第139話 姉の想い 妹の願い(5)

 剣を持ち、振り上げようとしたその腕はピタリと止まった。ユウナミの目には声の主が映っていた。その姿は陽向の後方にいた。実菜穂である。


(実菜穂か。何を言うのかと思えば、明らかなる偽り。仮に陽向を助けるために時を稼ぐにしてもあまりにも稚拙で浅はかな答え)


 ユウナミが実菜穂を見下ろす。その顔の色は怒りではない。呆れでもなかった。哀れの色が見えていた。


「実菜穂、お前は何を申しておるのだ。このカムナ=ニギをお前が使ったというのか」

「はい」


 「フン」とユウナミが笑う。


「お前は夜神が覆った世界の外にいたことは明白だ。いつ、どこで抜いたというのだ」

「白新地です」


 実菜穂は声を詰まらせることなく平然と答える。怯えることもなく、息巻くようなこともない。落ち着いている実菜穂をユウナミは冷めた目で見ていた。


(実菜穂、この者は何を考えている。見た限りは平然としているが、内には何か熱く渦巻くものがある。なぜ、自分が使ったと明らかな偽りをここで述べるのか。これも人の性か)


「実菜穂、お前はこのカムナ=ニギが何か知っておるのか」

「はい。ユウナミの神がアマテの神より授かりしもの。神の持つ剣の中で唯一無二の最高の聖剣」 

「そうか。知っていたとはな。では、実菜穂。それがどういう意味か分かるか」


 ユウナミが静かに問う。陽向への繋がりは保ったまま実菜穂に問いかける。ユウナミ自身が定めた陽向の行き先を、なんとかして必死で変えようとする実菜穂の姿。形振なりふりかまわず明らかな偽りさえ述べる実菜穂に哀れみを込めての言葉だった。


「それは……」


 実菜穂の言葉が詰まった。ユウナミは責めることもなく、悲しき笑みを浮かべた。


「もうよい。人の想いを見せてもらった。だが、定めは変わらぬ」


 ユウナミの腕がゆっくりと上がっていく。その姿を見ながら実菜穂の頭の中はスーパーコンピュータ並にフル回転していた。

 

(落ち着け私。たとえ答を知らなくても、礼を持って答えればよい)


「それは……その剣はユウナミの神の願いが込められたもの」


 ユウナミの腕が止まる。


「実菜穂、それはどういうことだ。戯れ言でこの世界を乱すのであれば、ことによっては許しはしないぞ」


 カムナ=ニギの切っ先が実菜穂に向けられた。


「はい。承知しています」


 実菜穂は息を深くスッと吸い込むと言葉を続ける。


「カムナ=ニギの剣。最高神アマテの神より授かりし剣。はじめに授かったのはアサナミの神。アサナミの神は誉れを妹へとその剣を妹に譲りました。妹は姉の想いに応えるために、剣に願いを込めます。それは、戦いを終わらせること。アサナミの想いは、戦いにより弱きものが犠牲になることを止めること。その想いを妹が願いに込めたもの」


 実菜穂は心に浮かぶ言葉を次々に紡いでいく。ユウナミの問の答にはなっていない言葉。自分でもどうして言葉が出てくるのか分からない。でも、どこから出てきたのか分からないが、その言葉の光景が浮かび上がる。





 アサナミとユウナミは天津が原から地上を見下ろしている。大海ではウズメの神が大海神と激しい争いをしていた。アマテの神もほかの天上神も戦いの行方を見ている。とうてい争いとは無縁の世界で。


「アサナミの姉さ。何を見ているのですか」


 ユウナミはアマテの神とは違う場所を見ていたアサナミに問う。アサナミはスッと手で大海の隅を指した。


「妹よ。あれに気がついている柱はいるのでしょうか」


 アサナミが指す先を見てユウナミは胸が詰まる感覚をおぼえた。そこには、人々が争い、弱き命が次々に失われるていくおぞましい光景があった。


「姉さ、あれは!人は何をしているのですか」


 ユウナミが思わず声を上げた。アサナミは驚き目を見開くユウナミに優しく答える。


「人も争いを始めたのです。神々が争えば、当然人は巻き込まれます。なぜなら、神に導かれるために人は生まれたのですから。争いのなかでは弱きものはすぐに全てを奪われてしまう。その小さき命までも」


 アサナミは次々に消えていく命を見つめながら言葉を続けた。


「人はもとはこうではなかったはず。そうさせたのは私たち神でしょう。このまま神が争いを続ければ、やがて人は争いの果てにその存在が消える運命。ですが、たとえ人が消えたとしてもアマテの神は省みることはありません。アマテの神だけではありません。多くの神は自分の想いを通すことだけが全てであるのですから」


 ユウナミは、アサナミの言葉と地上で繰り広げられる人の争いを目の当たりして、怒りに似た感情が芽生えてきた。ただ、その怒りに似た感情の矛先がどこに向いているのか分からずにいる。神々の争いと同じように争う人の姿に嫌悪しながらも、か弱きものが消えていくことを哀れに感じていた。 


 震えるユウナミの姿を隠すように、アサナミは頭を撫でそっと抱き寄せた。


「妹よ。この天上界の神が争いの行方だけを見ているなかで、あなたは、いま何を想うのでしょう。私は人を消してはならないと想っています。人は良きにも悪きにも成長します。人は成長を続け、やがては鬼神をも越える存在になるでしょう。それは悪き方向へ行けば、神をも打ち倒す存在となり、良き方向に行けば神を助け成長させる存在になるということ。いずれにしても神の導きかたしだいですが」

「姉さ、それはどう導けばいいのでしょうか」

「それはきっと私よりもあなたが知っていることでしょう。悩める神よ」


 アサナミは優しくユウナミの頭を撫でた。アサナミの優しく柔らかい手と言葉が、傷ついたユウナミの感情を癒していった。


 アサナミの腕に抱かれるユウナミの姿が、実菜穂の心の中に描かれていた。 

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