第3話


 注目されるってのは時と場合によっては悪くない。唖然、茫然そして驚愕、それらの混じり合った視線がオレに集中した。富之に至ってはスマホをテーブルに落としている。

「ど、どういうことだ!」

 勢い余って立ち上がったのが富次郎だった。スープ皿がひっくり返ってテーブルクロスを汚す。

「そのまんまの意味だぜ」

 オレがそう言うと富次郎の顔が真っ赤になった後真っ青になった。悪役になるには役不足じゃないだろうか。

「アリスの命が狙われているってことか?」

 既に声が震えているぜ、富次郎のおっさん。

「そう言ってるじゃねえか」

「しかし、何故……」

「その理由はおっさんたちの方がわかっているんじゃないか?」

 オレがそう言うとわかりやす過ぎるほどに富次郎はオレから目を逸らした。賞金首を雇うほど大層なことができるとはとても思えないおっさんだが、人の心の闇は見た目からは想像できないものだ。

「そもそもアリスの周りで不審なことが起きているって聞いているぜ。なにか心当たりがあるんじゃないか?」

 オレがそう言うとおっさんは黙り込み、椅子に落っこちるように座った。息子三人に目をやっても下を俯いて黙ったままだ。埒が明かない。少しだけ脅すか?そう思った時だった。

「私が代わりにお話しましょう」

 オレをイラつかせる沈黙を破ったのは執事の爺さんだった。おっさんは焦ったように目をきょろきょろさせたが、爺さんは一切構わず落ち着き払った様子で話し始めた。肝の座り方は明らかに爺さんの方が遥かに上だろうな。

「まず二週間前ですが、アリス様が学校に行くためにお車に乗ろうとした時でした。運転手がエンジンをかけた時に音に違和感を感じたのです。それで調べてみるとエンジンに明らかに細工された後がございました」

 爺さんは一息つくとまた話し続けた。

「それからひと月前には門扉の前に首のない猫の死骸が置かれておりました」

「へえ」

 あるあるな嫌がらせ、いや前菜だなと思った。

「他には盗聴器がアリス様の部屋から見つかりました」

 落ち着いた声だったが、その目には剣呑な光が宿っていた。まあ確かに内部に敵がもしくは内通者がいると考えるのが普通だろう。にしても少なくともこの爺さんだけはアリスの身を本気で案じていて、害しようとする奴らを憎んでいるようだ。

「なるほどな」

 オレは腕を組み独り言のようにぼそりと言って、ちらりとおっさんとその息子たちを見た。

「それから……」

 爺さんが更に話そうとしたのを遮ったのは次男のチャラ男、富之だった。

「オレたちがやったって言いたいのかよ!」

 オレがちらっと見たのが気に入らなかったらしい。どんとテーブルを拳で叩いて立ち上がった。銀の食器が一瞬テーブルから浮かび上がった。

「ふざけんなよ!」

 顔を真っ赤にさせてぎりぎりと奥歯を鳴らしている。みっともないことこの上ない。

「一言もそんなことは言ってねえだろ」

 じろっと軽く殺気を込めて睨みつけると富之の顔は漂白したように白くなった。

「ただ、アリスが死んで誰が一番得をするのかってのは考えるまでもねえよな」

 しんっと食堂が静まり返った。おっさんは小刻みに震え、メイドたちは困ったようにお互い顔を見合わせた。

「お料理が冷めてしまいます。いただきましょう」

 アリスはスプーンを取ると静かにスープを口に運び始めた。その言動には有無を言わせないオーラがあった。そんなアリスの様子を見て、おっさんたちも不満そうではあったが食事をし始めた。おどおどびくびくするだけの少女ではなかったようだ。オレは少しばかりアリスを見直した。夕食は最初から終わりまで、いや終わった後も無言だった。任務で来ているだけの他人のオレを信じると言ったアリスの気持ちが少し納得できた気がした。



 夕食が終わった後、オレは爺さんに呼び止められた。まだイチへの定期報告の時間までには余裕があったし、少し興味もあった。先にアリスに部屋に入ってもらうとオレは廊下で爺さんと立ち話をした。

「忙しいのに申し訳ございません」

 爺さんがそう言うとオレは首を振った。

「アリスの命を守るのがオレの仕事だからな。それ以外は暇だぜ」

「ありがとうございます」

「それでオレに話ってなんだ」

 爺さんは一つ大きく息を吸うとこう言った。

「アリス様をどうか守って下さいませ」

 深々と爺さんは腰を折った。

「大げさだな、言ったろ。オレの仕事はアリスを守ることだ。オレはプロだ。必ず守る」

 気の進まない仕事ではあるが、仕事は仕事だ。爺さんは顔を上げた。その目は薄っすらと潤んでいる。

「そう言っていただけて本当に心強いです。ありがとうございます」

 爺さんは「失礼」と言ってハンカチで目元を拭った。オレはどうにもばつの悪い気持ちになった。

「アリス様は可哀そうな方です……私は朔太郎様の代から仕えておりましたのでよく知っております。生まれてからずっと親戚からは疎まれ、ご両親を早くに亡くし、唯一の拠り所であった朔太郎様も亡くなり……次の誕生日にはこの若さで八幡川財閥の総帥という重責を背負わなくてはいけません」

「親戚っていうのは富次郎とその息子たちのことか」

「……はい」

 爺さんは手をぐっと握り締めた。

「アリス様がいなければ莫大な財産が転がり込んでくることは言うまでもないことです。富次郎様は優秀な朔太郎様を妬み嫉んでいたのです。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。幸か不幸かアリス様は大変な才に恵まれた方だったのです。その感情は当たり前のようにアリス様にも向けられました。そんな父親を見て育ったご子息たちも……アリス様を疎み憎むようになったのは自然な流れだったのだと思います。アリス様さえいなければ、と生まれた時から思っていたでしょう」

「自分たちが不遇な日陰者なのは朔太郎とアリスのせいだって思っているわけだ」

 まあ、局長から聞いた通りだ。

「その通りです」

 重々しく爺さんは頷いた。

「ご覧になったレイ様にはおわかりいただけたと思います。何故富次郎様たちを朔太郎様が取り立てなかったのかを」

「見た目通りの馬鹿だったな」

 オレは忌憚のない感想を言った。

「朔太郎様は経営や人事には私情を挟まない方でした。取り立てる面があれば富次郎様も……」

「話は変わったかもしれないってことか」

「はい……」

「でも現実はそうはならなかった」

 だからこの話はこれで終わりだ。

「そうです」

 爺さんもオレと同意見だったんだろう。小さく頷いた。

「どうぞアリス様をよろしくお願いいたします」

 再度爺さんは頭を下げる。

「ふん、仕事だからな」

 オレはそう言って背を向けてアリスの部屋に入ろうとしたが爺さんに再度向き直った。何故こんなことを言ってしまったのか自分でもわからない。

「爺さん、アリスは可哀そうだと言ったがそれは間違いだと思うぜ」

「それはどういう……?」

「爺さんがいるじゃねえか」

 オレは拳でポンと爺さんの胸を叩いた。

「自分のことのように、いやそれ以上にアリスのことを思っている」

 オレはそう言って直ぐに部屋のドアを開けて閉めた。何か言いたげな爺さんの気配を感じたがオレは無視した。

「……らしくねえ」

 らしくないことをすると調子が狂う。調子が狂うと碌なことが起きない。帰り道にいつもと違う道を歩くと止めときゃよかったと後悔することが大抵起きるだろう。それと同じだ。

「なにかおっしゃいました?」

 鏡台で髪を梳いていたアリスが声をかけてきた。

「いや、なんでも……お、おう?」

 オレは髪を下ろしたアリスを見て思わず後ずさった。そこにいたのはとんでもない美少女だったのだ。眼鏡を外し長い前髪を横に流し、白く形の良い卵型の顔が露わになっている。睫毛はやったらめったら長くておめめはぱっちり。頬は薔薇色。ふっくらとした唇がバランスよく顔についている。童話に出てくるお姫様のようだった。

「どうされました?」

 オレの様子を不審がってアリスは訊いてきた。まあ当然だろうな。

「いや、め、眼鏡なくても見えるのか?」

「あ、あれは……その」

 アリスは恥ずかしそうに言った。

「伊達眼鏡なんです」

「伊達!?なんで!」

 ついつい声がでかくなっていくのがわかった。

「その、人の視線が怖くて……」

 アリスはそう言って目を伏せた。あの富次郎たちのアリスを妬み疎む八つの目が脳裏に過った。

「……もっと堂々としてればいいだろ、勿体ない」

 オレはぼそりと言った。

「え?」

 アリスは困惑したような声を上げた。

「あ、いや、なんでもない」

 オレは慌てて言いつくろったが、気まずい雰囲気になってしまった。なんとも言えない沈黙がその場を支配する。そんなオレを救ったのがけたたましい着信音だった。オレのスマホが鳴ったのだ。オレにかけてくるのはあの忌々しい局長かイチしかいない。だがこの時のオレは救いの手に思えた。こんな風に思うのは後にも先にもこれっきりだろう。

「悪いな、書斎貸してくれ」

 オレはスマホをポケットから取り出しながら耳に当てた。

「オレだ」

 そう言うと同時に書斎のドアを閉める。

『私です、レイ様』

「イチか、なんだよ」

『定期報告の時間から三分も遅れているにも関わらず連絡がなかったもので電話をしました』

「んな、時間ぴったりに連絡できるか」

 大声で叫びたくなったが場所を思い出して必死に小声に抑えた。ちなみに使っている回線は盗聴などを防ぐため特殊な回線らしい。難しいことは知らないが。

『しかし初回から連絡を遅延するとは、この任務先が思いやられますね』

 はー、やれやれとイチは大げさに嫌みなため息をついた。

「なんの用だよ、早く言え」

 オレはイライラして急かす。なんでこいつはこうも前置きが長いんだ。

『言うまでもありません。私のメールは確認してくれましたか?』

「ああ、あのくそにも役に立たない奴か」

 オレはふんと鼻で笑った。イチがオレに送ってきたメールの内容は今回のターゲットである派手好きのメリーについてだった。

「あれじゃあ内容なんかないようなものじゃねえか」

『洒落ですか?センスがないですね』

「ちゃうわい」

 ついつい声がでかくなりそうなオレを誰も責められないと思う。

「メリーは射撃のプロだがスナイパーのような真似はしない。正面から堂々と、というか派手にやりたいんだろうな、相手を殺すってことしか書いてなかったじゃねえか。それぐらいオレだって知ってるぜ」

『おやおや意外でした。情報収集などしないものと思っておりましたから。大変失礼』

「いい加減にしないと怒るぞ」

『もう怒っているではありませんか?』

「うるせえよ」

 全く話が進まなくてオレのイラつきはマックスに差し掛かろうとしていた。

『それで、アリス嬢にお会いしてどうでしたか?富次郎には会えましたか?』

 話が進まないと思っていたのはイチも同じだったのだろう。本題を振ってきた。

「うじうじした根暗な奴だと思ったぜ。とても次期総帥になる天才少女とは思えなかったな。ただ芯は強そうな気はするが。まあ、どんな奴でも仕事なら守り切るぜ。これぐらいこなせなきゃ……」

『アンノウンには近付けないということですね』

「……ああ」

 しばし沈黙が流れた。それを破ったのはオレだった。

「それと富次郎には会えたぜ」

『ほう、それで?』

「わかりやす過ぎるほどにアリスへの妬みや恨みつらみの塊だな。隠そうともしねえ。確かに賞金首を雇って殺そうとしているのも頷けるな。予想以上にアリスは憎まれている。ああ、そういえば富次郎の息子たちにも会えたぜ」

『どうでしたか?』

「父親の小型クローンみたいな奴らだったぜ。富次郎のやろうとしていることを知っていてもおかしくねえな。もしかしたら絡んでいるかもしれないぜ」

『なるほど』

 液晶の向こう側でイチが小さく頷いたのがわかった。

「まあ、正直そいつらのことはどうでもいいぜ。オレがやることは賞金首を倒してアリスを守るだけの話だからな」

そう言うとイチは「そうですね」と返してきた。

『富次郎の息子たちも洗ってはいますが、もっと調べてみましょう。引き続きレイ様はアリス嬢の傍らにいて下さい』

「だからそう言っているだろ」

『では今夜はこの辺で、できるだけ時間通りの定期報告を忘れないで下さい」

「へいへい、努力はするぜ。じゃあな」

 そう言ってオレは通話を切った。自分を特別特殊捕獲官だということをバラしたことを話さなかったなと思ったが、まあ訊かれていなかったし、別にいいだろう。オレ的には大した問題じゃない。そう思いながら書斎を出るとそこにはキラキラした人形みたいなアリスがゆったりと紅茶を飲んでいた。

「レイさん、お仕事のお話ですか?」

「あ、まあな……」

 何度も思うが昼間見たアリスとは別人のようだ。オレはちょっと目を逸らした。

「お風呂に入っていらっしゃったら?」

「お、おう」

 オレは言われるがままにアリスに案内されて風呂場に行った。まあ、その風呂場も想像通りメルヘン一色だったのは言うまでもないが、湯に薔薇が浮いていたのはさすがに眩暈がした。

 風呂に入れば後は寝るだけだ。既にアリスはベッドに横になっていた。

「一緒なのが本当に申し訳ないのですが…あら?」

 オレの姿を見てアリスは疑問符を浮かべた。その理由は直ぐにわかった。オレはデニムにトレーナーという格好だったからだ。

「ああ、いつなにが起きてもいいように私服なだけだ」

 いざ戦闘となったら当然ながら相手は着替えなんか待ってくれない。パジャマじゃ動きにくいからな。オレがそう説明するとアリスはまた謝った。

「……あ、すみません。私のせいで」

 その言い方にオレはカチンときた。今までのアリスの言動に対するイライラが溜まっていたのかもしれない。

「なんでそんなに謝るんだ?なんでアリスのせいなんだ。そうじゃないだろ。悪いのは殺そうとしている奴が悪いんだろ、違うか?」

 オレがそうまくし立てるとアリスは黙り込んだ。

「でも……もし、私がいなければこんなことには」

 その言葉にオレはカチンとくるどころかバチンと脳の神経が一本切れる音を聞いた。口よりも先に手が出ていた。パンっと景気のいい音が部屋に響く。オレの手がアリスの頬を打ったのだ。アリスは頬を手で押さえることも忘れてポカンとしていた。些細な力だったと思うがオレの筋力だ。アリスには相当な衝撃だろう。雇い主に手を上げるなんてもっての外かもしれないが、オレは謝罪はしなかった。

「あんたは逃げたいだけだ」

 オレは冷たく言い放った。

「戦うのを止めたら人間は終わりだ」

 そうだ。戦うことを諦めた人間は人間じゃない。ただの人形か屍だ。戦っていれば可能性はあるんだ。そう、戦い続けていればきっと。

「オレは決して諦めない」

 アリスに言うのではなく、オレは自身に言い聞かせていた。アリスは黙ったまま何も言わない。ただ項垂れている。オレはそんなアリスを無視して布団に潜り込んだ。天蓋がついているなど落ち着かないことこの上ないが、寝なければ任務に支障が出る。オレは頭の下にククリ型のナイフを置いて目を瞑った。次第に眠気が訪れて来た。

「……レイさんはずっと戦っているんですね」

 誰と?そう問われたような気がしたが気のせいだと片付けてオレは返事をしなかった。


 何事もなく夜は終わり朝がやってきた。オレはもぞりと横でアリスが動く気配を感じて目を覚ました。見ればアリスはベッドから降りて制服に着替えを始めていた。そうか今日は月曜日だったな。頭の下のナイフを腰に差し直し、オレも着替えようと起き上がった。

「おはようございます、レイさん」

 昨日とは打って変わってはきはきとした口調だ。相変わらず伊達眼鏡に長い前髪がうっとうしいが。だがどことなく雰囲気が明るいような気がする。カーテンを翻させている窓から差し込む朝の光のせいだろうか。

「あ、ああ。おはよう」

「レイさんはこちらの制服を着て下さい」

 そう言って新品の制服を渡してきた。その制服を見てオレは心底ほっとした。仕立てのいいものではあるがごく普通のブレザーだったからだ。お嬢様校と聞いていたのでどんなとんでもデザインの制服かと思っていたのだ。

 着替えを済ませると、勿論武器は携帯しているが、爺さんが呼びに来てオレたちは食堂に向かった。用意されていたのは立派なブレックファーストだったが最早これくらいではオレは驚かなくなっていた。人間の順応性ってのは怖いものだ。オレですら慣れるんだからな。

 朝飯の席に富次郎たちの姿はなかった。アリスの言った通り一緒なのは夕食の時だけらしい。マジ良かったぜ。仕事とはいえできるなら朝からあんなウザイ奴らは見たくないものだ。

 淡々と食事を終えると、案の定というか運転手付きの車での登校だった。車は当たり前のように高級車。もしかしなくてもこの車はアリスの登下校専用に違いない。慣れたとはいえ些かうんざりしてくるのは否めない。しかし世界にはこのアリスよりも金持ちが存在するのだから、恐ろしいものだ。

 そんなことを考えているとアリスの通う桜蘭女学院に着いた。下りた瞬間、オレは「はあ――――っ」とため息をついた。これは学校というよりでっかい別荘のようだ。全く想像して然るべきだったな。

「どうされました?」

 アリスが不思議そうにオレを見る。

「いや、なんでもねえ」

 オレは頭をがりがりとかいた。オレのなんとも言えない気持ちを説明したってアリスにはわかりっこない。彼女にとってはこれが当たり前の日常の光景なのだから。

「さあ、ホームルームが始まります。行きましょう、レイさん」

 アリスはにっこり笑ってオレを促した。こんな笑み初めて見る。本当になんだか別人のようだ。一晩で一体アリスに何があったのか。不審がるオレを他所にアリスはすたすたと学校に入っていく。

「おい、待てって……」

 アリスを追いかけようとするとオレを慄然させる出来事が起きた。

「ごきげんよう、八幡川様。そちらの方は?」

「!?」

「ごきげんよう、九条様。彼女は遙レイ様。私の友人で、今日からこの学園に転校されて来ました」

「そうでしたの。ようこそ、桜蘭女学院に。遙様」

 ぺこりと上品に頭を下げられてオレは慄くしかなかった。

(ご、ごきげんよう……!?)

「お、おう。よろしく……」

 必死の愛想いをかますしかなかった。ひくひくと頬が痙攣を起こしているのはわかる。どうやらお嬢様校というのをオレは甘く見ていたようだ。

(先が思いやられるぜ……)

 手に持った軽いはずの鞄がやたらと重く感じる。この時点でオレの精神力はほぼゼロに近かかった。さっさと賞金首の奴が出てきてくれないかと心底思った。血生臭い戦場の方がよっぽどマシだ。

 教室に入り、オレは教師に案内されて席に座った。ちなみに教師はシスターだった。勿論日本人じゃない。休み時間にアリスに校内を案内されてわかったのだが、ここに日本人の教師はいないようだった。シスターがほとんどで、あとは外国人だ。ちなみに誰も日本人より流暢に日本語を話す。ここがどこの国かとわからなくなりそうだった。そして雨あられの「ごきげんよう」。この仕事が長引かないことを祈るしかない。



 それから二週間ほど経った頃だった。オレとアリスが学校の中庭で弁当を食っていた時だった。アリスはふっくらと焼けた卵焼きを食べ終わると話しかけてきた。

「知っていますか、レイさん」

「なんだ?」

「レイさんって王子様ってこの学園で呼ばれているんですよ」

「はああああ!?」

 オレの箸からハンバーグがぽろりと落ちた。ああ、もったいねえ。松岡というシェフの腕は確かでオレはそれだけがこの窮屈な生活の楽しみだというのに。アリスはごく自然な動きで自分のハンバーグをオレの弁当箱に入れながら話し続けた。

「いつも堂々として格好いいですし、体育の時の走りにみんな見惚れているんです。学園中の噂です」

 何故か誇らしげにアリスは言った。

「は、はは……運動だけは得意だからな……」

 オレは引きつった笑いを浮かべるしかなかった。体育では手を抜いたつもりだったのだが、それでもお嬢様たちにはカルチャーショックだったようだ。

「まるで風の妖精シルフィールのようだと……」

 どこかうっとりとしているように見えるのは錯覚か?

「は、はははは……」

 乾いた笑いを上げるオレにアリスはにこにこと口角を上げて微笑んでいる。うじうじおどおどしたアリスは初日しか見ていない。まあ今の方がマシといえばマシだ。さもなきゃイライラがあっさり沸点を超えていたろう。

(それにしても二週間何もないな……)

 オレがそう思った時、アリスが独り言のように言う。

「レイさんが来てくれてから楽しいことばかり……こんな生活がずっと続けばいいのに……」

 オレは箸を置いた。

「残念ながら今は嵐の前の静けさだ」

 くるりと周囲を見渡す。

「あんたの誕生日までには必ず賞金首は現れる」

「……派手好きのメリーですか?」

「ああ、そうだ」

 オレは深く頷いた。

「何故そんなにはっきりと言えるのですか?」

 アリスは首を傾げた。こういうところはどんなに頭が良くてもやっぱり箱入りだなと思う。

「あんたが八幡川財閥の総帥になるのをあいつらが絶対に許さないからさ」

 あいつらとは勿論富次郎とその息子たちのことだ。

「アリス、あんたの方がわかっているんじゃないか。あんたがどんなに恨まれ疎まれているか」

 アリスの顔色が変わるのがわかった。

「もう既に間違いないとはいえ、あんたが正式に総帥になるのを指を咥えて見ているわけがない」 

 アリスは息を呑んだ。

「一瞬だって自分たちの上に君臨するあんたを見たくない、認めたくないってことさ」

 オレは弁当の残りをかきこむと弁当箱に蓋をした。アリスは黙ったままだ。心のどこかで身内を信じたい気持ちがあったのかもしれない。だが長年熟成された悪意は最悪な形で姿を現してしまった。それが全てだ。アリスの気持ちに忖度している余裕はない。

「さて、行くか」

 昼休み終了の鐘が鳴った。


 異変が起きたのは次の日だった。朝のホームルームにいたのは全く別の教師だった。なんでもこのクラスの担任が急病のため代理らしい。オレはちらりとそいつを見た。

「ケイト・ムーアと申します。短い間ですがよろしくお願いします」

 そうよく通る声で自己紹介をした教師は女性だった。長いウェーブのかかった金髪を背中まで流し、アイスブルーの目をしたモデルのような美女だった。顔は見事な左右対称で作り物のようだった。

(いや、正真正銘の作り物だな)

 そう気付いた瞬間、ケイトという女と目が合った。間違いなく狙いを定めてオレを見た。

(ようやっと、お出ましか。待ちくたびれたぜ)

 オレは薄っすらと笑う。ケイトは、いいや、派手好きのメリーは、オレを挑発するように笑った。写真とは全く違う顔だが名前の通りド派手な見た目だ。オレは視線を交わしただけでわかった。アリスの誕生日まであと二週間。どこでどう出るつもりなのか楽しみだ。オレは喉の奥で声を出さずに笑った。


 一限目が終わった後、アリスが不安そうにオレの元にやって来た。オレは廊下に出るようにアリスを促した。窓際に近付くとアリスは身体をオレに寄せるようにして囁いた。

「あの、こんな時に先生が変わるなんて……タイミングが良過ぎませんか?」

 さすがにおかしいと思ったか。まあ当たり前だろう。

「ああ、アリスの思っている通りだ。あいつは賞金首の派手好きのメリーだ」

 隠したところで仕方ない。オレは正直にアリスに伝えた。アリスは口元を手で覆い絶句する。

「そんな、あんなに堂々と……」

「メリーはそういう奴なのさ。にしても最初のターゲットはオレに決めたらしい。こっちとしてはやり易くて有難いがな」

 まずはオレを派手に血祭にあげてからアリスを殺すつもりなのはさっきのやり取りで明白だった。暗殺者としてはどう考えても悪手だが、アリスを守るには好都合だ。性格上特獲官が出てきたとあっては黙っていられなかったのだろう。相手がわかりやすい性格で助かるぜ、全く。オレは笑ってアリスの肩を叩いた。


 その夜オレはイチに定期報告をした。

「イチか?」

『はい、時間通りなんて大変珍しいですね。今は初夏ですが明日は雪でしょう』

 オレはイチの嫌みを遮った。

「そういう前置きはいい。アリスの担任が変わった」

『既に把握済みです』

 それは賞金首が現れたことも知っているという意味に違いない。

『前担任の行方は追っておりますが、おそらくは』

「だろうな」

 その意味は言うまでもないだろう。

『メリーは近いうちに仕掛けてくるでしょう。くれぐれも油断しないように』

「わかっている。しかしなんだって潜り込めたんだ?学長はアリスの命が狙われていてオレが特獲官だということも知らされているんだろう?」

 こんなお嬢様学校に簡単に転任なんてできるわけもない。

「それも調査中です」

「まあ、いいさ。来てしまったもんはどうしようもない」

 オレは肩をすくめた。

「それから……賞金首を雇った証拠が掴めそうです」

『ふん、遅かったな』

『ダークウエブを通じて直近でメリーに依頼をかけた者がいるらしいです』

 ダークウエブとは通常の方法ではアクセスできないアンダーグラウンドのネット世界だ。そこにではありとあらゆるものが取引されているサイトが幾つもある。ただの菓子から薬物、重火器、臓器や人間そのものまでだ。無論殺人だって請け負ってくれる。賞金首たちも使っていることが時々ある。最もそのサイトでやり取りしている相手が本物かどうか確かめる術はないからから結構危ない橋を渡ることになりかねないがな。

『こちらはこちらで更に証拠を掴むため調査を続けます。レイ様は……』

「くれぐれも油断しないように、だろ。もう耳にたこができたぜ」

「ええ、その通りです。メリーは近いうちに必ず仕掛けてきます」

「わかってる」

 オレはこくりと頷いた。


 イチの言う通り、動きは直ぐにあった。次の日、昇降口で鞄をごそごそしていたアリスが声を上げた。学校から出る前に忘れ物がないか確かめるのはアリスの癖だ。

「あら?」

 アリスが手を止めた。

「どうした?」

「宿題のプリントがないんです」

 アリスは教室に戻ろうとした。オレはなるほどな、と思った。

「オレが行く」

「え……でも」

「オレが行く」

 オレは再度繰り返してアリスの肩を掴んだ。それでアリスは察したのだろう。

「アリスは帰れ。ただしいつもの車には乗るな。イチに迎えに来るように言っておく。屋敷には絶対戻るな」

 そう言い残すとオレはアリスに背を向けた。そして廊下を歩きながらイチに連絡を取る。

「イチか?とうとう来たぜ」

『そろそろだと思っていました』

「アリスの保護を頼む」

『直ぐに手配します』

「じゃあ、オレは駆除に行ってくるぜ」

『しっかり除菌もお願いします』

 それで通話は終わった。後は賞金首の駆除に集中するだけだ。

「GO、GOヘヴン」

 オレはいつものようにそう唱えた。神経が剃刀のように研ぎ澄まされていくのがわかる。

「GO、GO、ヘヴン」

 腰と手首に隠していたナイフの感触を確かめるように柄を握る。吸い付くようにしっくりくるその感覚にオレは自分のコンディションが絶好調であることを実感する。ぺろりと上唇を舐めると、オレは教室のドアを開けた。


 予想通りそいつはそこにいた。


 暮れかけた赤い夕焼けの光の中にそいつはいた。金髪を真っ赤に染め上げて。返り血でも浴びたつもりかよとオレはせせら笑う。全く気が早い奴だ。アイスブルーの瞳まで赤く光っており、まるで吸血鬼のようだった。

「あら?忘れ物をしたのは八幡川さんだったと思うけど」

 メリーは何事もないようにそう言った。

「なんでアリスが忘れ物をしたと知っているんだ」

「あなたなら知っているでしょ、特獲官のレイ」

「ああ、派手好きのメリー」

 ふわりとカーテンが揺れて夕暮れ時の風が吹き込み、メリーの金髪が滑らかな曲線を描くのが見えた。それが合図だった。

 予備動作なしでシュンっとサイレンサーをつけた拳銃から鉛の銃弾が放たれる。オレの額を容赦なく狙ってきた。こちらも予備動作なしで腰のククリ型のナイフを抜き放ち、寸前で弾き返す。メリーが一瞬たじろいだのがわかった。無論それを見逃すオレじゃない。

 オレは床を蹴ると机と椅子を飛び越え一気に間合いを詰めた。だが敵もさるもの、拳銃ではオレを仕留め切れないと判断したのだろう。拳銃を捨てると教壇からマシンガンを取り出してきた。

「!?」

 無論躊躇なくメリーはマシンガンをぶっ放す。ガガガっという音よりも早く無数の弾丸が雨のようにオレを襲う。

「ちっ」

 オレは軌道修正を余儀なくされた。足元の机を蹴飛ばすように蹴り、一回転して天井へと飛び上がる。オレの頭の下スレスレを弾丸が掠めていく。オレがメリーに目をやった時には既にマシンガンを捨てて廊下に飛び出すところだった。オレもすぐさま後を追う。

(ただの猪突猛進ってわけじゃなかったようだな)

 あっさりとマシンガンを捨てたところを見ると、学校のあちこちに武器を隠しているのだろう。

「用意周到な奴だ」

 廊下は騒然となっていた。多くはないが残っていた生徒がざわついている。そりゃそうだろう。発砲音がしたのだ。おまけに火災報知器までジリリリっと派手に鳴ってやがる。

『火事が発生しました。生徒のみなさんは……』

 アナウンスが聞こえてくる。メリーを教師だと思い込んでいる生徒たちが走って来る奴に声をかけようとする。だが当然のことながらメリーは彼女らを突き飛ばして行く。ほそっこいお嬢様たちは無様に廊下に転がった。

 どうやらメリーは生徒たちを人質に取るつもりはないらしい。人質を得るために足を止めるよりもオレから距離を取ることを選んだようだ。それともオレに人質は通用しないと察したのか。

「はは、賢明だぜ!」

 オレは中々に面白いことになったと口角を上げた。メリーは長い金髪を揺らして理科室に飛び込む。と思いきや、ぶわっと白い煙が教室のドアから吹き出してきた。

「煙幕か」

 白い煙を切り裂くように複数発の弾丸が飛んできた。オレの身体を狙ってそれは真っすぐ向かってくる。

「ちっ」

 近距離過ぎて避けるのは間に合わないとオレは判断した。ならば取る行動は一つだ。なあに、これぐらいなんてことはない。

「しっ!」

 気合一閃。二つのナイフでオレは八の字を書くように瞬時に全ての弾丸を弾き返す。避けられなければ叩き落せばいいだけの話だ。オレにとってはなんのこともないが、これはオレの生まれ持った並外れた身体能力と動体視力があればこその荒業だ。

 煙幕の奥で舌打ちが聞こえた。弾丸はもはや飛んでこなかった。幾ら撃ち込んでも無駄だと知ったのだろう。ただ煙がもうもうと立ち込めているだけで、沈黙だけが揺れていた。誘っているのだとわかったが、オレは躊躇せずに煙幕の中に飛び込んだ。

 教室に入り込み気配を探る。だがその瞬間、オレは悪寒に襲われた。咄嗟に入ってきたドアから飛び出し、ドアを閉めてその場に伏せる。ドンと爆音がして教室が吹き飛んだ。幸いにして爆薬は大したことはなく、オレは廊下の壁に叩きつけられる程度で済んだ。だがいつまでも蹲って休んでいる暇はない。オレは即座に立ち上がる。多少は背中が痛んだが、気にするほどではない。悪寒はまだ続いている。オレは廊下を疾走する。背後でドンドンと爆発音と爆風が追ってきた。

「ははっ!名前通り派手好きだな!」

 オレを誘導しているのはわかった。自分の居場所まで連れて行ってくれるのは有難い。メリーの仕掛けた爆薬は次々と教室を破壊していく。自分の戦い易い場所に案内してくれているのだろう。勿論あわよくばオレにダメージを与えられればという思惑はあるだろうが。

「残念だが、持久力には自信があるんだよ!」

 オレは笑みを浮かべながら崩れゆく校舎を飛ぶように駆けた。


「あそこか!」

 オレが飛び込んだ場所は体育館だった。まあ、予想通りだったな。狭い場所では刃物の方が重火器より有利に働く場合がある。オレを誘うならある程度広さのあるところだろうと考えていた。

 だが悠長にそんなことを考えられるのもそこまでだった。メリーがロケットランチャーを構えていたのだ。勿論メリーは躊躇なくぶっ放してきた。どでかい弾丸がオレに迫ってくる。どう考えてもオーバーキルだろと呆れてしまうが、文句を言う暇など無論あるわけもない。オレは大きく跳躍してその弾丸を飛び越える。背後でボカンっと派手な音が聞こえ、爆風がオレの背を大きく叩いた。その勢いを利用してオレはメリーとの間合いを一気に詰める。

「くそっ」

 それでもメリーは悪態をつきながら空中にいるオレに二丁拳銃で発砲してくる。

「当たるかよ!」

 オレはせせら笑うと右手のナイフで真っすぐに飛んで来る弾丸を軽くいなす。キンキンと軽い音を立てながら弾丸は床にぼろぼろと落ちていった。

「……化け物め!」

 それは誉め言葉として受け取っておこう。化け物にならなければ、あいつに、アンノウンには勝つことはきっとできない。

「ははっ!」

 オレは笑いながらメリーの前に降り立った。首を伸ばし顔を覗き込むように挑発する。

「よう!」

「ちいっ!」

 メリーはそれでも果敢にも、いや無謀にも拳銃をオレに向けてきた。近接戦でオレに勝負か。受けてやろうじゃないか。

「GO!GO!ヘヴン!」

 脳内を一気にアドレナリンが駆け巡る、メリーの一挙手一投足が止まって見えるくらいだった。メリーの右手の拳銃が発砲する寸前にオレはナイフの背ではじく、バンと音がして弾は明後日の方に飛んでいく。バリンと体育館の窓ガラスが割れる音が響いた。

「くっ……!」

 メリーは直ぐに左手の拳銃をオレに向けてくる。またそれをオレはナイフで弾く。幾度も幾度もこれを繰り返し、ついにメリーは弾切れを起こした。

「くそぉ!」

 だが賞金首の意地なのかプライドなのかわからないが、それでもメリーはオレに挑んできた。空になった拳銃を投げ捨て、手首に隠したタクティカルナイフで構え直した。その勇気には拍手を送ろう。だが勇気と蛮勇は違う。まあ、どっちに転んでも結果は変わらない。

 オレは素早く腰を低くして身を屈めた。メリーにはオレが一瞬視界から消えたように見えただろう。だがそこはプロというべきか、迷う間もなくオレに蹴りをかましにきた。用意周到なことにパンプスの先からはナイフの刃が飛び出している。判断は悪くないが、だがそれは予想済み。

 飛んできた足をかいくぐるように避けてオレは逆手に構えナイフでメリーの太腿を切り裂いた。

「くっ!」

 ぴしゃっとメリーの血がオレの頬にかかる。メリーは呻き声を上げて後ろによろめいたが倒れることなく態勢を整える。 

「この小娘が!」

けれどさすがにノーダメージというわけにはいかなかったようで息が荒く若干足が震えていた。

「これで終わりかよ、おばさん!」

 けたけたと笑ってそう言ってやると、どうやら禁句だったようでメリーの白い顔が真っ赤になった。厚塗りのファンデーションの上からでもわかるくらいだ。

「このクソガキがああ!」

 こんなに怒るとはちょっと想定外だった。だがむしろ好都合だ。災い転じてという奴だな。ちょっと違うか。なにはともあれメリーは真っ向からオレに突っ込んできた。オレは姿勢を低くしたまままメリーを迎え撃つ。

 よっぽど頭にきたのだろう。メリーはいきなりオレの首を狙ってきた。ナイフの切っ先が真っすぐオレの喉を突こうとする。それを更に姿勢を低くして潜るようにしてそれを避ける。オレの首が欲しいならチャンスをやろうじゃないか。床を蛇のように這いながら身体をくねらせて、メリーの足元から這い登るようにして距離を一気に詰めた。メリーは一瞬たじろいだが、瞬時にオレの首に再度挑戦してくる。

 だが、遅い。メリーのナイフがオレの喉元に突き刺さる直前に奴の心臓に深々と左手のナイフを突き立てていた。それでもメリーはまだ意識を保っていてナイフを握り直そうとする。

「やれやれ」

 オレはぐっと力を入れてナイフを回した。ごふっとメリーは血を吐き、カツンと床にナイフが転がり落ちる。それと同時にメリーの身体も床にどうっと倒れ伏した。

「しつこい女は嫌われるらしいぜ」

 こいつにはもう関係ないか。オレは両手のナイフを仕舞い込むとイチに連絡した。

『はい』

「オレだ。こっちは終わったぜ」

『ええ、わかっています。相当派手に遊ばれたようですね。楽しかったですか?』

 派手にというのはメリーが校舎のあちこちを爆破したことだろう。イチの声からありありと怒りのオーラが伝わってきた。液晶からそのオーラが見えるようだった。口調はいつもと変わらないが怒髪天を衝く状態だ。そこまでわかるのはおそらく長い付き合いのオレくらいだろう。嬉しくもなんともないが。

「勘違いするな!派手にやったのはメリーだよ!」

『レイ様が上手く立ち回れなかったからでしょう。責任はメリーと半々です』

「無茶苦茶な理屈だな」

『今桜蘭女学院は大変な状態になっていますので支部まで来て下さい』

「わーったよ!」

 そう言うだけ言ってオレは通話を切った。とにもかくにもイチと合流しなければ話にならない。オレはメリーの死体を一瞥することもなく瓦礫の山と化した体育館を出た。見飽きるほど見飽きた光景だ。むしろオレが見てきた光景の中ではマシな方だ。

 体育館を出るとイチの言う通り校舎内は阿鼻叫喚となっており、既に救急車や警察が来ていた。オレはそれを傍目で見ながら気付かれないようにひっそりと学校を出た。近くにあった公園の公衆トイレで返り血で汚れた顔を洗った。制服にも飛び散っているだろうが紺色なのでそう目立つこともないだろう。

 タクシーを拾い東京支部のある最寄の駅を告げる。運転手はなにやら言いたげにちらちらとミラー越しにこちらを見ている。

(そういえば)

 オレが今着ているのは桜蘭女学院の制服だったことに気付いた。もう桜蘭女学院で何かとんでもないことが起きたのを知っているのだろう。ニュースにもなっているかもしれない。実際窓の外では派手にサイレンを鳴らして救急車やパトカーがひっきりなしに桜蘭女学院の方へ向かっている。最後の最後までメリーの奴は派手にやったなとオレは思った。

「いや、平和だねえ」

 オレはそう運転手に聞こえるように独り言を呟いた。



 支部のビルに着くとイチには直ぐに会えた。イチは一階のロビーにいた、アリスと共に。

「レイさん!」

 真っ先に駆け寄ってきたのはアリスだった。

「おおっ」

 そしてそのままオレに抱き着いてきた。よろめくような情けないことにはならなかったが、予想外のことで思わず変な声が出た。

「お怪我は?」

 アリスがオレの顔を覗き込んで問う。

「見りゃわかるだろ、五体満足だよ」

 実際怪我らしい怪我と言えば軽度の火傷くらいしかない。

「でも……血の匂いがします」

 アリスが何故か辛そうな声で言った。

「ん、ああ。返り血だ」

 オレがそう言うとアリスの顔色が変わった。

「それは……」

「ああ、あんたの命を狙っていた賞金首のものだな」

 オレはただそう事実を伝えた。

「申し訳ありません……」

 これまた何故かアリスは謝ってきた。

「私のせいで、危険な目に……」

 血の気の失せた唇を震わせて言う。

「お前のせいじゃねえって言っているだろ、それにこれがオレの仕事だ」

「謝るな」と言って軽くアリスの頭にごつんと拳骨を食らわせた。アリスはぽかんと口を開けてオレを少し見上げて「すみません」とまた謝った。オレはそんなアリスに肩を竦めるとイチに向かい合った。

「こっちの仕事は終わらせたぜ。そっちの首尾はどうだ?」

 オレが腰に腕を当ててイチにそう問うと、やたらとオーバーにため息をついた。

「なにが終わったですか。こっちはこの後の後始末が山のように残っているんですよ。まあ、レイ様にそれを手伝えなどという無謀なことは言いませんが。その程度には私は賢明ですから」

「そうじゃねえよ。富次郎がメリーを雇った証拠は掴めたのかって訊いてんだよ」

 オレはイチを指差して噛みついた。

「ああ、その話ですか」

 イチはどうでもよさそうな顔をして言った。

「とっくに掴みました。ダークウエブ経由でメリーとやり取りしていたのは三男の冨司でした」

「富司って……」

 印象の薄いメンヘラっぽいだんまり野郎か。

「富治に証拠を突きつけると自分は父親に命じられただけだと屠殺寸前の豚のように喚いたのでメリーが死んだことを告げると、自分も殺されると勘違いでもしたのか勝手にペラペラしゃべって下さいました。親切な御仁でしたね」

「ふーん」

 イチは「勝手に」しゃべってくれたと言うが無論それをオレが鵜呑みにするわけもない。立場上暴力を振るうことは許されないがその代わりに、真綿で首を絞めるように富司の精神をいたぶって追い詰めたのは明らかだ。もし許されるのなら嬉々として拷問だってするんだ、イチっていうのは。オレは不審げな目をイチに向けたが奴は見事なまでのスルー技術を見せた。

「富次郎と富司は拘束されました。長男と次男も重要参考人として連行しました。みなさんとても協力的で助かりましたよ」

 薄っすらと気味の悪い笑みをイチは浮かべた。イチが笑うと本当に不気味だ。なんだか背筋がぞっとするのだ。昔はこんな笑い方をする奴じゃなかったと思う。いや、そもそもイチは笑うことはなかったとオレはふと思い出した。まあ、そんなことは今はどうでもいい。

「富次郎たちのことはもういい。それよりもどうして派手好きのメリーは桜蘭女学院に入り込めたんだ?相当身元がしっかりしている奴じゃないと入れないんだろ。それにアリスが命を狙われているって学長は知っていたはずだ。局長や特獲課の奴らはなにをやってたんだ?」

 戦いの場が学校になったため巻き込まれた生徒が出た。そんなことはオレにはどうでもいいことだが、特獲は後始末にてんてこ舞いだ。この結果は子供だって予想できただろう。どうしてそれなのにまんまと入り込まれてしまったのか。しかもあんな堂々と。

「その答えは簡単ですよ」

「なんだ?」

「学長が裏切ったからです。いえ、最初から裏切っていたのかもしれませんね」

「どうしてですか?」

 質問したのはオレではなくアリスだった。イチがアリスを見た。笑みは既になくいつもの澄ましたイヤミ顔だ。

「その答えも簡単でとてつもなく単純ですよ、アリス嬢。学長には余命宣告を受けた難病の娘がいたのです。それも臓器移植を必要とする難病です。そのために莫大な大金が直ぐにでも必要だったのです。なにせ金で裏から手を回さなければ臓器は直ぐに手に入りませんからね。もう、おわかりでしょう。娘を助けるための金を手に入れるために賞金首に与したのです」

 イチは一息に話した。

「でも、学長は人格者で知られていて……」

「親ってのはそういうもんだ」

 オレはアリスの言葉を遮って言った。

「どんな人格者でも凡人でも彼らの優先順位は自分の子供だ。そいつのためなら他の奴らがどうなろうとしったこっちゃない。他所の子供が幾ら死んでも構わない。学長だって学校に賞金首を招き入れればどうなるか想像がついたろうよ。まあ、でもどうでもよかったんだろ。自分の娘が助かれば」

 オレもまたイチのように一息に言った。子供を殺す親も生かす親もそれは紙一重だ。コインの裏表と言っていいかもしれない。アリスは下を向いて何かに耐えているようだった。学長の娘のことを考えているに違いない。余命宣告され、親は逮捕され、しかも罪状は八幡川財閥の跡取りの殺人幇助だ。きっと「可哀そう」と思っているのだろう。それどころか自分のせいだとまた考えているのかもしれない。オレは心の中で盛大に舌打ちした。

「あんたのせいじゃない」

 以前言った台詞をオレはもう一度言った。そうだ「可哀そう」なのは誰のせいでもないのだ。

「学長の娘が病に侵されたのは運がなかっただけ。そして学長の逮捕は自身が選択した結果だ。富次郎たちだってそうだろ、この結末は彼らが選んだ結果だ。だから何度も言うようにあんたのせいじゃない。あんたが八幡川財閥の次期総帥ってことだってそうだろ」

 アリスは顔を上げた。前髪の隙間から栗色の瞳が見える。その優しい色はオレの持っていない色だ。その瞳から零れ揺れる光はオレの知らない感情を湛えていた。知らないからその感情を形容することはオレにはできない。不可思議な沈黙がオレたちの間を流れた。だがその沈黙が何故か心地良かった。

 オレは思った。これはオレにとって良くないものだ。けれど声を出すことも動くこともオレにはできなかった。マズいと思った時だった。

「それでは我々はこれで。局長が来ましたので」

 イチがその沈黙を破ってくれた。ハッと我に返ると局長を始めとした職員が数人イチの背後に立っていた。

「レイ、ご苦労だった。だが欲を言えばもっと仕事は静かにして欲しいものだ」

「だからオレのせいじゃないっつーの!」

 オレはこれ幸いとアリスから離れた。アリスは何かもの言いたげたったが当然気付かない振りをした。

「ではアリス嬢、御達者で」

 イチはそう言って仰々しく一礼をした。オレは黙ってアリスに背を向ける。そしてイチの背中を追うように歩き始めた。

「レイさん、私……!」

「せいぜい立派な総帥になれよ」

 アリスの言葉を遮りオレは片手を上げてぶらぶらと振った。オレは最後まで振り返ることはなかった。


「前もって言っておきますがこれから話すことはただの独り言です」

 エレベーターに乗り込んだ途端にイチが唐突に話し始めた。

「あ?」

「巻き込まれた桜蘭女学院の生徒たちですが」

「興味ないぜ」

「独り言ですのでレイ様の返事は求めていません」

 じゃあ話なんかするなよと心の中で突っ込むオレを無視してイチは話し続ける。予想通りのイチの行動は今更だが今回は不愉快だった。

「怪我人は出ましたが、重傷者や死者は出なかったそうです」

「なんでそんな話をするんだ?興味ないって言ったぜ」

「だから独り言です。私の気のせいだとは思うのですが、きっと気のせいでしょうが、レイ様はアリス嬢のことを気にしていたようなので。このことが少しはアリス嬢の慰めになるかと」

「だから興味ねえって。もう仕事は終わったしな」

 そう、もうアリスとは会うこともないだろう。オレはイチに背を向けた。

「ですからただの独り言です、レイ様」

 エレベーターの監視カメラにオレの顔が映っていないだろうか。それだけがやたらと気になった。









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