第169話 それぞれの覚悟(5)
真奈美が部屋で本を読んでいる。祭りの翌日から、実菜穂、陽向と同じで家からは出ていなかった。エアコンがほどよく効いた部屋は、静かな時を刻んでいた。
本のそばには、綺麗にラミネートされた九つ葉と十葉のクローバーが置かれており、首には網目の袋に入れられた銀色の石が掛けられている。つい、夢かと思う出来事は、クローバーと石を見ることで現実なのだと理解できるものの、実菜穂以上に混乱しており、頭の中での処理にはもう少し時間が必要であった。
琴美のことはずっと気になってはいるが、気持ちは落ち着いていた。琴美がこの世界に帰ってきていることは間違いない。根拠はあるといえばあるし、なにより確信できる自分がいた。実菜穂や陽向とメッセージのやりとりをしても、琴美は無事であることを教えてくれた。みなも、火の神の言葉も添えられていたから根拠といえばこれなのであろう。
チャイムが鳴る。
(誰だろう?実菜穂ちゃんかな?陽向さん?)
インターフォンのモニターを見た真奈美が叫び声を上げた。モニターには琴美の姿があった。
(琴美!あーっ)
驚き、慌てていたため、玄関の手前ですっ転んでしまった。痛みを感じる暇を惜しみ取手に飛びつき扉を開けた。
目の前には琴美がいた。人形のように無感情な顔で車椅子に座っていた琴美ではない。記憶にある可愛らしい琴美が中学の制服を着て立っている。髪を紫の大きなリボンで一つに束ね、丸い可愛らしい瞳が真奈美を見上げる。
(あの時のまま。そう、可愛らしく、輝いていた琴美のまま。私は、ずっと待っていたんだ)
「琴美、帰ってきてくれたんだ」
真奈美は割れ物に触れるように琴美の肩に手を添える。触れると消えてしまうのではないかと手が震える。
「琴美、琴美なんだよね」
かける声までもが震えていた。
「お姉ちゃん!」
琴美が真奈美の手を優しく握る。柔らかい手の感触が真奈美に伝わる。
琴美は真奈美に抱きつき、真奈美の胸に顔を埋めた。
「お姉ちゃん、ありがとう。ありがとう」
何度も琴美は言葉を繰り返し、その度に甘えるように顔を押してけてきた。真奈美は琴美の全てを見つめ、ここに来るまでに琴美が決めた覚悟を理解した。
(全てはこれからなのだ)
真奈美の中でも覚悟が決まった瞬間だった。
「お帰り、琴美。待っていたよ。そしてありがとう」
琴美を強く抱きしめた。琴美の全てを強く優しく包み込んだ。
ユウナミと死神が、二人を見つめている。
「真奈美も琴美も覚悟を決めたようですね」
ユウナミの言葉に、
「実菜穂、陽向も巫女となりました。水面の神と日御乃光乃神も覚悟を決めた。私も覚悟を決めなくてはならないでしょう」
ユウナミが死神に目を向ける。その姿は、若き将のごとく強く、真っ直ぐなオーラを放っていた。
「ユウナミの神の名のもとに命じる。死神よ、闇の正体を暴き出し、日の本に引きずり出せ。アマテの神に見せてくれようぞ」
死神は跪き、ユウナミの命を受けた。
「これで、そなたも遠慮なく動けるでしょう。水面の神が動けば、地上神のなかにもともに動こうとする柱が出てくるはず。いずれ闇を祓う大きな嵐がくるでしょう」
ユウナミの声が夕風に乗り海へと流れていく。
社は陽向が御霊を連れ戻したときのように、鴇色の光に包まれていた。その光の中を死神が紫の羽を纏い空へと消えていく。あたりには、夏を惜しむ蝉の声がこだましていた。
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