほうが大事だわ」

「なら大木よりも小ぶりなヤツで?」

「ほうだな。せいぜいが2人3人がかりで運べるくらいじゃろ」


 ガストンが樵をしていた時は独りで斧を振るい、切り出した木はそりで引きずりながら運んだものだ。

 だが、今は木を切り出す単純作業ながらも、ベテラン兵士が話しかけてくれるので気が紛れて楽しさすら感じる。


「ガストンよ、お前さんは体も大きいし気質もマジメだ。そのうち兵士頭に出世するかもしれんぞ」

「そらまあ、長くやれれば嬉しいことですがのう」

「長く、か……そこが思案のしどころだ。貧乏な当家じゃ兵士頭でも手当が安い。女房子供を養うにゃ、ちょいとえらい・・・。かと言ってそれ以上の出世は厳しかろう」


 ベテラン兵士によると戦続きのリュイソー男爵家は兵士が多く、従士が兵士頭の代わりをやるのも兵士頭に出す手当をケチっているからなのだとか。

 本当かどうかはさておき『このような冗談を下っ端が口にする』程度には貧乏しているということだろう。


「木を切るのはええですが……修道院跡はお城でもねえし、逆茂木や乱杭ともうしても木を並べて敵を防げるもんですかい?」


 作業が続けばつい口も軽くなり、ガストンは疑問を口にしてみた。

 おっかないペルランとは違い、口の軽いこの男なら大丈夫そうだという腹づもりもある。


「ほほう、そら面白えわ。ひと息入れたら試してみるか?」


 ベテラン兵士は楽しげにニヤリと笑い、作業がひと息ついた頃に城へ向かって「おーい、皆の衆!」と大声を張り上げた。

 周囲で空堀を堀ったり柵を直す兵の手が止まる。


「今から新入りのガストンが砦を試すぞおっ!」


 この声に応じ、周囲から「オーッ」とどよめきが上がる。

 急に注目を集め、ガストンは居心地の悪さを感じた。


(うへえっ、口は災いの元というが、大事になってしもうたな)


 ベテラン兵士に「ほれ行け」と背中を叩かれてガストンは修道院跡に向かった。


 このリーヴ修道院跡は長らく砦として機能してきただけはあり、古枯れた乱杭や逆茂木もそのままに備えてある。

 正面は馬出しと呼ばれる小曲輪を構えているが、基本的にぐるりと周囲を柵と空堀に囲まれた単純な造りだ。見張り櫓は2基。

 東側にクード川を背負うような立地であり、そちら側からは敵は来ない。

 乱杭や逆茂木を試すのならば正面は避け、左右からということになるだろう。すなわちリュイソー男爵の兵が作業する南側からだ。


 先ず障害となるのは空堀か。

 これは意外なほど深く、ガストンの身の丈ほども掘り下げてある。尖らせた乱杭が植え込まれてあり、心理的な飛び込みづらさを強く感じた。

 堀底は凸凹としており、乱杭を結ぶ縄と相まって実に嫌らしい。逆側には逆茂木がびっしりと設置してあり、絡み合った枝に鎧が引っかかるわ肌を刺すわで厄介極まりない。


(なるほど、これはキツいもんだわ。足場がなくちゃ上がれねえ)


 ガストンは剣を抜き、それを足場にすることでやっと堀を越えた。すると、そこに待ち構えるのはガストンの身長よりも倍近い高さのある急斜面だ。

 これは切岸きりぎしといい、天然の地形を削り急斜面を人工的に作り出した防御設備である。傍目には大した高さを感じない立地ではあるが、近くで見れば峻険な崖に近い。


(こいつはたまらん、息がきれてきたわ)


 堀と合わせれば障害物のある斜面を身の丈の3倍近くも登ることになる。

 ガストンはやっとの思いで木柵の根本を掴み、体を持ち上げようとしたのだが、柵の内側からグイッと押し返す者がいる。

 ペルランだ。槍の石突で上からガストンの肩をグイグイと押し返してくる。


「どうしたガストン、戦では刃や石が降ってくるのだぞ! そんなへっぴり腰で試しになるかっ!!」


 上からペルランの罵声が飛び、周囲は「しっかりせい!」「頑張れ新入り!」などと囃し立てる。

 だが、ガストンからすればたまったものではない。下手に落ちればケガではすまない高さだろう。


「お頭、落ちたら杭に刺さります! 堪忍してくだせえ!」

「このド百姓めがっ!! キサマは! 敵にも! 手加減しろと許しを請うのかっ!! 戦場でそのような真似ができるかっ!!」


 怒声を撒き散らすペルランは押すだけでは飽き足らず、とうとう石突でガストンを殴り始める。ガツンガツンと降り注ぐ容赦のない打撃は徐々に勢いを増すのだからたまらない。


(……こら、いかん。つき合いきれんわ)


 ガストンは早々と抵抗を諦め、滑り落ちるように斜面を下りる。

 すると、それを確認したペルランは「見たかーっ!!」と大音声を上げた。


「体格が大きく若いガストンですらこの堀は越えられぬ! 矢石に晒される敵はなおさらだ!! この砦は落ちぬ!! おのおの心穏やかに作業に励め!!」


 この言葉に周囲の兵が『ワッ』と歓声を上げる。落ちない保証がなされた砦、これほど守兵の士気を高めるものはない。


(ははあ、お頭め……俺をうまくダシに使ったか)


 斜面にへばりつくようにして堀まで下りたガストンは呆れるやら感心するやら、内心複雑だ。

 堀から出るときは待ち構えていたベテラン兵士が「ご苦労さん」と手を貸してくれた。こちらもなかなか曲者である。


(なかなか武家奉公とは一筋縄ではいかんもんだわ)


 ガストンは苦笑し、作業に戻る。


 日が暮れた後にはペルランが待ち構えており、みっちりと槍の稽古をつけられた。

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