駆けろ雑兵〜ガストン卿出世譚
小倉ひろあき
第1話 手ひどい負け戦
男が世に出るきっかけなど、さほど格好のよいモノではない。
それは手ひどい負け戦だった。
敵勢が
ガストンは危機を肌で感じ、反射的に首をすくめた。
ブンと唸りを上げて、何かが頭上からガツンと降ってきた。同時に目の前が真っ赤になるような衝撃を感じ、脳天から背骨までがジーンと痺れる。
槍だ。槍で殴りつけられたのだ。
ひいっ、と女のような悲鳴をあげガストンはその場にうずくまった。
ガストンは雑兵だ。兜など身に着けていないし、鎧などは擦り切れ果てた粗末な革の腹巻きである。
槍で殴られれば頭皮は破れ、吹き出した血潮は顔を赤く染めた。
(死にたくねえ、死にたくねえっ!)
死にたくない、ガストンはその一心で目の前に落ちていた棒をとっさに拾い、遮二無二ぶんまわす。
先ほどの打撃で目がくらみ、膝が笑う。だが手を休めれば死ぬ。
「うわっ!? なんだコイツ!?」
「このガキッ、大人しくしやがれ!」
なんの幸運か拾った棒の先には旗がついており、これが思わぬ働きをして追手の兵の足が止まった。
ガストンは好機とばかりに走り出す。恥も外聞もない、小便ばかりか糞まで漏らしながら必死に逃げる。
(何で俺を狙うんだっ!? あっちに行け!)
黄色い歯をむき出しにした敵兵が集まり、何ごとかわめきながら追いかけてくる。
見るからに貧しく、奪う物とてないガストンを彼らはなぜ狙うのか……それは恐らく振り回す軍旗のゆえであろうが、冷静さを欠いたガストンには思いもよらない。
「ガストンッ!! 助けて、助けてくれっ!!」
名を呼ばれ、振り返ると見知った顔の男が敵に組み敷かれていた。ガストンと同じ村の男衆フロランだ。
フロランは必死に敵にかじりつき、ガストンに助けを求めている。
(すまねえ、神よフロランに光を与えたまえ。光を、世界を光で照らしたまえ!【※聖天教会における祈りの言葉】)
心の中でフロランにもうしわけ程度の幸運を祈り、ガストンは駆けた。
周囲の怒号が耳を打ち、殴られた頭はズキズキと痛む。
息は切れ果て、口から「ヒイーッ、ヒイーッ」と奇妙な音が出た。
糞や血の混ざった臭いで気が狂いそうだ。
早くこの場から立ち去りたい。
それだけを念じガストンは神に祈り、走り続けた。そこからの記憶は曖昧だ。
(堪忍……堪忍してくれフロランよ。あんなのどうしょうもないじゃないか。立場が逆ならオマエさんだって俺を見捨てて逃げただろう?)
戦の喧騒から離れ、次に襲ってきたのは罪悪感だ。
富農だったフロランはガストンとさほど仲が良いわけではなかった。だが、村の仲間を見捨てた罪悪感がズンと腹に沈み込む。
(こんなはずじゃねえ……俺は、俺はもっとやれたはずなんだ)
ガストンは17才の
若い野心と腕っぷしで手柄を立て、褒美をもらい土地を拓くつもりで戦に参加した。
俺はやれると自信に満ち溢れていた。
だが、現実は甘くない。
戦はガストンの知らないところで進行し、知らぬところで味方が負けて敗残兵となったのだ。
一体どのような経緯で己は負けたのか……いや、もっと言えばガストンは戦った相手がどこの誰なのかすら知らなかった。
村で陣触れがあり、褒美をもらうために勇んで参加しただけの雑兵に過ぎない。
(ちくしょうめ、ちくしょうめ、俺が何をしたって言うんだ)
逃げきったガストンは身の不幸を恨んだが、雑兵の戦とは自らの命を的にしたギャンブルだ。賭けの成功とは敵を殺し、略奪をすることである。
自らも手柄を立てるつもりであったのに、自分の身に死が迫ることを想像もしていなかったとは随分ムシのいい話だ。
このガストン、奴隷でこそないが土地を持たず、姓もない。
当時の社会としてはありふれた、底辺に近い身分である。
この情けない樵が思いもよらぬ立身出世を遂げるとは、まだこの世の誰一人として予想もできなかったに違いない。
時に聖天暦、1351年のことであった。
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