第161話 天の川に舞う(11)

 参拝者が持ってきた御札を詩織が次々に受け取っていた。横には秋人もいる。さっきまでは良樹が受け持っていたが、舞台準備のために拝殿の奥に移動した。そこであれば、舞を近くで見ることができるのだ。良樹にとっては本日の重要な目的であるため、秋人が気を利かせて交代した。


 舞台は出来上がったときから多くの人に注目された。SNSでは誰かがアップした舞台の写真が出回り、舞が行われるのではないかと全国から期待が集まっていた。

 春の渇水のなか実菜穂と陽向が舞った動画は海外でも有名となっており、ファンもいる。二人の巫女が美しく舞い、大地を潤す雨が降るという光景は、人の為す演出では作り出すことのできないものであった。実際、今夜の祭りに『舞があるのでは』というあてのない期待で訪れた海外からの旅行者もいた。

 町内の輪くぐりの小さな祭りに全国からだけでなく、海外からも参拝者が来ているという盛況のなか、可愛くそれで美しい巫女の詩織が御札を受け取っている姿は舞への期待を高めるには充分であった。


 秋人にとって御札を受け取る係りは、新鮮でそれでいて思い出深いものである。一年前は、実菜穂がここに立ち、御札を受け取っていた。初めて見た実菜穂の巫女姿に心が揺れたことを思い出す。あのときから、心に掛かっていた闇がきれいに取り去られたのだ。秋人の顔は清々しい笑顔になる。

 秋人に男の子が御札を渡した。そばには、お父さんとお母さん。それに弟だろうか園児くらいの子が見えた。家族連れだ。仲のいい家族の姿に秋人は笑顔で御札を受け取った。もう、何も苦しくはなかった。

 詩織は横目で秋人を見た。秋人もタイミングがあったように詩織を見る。顔は笑顔のままだった。


「リラックス。緊張しないしない」


 秋人が声を掛けると詩織は恥ずかしくなり俯いた。


(私どうして照れてるの?)


 鼓動が早くなるのを抑えられない詩織は、焦れば焦るほど顔が火照ってくる。


(だめ。集中しよう。こんな緊張は初めて)


 御札を受け取ることだけに集中することにした。来る人はみな笑顔で御札を手渡していく。いつの間にか詩織にも笑みがこぼれていた。


 

 準備を整え、巫女装束をまとった実菜穂、陽向、真奈美が拝殿にいる。真奈美も鏡を見たときは、詩織と同じように自分とは思えない姿に驚いた。


 三人の前に、みなもと火の神がいる。


「真奈美、月を見よ。陰と陽が混じり合う下弦の月となったとき、門が閉じられる。もう時はない。琴美にお主の想いを届け、この世界に帰るための道しるべを示す。想いが届けば、琴美は道しるべを頼りに帰ってくる」


 みなもが空を指さして瞳を光らせる。


「みなも、私は想うだけでいいのでしょうか」

 

 舞台には舞を一目見ようとする人たちの期待高まる視線が注がれていた。その熱気はコアなファンという規模ではなく、老若男女が入り交じり、この場に出会うことができた喜びを心に刻みたいという思いが作ったものであった。真奈美が気後れしたのは、その期待する思いを敏感に感じ取っていたためである。


「真奈美さん、私たちは舞台の周りの人のために舞うわけじゃないです。琴美さんのために舞うのです。だから、考えるのは琴美さんのことだけ。それだけです」


 実菜穂が両手で真奈美の手を包んだ。


「実菜穂の申すとおりじゃ。お主は琴美のことを想えばよい。何度も申すが、道しるべを示すのは儂らの仕事じゃ。よいな」

「はい」


 みなもの言葉に真奈美も気持ちを琴美に集中した。全てを吹っ切ろうとしたそのとき、舞台の周りが騒がしくなり、ざわめいている


「なんじゃ?」


 みなもが外の異常に気がつき、空を見上げた。さっきまで雲一つなく月が輝いていたが、その姿は消えていた。異様な気が漂い、光が消え去った。不安、恐怖、罪悪、そのような重くのしかかる圧が辺りに満ちていく。ざわめきは、その圧に心握られていく苦しみの声であった。


「みなも、空が変だよ。ただの雲じゃない」


 実菜穂と陽向が空にかかる黒いもやを見上げていた。


「ほう。この期に及んで、闇が何をするのか。よほど琴美を帰したくないらしいのう。都合が悪いというわけじゃな」

「まずいぞ。時が過ぎればユウナミの神が門を閉じる。あの靄を祓わねば、想いが届かぬ」

「儂が祓う」


 みなもが空を見上げ飛びたとうとする。


「駄目だよ。祓っている時間がないよ」


 みなもの腕を実菜穂がつかみ引き留めた。みなもは「あわわ」となりながら地に戻された。


 実菜穂たちはそまま舞台へと出ていき、光のない空を見上げた。


「しかし、このままでは何もできぬ。儂が抜けても実菜穂と陽向、それに火の神がおれば舞は何とかなろう」

「お前が抜けてどうするのだ。行くなら俺が」

「お主はあほうか。お主がここを抜けたら社にいる人はたちまち靄につぶされるじゃろうが」


 みなもが瞳を光らせ火の神を一喝すると、再び飛びたとうとした。



「水面の神。その必要はありません」


 実菜穂たちの頭のなかに凜とした声が響きわたった。

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