第37話 物部 翔太
俺と京子は御世さんに会いに行った。
「京子ちゃん。無事で良かったぁ」
京子は御世さんから数珠をもらい、それを常時身につけることとなった。
お札は効かないが数珠ならば効果はあるだろう。
「もっと早くに気がつけば良かったんだけど。とても強い霊でね。なかなか正体を見せないのよ。でも人を襲う時は姿を見せるからね。それで色々と察知ができるの」
御世さんはシノの霊をどこまで霊視できたのだろうか?
「シノは男にだけ復讐するものだと思っていました」
「そうね。私もそう思っていたわ。でも、どうやら違うみたい」
「違う?」
「他者が幸せになることが、遊女シノの殺意を呼び起こす衝動になっているのは間違いないわ。でも、その感情は怒りじゃないのよ」
「嫉妬……。ですよね?」
御世さんは首を降った。
その言葉にゾッとする。
「快楽で人を殺しているのよ」
か、快楽……?
「つ、つまり、殺人を楽しんでるってことですか?」
「そうね。シノは幸せになった者を殺すことに喜びを感じているの」
ゆ、幽霊が殺人を楽しんでる?
「それが、シノの目的……」
シノは一体、何者だったんだ?
俺は以前、シノの祖先、工藤 浩に会った。
シノは山下家に嫁いだと言っていたな。
俺は工藤から山下家に繋いでもらい、電話をすることにした。
電話に出たのは山下家の主人だった。中年の男である。
「知りたいと言われてもねぇ。私どももよく知らんのですわ。なにせ、嫁いで直ぐに自殺されてしまいましたからなぁ」
「なんでもいいのです。何か情報があれば助かるのですが」
「はぁ……。そうですなぁ。なら、本当に大したことじゃありませんけどね。彼女はお歯黒が嫌いだったみたいですよ。親族でも有名でね。絶対に塗らなかったそうです」
これは工藤も言っていたな。
本当にどうでもいい情報だ。
何か、除霊の手がかりになる情報でも聞けたらと思ったが、無駄だったな。
今は、御世さんに数珠を沢山作ってもらって、池の埋め立て計画を進めるしかなさそうだ。
京子は数珠を握りしめて震えていた。
彼女はシノの姿を見たのである。それは彼女のトラウマになっているようだ。
俺は久しぶりに残業をすることになった。
長らく休んでいたツケが溜まっていたのである。
「物部さん。後の戸締りよろしくお願いします。警備セットは忘れずにしてくださいね」
「あいよ」
最後の社員が帰って行く。
「やれやれ。1人で残業ってのも寂しいもんだな」
俺はビルの窓から夜景を見た。
ここはビルの30階。随分と見晴らしがいい。
遠くに見える山には、あの女郎々池があるのだが、夜になったら暗い影が見えるだけだ。
「ん……?」
ふと、気配を感じる。
室内の照明は省エネの影響で俺の机に当たる分だけにしている。
よって他の部分は薄暗い。
しかし、見渡しても誰もいなかった。
「外かな?」
なぜか廊下が気になったので出ることにした。
大方、忘れ物でも取りに来た誰かなのだろう。
廊下は事務所より明るい。深夜0時を超えるまでは常に照明を点灯しているのだ。
そこは長い直線で、事務所を出れば見渡せた。
「誰かいるのか?」
返事はない。
気のせいか、と振り向いた矢先。目の前に男が立っていた。
「うわっ!!」
男は淡い光りを発しており、優しい雰囲気があった。
立派な和服の着物を着ている。
よく見ると、父親だった。
「そんな……。と、父さん!?」
御世さんから聞いている。
父さんは修行をして俺の守護神になってくれたらしい。
確かに、普通の霊体ではないようだ。
「どうしたの?」
父さんは少しだけ眉を寄せた。
『朽木 御世の元へ行け』
頭の中で声がする。
眼前の父が話すと、その声は耳ではなく脳内で響いた。
「御世さんの元へ? なんで?」
突然、ポケットに入れていた携帯が鳴る。
目を逸らした隙に、父の姿は消えていた。
気のせいだったのか?
いや……。確実に、あれは父さんだった。
電話は妻からだった。
「もしもし、翔ちゃん?」
「うん。どうかした?」
「ちょっとね……。その……。今日は帰るの遅くなるかな?って」
「メール送っただろ? 今日は残業だからさ。悪いけど遅くなるんだ。先に寝ててよ」
「そっか……。じゃあ、電話で報告しちゃおうかな」
「なんの話? 長くなるなら明日の朝にでも聞くけど?」
「長い話とかじゃないんだけど……」
なんだなんだ?
采ちゃんとは喧嘩をして以来、若干ぎこちないからな。
もしかして……。
「俺のこと疑ってる? 動画撮って送ろうか? 今は職場でガチで1人だからな」
「そんなの信じてるよ」
「だったらなんだよ? 俺、忙しいんだけど?」
「あ……うん」
「なんなんだよ?」
俺の苛立ちは、彼女の言葉で吹き飛んだ。
「できたの」
は?
「な、なにができたってんだよ?」
「んもう……。赤ちゃん。できちゃったの!」
え?
「じょ、冗談だよね?」
「冗談なんて言わないわよ」
「ほ、本当か?」
「病院でね。先生が間違いないって」
「はは……ははは」
「あなた、お父さんになるのよ」
頭の中で何かが弾けた。
花畑が広がったとでも言おうか。
こんなに嬉しい気持ちは初めてだ。
「やったぁあああああ!! うはははーー!! 俺の子供ができたんだぁあああああ!!」
それはビル全体に響くほどの大声だった。
「ちょっと翔ちゃん。声が大きすぎるって!」
「構うもんか。どうせ俺しかいないんだからさ! ははは! こんな嬉しいことがあるかよ!!」
「えへへ。私も嬉しい」
「采ちゃん。色々迷惑かけてごめんな」
「私の方こそ。いつもありがとうね」
「俺、いいお父さんになるからさ」
「あはは。翔ちゃんならきっとなれるわ」
「采ちゃんは最高のお母さんだよ。本当にありがとう!」
もう何もかもがよくなってしまった。
さっき、父親の霊を見たことなんか、どうでもいい。
「どうしよう。俺もう帰ろうかな。今日は仕事が手に付かないや」
「あはは。今日はご馳走作ったんだけどね。置いておくからがんばって仕事してね。お父さん♡」
「えーー。まいったなぁ。今すぐにでも帰って采ちゃんを抱きしめたいよ」
「私だって会いたいわよ。でもね。赤ちゃんのためにもちゃんと働かないとダメでしょ?」
ああ、こんな幸せってあるだろうか。
俺は今、幸せの絶頂だ。
ずる……ずる……。
廊下の照明がチカチカと点滅を繰り返した。
あ、しまった……。
幸せになってしまった……。
スマホを廊下に落とす。
「もしもし。翔ちゃん? どうしたの!?」
急に人の気配がする。
それは廊下の向こう側。
誰かがこちらに近づいてくる。
「と、父さん……?」
その目はくり抜かれ、涙のように血を流す。
うめき声が脳内に響く。
『あ゛あ゛あ゛……』
恐怖が俺を支配した。
「うわぁあああああッ!!」
その目は……。シノにくり抜かれたのか?
「翔ちゃん大丈夫!? ねぇ! 返事をして!!」
引きずる音が遠くから聞こえる。
ずる……ずる……。
それは父より向こう側。
シノが近づいて来てるんだ!
父の言葉が脳内に響く。
『あ゛あ゛あ゛……朽木 御世の元へ……』
父さんは砂のように溶けて消滅した。
「父さん!?」
霊は視力が命だと、春子さんから聞いていた。
今、父親の霊は殺されたのだ。
ずる……ずる……。
父が消えた向こう側。
そこに何かが動いて見えた。
赤い着物……。黒くて長い髪……。
点滅する照明の中。それは姿を見せた。
遊女。
赤い着物を着て、廊下を這っていた。
ずる……ずる……。
全身はぐっしょりと濡れており、両手を使ってほふくする。
髪の隙間から血走った目がこちらを見つめた。
その視線に、俺は金縛りでもあったかのように動けなくなる。
彼女は目が合うと口角を大きく開けて、ニヤリと笑った。
その不気味さに、俺の体は更に強ばった。
「ぅうッ!?」
女の歯は真っ黒に染まっていた。
お、お歯黒だ……。
あの女、お歯黒を塗っているぞ。
山下家の主人は、シノはお歯黒は塗らないと言っていた。
「お、お前は誰だぁあああああああ!?」
刹那。
喉に襲いくる急激な閉塞感。
込み上げる吐き気に堪らなくなった。
「ウゲハァアッ!!」
廊下に吐き出たのは人の目玉である。
「そ、そんな…………」
ずる……ずる……。
女は俺の下半身にしがみついていた。
「ぎゃああッ!!」
目が合うとニヤリと笑う。
その口はお歯黒で真っ黒である。
女は歓喜した。
甲高い笑い声が俺の脳内でこだまする。
『 あ ひゃ ひゃ !! 』
女は両足首から下を切断されており、そこからダラダラと血を流していた。
それゆえに立てないのだろう。しかし、その顔は苦痛すら知らずに、ただ嬉々として笑う。
「は、離せぇえええええ!!」
抵抗するも、凄まじい力に為す術がなかった。
女の腕力は、人間のそれを遥かに上回っていたのだ。
俺は思い出す。
そうだ! 春子さんから貰った数珠を常に手首に掛けていたんだ。
以前、蔵目邸で麗華さんに着いていた悪霊を追い払ったことがあった。
「これでも喰らえええええええ!!」
女の顔めがけて拳を放つ。
ガン!
女の顔は石のように硬く、俺の拳を弾いた。
同時に春子さんの数珠は砂になった。
「そ、そんなぁ……」
じゅ、数珠が効かない……。
絶望感で視界が歪む。
涙が溢れ出て止まらない。
女は、片手で俺の右足首を掴むとズルズルと這いながら廊下を進んだ。
「だ、助げでッ!!」
俺の言葉は喉の閉塞感と泣き声でグチャグチャになっていた。
女は俺のそんな顔を見て更に喜んだ。
『 あひゃ! あひゃ!! あひゃひゃ!! 』
ズルズルズルズルーーーー!!
俺が踏ん張るより女の引きずる力が強い。
「ひぃいい!!」
俺の悲鳴を聞いて、女は更に笑った。
ズルズルズルズルーーーー!!
俺の体は廊下を凄まじい速度で進む。
ああ、このままいけば廊下の端だ!
そこは窓だった。
ここはビルの30階である。
『 あ ひゃ ひゃ !! 』
女は笑い声とともに窓をすり抜けた。
そ、そんな…………。
遠くのほうで、俺のスマホから声が聞こえる。
「翔ちゃん大丈夫!? 翔ちゃん!?」
俺は窓を突き破り、外に放り出された。
「采ちゃーーーーん!!」
これが、俺の最後の言葉だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます