第148話 姉の想い 妹の願い(14)

 琴美は子供に華を渡そうと近づいていく。手を振り上げ待ちかまえているのに、琴美は逃げることも、怖がることもなく笑顔で近づいていく。


「あなた、やめなさい」


 真奈美は、琴美の前に立ち、手を振り上げている子供を突き飛ばした。子供は勢いよく後ろに倒れ込んでいく。


(手応えがない。でも、何なのこの嫌な気持ち。手が疼く)


 真奈美は自分の手を見た。触ったとたんに、何ともいえない行きどころのないモヤモヤした気持ちと疼く痛みが襲いかかった。


 倒れ込んだ子供がモゾモゾと起きあがる。琴美が駆け寄って、助け起こそうとする。その琴美を子供は突き飛ばした。真奈美の中に怒りがこみ上げてくる。子供の姿におぞましさを通り越した感情がわき上がる。


「いい加減にしなさい」


 真奈美が目の前のおぞましいものを叩き払うかのごとく、右腕を大きく振り上げる。


(嫌な感じ。おぞましく、汚く、醜い。拗ねて、不幸を背負い込んだ目をして、全てを駄目にする。そうだ、お前なんかいなくなれ)


 真奈美が手を振り下ろそうとしたそのとき、子供を庇い両腕を広げた琴美の姿があった。小さな体で精一杯に両腕を広げ、おぞましい姿の子供を庇う。大きな瞳で真奈美を見つめている。言葉を出さない琴美の瞳の光に、真奈美自身が見えていた。その姿はいまの自分ではなかった。子供のときの自分。目の前の醜悪な姿でない自分だった。真奈美は、琴美の後ろにいる子供を見た。落ちくぼんで目玉だけが浮き出ている。ギョロギョロとしているその目を見て、真奈美が心の中で閉じていた扉が静かに開いていった。


「そうなの琴美。知っていたんだ。私が、琴美を妬んでいたことを。羨ましく、疎ましく、そして自分を惨めに想っていたことを知っていたんだ。それでも、私を好きでいてくれたの」


 琴美はジッと真奈美を見上げながら、小さな腕を広げて子供を庇い続ける。琴美の後ろでは、子供がギョロリとした目を真奈美に向けている。怯え、妬み、羨んでいる目の色。見られるだけでおぞましく思うその目を真奈美は逸らすことなく見つめた。


(そう、私は褒められたかった。一言だけでも、『よくやった』、『頑張った』って認められたかった。琴美のように褒められたかった。ただそれだけだった。あなたは、私の想いそのものなんだ。琴美の中でそんな姿になっていたんだね。それでも、琴美はあなたを好きでいてくれる)


 真奈美のポケットで石が銀色の光を放った。イワコからもらった石だ。


(イワコの神のように私も振る舞えていれば。もっと、強ければ)


 真奈美は光に気がつくと、石を取り出した。銀色の輝き。その光を見ていると、みなもの言葉を思い出す。


『琴美はお主のことを一度たりとも疎ましく思ったことはない。むしろ、お主の心が離れてしまうことを恐れておった。琴美の人生にとってお主が待っていること。それが、琴美の灯火』


 真奈美の想いは一つに繋がった。見えないモヤモヤの気持ちがスッキリとしてきた。


(琴美がここを離れられないのは、きっとあなたがいるから。分かったよ。いま、やっと分かった。琴美が懸命に頑張っていた理由。琴美の願いを私が気づかなかっただけなんだ)


 真奈美は振り上げていた手をゆっくりと下ろしていった。琴美は、真奈美を見上げたまま、ずっと子供を庇い続けている。真奈美は口元を緩め、笑みを見せた。


「琴美、大丈夫。もう、怒ってないよ。その子とお話がしたいの。お願いだから、手を下ろしてくれるかな」

 

 真奈美はしゃがみ込むと琴美と目を合わせてお願いした。はじめは表情を変えることなく庇い続ける琴美だったが、銀色の光に照らされている真奈美を見るとゆっくりと腕を下ろし、子供の横に並んだ。


「ありがとう」


 真奈美は琴美にお礼を言うと、子供に目をやった。醜さもおぞましさもそのままであったが、真奈美は同じように笑みを見せていた。ゆっくりと手を差し伸べ、優しく頭を撫でた。一瞬、ゾワッと不快な気持ちになるが、それでも子供の頭を優しく撫でた。


「あなたは頑張ってたんだね。よく琴美を見ていてくれたね。偉いよ。ありがとう」


 真奈美は子供を撫で続けた。バサバサで艶のない髪を何度も優しく撫でていた。


(琴美が頑張ったのは、褒めて欲しかったからだ。褒めて欲しいのは琴美自身じゃない。あなたを褒めて欲しかったんだ。『お姉ちゃん偉いね』そう、言ってもらいたかったんだ。琴美はずっとそう願っていた。肝心の私自身がいままでその願いに気がつかなかったなんて)


 真奈美の目から涙が溢れていた。落ちくぼみキョロキョロしていた子供の目が真奈美を見つめていた。

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