大人の恋をするには早かった

天雪桃那花(あまゆきもなか)

一夜だけ

 憧れの人とデートできるって、単純に嬉しいけれど。

 相手が既婚者の場合は用心しないといけない。

 デートとは言わなかったから、オッケーだとか?

 そんな風に思っているのかも知れない。



 私が高卒で仕事をすることを選んだのは、母ががんで入退院を繰り返していたことと、父親がギャンブル好きで家が貧乏だったからだ。

 高校の先生には大学に行くようすすめられたけど、そんな余裕はどこにもなかった。


 高卒で働き始めると、同期の女子にも同い年の子が何人も居た。

 うちみたいにわりと家が大変な子もいたりと、そんな風に思うべきではないけど、大変な境遇なのは私だけじゃないんだってちょっと安心してた。


 ほんとは私、専門学校や短大や大学に行く子が羨ましかったのかも。


 あとね、私は女子校だったんだけど、卒業と同時に先生と結婚する子がいたんだよ。

 すっごい羨ましかった。

 だって、卒業と同時にってことは皆に内緒で在学中に付き合ってたってことでしょ?

 そんな漫画みたいなシチュエーション、二人にはきっとたくさんのロマンチックな事が起きていたんだよ。

 私なんかなんにもなかったのに。



 今、ちょっと会社の営業部の後藤先輩に御飯に誘われたり、遠回しに私の事が好きらしいよって同じ部の人たちから聞かされてる。

 彼氏いない歴18年の私に訪れた恋のチャンス。

 でも、ごめんなさい。

 大勢なら良いけど、二人っきりでは御飯には行けないんです。

 ――だって私、ちょっと気になる人がいるんですよ。


 周りには好きな人が誰とは言えないんですけど。

 それは……、谷村課長だから。

 谷村課長は結婚してるんだもん。

 もし私の思いが届いたとしても、不倫になってしまいます。


 ……そう、谷村課長に恋しちゃいけないって思っていたのに。

 どんどん好きになっていく。

 正直どこに惚れてしまったんだろう。

 説明するのは難しい。

 毎日可愛いねとか言ってくるトコは軽くて軟派な雰囲気で。

 結婚前はかなり遊んでいたとか、遊び人って噂を聞いてイヤになるはずだったのに。

 そんな谷村課長と横浜の取引先に行くことになって。

 帰りに、なんだか良い雰囲気になってしまいました。


 予定より取引先との商談が長引いて帰りが遅くなってしまったので、谷村課長が横浜の中華街で御飯を食べて帰ろうって言ってくれて。

 お腹もかなり減っていたから、ご馳走になっちゃった。

 男の人とデートなんてしたことない私は、これがデートだとは思わなかった。

 ただ、上司と御飯を食べる。

 それだけのハズ。そう思っていたんだけど。


 中華街の谷村課長がよく行くお店に連れて行ってもらうと、個室だった。

 谷村課長はコース料理を頼んで、私は食べたこともない料理がテーブルに並んでいくのを見入ってしまった。

 フカヒレも初めて食べたし、目の前で店員さんがおこげにじゅわっとあんかけをかけると驚いた。


「ご馳走様でした」

「いーえ、大したことないから。那須さんになら、可愛いからいつでもおごるよ。また来ようね。あぁ、スキー旅行とか一緒に行く?」

「会社の皆でなら行きます」

「ハハハ。警戒されちゃったな」


 下心丸見え、なんです。

 谷村課長の魂胆は見え見えでした。

 ……ですが。

 なんなんでしょうか。

 自ら毒牙にかかるような、アホがしたかったというか。

 彼氏がいたことがない私は、当然キスやら世間でいうところのABCはまったく経験がないんです。

 それが、20幾つも離れたおじさんである谷村課長に捧げても良いかな〜って、この時は思ってしまいました。


 デートプランとしては大変ベタな展開ではありますが、谷村課長は夜の山下公園に私をいざないました。

 嫌いな人が同意無しで手を握って来たらセクハラです。ですが、谷村課長に少ぉし(?)気のある私は、谷村課長が手を握ってきた時、嬉しかったので振り払いませんでした。


 ムードのある海沿いの公園で、手を握り合って散歩して。

 この時、奥手で純な私は谷村課長のリードのまま、とうとうファーストキスを……。

 されそうになりました。

 別に……、してもいいかなって思ったんですよ、キス。

 ドラマみたいな事が起こったんです。


「すいません、携帯が鳴ってます」


 私のスマホの着信音が、山下公園にけたたましく鳴り響きました。

 ムードはぶち壊れました。


「大事な用かも知れない。那須さん、電話に出なさい」

「あぁ、はい」


 着信は営業部の後藤先輩だった。

 私、谷村課長と公園でチューする寸前だったんですよ。

 後藤先輩の電話で、ファーストキスは未遂に終わりました。


 谷村課長にはそれから何回も誘われたりしたけど、二人っきりでは行きませんでした。

 横浜のデートは、私と谷村課長との一夜限りのデートだった。

 一度きりのデートのあの日は、不倫直前の別れ道ターニングポイントだったのです。


 私は結局は、谷村課長ともっと深く恋愛をする道を選ばなかった。


 だってそれはね、後藤先輩に「あの人は社内に何人も愛人が入るから、君が傷つくだけだ。那須さんには恋して辛い思いをして欲しくない! そんなの見てらんないよ、耐えられない」って本気で心配されたせい。

 あ〜、この人は私のことちゃんと大切にしてくれそうだなって思えたりして。

 私もちょろいというか。

 でもなんだろう、意地を張ることもないかなって思って、後藤先輩と今度デートすることにしました。


 付き合うかどうかは分かりません。

 後藤先輩は良い人だけど、タイプではないんだよね。

 後藤先輩の顔が好みじゃない。

 じっくり時間をかけていけば好きになるだろうか?

 そもそもどこまで私に本気になっているのか、知りたい見極めたい。


 谷村課長にならファーストキスを捧げても良いって思ったくせに、後藤先輩にはすぐには許したくない。

 その差はなんだろう。


 恋愛ってめんどくさいな。

 後先考えずに恋がしたい。

 今の私の心は冷静さが際立つ。


 プラトニックでも不倫の恋をした私は、ほんのちょっとだけ、ずるい女になった気がした。


     終わり



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

大人の恋をするには早かった 天雪桃那花(あまゆきもなか) @MOMOMOCHIHARE

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ