第2話 終わらぬ悪夢

『ガストン、助けてくれよ』


 どこかで助けを呼ぶ声がする。

 フロランの声だ。

 いつの間にかガストンの横にフロランが立っていた。真っ白な顔だ。


『何で見捨てたんだ』


 血まみれの顔から飛び出した眼球が恨めしげにガストンを睨みつけ、何かを求めるように指が欠けた手を差し伸べてくる。


(やめろ、俺を呼ぶんじゃねえ! 逝くなら1人で行ってくれ!)


 ガストンは手を払いのけ、駆け出した。

 夢だ、これは夢だ。あの戦以来、たびたび悩ませる悪夢に違いない。そう気づいたとき、ガストンはハッと目が覚めた。

 現実でなかったことに安心し「ふぅーっ」と大きなため息が漏れる。背中も寝汗でびっしょりだ。


 家の中はまだ暗い。

 寝藁の中からは弟のジョスと母のオルガが寝息を立てていた。

 父はすでに亡く、後を継いだガストンが14才の頃より木を伐り生活している。


 ガストンは家族を起こさぬようにそっと身を起こし、斧を担いで外に出た。

 川から流れる冷えた空気がツンと鼻の奥を刺す。


 ここは横の国ア・コートと呼ばれる地域だ。

 クード川と呼ばれる大河の両岸地帯にあり、リオンクール王国とダルモン王国が奪い合う紛争地帯となっている。

 たびたび戦が起き、その度に地図が塗り替わるため『リオンクールの横』『ダルモンの横』として、いつしか『横の国』と呼ばれるようになった土地だ。


 ガストンの村はクード川の東岸地域、今は・・リオンクール王国ビゼー伯爵領に当たる。

 だがこれも、ここ数十年の話だ。ガストンの父が幼い頃にはダルモン王国に押し込まれ、何年も占領統治されていたらしい。

 クード川の支流が流れているため水利もあり、村民の暮らしぶりは決して貧しくはない。


 ガストンが見捨てたフロランの家は富農で、村長を務めることもある乙名おとな(村の指導者層)だった。姓もある立派な家だ。ガストンなどアゴで使われる立派な身分だった。


(それが、あんな風に死んじまうのか)


 あの戦より1年。

 ガストンはフロランを見捨てたことを責められなかった(本来なら身内とも呼ぶべき村の者を卑怯にも見捨てれば村八分もありえることだ)。

 それどころか、たまたま拾った長い棒……あれに着いていた旗が運を拓いた。


 その旗は敗戦で失われた公爵の軍旗の1つであったらしい。血まみれになりながらも取り返した勇ましき雑兵ガストンは、立派な身なりの騎士に褒められ男を上げた。

 褒美にもらった硬革の兜と揃いの鎧は村のきこりが身につけるようなものではない。


 それ以来、ガストンは村の中ではいい顔の男衆なのだ。

 同じ負け戦でフロランは死に、ガストンは面目を立てた。武運というにはあまりな結果ではないか。


(えいっ、クソッ! 腹の立つ!)


 いらだつ心のまま斧を振り上げ、立ち木に叩きつけた。

 角度をつけ、腕ではなく体を使って斧を振るう。

 これは誰かに習ったわけではなく自ら体得した技術だ。ガストンはこうした体を使うことに関して勘の良いところがあった。


 こうして無心で斧を振るうとモヤモヤとした気持ちを忘れることができるようだ。

 木材は薪や建材、家具に生活雑貨などいくらでも消費をする。伐って伐りすぎということはない。

 だが、戦を忘れようと独り斧を振るえば振るうほどに『ガストンは働き者になった』『戦に出てより肝が練れた』と褒められるようになったのは痛し痒しというものだろう。


あにいはそのモミジの木に恨みでもあるのかい?」


 無心で斧を振るう中、不意に声をかけられ顔を上げた。

 見れば弟のジョスだ。


「生意気を言うな、俺が木を伐るから飯が食えるのだろうが」

「へへっ、おっかない顔してらあ」


 ジョスはガストンより3つ年下の15才、ガストンが軽口をたしなめても屁とも思わない生意気ざかりだ。

 体が小さいため力仕事は得意ではない。枯れ枝を集めて薪にしたり、農繁期には富農の下で小作の真似事をしている。

 小柄な体格ゆえか年齢よりも幼く見え、ガストンにとってはいつまでも頼りない半人前だ。


「水だよ、ひと休みして飲むかい?」

「おう、もらおうか」


 気が利くな、と声をかけガストンは水が入った革袋を受け取った。

 口に含むと、ほどよく温くなった水が体に染み込むようだ。


「うめえな。かめの水か?」

「うんにゃ、井戸から汲んだわ。おっに水汲み頼まれてよ」

「ほうか、なんぞ聞いたか?」


 井戸は村の共用だ。乙名の中には庭に井戸を掘らせた家もあるが、それは特に豊かな一部の例外である。

 ゆえに井戸は一種の社交の場であり、人がいる時間に水を汲みに行けば噂話の1つも耳に入るものなのだ。

 愛想なしのガストンとは違い、人好きのするジョスは噂を集めるのが得意だった。


「……ああ、どうも良くねえ話だ」


 ジョスは声を低くし、もったいをつけて話し始める。

 その様子は気に入らないが、ガストンは無言で革袋から水を飲む。水でも含んでいなければ「生意気だぞ」と弟を怒鳴りつけてしまいそうだ。


「不吉なことだからな、声を小さくしなきゃなんねえ。北の村が焼かれたそうだよ」

「焼かれた? 戦か? 人が死んだのか?」


 戦の気配を感じ、ガストンは顔をしかめる。

 今の世の中――特に、横の国で戦は珍しくない。国同士の軍勢がぶつかり合う大規模な会戦から、土豪や村同士のいさかいもある。

 大きな2勢力に挟み込まれ、まとめる者もなく、どちらにつくかフラフラとしている土地柄なのだ。


「うんにゃ、賊だよ。野盗が現れて3人も死んだ。女もさらわれたんだと」

「……っ! ほうか! そんで、どうなったか!?」


 見たように語るジョスによれば盗賊は多数で押し寄せ、乱暴狼藉を尽くして立ち去ったという。

 もしこの野盗どもがこの村に向かったら……そう考えるだけでぞっとする。


「そりゃ一大事だわ」

「ああそうだ。村長からも兄いを呼んできてくれと頼まれたのさ。男衆で相談するんだとよ」


 この言葉を聞くや、ガストンはジョスに拳骨を食らわせる。

 ジョスは不意の痛みに「痛えっ」と悲鳴をあげた。


「それが一番の大事だろうがっ! 要らんことを口にするなっ!」


 この弟は苦労が足りぬのか、こうした鈍さがあるとガストンは常日頃から苦く感じていた。

 村に危機が迫り、村長が人を集めるのだ。雑談などをしている暇はない。


「兄い、堪忍してくれ。俺はただ――」

「まあいい、このモミジはオマエが伐って丸太にせい。枝を落として小屋に運べ」

「や、や、俺も男衆だ。村長の家に行かにゃ」


 ぶつくさと言いわけがましい弟にガストンは斧を突き出し「つべこべ言うなっ!」と歯をむいて威嚇をした。

 その剣幕にジョスは首をすくめて身を縮める。

 ガストンは家長であり、体つきも大きな村一番の力持ちだ。ジョスにとっては恐ろしい暴君だろう。


「オマエなんぞが男衆か、せいぜいが男童おわらべよ。悔しかったらモミジを伐れ、働いて俺を見返してみい」


 これだけ言われてもジョス言い返すでもなく縮こまっている。

 それを見てガストンは小さくため息をついた。


「まあいい、相談の内容は聞かせてやるわ。ケガだけはするな」


 それだけを言い残し、ガストンは足早に村長の家へ向かう。すると腰に結わえた革袋がタプンと水音を出した。

 ジョスの持ってきた革袋だ。


(ちと、言いすぎたか)


 今朝は夢見が悪く、不機嫌から弟にやつ当たりをしてしまった。

 普段から兄弟仲が悪いわけではないのだが、あの戦以来、ガストンがいらだって家族ともギクシャクしている。

 母や村の助祭さまは『戦を見るとかかる呪い』だと言っていた。それまでとは人変わりしてしまう呪いなのだと。


(俺はフロランらに祟られておるのかのう)


 ため息をつきたいが、ことがことだけに誰にも相談することはできない。ガストンはぐっとため息を飲み込んだ。


 そのまま村長の家の門をくぐると、すでに人が集まっているらしい。ガヤガヤとした賑やかさが感じられた。


 すでに村長もおり、真剣な顔で周囲の乙名と話し込んでいるようだ。

 村長は40才すぎの分別盛り、畑仕事で日焼けをした真っ赤な顔をしている。


「遅れてもうしわけない」


 ガストンは軽く頭を下げ、末座に控えた。土地を持たないガストンは小作と同じ扱い、こうした会合での作法だ。

 すると座の中から「ガストンじゃ」「さすがに強そうだの」とヒソヒソと、だが不遠慮な声が聞こえる。

 その後もバラバラと人が集まり、20人ばかりが顔をそろえた。村の男衆総出と言っていい。村の教会を管理している助祭さままでいる。


「おう、揃ったか。ぼつぼつ始めるかの」


 村長が宣言し、なんとも締まらない形で村の相談が始まった。

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