第9話 渡河
兵士の生活は不規則である。
夜の警備や街道の巡回は交代制で、朝も夜も早い
(むう、少し寝足りんか……? 妙に眩しいわ)
慣れない生活に戸惑いながらもガストンは組の中で1番に早起きし、兵舎を出た。
新参者の
(ま、食うに困らぬ、寝床に困らぬ、これで不満を言ってはバチが当たるわ)
兵舎には驚いたことに
もちろん野戦ともなれば野宿が常であるし、籠城すれば兵舎も雑兵で溢れ寝台など使えぬであろうが、平時であれば生活レベルは村にいるよりも向上したと言って良い。
ちなみに待遇は手当として年に1000ダカット――これは何を基準にするかで変わろうが、およそ10万円〜20万円ほどだろうか。
要は食事と寝床を用意するから自分で博打を打つなり略奪するなりして賄えよ、というわけである。ゆえに兵士は博打好きが多く、窃盗やケンカなどのトラブルも絶えない。
「おうガストン、精が出るな」
「今日もひとつ
薪割りが終わる頃には同僚も目を覚ますが、彼らの視線はおおむね好意的だ。
これはペルランという鬼上司の指導と叱責が新入りであるガストンに集中するためらしい。特別な向上心も勤勉さも持ち合わせていない平凡な、当たり前の感覚ではある。
ガストンが兵士となり半月ほどだが、その間に習ったことは大きく分けて『槍の使い方』と『指示に従うこと』の2つのみ。さほど難しくはない。
「槍は叩く、突く、払うの3つで良い」
そう言いながら、ペルランはいちいちガストンを訓練用の槍で殴りつけ、突き伏し、足を払った。
毎日毎日、繰り返し言い聞かされ、痛い目にあう。いつの間にか槍の型は身についた。
「死にたくなければこれを日に500ずつ稽古しろ」
そう教わってからガストンは休まず、打つ、突く、払うとキッカリ500ずつ、合わせて1500回を巡回や見張りなどの合間や夜中に一人稽古を重ねた。
そんなある日のこと、ペルランは部下を集め命令を下した。
「移動だ。クード川を渡り、リーヴ修道院跡に向かう。物資を輸送し、拠点に籠もるのだ。支度をせよ」
これはガストンにとって初めての命令らしい命令だが、いまいちピンとこない。
威勢よく「へいっ!」と返事をしたものの、どうしたものか分からずガストンは同僚の真似をしながらなんとか支度を済ませた。
(変わった
それは
ガストンは見たことがないが、歩いて渡河をするために水に濡れないような工夫をしたものらしい。
これを兵士と少数の奴隷(ごく少数の奴隷は同行するが、戦闘に加わることはまずない。せいぜいが戦場での煮炊きや荷運びくらいまでだ)が運ぶ。騎士カルメルに率いられた総勢は20余人ほどだろうか。
「おう、ガストン。ちょっとは慣れたか?」
「マルセルか、おかげさんでな。お頭や同僚に良くしてもらっとるわい」
どうやら移動にはマルセルの組も参加したらしく、愛想よく話かけてきた。道中は退屈なので話し相手がいるのは助かる。
「マルセルやい、これから……そのナントカ修道院で戦が始まるのか?」
「いんや、もうちょい先だろ」
「ほうか。いつ始まるんだ?」
「そら俺は知らんわ。相手次第だわ」
ガストンは「そらそうか」と納得した。
マルセルも古参ではあるが下っ端の兵士なのだ。なかなか経験則以上のことは分からないだろう。
「去年、でっけえ戦で負けたんだわ。それ以来、川向うの連中が勢いがある敵方に転んじまった。分かるか?」
「まあ、分かる。敵に転ぶとは筋の通らん話だがのう」
「そら仕方ねえわ。筋目だの義理ごとだので意地を張って袋叩きは俺だって嫌じゃ」
マルセルは肩をすくめてクツクツと低く笑う。ガストンも理屈では分かるが、普段は騎士だの貴族だのと威張ってる連中の不甲斐なさに腹が立ってきた。
村育ちのガストンには強い者に従うしかない小貴族家の悲哀は理解できないのだ。
「ほんでな、転ぶにゃ手土産が必要だ。銭でもよかろうが貴族じゃから手柄よな。転んだヤツらは残った奴らを一緒に転べと誘ったり、攻めたりしてえのよ」
「ずいぶんと勝手な言い草じゃねえか。そら腹立たしいわ」
「それだ。うちの殿さまの親方のビゼー伯爵はカンカンよ。転んだヤツらを締め上げてえってわけだ」
マルセルの語り口は軽妙で、ついガストンも聞き入ってしまう。
気づけば周囲の者も何人か耳を傾けているようだ。
「それで、だ。戦ってのは移動中が危ねえのは知ってるか?」
「いや、知らん」
「ほうか、よう聞いとけ。移動中はな、隊列が細長くなるから横腹から食い破られたらひとたまりもねえんだ。もっと危ねえのは川だわ。水に浸かって足を取られてるときは一等危ねえ」
マルセルの言葉に、ガストンは1年前の戦を思い出した。
あの時もクード川を渡ったが、水深が深いところでガストンの胸くらいだっただろうか。あの状態で矢でも飛んできたら為す術もないだろう。
「その通りだわ。川は危ねえ」
「おう、だから俺たちが先乗りして砦を固めるわけだ。俺たちが盾になって味方を守れば安全に川を渡れるって寸法よ」
ガストンはマルセルの見識に舌を巻いた。5年も兵士をやっていると聞いたが大したものだ。
そう感心していると「よう覚えたのう」と先を歩いていた従士が振り返った。マルセルの組の頭だ。
リュイソー男爵家では従士が兵士頭として働くことが多いが、軍制はその家々で変わる。リュイソー男爵家はなかなか独特で、大きな貴族家では大抵、兵士頭はベテラン兵士が務めるものだ。
従士は強力な戦士である。本来はバラさず、従士隊として精鋭部隊を形成することが多い。
「マルセル、さっき俺が言うたことをしっかり聞いておったようで嬉しいぞ」
「へっへ、それは言いっこなしにしてくだされ」
この頭とマルセルのやりとりに周囲がドッと笑う。
どうやら頭の受け売りをガストンに聞かせていたらしい。
(それでも大したもんだわ。今からやる仕事の意味が分かっただけでやりようも変わろうよ。えらいお頭じゃな)
ペルランのように『やれ』と言うだけではなく、いちいち兵士に理由を聞かせるのは面倒ではあろう。
しかし、面倒でも部下の働きが変わるのならば手間でもあるまい。組の手柄は頭の手柄でもある。どうやら統率にかけてはペルランよりも上らしいとガストンは感じた。
「よう分かりました。かたじけないことです」
ガストンがマルセルの頭に礼を言うと「おう、気張れや」と気さくに背中を叩かれた。
親しみやすい気質のようだ。
そのまま明るい雰囲気で一同は進み、クード川を渡る。物資を運ぶために従士であるペルランが自ら瀬踏み(水深調査)をし、渡河地点を決める用心ぶりだ。
この川はリオンクール王国にそびえ立つ東方山脈の雪解け水を水源としており、大層冷たい。
「えい、おう、えい、おう」
「ほれ、それ、ほれ、それ」
そこかしこで手輿の前後で息を合わせる声が聞こえる。
転んで物資を流されては殴られるだけでは済まないだろう。兵士も必死なのだ。
(……むう、あれが修道院か)
川の中ほどからリーヴ修道院跡が確認できる。
それは川べりのやや小高い場所に建つ、修道院というよりも柵と堀を備えた砦であった。
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