最終話 本当の名前
警部補というのは嫌な職業だ。
まさか、自分の弟の死体を見るなんて、思いもよらなかった。
御世さんから事情は聞いている。
翔太は遊女の霊に殺されたのだ。
采ちゃんも私も、母さんも。
涙が枯れるくらいに泣いた。
翔太の葬式が済んだ、次の日。
私は行動を起こした。
池の埋め立て計画。それを私が引き継いだ。
しかし、計画は停滞する。
なにせ、埋め立て計画に関連した人間は呪いの発動条件を満たしてしまうからだ。
付け加えて厄介なことに、写真であっても、池を見た人間は呪われてしまう。
ならば、あの池を人目がつかないように隠すことが先決だ。
池の持ち主の協力を得て、池のフェンスをドーム状の屋根で覆うことにした。
勿論、指揮を取るのは防衛省傘下の朽木神木会である。
数日後。
女郎々池は淡いグリーンのドームに覆われた。
少々のゴミくらいならば跳ね除ける強度である。
と言っても、その外壁は軍のキャンプで使うようなテントと同じ材質だった。セメントを使う強固な物では製作費が上がってしまうのだ。
それでも、大きな池を覆うドームの製作費用は億を超えた。
これで、池が他人の目に触れることはない。
呪いの拡散はこれで終息するはずだ。
あとは池の関係者。
私を含め、あの祈祷会に参加した人。この池の近くを通った通行人も含まれるだろうか。
幸せになることと、池の埋め立て計画を進めることが、呪いが発動するきっかけになっている。厄介なのは幸せになった時で、どうやら朽木神木会のお札も数珠も効果がないようなのだ。
しかし、一生、幸せになれないなんて、生き地獄ではないだろうか。
私たちは笑うことに怯え、毎日を暮らす。
こんなこと、妊娠中の女性には悪いに決まっている。
采ちゃんの体が心配だ。それに彼女は、あと7ヶ月もすれば出産する。その時、幸せを感じてしまったら呪いが発動してしまうかもしれないのだ。
「方法はないんですか!?」
私は御世さんの寝ているベッドを叩いた。
病室内にいるみんなは私に注目する。
「弟を殺され、池の埋めたて計画を進めることができない。しかも、幸せになることに怯えながら暮らさなければいけないんですよ!」
御世さんは顔を伏せた。
「ごめんなさい。私たちがふがいなくて……」
そんなつもりじゃ……。
いや、そうなのかもしれない。
最強の霊能者である御世さんに、私は怒りをぶつけているのだ。
「御世さん。もう一度、祈祷会をしてはどうでしょうか?」
彼女は首を振った。
「力を吸収されて、更に強い霊にしてしまうわ」
「そんな! それじゃあ打つ手がないじゃないですか!?」
御世さんは決心したように言った。
「私より強い霊能者がいれば、なんとかなるかもしれない」
「いるんですか? そんな人が!?」
「今はいないわ」
今は?
「私の力を継いでくれる人が、私を超える存在になる」
「そんな人間、どこにいるんです?」
御世さんは真っ直ぐな目で私を見た。
「あなたよ」
わ、私!?
「そんな! 冗談はやめてください! 春子さんも御世さんも、私には霊能力が無いって言ってたじゃないですか!」
「その名前じゃね。力は眠ったままよ」
な、名前?
「京子ちゃん。あなた、本当の名前じゃないでしょ?」
「う!?」
どうしてそれを?
私の本当の名前を知っているのは家族以外にいない。
采ちゃんだって知らないことだ。
私の本当の名前は、
「
「お父様が付けてくださったようね」
「はい。でも私の名前と霊能力が関係があるのですか?」
「お父様はあなたの素質を見抜いていた。あなたは凄まじい霊能力を持っているのよ」
私にそんな力が?
とても信じられないけど。
「饗呼という名前。饗とは神の食事を意味し、それを呼ぶことができるという意味よ。あなたは神の力を借りることができる」
わ、私が?
「し、信じられません……」
「京子という名前で力が封印されていたの。本来なら饗呼という名前で生活を送ってきたはず。その名前で生きていたなら、霊能力を蓄えて、今頃、私の力を超える存在になっていたかもしれないわ」
「え……と。考えが追いつかないのですが、け、結局は私は普通の人間ってことですよね?」
「今はね」
い、今は?
「本当の名前に戻って生きるなら、私を超えることができる」
「私が御世さんを超える!? と、とても信じられないですが……。元の名前で生活するとどうなるのですか?」
「元には戻れないわ」
ゴクリ……。
いや、でもそんな。
名前ごときで信じられない。
「京子ちゃん。あなたの一族……。物部の一族は元来、魔を退治してきたのよ。だから、翔太くんも強い霊能力を持っていた。お父さんは女郎々池に危険を感じて池の増設工事に反対したしね」
父さんが?
「じゃあ、父は遊女の霊に殺されたのですか?」
「そうよ」
「…………」
私が遊女の霊と戦うことは家族の仇討ちになる。
でも、饗呼に戻ったら普通の生活には戻れない。
「……か、考えさせてください」
振り返ると翔太が立っていた。
その体は光り輝く。
「え? しょ、翔太?」
御世さんは知っていたかのように眉を上げた。
「本当の名前を使ったから、少しだけ霊能力が目覚めたのだと思うわ」
翔太は笑った。
『無理すんな。あいつは強い』
翔太……。
瞬間、あの音が響いた。
ずる……ずる……。
病室の照明が点滅を繰り返す。
「御世さん。この音!?」
「あいつは私たちの近くを彷徨いているのよ!」
ずる……ずる……。
「私たちを監視してる! そして、周囲の霊を殺しているのよ!!」
突然、うめき声が響いた。
『う゛あ゛あ゛あ゛あ゛…………!』
それは翔太の声だった。
目から血を流し、目玉をえぐられていたのだ。
「翔太ぁあああああ!!」
照明が落ち着くと、翔太は砂のように散り散りになって消滅した。
「ああ……。翔太ぁあああ……」
私は涙が止まらない。
弟の死を2度も見ることになるなんて……。
奴は霊の目玉を集めている。
殺す相手の喉に目玉を詰めるためだ。
しかもその行動には意味がない。
奴は快楽で人を殺しているだけだから。
「御世さん。遊女の霊は見えなかったのですか?」
「ええ。私の力では気配しか感じれないわ」
「私が名前を戻したら、奴が見えるようになりますか?」
「修行を積めば必ず見えるようになるわ」
「じゃあ……」
私は御世さんを見つめた。
「今直ぐにでもやります」
彼女はためらった。
「いいの? 元の生活には戻れないわよ?」
「構いません。私は饗呼に戻ります。修行をつけてください」
「そう……。覚悟が決まったのね」
病室にいる朽木神木会の者たちはひざまづいて泣いた。
「「「 御世様ぁあああああ 」」」
何が起こったの?
御世さんは微笑む。
「私も覚悟を決めたわ」
「どういうことです?」
「私の臓器は、この前の祈祷会でボロボロでね。もう再生できないのよ」
そう言って彼女は私の両手を握った。
「み、御世さん。何をするんです?」
「長年封印されていた。あなたの力を呼び覚ます」
彼女は小さな声で経を唱え始めた。全身が輝き始める。
「み、御世さん!?」
「大丈夫。あなたに全てを託すわ」
病室が凄まじい光に包まれた。
その光が収まると、私の目の前には白髪の老婆が横たわっていた。
老婆は、そのしわくちゃの手で私の両手を握る。
「え? 誰!?」
この問いに答えたのは鬼頭さんだった。
「御世様です。御世様が命を使ってあなた様の力を目覚めさせた」
言葉に詰まる。
しかし、悲しむ時間は無さそうだ。
病室はドス黒い霧に覆われていた。
「何……これ?」
これが今までの景色?
窓から見える景色も、暗い。晴れた日中だというのに真っ暗だ。
「これが……。御世さんの見ていた景色?」
私の力が目覚めた?
鬼頭さんは膝を着いた。
「饗呼様。まだあなた様の力は完全じゃない。これからはわたくし共があなた様をサポートします」
次の日。
私は警察を辞職した。
今は高速道路。
朽木神木会のトラックを使って滋賀県に向かう。
向かう先は琵琶湖の近くにある修練場。
そこで霊能力を磨き、御世さんを超える。
鬼頭さんの話では、数年でその域に達するそうだ。
これも、御世さんが私の力を目覚めさせてくれたおかげである。
必ず私は強くなる!
みんなの仇は討つために。
●
女郎々池はドーム状の屋根に覆われて、その姿が見えなかった。
ある日の夜。
その日は鎌のような三日月だった。
月明かりに照らされて、数名の若い男女が現れた。
三日月の明かりとは別に光量の強い照明器具を持ち歩く。
男は立派なカメラで撮影をしていた。
「さぁ、みなさん! ここが噂の女郎々池ですよぉおお!」
「「「 きゃああ! ヤバいヤバい!! 」」」
女が怖がると、男たちはそれを喜んだ。
「このドーム状に見える囲いで、池を見えなくしてるんです! この池では何人もの人が死んでるんですよぉお」
「「「 きゃああ。怖ーーい!! 」」」
「遊女の霊。ずりめろうが近づく男を池に引き摺り込むんです!」
「「「 ずりめろう怖ーーい!! 」」」
女は聞く。
「ずりめろうが殺すのって男限定?」
「みたいですよ!」
「じゃあ、女は大丈夫なんだ」
「でもぉお。池に近づく者は見境いなく引き込んでしまうかもなぁああああ!!」
「きゃああ! ヤバいヤバい!!」
男はカメラの撮影を止めて、ホームセンターで買った大きなハサミを取り出した。
女たちは驚きを隠せない。
「え? ちょっとガチでそれはヤバいって!!」
「大丈夫だって、ここは撮影しないんだからさ」
「で、でもぉ。これって器物破損に……」
「このままじゃ入れないでしょうが!」
「それって犯罪でしょ? たしか不法侵入じゃあ?」
「バッカ。バレなきゃいいんだよ! 再生数。再生数! 人気のYouTuberになりたくないのかよ!?」
そう言って、男はそのハサミを使って池の囲いを切り始めた。
再びカメラを回す。
「おおっと! ここが開いてますよ!? 老朽化でしょうか? 中に入れるみたいです!」
男女は照明器具を池の水面に当てた。
「ジャーーン!! ここが呪いの池。女郎々池です!! ネット初公開ーーーー!!」
その動画は瞬く間に10万再生を超えた。
ーー完ーー
ずりめろう〜遊女の霊がやって来る〜 神伊 咲児 @hukudahappy
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