第110話 陽向とトキとミチル(5)

 昼の日が明るく暖かい顔を出している春。境内の木々も目覚め始め、淡い緑を輝かせていた。春独特の青く、甘い香りが漂っている。


「陽向、ひなた」


 澄んでいてそれで重みのある声で男が呼ぶ。


「はい。お父様」


 白と赤の巫女装束を纏った小さな女の子が駆け寄ってくる。長い髪をユラユラとなびかせ、幼く元気な笑顔を振りまきながら、その場の空気をパァーと明るくしていく。


「陽向。私は、まだ少し話をすることがあります。陽向も一緒にいてもいいけど、どうしますか?」

「私は、ここにいます」

 

 男は少し考え込んだが陽向の顔を見るとニコリとした。


「わかりました。このあたりを散策するのもいいでしょう。だけど陽向、境内から外に出ては駄目ですよ」

「はい。お父様」


 男は素直に返事をする陽向の頭を撫でると、社務所の奥へと姿を消した。陽向は男を見送ると、あたりの景色を見渡した。歴史ある大木からの木漏れ日が、まぶしく美しく見えた。

 

 木漏れ日の光を浴びながら陽向は、腕を広げるとクルリと廻り、歩みを進めていく。広い境内は、陽向の心をときめかせた。父が勤める社も美しく大きいと思っているが、この場はそれをも大きく包むような暖かさと雄大な空気を含んでいた。元気という言葉が陽向のなかで感じた社の印象であった。


 ピョコピョコ、ヒラリヒラリと舞うように歩くその小さな姿に参拝者の顔も思わずにこやかになる。


(ここは、暖かくて気持ちいい)


 陽向は小さな身体いっぱいに日の光と熱を感じ、その喜びが自然と身体から表現されていた。


 参拝者が途切れた頃、陽向は参道に立っていた。青く眩しい空から随身門へと目を移す。そこに女性が立っていた。大人でありながらどことなく幼さが残っている感じ。幼さという表現は、少し違うかもしれない。若さという方があっている。陽向にとっては、その違いが分からなかったが、自分の知る大人とは違う雰囲気を感じていた。服装も見慣れないものであった。着物でありながら下は袴のようにゆったりと歩くことができるようになっている。鴇色をした足の部分は、何とも不思議な輝きをしていた。


 その女性は陽向をジッと見つめると、一瞬、憂いを含む表情を見せる。陽向にはその顔が、驚きの表情に見えた。

 

 女性は参道の正中を歩いてくる。美しい歩みに、陽向の目は釘付けになった。


(きれいな。正中を歩いている)


 陽向は、その女性に自然と頭を下げた。お辞儀をすることは、教えられていたが、意識をしないで自然と頭が下がっていくのは、初めてのことであった。 


 女性とすれ違っていく。陽向のなかに火が近くにあるかのような、熱い空気が身体を満たしていった。ビックリした陽向は、思わず顔を上げそうになるが、女性の足下が目に入っている間はジッと我慢をした。女性が通り過ぎ、顔を上げた陽向の目には、もうその姿は消えており、春の木漏れ日が眩しく陽向の顔を照らしていた。


(いま、なにかあついものが、からだを通りぬけた……)


 陽向は自分の身体を見回してみたが、綺麗な巫女装束しか目に映らなかった。

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