第36話 物部 京子

 京子のただならぬ様子に目を見張る。


「どうした!? な、なんかあったのか!?」


 彼女は俺にもたれかかった。


「お、おい!! 大丈夫かよ!?」


 母も采ちゃんも見守る中、京子は声は出した。


「や、やっちゃった……」


「な、何が?」


「やっちゃったのよ翔太……」


「だから何がだよ!?」


 人でも殺したのか?


「私、やっちゃったんだって」


「だから、何をだよ!?」


 京子は満面の笑みで応えた。





「出世しちゃったのよ!!」





 はぁ?


「なんの話だよ?」


 京子は飛び上がって喜んだ。


「キャーー!! 私、警部になっちゃったの!!」


「なんだよ。心配して損した」


「32歳の女が警部になったのよ! こんな記録的なこと、大事件なんだから!!」


「そうなの? 部外者は知らねぇわ」


「署内でも初めてなんだから!」


 これは彼女の夢だったらしい。

 仕事一筋で、その成果が上層部に認められたそうだ。


 京子は仏壇に表彰状を備えた。

 父の遺影に向かって手を合わせる。


「父さん! 私、やったわ!! ああ、本当に嬉しい!!」


 こんなに喜んでる姉ちゃんは初めてだな。

 幸せそうな顔だわ……。


 彼女が男だったらシノの怒りを買ってるところだな。

 女で良かったよ……。


 俺が鼻で嘆息をついた。その時である。




ずる……ずる……。




 え……? 

 なんでこの音が聞こえるんだ!?


 京子を見ると目を瞬かせていた。



「え?」


 俺と顔を見合わせる。


 そう、気のせいに違いない。




ずる……ずる……。




 な、なんで?


「嘘……。な、何この音?」


 姉ちゃんにも聞こえてる!?




ずる……ずる……。




「音が聞こえるわ!?」


 母と采ちゃんは首を傾げる。この2人には聞こえていないようだ。




ずる……ずる……。




 ち、近づいてきてる……。


「しょ、翔太ぁ……」


「いや、そんな馬鹿な。だってシノの怒りに触れるのは、男が幸せになった時だけだったはずじゃあ!?」


 家の照明がチカチカと点滅する。

 仏壇の蝋燭の火が不規則に揺らめいた。

 家具が微量にカタカタと揺れる。


 母親は青ざめた。


「じ、地震!?」


 いや、違う。

 これはそんなんじゃない。


 それを確定づけるように、京子は咳き込んだ。


「ゲホッ! ゴボォッ!」


 口を塞いだその手には人の目玉が乗っていた。


「ああッ!!」


 そんなどうして!?


 バタンと転倒した京子は仏壇の蝋燭を倒した。


「姉ちゃん!」


 俺は急いで体を支える。

 点滅する照明の中、朱色の着物を着た女が一瞬だけ見えた。


 し、信じられん……。




「シ、シノ!?」



 

 京子には完全に見えていて、全身をブルブルと震わせてもがいた。



「ぎゃああああ!!」


 

 彼女の右足が凄まじい力で引っ張られる。

 その体は俺の腕をすり抜けて、恐ろしい速さで廊下へと飛び出した。






ズルズルズルーーーーーーッ!!





「ひっぃいいいいッ!!」


 


「姉ちゃん!?」



 外に出るつもりか!?

 このパターン、絶対にまずい!!


 久保田と古角さんの時もそうだった!


 道路に出れば車に轢かれてしまう!


 俺は急いで京子の体にしがみついた。



「シノ、やめろ!! どうして!? 京子は女だぞ!?」


 

 瞬間、俺の顔面に冷たい手が覆う。


 な、なんだ!?


 その手は俺の体を廊下の壁に投げつけた。




ドンッ!!




「うげっ!!」


 す、凄い力だ!


 俺の体が京子から離れると、彼女の髪が一直線に伸びた。




「痛ああッ!!」




 その髪は玄関に向かって伸びる。




ズルズルズルーーーーーーッ!!




 京子の髪は逆立ったまま引きずられた。



「ぎゃああああッ!!」



 そんな! 絶対ダメだ!!





ズルズルズルーーーーーーッ!!





 俺は跡を追った。

 しかし、その移動は速過ぎて体に触れない。


 嫌だ!!


 絶対に嫌だぁあああッ!!



「姉ちゃん! 辞退しろぉおお!! 警部の昇級を辞退しろぉおおお!!」



 京子の体は玄関の扉に衝突。そのまま破壊した。



バギャンッ!!



 その体は外へと飛び出す。


 ダメだダメだダメだぁああああああ!!





「姉ちゃん! シノは幸せになった奴を殺すんだぁああああああッ!!」





 京子の体は家を出て車の多い車道へと向かった。







「辞退じまずぅうう!! 警部になんがなりまぜんんんんッ!!」







 彼女は泣きながら懇願した。

 それは絶対に実行する宣言。心からの叫びだった。


 俺が追いついた時、彼女の体は道路の側道で止まっていた。


 大きなトラックが彼女の側面を通り抜ける。



ブォオオオオオオオン……。



 ああ……。


 良かった……。



 目から涙が溢れ出た。


「ね、姉ちゃん……」


「しょ、翔太ぁあ……」


 俺たちは抱きついた。

 互いに涙が止まらない。






「うう……。翔太ぁあああああああ!!」






 姉ちゃん……。

 本当に、助かって良かった。



 俺の携帯が鳴った。

 電話に出ると御世さんの心配する声。


「翔太くん大丈夫!? 京子ちゃんにかけたんだけど出なくてね。今、霊視をしていて遊女の霊がハッキリと見えたのよ。京子ちゃんは無事!?」


「……ははは。なんとか生きてます」



 翌日。

 彼女は本当に警部の職を辞退した。

 署内は大混乱である。

 32歳の若さ、しかも女が警部になった。この異例の出世を果たした彼女が、辞令を受けた翌日に返納したのだ。

 署内でも歴史的な大事件である。



 

 信じられない事態だった。

 まさかの事実が発覚する。

 

 シノの怒りに触れるのは男だけじゃなかったのだ。

 今までの事件は全て偶然。男だけに偏っていただけ。


 シノは女であろうと幸せになる者は許さない。


 何者であろうと、幸せになった者は殺されるのだ。


 しかも、家の柱には朽木神木会からもらったお札が貼ってあった。

  

 シノにお札は効かないのか?


 次の日。

 御世さんから驚愕の事実を聞かされる。

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