十七章 貢
平穏なりし、日々
Ни пуха、ни пера……――
ねえ、――。どこ? どこにいるの? ねえ、お願い。どこにもいかないで。私をひとりにしないでください。ひとりはいや。私たちはふたりで、ひとりとなりうるから。
ひとりで成せないことを成す為に生まれてきたと思いたい。せめてこの命そのものは祝福の下生まれたのだと言ってほしい。……いえ、無理なのだけど。だって私は――。
あなたは、お前は違う。美しく優しく在る私の大切な――。誰にも否定させない。
絶対の、世界を統べる全能者であろうと私の大事なあのコを否定させはしない。代わりに私のことならいくらでも貶して罵って踏みつけていい。そもそもが価値なき命だ。
私なんて、ただの『器』でしかなくてそれ以外になるなんてありえなくて不可能。
私はこの私、悪魔以外になれはしない。頭ではわかって、理解しているというのにままならないくらい私は弱いから揺れる。
私はひとではない。人族ではない。少なくともただのたかが人族ではない、とロンは伝えてくれた。正体については自分探しをおすすめする、とも。さもなくば地獄の門番が強制代替わりさせられる云々だったか。それはちょっと可哀想なので遠慮しておいた。
手がかりはない。私は何者か。それはそもそも知ってはならないモノに分類されるナニカであり、禁忌だ、というのはわかる。だからお迎えも来ない。ありっこないけど。
地獄への迎えならいくらでも融通されそうだがそれすらも今は遠いことであるかのように平穏な日々を送っている。……いいのだろうか、私が、こんなふうに在るなんて。
過酷で苛烈で凄惨な日々を送るのが常であった私なのにこんなふうに在れるのは嬉しくないのか、嬉しいと喜んでいいとまわりは言うだろうか? それとも相応しくない?
やはり私に平和な日常というのは似合わないものであって否定されて然るべきなのかもしれない。いや、そうあってくれと願っているのかもしれん。他の誰でもない私が。
どうして? どうして望めない? 取りあげられることを恐れているとでも言う?
それとも分不相応を恥じろ、と聞こえるような気がするだけで望んでもいいのか?
不相応。わかっている。わかり切っている。だって私は悪魔だもの。天使じゃないし到底なれっこない。私がもたらすは破滅と破壊だけ。だってここに片割れは、いない。
片割れは戦国で幸せになってくれていると信じたいのです、私。せめてこれだけ。
せめてヒサメが、私の大切な妹であるあのコが今笑っていられるように祈り願う。
だって、それが、私の使命。先に生まれた私の役目。ただの数分であろうと先に命としてこの世に生まれた私の、お姉ちゃんの大事な大事な仕事。役割。大切な妹を守る。
ヒサメが望まなくたって、いい。誰がバカにしたっていい。私が私であると思える唯一なのだから、誰にも奪えやしないこれは私の、私だけの権利だ。だからお願いです。
どうか、私を幸せにしないで。そうして、そうやって私を幸せにして。矛盾しているけどしていない。私は幸せになるべき命ではない。サイとして終わりを迎えようとシオンとしてはじまろうと、それだけは変わっていない。変わらないでほしい。……だって。
だって、私は私で。サイでしかなくて到底ミュレンにはなれない紛い物でしかないのだから。それなのに、正の可能性なんて見たくない。裏切られたなら、沈み込むのに。
自力であがれないくらい落ちて堕ちる。地獄に堕ちて私はやがて消えていくのでしょう? だったら、最初から負の可能性だけでいい。最悪を予想していれば耐えられる。
耐えてみせる。万の死にだって心砕かれず在ってみせたのだ。これ以上に辛いことなんてなにもない。彼に、――なひとに殺されて、目の前で汚く醜く壊されていく激痛。
なのに、どうして? どうしてあなたはそんな優しい目を向けてくれるのですか?
なんで、こんな醜い悪魔の死如きに涙してくれるのでしょうか? わからない。なにひとつとしてわからないわ。ねえ、ココリエ。あなたは一国の王子でしょう? 涙なんて容易に流してはならない身の上でしょう? なのに、だのに、なぜ、私なんかに……?
ねえ、優しいにもほどがあるよ。そういうのは、ね? 優柔不断の原料になるからやめないとならないんだ。あなたの数多ある美点だけどたしかな汚点になりうる要素だ。
悪魔になんか心寄せなくていい。ファバルがそうしたように「世界の毒」だと切り捨ててしまえ。楽になれるから。それがあなたの為だ。誰もがみな、同じに言うだろう。
私は、在ってはならなかった。そして、会ってはならなかったのです、あなたに。
生きていたばかりに、生き恥さらしていたばっかりに私は神の琴線に触れてしまってあなたに会った。出会ってしまったことを悔いてはいない。嬉しかった。はじめてで。
私を、悪魔じゃない。ひとだ、と言ってくれたのもありのままでいいと言ってくれたのもあなたがはじめてだった。私が私らしく在りたいと願っても代償は私の命だった。
ただの、普通の女の子として在りたいと願った日もずいぶんともう遠いな。そんな時もあったっけ? そんな程度だ。だから、悪魔として極めていて極まっていた私、に。
私なんかを女の子として扱ってくれた。若干怪しい瞬間が合間合間であったはそうだが基本的には歳相応の少女として扱ってくれましたね。だからね、私もう、満たされたのよ。あなたの優しさとぬくもりに包まれてこれ以上なく幸福だった。……もう、いい。
もう要らない。本当なら一度、いえ、一瞬だってあってはならない奇跡だったの。
奇跡を体験したから私はもういいの。充分だからお願いもう、私に寄越さないで。
ぬくもりを、優しさを、柔らかな言葉を、温かい声を……。耐えられないのよっ!
それがもう二度と手に入らない。触れえないと自覚する度、心が血を噴くのです。
当たり前なのに。それが、普通なのに。これだからいけないんだ、贅沢を知るのは罪であり、愚かしさだわ。知らなければ常の罵声、悪罵、悪態や「死ね」が普通だった。
だけど、知ってしまった。ひとの温かさに触れてしまって私は弱くなった。一時は確実にひ弱になった。でも、だからこそもう二度と強さ剝がれぬようにと誓っているわ。
今、私が守らなければならない者。この平穏な学生生活を守りたい。友、だと言ってくる愚かな阿呆共の笑みが絶えませんようにと願う。その為なら、私、私は……――。
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