最終話

君に銃口を向ける夏

「文化祭って、みんなでわいわい盛り上がれる最高の青春イベントだよなあ」

 ……なんて戯言を吐く連中は、まったくもって全員嘘つきだ。


 県立はまかぜ高校3年の私、佐原春乃さはらはるのにとって高校生活最後の文化祭「風翔祭」、当日。


「いやもう、無理無理無理……無理!!」


私は今……めちゃくちゃ青ざめている。


同じ“青”でも、頭上に広がるのは、気持ちいいほど晴れ渡る、夏の青空。

照り付ける日差しが遮るものがない、校舎の屋上でひとり、膝を抱えて丸くなり、うつむきながら、そういえば日焼け止め塗ってないな……と、勢いのままに飛び出してきたことを後悔した。


わいわい、がやがやと、下のロータリーの喧騒が、この屋上にも遠巻きに聞こえてくる。

おそるおそる、腕時計に目をやると、12時50分を指している。

ぴったり開演10分前。

本来なら、控室用に開けてもらっていた、視聴覚室の隣の教室で、台本に目を通しながら最後のセリフの確認をしているタイミングだ。

なのになぜ私は、炎天下の屋上で吐きそうなほどにがちがちに緊張しているのか。

自分でも、自分自身がこんなふうになるなんて、想像だにしていなかった。

なんなら昨日は、西田のやつに「暇なら見に来れば」と偉そうにLINEを送る余裕さえあった。


しかし、つい5分前に、衣装に着替え(といっても普段着ているのとそん色ない制服なのだが)、ふと会場の視聴覚室の様子をこっそりのぞきに行き、目の当たりにした観客の数。

昨日、暇そうにしていたクラスの男子に手伝ってもらいながら並べた椅子40脚が、全て……とはいかないまでもまあまあ埋まっていた。同じクラスの友達から、両親、卒業した演劇部の先輩、1,2年生、去年の担任だった先生なんかもいた。30人近くだろうか。

ひゅっ、と、自分の体に一筋、電流が走り、急に全身がこわばるような感覚を覚えた。

え、何コレ。

いやいや、去年も一昨年も、もっと低かったじゃんか、密度。人口密度。

50脚椅子並べて、来たの5人だったじゃんか。

こんなに見に来てくれる人がいるなんて……っていっても40脚が埋まってないんだから、ものすごい多いわけじゃないんだけど、だとしても、間違いなく私史上最多の観客数だし、正直今年も多くて10人くらいだろうなって勝手に思ってたんだから、さすがに予想外じゃんか。

……という戸惑いが頭の中でぐるぐると回り始めて、いてもたってもいられなくなり、会場から逃げるように早足で歩きはじめ、気づいたら、屋上に来ていた。


どうしよう、どうしよう、

いや、そりゃ、戻らなきゃなんだけど……こんな状況でまともに演技できるんだろうか。

別に緊張しいだとか、自分のこと思ってなかったけど、それは、これまでは緊張するに値しないほど周りから注目もされていなかっただけなのかと気づき、さらに自分のことが情けなくなる。


と、自己嫌悪に拍車がかかりはじめたとき、

うずくまった自分の背中にコツ、と何かが当たる感触がした。

いや、当たる、というより、当てられている。


え…何?とおそるおそる振り向く。


パチリ、と目が合う。

早見くんが、いた。

すぐ後ろに中腰で立ち、右手で、私の背中に突きつけているのは……水鉄砲だった。

昨日、いやというほど見た、西田の部下たちが執拗に私たちを狙った、水鉄砲だった。


早見くんは私の顔を見て、少し驚いた様子だった。

「めっちゃこわばってんじゃん、顔」

「え、そんなに?」

一目でわかるほどに緊張してんのか私、と恥ずかしくなる。

「……なんであんたがここにいんのよ、ていうかそれ、その水鉄砲、なんのつもり?」

反射的に、うずくまる姿勢から立ち上がり、早見くんと向かい合う。

早見くんは、水鉄砲を下ろさず、今度は私の顔に向かって照準を当てた。


「いや、まあ昨日あいつらから奪ったまま、なんとなく身に着けててさ。別に特に深い意味はないんだけど……佐原さんがガッチガチに緊張してるって聞いてさ、西田が階段上がっていくのを見たっていったから、もしかしてって思って屋上に来てみたら、ほんとにガッチガチに緊張してるから」

「……心配してきてくれたってこと?」

「まあ、うん、そうね」

早見くんが、気恥ずかしそうにコクリとうなずく。


「えと、それは、心配かけてごめん、なんだけど……ますます今銃口を突きつけられてる意味がわかんない」

率直な感想だった。私の反応がいまいちなことに、早見くんは少し残念そうな顔をした。

「いやまあ、ただ行っただけで説得できるとは思えなかったから。半分ジョークで、半分脅し?」

「脅し?」

「どんなに緊張してようが、観客の多さにビビろうが、演者が1人しかいなくて心細かろうが、舞台には立ってほしいって思うから。……脅してでも。おれは、“立てなかった組”だからさ」

私を真っすぐに見ながらそう言う早見くんの声には、さっきよりも熱がこもっている。

「“怪物”の後輩にエースナンバー奪われて……って話は昨日したっけ。それでも食らいついてやろうって、毎日必死に投げ込みしてたら、右肩壊しちゃって。2カ月前に」

あ、なんか急に俺の話になっちゃって悪い、と早見くんは力なげに笑った。

「エースナンバー以前にボール投げれなくなって。野球部自体やめて。まあ、ケガしててもサポート役に回るとか、そういう道もあったけど、なんかもう色々どうでもよくなっちゃって」

早見くんの口から、ケガをした話を聞くのは初めてだった。ふっきれた“ような”語り口ではあるけれど、決して話していて気持ちのいい内容ではないことくらいはわかる。だからこそ、早見くんがわざわざこの話をする意味が、今の私の胸に染み込んでくる。


「だからまあ、なんつーか……せっかく昨日、奪い返したんだからよ、今日の、文化祭での舞台。使わずに捨てたら、きっとそっちのほうが後悔すんぜ、っていう、脅し」


冗談めかしていう早見くんが、私に突きつけている水鉄砲の銃口。

まさしくその姿が“引き鉄”となって、昨日の、ここ、屋上での一幕が、フラッシュバックされる。

何かに突き動かされるように逃げて、隠れて、立ち向かって、無我夢中のままに、最後にたどり着いたこの屋上。早見くんと、ギリギリのところで、西田たちを負かすことができたけれど、もし、何かが少し違っていたら、ましてや諦めていたら……今私はここにはいない。


ふぅーー、と体中にたまっていた空気を入れ替えるように、深呼吸をする。

「要するに」

と口を開くと、早見くんがぴくり、と反応する。

「そもそも最後の大会の舞台に立つチャンスすらなかった早見くんからすれば、立つ舞台があるくせにうじうじしてる私のことが、ムカついてしょうがないってわけね?」


「えっ…あ、いや」

早見くんがハッとして、少し焦り始める。極力角が立たないよう、表情は柔らかくいったつもりだったけれど、それが逆に皮肉っぽくなってしまったか。

「全然そんなつもりで言ったわけじゃねえよ!?俺はシンプルに佐原さんに舞台やってほしくて……!あれ、でもそういうことになる……?」


1人勝手にそわそわする早見くんを見て、思わず頬がゆるむ。

「早見くん」

水鉄砲の銃口の奥にある、早見くんの顔に視線を向ける。

「ありがとう」

「え…」

「もう大丈夫」

そう言って、屋上の出入り口に向かって歩き始める。

早見くんが、すっと、水鉄砲を下ろした。

「よかったぁ……」

とむねをなでおろしながら、でも、と続けた。

「佐原さん、あと2分で、公演始まっちゃう」

「あ……やば!!!」

ハッと腕時計を見る。12時58分。

視聴覚室まで、全力で走ってギリギリ間に合うかどうか、と焦っていると、

私より先に早見くんが走り出した。

「なんであんたがあたしより急ぐのよ!」

慌てて私も走り始める。

なんか、昨日から私、走ってばっかりだ。

でも、それでいい。

「どうせ」と思ってあきらめるよりも、ずっと。

「怖い」と思っておじけづくよりも、ずっと、いい。


高校生活最後の夏、

水鉄砲から逃げ回る奇妙な体験と……とある野球部、いや元野球部のやつに、気づかされたこと。


「君に銃口を向ける夏」  終わり


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君に銃口を向ける夏 タルタルソース @recoup

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