第38話 真夏の夜の夢

 ひよりちゃんの配信が終わって1時間ほどすぎた頃。

 配信がエモくて、興奮がさめない。


 ネットを見ていても、頭に浮かぶのは、ひよりちゃんの笑顔。マジで尊かった。

 ひよりちゃんらしい元気の良さはもちろん。最後の方って……。


「ちょっと、翔琉くん聞いてよぉぉぉっっっっっっっ!」


 雪乃さんがノックもせずに僕の部屋に入ってくる。


(まあ、雪乃さんに借りたご両親の部屋なんだけど)


 おまけに彼女は風呂上がりらしい。

 頬が火照っていて、銀髪も水気を帯びている。艶っぽい。

 ちなみに、僕たちは毎日一緒に入浴しているわけではない。


「雪乃さん、どうしたの?」

「春菜ったら、ひどいんだよぉ!」

「さっきの配信のこと?」

「うん」


 雪乃さん、唇を尖らせている。


「さんざん煽ってさぁ、うっかり口をすべらせて彼氏バレしたら最悪じゃん」

「そうだね」


 同意しつつも、そこまで深刻だとは思っていなかった。


「雪乃さん、うまくかわしてて、さすがって感じだった」

「もちろんだよ。配信中はひよりを演じてるからね」


 ここで、『桜羽さんもわかってやってたんだよ』と言えるほど、愚かではない。

 僕はベッドに座る。

 すると、雪乃さんが隣に腰かけ、僕にもたれかかってくる。 


 彼女の要求はわかっている。


「雪乃さん、エラい」


 銀髪を撫でる。半乾きの髪はしっとりとしていて、なめらかな手触り。シャンプーの香りも鼻腔をくすぐる。


「えへへ、翔琉くん、大好き。ちゅき、ちゅき」


 説教よりも、甘えさせるのが一番なのだ。

 2ヶ月の同居生活で雪乃さんの扱い方は心得ている。

『学校で氷の女王と呼ばれている彼女が、オタクな僕に甘えまくってます』なんてタイトルのラノベになりそう。


「春菜もあたしを祝福してくれてるのはわかってる。春菜があたしが嫌がることをしないってのも」

「僕もそう思う」

「だから、本気で怒ってるわけじゃないんだけどさぁ」


 予想どおりだった。


「怒ってないんだけど、配信するとストレスが溜まるの」

「そうなんだね」


 配信者ではない一般人の高校生に彼女の苦労はわからない。

 でも、わからないならわからないなりの聞き方がある。

 彼女の発言を無条件に受け入れればいい。


「べつに、仕事が嫌いなわけじゃないの。親を亡くして、しんどかったときに仕事に救われたのは事実だし」


 僕は彼女の頭を自分の胸元に引き寄せる。

「えへへ」と微笑みながら、雪乃さんは僕の肩に頬を乗せた。


「でも、好きな仕事をしていても、疲れるものは疲れるし、ストレスは溜まる」


 トントンと僕は彼女の肩を叩く。


「あれかな?」

「ん」

「ネットでときどき見るんだけど、『好きなことを仕事にしてるんだから、金もいらないはずだし、いくら働いても問題ないだろ』って奴」

「ああ。あのクリエイター軽視のむかつく発言ね」


 毒を吐き出した。言わせて気分が良くなるなら、言わせてあげよう。


「好きで仕事してるけど、何万人もの人が見ているし、喜んでほしいから気を遣うのよね。プレッシャーは相当だし、疲れるものは疲れるの」


 ネット上の暴言について荒ぶった。10分ほど。

 その間、僕は話を聞きながら、彼女をマッサージする。


「って感じなんだけど、翔琉くん、いつも愚痴を聞いてくれて、ありがとう」

「気にしないで。僕は雪乃さんの愚痴聞き役だし」

「けど、面倒くさいカノジョだと思ってるでしょ?」

「ソンナコトナイデスヨー」

「面倒くさいと思ってるのね」


 まあ、愚痴を10分以上も聞かされるのは楽じゃない。

 けっして大好きな女の子であっても、つらいことはつらい。


(もしかして、雪乃さんが仕事に対する気持ちも同じかもしれないな)


 推しが身近に感じられて、うれしすぎる。

 そう思ったら、愚痴を聞くぐらいたいしたことない……はず。


「翔琉くん、そこでニヤニヤするの?」

「そうじゃなくて」


 正直に告白した。

 すると。


「翔琉くん、あたしの好きすぎ」

「最推しだからね」

「『あたしのこと好きすぎラノベ』でも書いて、愛を語ってほしいわね」

「ラノベ1冊まるまる愛を語るの⁉」

「あら、できないの?」


 挑発された。


「僕を甘く見ないでほしいな。何年ひよりちゃんの推しをやってると思う?」

「1億年?」

「そうだね。ひよりちゃんの無邪気で天然な明るさも、雪乃さんの見た目はクールなんだけど甘えん坊なところも全部、好きな僕なんだよ」

「……えっ、えぇ」


 雪乃さんは視線をそらし、そそくさと前髪をいじる。

 してやったり。


「僕、雪乃さんの恥ずかしいところも知ってるつもりだよ。お風呂で脇の下から洗ったり、寝言で『パパだいしゅき』からの抱きついてきたり」

「うぅ、翔琉くんのいじわるぅ」


 彼女は僕の胸をポカポカ叩いてくる。かなり弱いので、むしろ気持ちがいい。


「冗談はさておき、雪乃さんが好きすぎて、ラノベ1冊分は書けると思う。イチャラブするだけの小説に需要があるか知らないけど」

「……恥ずかしすぎて、死ねる」


 顔を真っ赤にする雪乃さん。


「冗談でも死ぬだなんて、言わないでね」

「そうね。ごめんなさい」


 彼女は真顔で謝る。


「でも、あたし、冗談で言える程度には強くなったかも」

「そうだな」


 雪乃さんの発言の意味を考える。本気で死ぬのを考えている人が、『恥ずかしすぎて、死ねる』なんて言わないだろう。だから、メンタルが強くなった、と。


 一方、僕が雪乃さんに感じているのは別のこと。

 以前だったら、『どうせ、あたしはパパとママを殺したダメな子なんだし』と、自分を責めていたかも。

 少なくとも、今みたいに前向きな言葉が出る子ではなかった。


「雪乃、立派になってくれて、パパうれしいよ」

「てへっ、パパ、だいちゅき」


 スリスリ。

 雪乃さんが僕の胸に頬をこすりつけてくる。

 彼女が前屈みになったことで、双丘も僕の腹に当たった。


(つけてない?)


 薄い夏のパジャマがダイレクトに感触を伝えてくる。

 同居生活をとおして、何度も経験済みなのに。

 恋人へと関係が変化したことで、ドキドキがハンパなくて。


 襲いたくなるのを我慢するためにも、僕はベッドに寝転んだ。


「てい」


 雪乃さんが僕の上に乗っかってきた。彼女に押し倒されるような形になる。

 結局、彼女の胸から逃れられない運命だった。


「そろそろ、日付も変わるし、寝ようか?」

「夏休みなんだし、もうちょっと夜更かししない?」

「夜更かしも夏休みにしたいことなの?」

「そうそう。好きな人と一緒に、のんびりと夜更かししたいの」

「なら、朝まででも付き合うよ」


 僕も甘い。


「やったぁ、翔琉くん、だいすーき❤」


 彼女が僕の腕に頭を乗っけてきた。いわゆる、腕枕だ。


「甘えモードの雪乃さんって演技なのか、素なのか……」

「どっちだと思う?」

「雪乃さん、いまいち掴みきれない子だからなぁ」


 いくら恋人同士とはいえ、清氷雪乃という少女の人格を知った気になるのは傲慢だ。


 僕には見せていない顔を誰かに向けているかもしれない。

 たとえば、ドリーミーカントリーのマネージャと仕事の打ち合わせをするときなどは、仕事用の態度を取るわけだし。


「まあ、あたしは演技で陽キャにもなれるウソつきだからね」

「僕は雪乃さんがウソつきで救われたし、それでもいいよ」


 親を亡くして病んでいた僕を救ったのは、明日花のおバカさと熱心さ。それに、ひよりちゃんの無邪気な明るさ。

 雪乃さんの演技の方向性が少しズレただけでも、当時の僕に刺さったかわからない。

 偶然の出会いに感謝しかない。


「そっかぁ。なら、夏川ひよりが演技で作られた、架空の存在でもいいのかな?」

「僕はひよりちゃんに夢を感じてる。かりに、みんなが嫌ったとしても、僕だけはひよりちゃんを全肯定するから」

「じゃあ、もう炎上しても気にしないことにする」

「大きく出たね」

「できるとは言っていない」


 まあ、いきなりキャラが変わるのも不自然すぎる。


「それにさ」

「翔琉くん、なに?」

「雪乃さんは演技だって言うけど、僕はそう思ってないよ」

「どういうこと?」

「さっきの配信を見て、僕、実感したんだ」


 空いた手で雪乃さんの銀髪を撫でながら、ささやく。


「配信の最後の方で、『夢ってすばらしいよね。現実を変えてくれるんだから』って言ったでしょ?」

「う、うん」

「いかにも、ひよりちゃんが言いそうな前向きワード」

「そうね。アイドル的な発言で、素のあたしが絶対に言わなそうな言葉ナンバー1」


 ドヤ顔で卑屈になる僕の推しカノジョ。


「でもさ。雪乃さん自身が本気で言ったんじゃないの?」

「なんで……わかったの?」

「僕が何時間、雪乃さんの愚痴を聞いてきたと思ってるの?」

「1日2時間を2ヶ月以上だから、100時間は軽く?」

「マジレスされたし」

「翔琉くんのいじわる」


 そう言いながら、彼女は僕の耳元に息を吹きかけてくる。こそばゆい。


「真面目な話。僕の中では、ひよりちゃんも雪乃さんも区別がつかないんだ」

「……」

「夢の存在であるひよりちゃんに、現実の雪乃さんも混じり合っていて、ふたりを別扱いするのが無理というか」


 一般のリスナーにとっては、VTuberのキャラと中身は別かもしれない。ただ、僕は両方を間近に見ている。僕の立場では、ふたりを分けること自体がナンセンスだ。


「さっき、ひよりちゃんの中に雪乃さんの存在を感じられて、僕、ますます好きになったんだ」

「どっちが?」

「ひよりちゃんと、雪乃さん両方とも」


 迷わず言い切る。


「夢も現実も、境界線は曖昧だって、あらためて思ったわけ」

「また、その発言ね」

「悪いな。でも、つべこべ言わずに、楽しんでおこうかなと」

「そうね」

「だから、夏休みはふたりで思いっきり遊ぼうな」

「さっきの配信で言ったみたいなことしたい」

「……いいけど、金魚すくいは食べないでね」

「あたし、そこまでヤバくないから」


 結局、それからもベッドの中でダラダラと話し続ける。

 明け方が近づいてくる頃には、ふたりとも支離滅裂な会話をしていて。


 僕たちは妖精のおかげで、真夏の夜の夢を見ていたかもしれない。

 それでも、カノジョの温もりは確かに存在していて。

 これからも、今の日常が続きますようにと、僕は妖精に願った。


 ~第1部完~

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死にたがりのクールな同級生を助けたら、推しのVTuberと同居することになったのだが。 白銀アクア @silvercup

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