UNKOWN

ぽん

SS

持ちつ持たれつ?

そんなのは、俗世が造り出した〝言い訳〟に過ぎないよ。

だって、この腐れたセカイは、一方通行な平等だけで出来てるんだから。

〝誰か〟の礎として〝自分〟を捧げる者「贄(にえ)」

〝誰か〟を基盤に〝自分〟を確立する者「劫(こう)」

 要するに、一人の人間の生涯を支えるためだけに存在する人間が、いるってことね。

 どちらの役割にも同じくらいの意味をつけて、そこそこの幸せを分散配布。

「自分の存在意義を証明してくれるのは他人だ」なんて、妙な刷り込みまでしちゃってさ。

ほんと、雲の上で糸引くお偉いさん方の御贔屓根性には脱帽だよ。

 でもね。

 その規律を壊す〝僕ら〟がいるからこそ、セカイは面白おかしく回っているってことを覚えておいて欲しいな。

ほら。

そうこうしてるうちに、また新しいお客がやってきたよ。

どうやら泣いてるみたいだけど……

今回は、どんな喜劇を見せて貰えるのかな?


  *  *  *


 8時半に出社して、お昼の休憩は1時間。

 自分のデスクでコンビニのおにぎりをふたつ食べたあとは、終業時間までパソコンと睨めっこ。

 画面の中で上がったり下がったりを繰り返す数字を定期的に確認して、片手間に書類を作ったり次はこんな企画はどうだろう、なんてことを考えたりするのが僕の日課。

 たまに掛かってくる電話を取ったり、珈琲を淹れてくれる事務部の人に「ありがとう」の会釈をするのは、少し苦手で。

 誰かに何かを頼んだり、相槌以外の対話をするのは、あまり得意じゃない。

 壁に掛けられた時計が6時半を指したら、日報を書いてフォルダに提出。

7時にはパソコンの電源を切って、タイムカードに昨日と同じ数字を打ち出す。

 社員証を鞄にしまって席を立てば、対面のデスクから羨ましそうな視線が飛んでくるけれど、僕は「お疲れ様です」のひとこと以外は掛けない。

「松下って要領いいよなァ。羨ましい」

 今日も残業らしい木嶋さんが、書類の束で風を扇いでぼやく。

「明後日のプレゼン資料とかも……まさか出来てたりすんの?」

「…………それは流石に、まだ」

 あと少しで完成する仕事の話が出たけれど、謙遜でやり過ごしてしまうのは僕の悪い癖。

「……だよな! オレも全く手ェつけてねー」

 安心したのか豪快に笑って、木嶋さんは机を占拠しているファイルに頬杖をつく。

「……ちょっと休憩すっかなぁ」

 ブランドものの煙草ケースと、クロムハーツのライター。

 毎日違う色柄のネクタイをしめることで自分のキャパシティを広げているみっつ年上の先輩は、僕が思うにとても社交的で、息抜きが上手い人。

「そいじゃ、また明日な」

 二人してくたびれ顔の溢れる廊下を進んで行くと、ひとつめの曲がり角で見送りをされる。

「プレゼン終わったら、飲みにでも行こうぜ」

 入社以来何度目かになる誘いに愛想笑いを返して、僕は大学で習ったお辞儀を披露。

 それでも木嶋さんは軽く流してくれるから、良い人なんだと思う。

 自動販売機の隣にある小さな部屋は、未知の世界。

 いつも白い煙に塗れている場所から漏れ出てきた笑い声を背中で聞いて、僕は、僕だけの自由時間に足を運ぶべくエレベータのボタンを押す。

 会社の裏手にある喫茶店は、寂れているけれど静かで落ち着くから。

 古びたレコードから零れる音楽とカフェオレ一杯をお供に6時間、初任給で買ったノートパソコンと向き合っていても誰も何も言わないから、僕はここを気に入っている。


絶えずネオンが瞬く街は、深夜でも賑やかだ。

学生服と一緒に「自重」という言葉を家に置いてきた若者たち、お酒の助けを借りて日ごろの鬱憤を喚き散らすサラリーマン。汚い提灯をぶら下げたラーメン屋も、最近出来た小綺麗な店構えの居酒屋も、僕にとっては見慣れた景色のひとつ。

駅近のコンビニ前には、今日も今日とて単車がずらり。

品数の少ない陳列棚から、減りの悪い幕の内弁当と野菜サラダを選び取ってレジに持っていけば、青い目をした無愛想な青年が精算をしてくれる。

ふたつのトレイをひとつの袋に纏める手には、三連になった銅色の指輪。

欠伸混じりに要求される金額は、842円。

環状線の最終電車がホームに辿りつくのは、午前02時21分。

星の見えない濁り空の下で、きっちりと締めたネクタイを緩めると、少しだけ息がしやすくなるのも、いつも通り。

お酒と人の臭いに塗れた電車に揺られて三駅、改札に定期を通して無駄に長い階段を登っていけば、明かりの消えた高層ビルが「おかえり」って迎えてくれる。

左手には、書類がたくさん詰まった鞄。

右手には、今夜の仕事のお共が二品。

いつからか身体が覚え込んでしまった〝同じことの繰り返し〟は、人付き合いが苦手な僕には案外合っていて、だから、辛いなんて感じたことは一度も無い。

お酒を飲まなくても、煙草を吸わなくても、誰かにくだを巻かなくてもそれなりにやっていけるのは、仕事が充実しているお陰。あまり配ることの無い名刺に記されている「グレディック流通株式会社 宣伝部」っていう肩書きだけで、親は喜んでくれてるからそれでいい。

幕の内のトレイの一番右端にある卵焼きは、母さんが作るものと味が似ている。

それに気づいてから毎日買っているお弁当は今日も冷たいままだけど、電子レンジに入れれば良いだけの話だから気にしない。

袋が鳴らす物音に耳を傾けていると、マンションの近くの居酒屋から千鳥足のおじさん二人が出てくる。きっと僕は、あんな風に誰かとお酒を飲んで笑うことは無いんだろうなって、どうしてだかそう思えるから不思議だった。

ぼんやりと空を見ながら道を歩いていると、何かに肩がぶつかる。

「あ、ごめんなさい」

 身体が横にずれた時に甘い香水の匂いがしたから思わず謝ってみれば、うちの会社の事務服が目に留まって少しだけ驚いた。

「……松下君じゃん。今帰り?」

「えっと……はい。お疲れ様です」

 駅とは反対の方向から歩いてきた彼女は、入社式で少し喋って以来よく珈琲を淹れてくれていたけれど、普段は挨拶くらいしかしないから名前を思い出せなくて。

僕は、首に掛けられたままの名札をこっそり盗み見てから〝藤川さんも今帰りですか〟という、申し訳程度の社交辞令を付け足した。

「頑張るねぇ」

 藤川さんは僕の質問に苦笑いを返して、金色の髪を掻き乱す。暗くてよくわからなかったけれど、社内でも目立っている派手な化粧が、いくらか薄いように感じたのは気のせいじゃないと思う。

「……あんたくらいエリートで、他人に無頓着ならよかったのに」

 落ちた化粧に目を奪われていると、ぼそぼそと何かを呟かれる。

「え? 何か言いました?」

「なんでもなーい」

 ちゃんと聞き取れなかったから確かめようとすれば、藤川さんは、コピーを頼まれた時によくやっている面倒くさそうな語尾伸ばしをして肩を叩いてきた。

マスカラの取れた睫毛と、今朝珈琲を持ってきてくれた時とは少し違う左手の薬指が気になったけれど、何も言わない。

 人にあれこれと干渉できるほど、僕は出来た人間じゃないから。

「ま、働きすぎないよーにね!」

 ひらひらと手を振る彼女は、会社帰りに買い物でもしたのか大きな紙袋を持っている。

 すれ違い様に見えてしまった中身は、ハブラシとコップと、パジャマらしきもの。

袋の奥の方にはコサージュの付いた真っ赤なパーティードレスが窮屈そうに収まっていて、これからどこかに行くのかな、なんて取りとめもない想像をしてしまった。

 藤川さんとはそれきり別れて、家路につく。

 八割がた完成している企画書類をどうまとめるか、いつ布団に入ろうか。

そんなことを考えながらアスファルトを踏むと、どうしてかふいに、この街に越してきて何年経つんだっけ、っていう脈絡のないことと――毎度コーヒーカップと一緒に栄養ドリンクを持ってきてくれていた細い指が、思考の中に舞い込んできた。


〝 コ ン バ ン ワ 〟


「……?」

 ふと、どこからか、誰かに声を掛けられる。

 何だろうと思って静かな路地を見渡してみても、人影はなくて。

 その変わりに、摩訶不思議なものが、僕の左うしろに立っていた。

 いや。建っていた?

 今朝まで空き地だった筈の場所には、プレハブ小屋に似た真四角の茶色い箱があって。

 入口の上には、【UNKOWN】という名号を掲げた大きな看板がつりさげられている。

 さっき通り過ぎた時には全く気付かなかったお店は、外観からでは何を取り扱っているのかがわからなくて。

 それでも、軒先で風に揺られているへんてこな形のランプに、僕はそこはかとなく惹かれた。

 誘われるみたいにして道を引き返してみると、木製の扉に掘り込まれたアンティーク調の細工が、ますます好奇心を駆り立てる。

 最初に目がいったランプは、細い銅線を折り重ねたドーム状の囲いに幾何学模様をあしらった透け和紙をかぶせてあって、中に入っている灯りが柄を浮き上がらせるなんていう粋な仕掛けが施されていた。

 稀にない素敵な雑貨を前にして、僕は久しぶりに「嬉しい」という感情を思い出す。

 学生時代は、街中にあるショウウィンドウの向こう側に〝お気に入りの雑貨〟を見つけるのが好きだった。高くても安くても買うことはしないで、ただ観賞するだけ。

 僕が気に入ったものを、どんな人が買っていってどんな部屋に飾るのかなっていう、そんな空想をするのが、楽しかったんだ。

「…………」

 扉についた丸いノブを捻ると、軽い音を引きつれて道が広がる。

 お店の中に入るのと同時に鼻先をくすぐったお香の匂いは、昔良く行った雑貨屋を彷彿させるもので、一瞬だけ、肩の凝りが和らいだような気がした。

 四面を商品棚で埋められた狭い空間には、骨董ともガラクタとも呼べそうなものがたくさん置かれている。床の上にも、天井から吊さげられたハンモックやキルトの中にも色んな物品が乗せられていて、見ているだけで飽きない。

「いらっしゃい」

 古書と食器が並ぶ棚を眺めていると、店のどこかから招きの言葉が飛んでくる。

 凛としていて、それでいて中性的な響きを持った声音は、さっき路地で聞いたものに間違いなくて、僕は慌ててあちこちを見回した。

 人の座高くらいはある壺と白い虎の剥製の間で、継ぎ接ぎだらけの帽子が揺れる。

「どうぞ」

 電気のカサみたいな大きさのこげ茶色のキャスケットを被ったその人は、異様に長い服の袖を宙でぶらつかせて、僕を呼んだ。

よくよく見てみれば、絨毯かと思っていたエスニック調の布は店主さんの服の裾だった。小柄な体は全くもって背景と同化してしまっていたから、わからなくても仕方ない。

 伏せた体制の剥製を肘置き変わりにして、店主さんはキセルを吹かしている。

 口元しか見えないから、男の子か女の子かは断言できなかったけれど、僕より年下なんだろうなということは、輪郭の丸さで大体想像がついた。

 薄汚れた感じの着せ替え人形に塗装の剥げたミニカー、レトルトのカレーパックに、美容院の前でくるくる回っているパーラー。室内には、調度品の他にも色々と不思議なものがあって、ここは一体何なんだろうという疑問が湧く。

失礼は承知で黙って視線をさ迷わせていると忍び笑いが聞こえてきたけれど、恥ずかしさに勝る面白さがこの場所には溢れていたから、やめられなかった。

「……そこに、君が欲しいと思うものは無いでしょ」

「え?」

 唐突に喋り掛けられ、僕は顔を正面に向ける。

 意味ありげなことを言った店主さんは、長い服の袖をめくりつつ、唇だけで笑いかけてきた。

「……この中には、あるんじゃない?」

 前方に伸ばされた白い腕には、どこの貴族ですかと言いたくなる数の装飾品がついている。二の腕の辺りまで巻き付いているブレスレットや腕輪、指一本につき三つ以上嵌められた指輪はどれも色や形がバラバラで、統一感が無い。中には、子供が買うようなプラスチック製のものもあって、流石に僕も首を傾げてしまった。

「……ちゃんとあるから。よく見てね?」

 真似をするかのように、大きな帽子が僕の視点とは逆の方向に傾く。

 今更ながらに気づいたけれど、店主さんは胸にもたくさんのネックレスを下げていて、まるで宝石店のマネキン人形みたいだった。

 欲しいものがあるかもしれないよ、なんてゆう勧誘の言葉に乗せられて、僕は興味本位で装飾品に目を凝らす。購入する気は全く無かったけれど、飾り灯篭の赤い色を浴びてキラキラと光る貴金属たちは不思議とどれもが綺麗に見えて――どれもがとても、魅力的に思えた。

摩訶不思議な感覚に苛まれつつ、首元から腕、手の先へと順々に目線を下げていくと、ふとして心臓が大きく脈打つ。

 店主さんの薬指の一番上に嵌められている、見覚えのある三連になった銅色の指輪。

 新品とは到底思えない鈍い色を放つそれを、僕は確かに〝欲しい〟と、思った。

「これ、欲しい?」

 店主さんは、何の変哲もない女ものの指輪を自分の指から引き抜いて差し出してくる。

 どちらかと言えば店先にあるランプの方が、と言いたい口とは裏腹に、僕の頭と心は、今目の前にあるものがどうしても欲しいと、訴えかけてきた。

 この妙な感覚が何なのかもわからないままに、首は二度、三度と頷きを落とす。

 すると店主さんは、すっと立ち上がって僕の手を取ってきた。

 思っていた以上に背が低かったことに驚いていると、掌の中に固くて小さいものを押し込められる。途端に得も知れない安心感が胸に込み上げてきて、僕はますます、僕自身がわからなくなった。

「じゃあ、これの対極になるものを頂戴ね」

 帽子のせいで顔の見えない店主さんが、楽しそうに呟く。

 さして魅力は感じないのに、どうしても欲しいと思ってしまった指輪を手中で転がしていると、急に目下で何かが光って――瞬間、銀色のものが僕の視界の端を横切った。

 スローモーションで流れた景色の中には、刀身が湾曲型になっているナイフがあって、反射的に瞼を閉じてしまう。

 柄につけられた飾りか何かが、涼しげな音を鳴らして。

 顔のすぐ傍に風の流れを感じたあとに頭の中に響いたのは、ぶつんという、何かが切れるような嫌な音だった。


 9時5分前に出社して、お昼の休憩は1時間。

 会社から少し歩いた所にある緑地公園でコンビニのおにぎりをふたつ食べたあとは、終業時間までパソコンと睨めっこ。

 画面の中で上がったり下がったりを繰り返す数字を定期的に確認して、片手間に繋いだインターネットで雑貨のオークションサイトを覗いたりするのは、ちょっと楽しい。

 夕方に珈琲を運んできてくれたのは、藤川さんじゃなくて知らない女の子だったけれど。

「ありがとう」とお礼を言ったら嬉しそうな笑みと他愛もない世間話が返ってきたから、僕はどうしてか、名前も知らない彼女に、相槌以外の対応をしてしまった。

 壁に掛けられた時計が6時半を指せば、頭を捻って書いた偽装日報をフォルダに提出。

思いの外夢中になれるネットサーフィンに後ろ髪を引かれながらパソコンの電源を切ってタイムカードを押すと、昨日とは違う19:27という数字が打ち出された。

「お? 今日は長いことやってたな」

 社員証を鞄にしまって席を立てば、対面のデスクから声を掛けられる。

「明日のやつ、もしやギリギリ?」

 欠伸混じりに伸びをする木嶋さんのネクタイは、昨日と同じ、藍色のストライプ。

 だからか、いつもみたいな謙遜やあしらいは出来なくて。

「……僕はそこまで頑張れそうにないです」

気が付いたら僕は、久しぶりの苦笑いをしていた。

「良い結果、出るといいですね」

「お、おう」

 応援の言葉を口にすると、木嶋さんは何故かきょとんとした顔をする。

 ブランドものの煙草ケースと、クロムハーツのライター。

 どことなく気まずそうな表情の次に目についたのは、お馴染みの息抜き物品。

「……松下帰んだろ? オレも休憩行く」

 毎日僕が帰る時間を目処にして休憩を取っているみっつ年上の先輩は、実はとても頑張り屋で、仕事熱心な人。

 ただ、要領が悪いだけだと言うことを、僕は知ってる。

「そいじゃ、また明日な」

 二人してくたびれ顔の溢れる廊下を進んで行くと、ひとつめの曲がり角で見送りをされる。

「お疲れ様です。……あんまり、無理しないで下さいね」

 頭を下げた時に勝手に零れた言葉には、僕自身も驚いたけれど。

 誰よりも一番、目の前にいる人が、おっかなびっくりな顔をしていた。

 自動販売機の隣にある小さな部屋は、未知の領域。

 本能の赴くままに生きているらしい木嶋さんは、今日も変わらず、扉を潜るなり事務部の女の子たちの輪に混ざっていく。

 内弁慶な僕に、言えたことではないけれど。

 折角の交流の場でえり好みをしなければ、もう少し、頑張っていることを認めてくれる人が増えるのにと思ってしまった。

 会社の裏手にある喫茶店は、寂れているけど静かで落ち着く。

年季の入った蓄音器と、アンティークな置物。

緩やかな音楽とカフェオレ一杯をお供に6時間、内装観察に明け暮れても店のおばさんは何も言わなかったから。

「……いつも遅くまでありがとう」

僕はこの日初めて、僕に自由な時間をくれていた人に感謝の気持ちを伝えた。


環状線の最終電車がホームに辿りつくのは、午前02時21分。

星の見えない濁り空に掌を翳すと、左手の小指に嵌めた指輪がきらきらと光る。

学生服と一緒に「自重」という言葉を家に置いてきた若者たちや、お酒の助けを借りて日ごろの鬱憤を喚き散らすサラリーマン、昨日と同じに見える彼らを横目に写すと、毎日笑い声が絶えない〝未知の領域〟が脳裏に蘇ってきて、今の自分が酷く馬鹿らしくなった。

駅近のコンビニ前には、今日も今日とて単車がずらり。

品数の少ない陳列棚から、減りの悪い幕の内弁当と野菜サラダを選び取ってレジに持っていけば、青い目をした無愛想な青年が精算をしてくれる。

ふたつのトレイをひとつに纏める手には、三連になった銅色の指輪。

欠伸混じりに要求される金額は、842円。

「……アンタさぁ。毎日同じもん食ってて飽きねぇの?」

 昨日とは少し違って、左頬を赤く腫らした青年が声を掛けてくる。

「卵焼き美味しいから。……あ」

自然と出てきた受け答えの言葉に小銭を付け足した時に、僕は思い立って、かねてから言い損ねていた要望を口にしてみた。

「お弁当、温めて貰っていいですか?」

 青年は一瞬きょとんとしてから、無愛想な顔に盛大な笑みを浮かべる。

 大人びた雰囲気があっても笑うと年相応なんだなと思うのと一緒に、彫の深い面持ちをしている彼がちゃんと日本語を喋っていることに気づいて、僕は、あの青い目はカラーコンタクトなんだっていう小さな発見をした。

「ちょっと待ってろ」

 いつもはひとつの袋をふたつに増やして、電子レンジにお弁当を放り込んでレジカウンターを出た青年は、店の奥の商品棚から何かを持って帰ってくる。

「どうせ廃棄するだろうから、つけとく」

 ごちゃごちゃと指輪がついた手の中に収まっていた小さなパックはすぐにレンジに入れられてしまったけれど、確かに僕の好きな卵焼きが三つ、並んでいた。

お酒と人の臭いに塗れた電車に揺られて三駅、改札に定期を通して無駄に長い階段を登っていけば、明かりの消えた高層ビルが「おかえり」って迎えてくれる。

左手には、女ものの指輪と軽くなった鞄。

右手には、温かいお弁当とお気に入りの卵焼き。

 いつもと少しだけ違う日常はとても心地がよくて、ネクタイを緩めなくても息苦しさを感じない。

帰り路に【UNKOWN】の看板を探してみたけれど、そんなものはどこにもなくて。

でも、何もかもが、どうでもよくなって。

僕は次の日に、同じことの繰り返しを、辞めた。


 飾り灯篭の中で、丸い光がゆらゆらと揺れる。

「うーん……見てると眠くなるなぁ」

 欠伸混じりに白虎の背に凭れかかった少年は、服の袖で盛大に瞼を擦ってから〝劫(こう)〟が残した持ち物の調整を再開した。

分厚い紙束に絡みついている深紅色の糸は、込めた想いや時間の結晶だ。とても繊細で、複雑に縺れていることからして、持ち主は思慮深い人物だったのだろう。

 千切ってしまわないよう、少年は少しずつ糸を解(ほぐ)していく。次の引き取り手が見つけやすいようにするための配慮だが、なかなかの手間だ。おまけに今回の品は、印字された小さな文字が紙一面にびっしりと詰まっていて、弄っていると否応なく視界に入る。時折瞼を瞬き、眠気を払いながら、少年は仕入れた一品を整えていく。

「あー、疲れるぅ」

 ある程度進んだところで後方に身を捻ると、下敷きになっている白虎がぐるると唸る。右が赤、左が金というオッドアイの持ち主は、不機嫌さを隠すことなく、前足で絨毯を掻きむしった。

「……そろそろ片づけせんと、寝る場所のうなるで」

「大丈夫。ひーやんが伏せれる限り、僕は寝られる」

「言い方変えよか。わしの上に物が落ちてきそうやから片付けてくれ」

「大丈夫。僕が寝てたらひーやんの上に物は落ちない」

 容量オーバーで雪崩が起きそうな棚に〝新入荷品〟を無理矢理押し込めば、傍らにある長い尻尾がぱたりとしなる。嫌味のように腕を叩く尾を引っ掴んだ少年は、自らの衣服の裾を掛け布団代わりにしてから、安眠を貪るべく白い毛皮に頭を埋めた。

 ふと、室内を照らしていた灯りが淡い黄色に変わる。

「……何だァ? ここ」

 ほぼ同時に耳に届いた素っ頓狂な声は、昨日来た客たちと同じく〝PYU‐4〟地区の原語を喋っていて――少年は、好奇心に誘われるがままに半身を起した。

「……いらっしゃい」

数多いる〝人間〟と、それらが織り成す〝連理の糸〟

扉の向こう側に佇む影から伸びている細い線――〝贄(にえ)〟の象徴である金色の糸の先を目で追うなり、薄い唇は弧を描く。

「……昔のものは、なかなか捌(は)けないなぁ」

 部屋の片隅でくるくると回るパーラーと、左隣の棚にある紙束の傍を漂う糸を交互に流し見て、少年は帽子の縁を引き下げる。

 面白いかな、変化を望んでここを訪れる人間たちは、大抵が前客の切り捨てた性(さが)を、自らのものにと願うことが多い。


「それ、やっぱり似合うね」

 着苦しいスーツを緩めのカジュアル服に脱ぎ変えた僕は、仕事帰りにいつも、駅近にある小汚い提灯の下でそんなことを言う。

「おー。イチの店にあるもんは、基本オレ仕様」

 隣で肩を竦めている泉水は、一昨日店舗に並べたばかりの新作ジャケットの襟を引っ張って、にっと歯を剥いた。

 寒い季節に吹きっ晒しの屋台で食べるおでんは最高で。

近頃よく細められるようになった青い目と、いつも座席をひとつぶん占拠しているギターケースを見ていると、尚更幸せな気分になれて。

「好きに生きていいよ」って言ってくれる二人とひとつで安酒を飲む時間は、お気に入りの喫茶店にいる時よりも安心出来るから、大好きだった。

僕が楽しいと思うこと、嬉しいと感じること、すきなもの、夢。

何も我慢しなくもいい「今」は、とても楽で。

 収入は減ってしまったけれど、大好きな雑貨や服と、それを嬉しそうに買って行くお客さんの笑顔を直接眺めることが出来る日々は、以前よりもはるかに充実している。

 立ち上る湯気の向こうからサービスの一品が出てくる日は、もっと幸せになれるんだけど、なんてことを考えていると、気の良いおじさんは気持ちを察してくれたのかお皿に追加の卵を乗せてくれて、僕はまた嬉しくなった。

 ふと、屋台の隅に置かれているブラウン管テレビから、聞き覚えのある名前が届く。

『二ヶ月前、異例の新社長就任で世間を賑わせたグレディック流通が、株価急落により――』

 倒産、という赤文字と一緒に砂嵐混じりの画面に映し出されていたのは、半年前に辞めた会社。

 僕が退職したあとすぐに名誉会長が亡くなって、異例の人事異動で若い社員が社長になった巨大商社は、どうやらやっぱり潰れてしまったらしい。

「グレディック流通って……元カノが働いてたトコだわ」

 泉水は酒をちびちびと飲みながら、珍しい話を振ってくる。

「そうなんだ。まぁ、僕も働いてたんだけどね」

「え? そーなの? 初耳」

 笑い交じりに進む会話には全く真剣みがないけれど、仕方がない。

【UNKOWN】という店に行った日にプレゼンの企画書類を失くしてしまってから、僕はあの会社に、興味がなくなってしまったから。

「なんかさぁ、夢ばっか追っかけてても生活出来ねぇだろって飛び出してってさ」

 ふてくされた声が聞こえたかと思ったら、長机の上に携帯電話を置かれる。

「挙句、嫌味ったらしくこんなもん送りつけてくんだぜ」

 画面に映し出されている、恰幅の良い外国人と肩を組む赤いドレス姿の女性は、どこかで見たことがあるような気がしたけど、よく思いだせない。

「マジ金の亡者。別れて正解」

 泉水は、そんな風に言ってげんなりとしたけれど。

「……でも、すごく幸せそうな顔してるね」

 写真の中で絢爛豪華な宝石と$札に見えるものを腕に抱えて歯を剥く彼女の笑顔はとても輝いていて、僕は素直に、よかったねと、思ってしまった。

「……なぁ。イチ」

 熱々の卵を頬張っていると、急に肩を小突かれる。

 何だろうと思って顔の向きを変えてみると、半年前、コンビニの外で会うきっかけをつくってくれた〝お揃いの指輪〟が視界に入ってきた。

「おまえ……もっと美味いもんとか食いたい?」

 心持ち小声なのは、きっと、屋台のおじさんに遠慮してるから。

「……たまには、ふわとろなオムライスもいいね」

 泉水の冗談に冗談を返した僕は、すぐに「泉水と食べるなら何でもいいよ」って返そうと思いながらも、目の前の美味しい卵の誘惑に負けて。

「じゃあさ、今度食いに連れてってやるよ。……服見立ててくれた礼」

 照れくさそうにしてる横顔の呟いた一言が、どうしてか凄く嬉しくて――

大切な本心を、言いそびれてしまった。


「…………なんやねん。また同じやんけ」

 唸りをあげる白虎の頭をぽんぽんと叩いて、少年は、金色と深紅、二色に別れた瞳を覗きこむ。

「仕方ないよひーやん。僕は、ちぎって結んでしか出来ないんだから」

〝情と絆〟を捨て〝自由と金〟を選んだ女を彩るのは、色香を増させる赤色のドレスと、金色の糸。

〝努力と繁殖〟を捨て〝名誉と繁栄〟を選んだ男に纏わりつくのは、宇宙言語のような文字を連ねた書類が齎した一時の栄光と、金色の糸。

「……やっぱり、贄は贄だね」

 白虎が瞬きをする度に切り替わる光景をまじまじと眺めながら、少年はキセルを咥える。

「……却が贄のもん欲しがったら、贄になるしな」

 憔悴しきった男の顔がぱちりと消えるなり映し出されたのは、楽しげな笑みと――橙色の糸が巻き付いている、奇妙な形をした指輪。結び目を作った際には赤味がかっていた糸は、時間を置いてしまえばやはり黄に近い色合いになっていて、少年は白虎共々、長い溜息を吐いた。

「……難しいねぇ……」

 沈黙を裂くべく鳴らされたカチンッという小気味良い音が、狭い空間に木霊する。

 手中にあるものを開閉させながら足を伸ばした少年は、キセルの詰葉に火種を灯してから睡眠の態勢に入った。

「それ、気に入っとんなぁ」

 天井に翳したライターを覆い隠すかのように、白い煙が棚引く。

「この十字架がさ、見てるとやる気を奮い立たせてくれるってゆうか」

 銀色の側面に彫り込まれた〝天敵〟を象徴する印を爪で弄りつつ、少年は寝返りを打った。

 洋葉の風味が、頭の芯をまどろませ、瞼が重たくなってくる。

 だが、おやすみ、と、言うより前に、室内を照らしていた飾り灯篭の光が赤く染まった。

 毎度諮ったかのように訪れる客にげんなりとしつつ、少年は首を起こす。

途端に眼前を埋めたのは深い色味で、条件反射で背筋が伸びる。

「……いらっしゃい」

 扉の向こうにある影は、出迎えの言葉には何の反応もくれない。

ただ、戸惑うことも、逡巡することもなくこちら側に踏みこんでくる。

「……こらまた……えらいもん持っとる……」

 いつもは黙っている白虎が声を零すほどの強靭な性の持ち主は、流石に〝天敵〟の御贔屓を受けているだけのことはあった。

その鋭い視線は、たくさんのものがあふれる中で、脇目もくれずに一点だけを見据えている。

「……これはとっても……面白そうだね」

 奪い取らんとばかりに手元に伸びてきた赤い糸に視線を馳せて、少年は唇に弧を描く。

「……これ、欲しい?」

 多少気押されながらもここ最近のお気に入りを差し出してみれば、〝PYU‐4〟では稀に見ない色の双眸は、肯定するように細くなった。

 背中に携えられたギターケースに宿る性は〝自我と逸質〟――白虎は、この二つを併せ持つ〝却〟を〝天下取り〟と呼んでいて、彼らが変化を望むことはまず無いと、常々言っている。

 ただ、例外もあるということは、今わかったようだった。

長い時間を掛けて精気を蓄えたらしい〝却〟の証を捨ててでも〝努力と繁殖〟をと望む人間は、どう転んでも〝贄〟にはならないような気がして、少年は長年の夢を託してみることにする。

「それじゃ、これと対極になるものを頂戴ね」

 途切れた糸と糸を結び合わせて、新しい糸を紡ぐ作業は、一苦労。

 それでも時に、想定の範囲を越えた「変貌」が見られるから、面白かった。


 ぽっかりと空いた座席が気になって、僕は箸を止める。

 銅色の指輪の嵌った手が弄っているのは、どこかで見たことがある、クロムハーツのライター。

「……泉水。煙草とか、吸ってたっけ」

 喉に悪いから、と副流円すら吸うのを嫌がっていた泉水の突然の変化は、嫌に背中を寒くして。

「まぁ、たまに吸うくらいだけど……歌やめたし、いっかなって」

 いつも隣にあったギターはどこに行ったのかと思うと、息が詰まった。

「ちょっと、真面目に働こうかと思って」

 おでんを突く横顔はどことなく楽しそうで、僕は何も言えなくなる。

 世間一般的には「いいこと」に当てはまるんだろうことを素直に喜んであげられないのは、泉水の夢を応援していたからで。

それでも「頑張って」と言ってしまったのは、泉水に嫌われたくなかったからだ。

 変わらない笑顔を見ていると、やっぱり幸せな気分になれたけど。

 背中は勝手に丸くなってしまうから、何だか情けなかった。

「給料入ったら、オムライス。食い行こうな」

 嬉しい申し出に誘われるままに顔を上げて初めて、僕は自分の貪欲さに気がついて。

「……たまには歌ってやっから。しょげんな」

 出会った時からずっと、僕の一挙一動をちゃんと見てくれている泉水は本当に優しいと、改めて思い知らされる。

「……泉水はさ、今の自分じゃない自分になりたいなって思ったこと、ある?」

 煮染みた大根を半分に切る最中に、何気なしに聞いてみたのは、そんなこと。

「ねぇな。つか、今の自分がいい」

 笑い混じりの即答は、おぼろげにしか覚えていない【UNKOWN】のお店を思い出させてくれたけれど。

僕は「今」のままがいいと言った泉水が、好きだから。

これから先も「今」が続くようにと、夢追い人に戻って欲しいという言葉を頭の中で消去した。


   *  *  *


 ないものねだり?

 そんな言葉は、覆すためにあるんだよ。

 欲しいものは自分で選んで、代わりにいらないものをリサイクル。

 巷で流行ってるエコ? みたいなものだと思えば、簡単でしょ。

 創り出された時から持ってるものを捨てるのは、ちょっと勇気がいるけどさ。

 一歩踏み出してみれば、もしかすると「今」より良い未来が待ってるかもしれない。

 もし悪い未来に辿りついても、それはきっと、踏み出す前よりいい未来。

 そう考えれば、ちょっと道を外れるのも、楽しいと思えるんじゃないかな。

誰かが不要に思っても、違う誰かが必要としてる。

ひとつひとつは脆弱でも、繰り返し継ぎ足すことで、セカイの顛末を毎日少しずつ変えられる。

【UNKOWN】で取り扱ってるのは、そういう〝意思〟の篭った逸品だから。

 君が心の底から変わりたいと望むのなら、僕らはいつでも、お店を開くよ。


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UNKOWN ぽん @pontanooshiri

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