第111話 陽向とトキとミチル(6)

(いまの女のひとは……)


 陽向は見えなくなった女性に惹かれていた。不思議なことにその姿はどこにも見あたらない。


 幻を見たのかそれともどこかに隠れてしまったのか、(おかしいな)と思いながら拝殿の方を見てから、ぐるりと女性の姿を探した。その途中に、なんともまたおかしな物を見つけてしまった。



『ミチル、早くそちらの御霊を導かないとユウナミ様から叱りを受けるぞ』

『トキ、分かっています。だが、今日は迷い御霊が多いのです』

『そうだな。これより先に行くことを迷うのは、まだ眠りにつくのに未練があるものたち。今日は確かに多い』


 トキとミチルは、忙しく白い御霊を集めてはユウナミの元へ行くように促している。御霊に最後の道案内を行うことは、ユウナミの社の狛犬としての重要な勤めとなっている。


 迷い御霊。人の御霊が最後に行くのがユウナミのもと。それは、眠りにつくと共に新しい世界へと旅立つこと。でも、「新しい」ということに人は恐れ、躊躇ためらうことがある。御霊になってもそれは変わらない。新しい世界への旅立ちを恐れ、この世界への未練が残った御霊が最後に行くことを躊躇ためらって足を止めてしまうのが迷い御霊である。 


 トキとミチルが御霊を操り、動き回り、導いている。ミチルの足下には小さな狛犬が、せっせと御霊を転がし集めているがすぐに逃がしてしまい、結局ミチルが捕まえている。そんな光景を陽向はポカンと眺めている。

 怖がることもなく、驚くこともない。ただただ、まだ何色にも染まらない瞳を大きくして興味深く眺めていた。


 動き回っているトキとミチルが陽向に気がついた。巫女装束を纏い、こちらをジーッと見ている。不思議そうに目を輝かせている。明らかに、自分たちに意識を集中している姿。思わず、動きを止めてしまう。


『ミチル、あの子は見えているのだろうか?』

 

 トキが陽向を見ながらミチルに訪ねる。身体は御霊を導く勤めを続けていた。


『どうでしょうか。こちらに興味があるようには見えますが、私たちが本当に見えているか分かりません。子供とはいえ、私たちを見る力があるのは神を見ることができる者です』


 ミチルが御霊を集めながら、トキに次の御霊を渡すように目配せをする。


『そうだな。見えているわけないか』


 トキは自分の心配が余計であったことが可笑しくなり、堅くなっていた身体を緩め、調子よく御霊をミチルに渡していく。ミチルが御霊を受取る。あまりにも多く、受取りきれないものは、子供の狛犬が追いかけて集めるが、ミチルの方が素早く導いていくのでどこまで役に立っているかは分からない。

 

 その様子を陽向は楽しそうに見ていたが次の瞬間、指をさして「あっ」と叫んだ。


 子供の狛犬が集めていた御霊のうちの一つが、フワフワ飛び出して逃げ出しているのである。本当なら、トキもミチルも御霊を取り戻すところであるが、陽向が声を上げたことに驚いて注目した。


「あれ」


 陽向は逃げだそうとしている御霊を指さした。


『ミチル!』

『トキ、早く御霊を』


 ミチルの指摘にトキは飛びつこうとしたが、御霊はフワリフワリと空高く逃げてユウナミの社を離れてしまった。トキとミチルはユウナミに仕える狛犬。自分たちの力では社を出ることはできなかった。そのため、社を離れた御霊をただ見送ることしかできない。


『しまった。ユウナミ様に叱りを受ける。あの御霊は無力だ』


 トキは、御霊の飛び出した方向を悔しさと不安な表情で眺めた。


 ミチルが空を見上げると、春の日が御霊のように白く、眩しく輝き、その光に応えるように木々の葉がサラサラとさえずっていた。

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