彼の者、沈黙の悪魔也

沈黙の悪魔たる者とお得意クソじじい


 カツ、カツ、コツ。靴音が聞こえる。革靴が立てる独特の高い音が反響する。暗い打ちっ放しコンクリの床を叩く靴の音はひとつだけ。……きっとこの通路に明かりがなければもうひとりひとがいると知ることはできなかったことだろう。靴音に続く無の足音。


 特別ひそめようとしているわけでなく自然体で無音のまま移動するのは黒だった。黒いシャツに黒パンツ。黒いコート。長い黒髪を尻尾のように結んでいるそのひとは黙ったまま前をいく男の背を追う。暗がりにあっても光り輝く銀色の瞳が宝石のようだった。


 長い間、暗闇にいたかのような白すぎる肌に当たる無遠慮で無機質な白い明かりはフィラメントが切れかかっているのか、チカチカと怪しく点いたり消えたりを繰り返す。


 角をいくつか曲がり、お化け電灯の一画を抜けてきちんとした明かりが点る廊下に抜けた無音の主は瞳を細める。とても綺麗で美しいひとだ。淡い白雪の肌。凛とした、もっというと若干冷ややかな輪郭の内側におさまる部品すべてが見事なまでに整っている。


 筋の通った鼻。淡い色味の唇。遠山の眉。抜き身の刃のような銀色の右目。左目は怪我でもしているのか革の眼帯を当てているそのひとはさして興味なさそうに口を開く。


「今日はなんの用だ、あのクソじじい」


「……」


「……ハイザーの急用ほどクソブツはない」


 開口一番、中性的であり、綺麗な声に似合わず罵りを吐いた麗人に前をゆく黒背広は応えない。応えれば背についてくる人物の「クソじじい」なる呼称を彼も認めたことになって最悪、処刑されるからだ。なので、美しい毒吐きは面倒臭そうに言い直してやる。


「ボス、ハイザー様に直接お訊きください」


「己が言えばじじいの手間も省けるが?」


「生憎、自分如きは存じあげませんので」


 ハイザー、と名前でそのじじいとかを呼んだ麗人に黒背広がようやく応える。だが、返ってきた答は黒髪銀瞳美人の想像というか希望に到底届かず、不満そう鼻を鳴らす。


 非常に中性的で男なのか女なのか――もっと突っ込んで年齢すらも不詳な美貌を持つこのひとの案内役を仰せつかった黒背広の背中には緊張と恐怖で冷や汗が伝っている。


 ふと不意なこと余計なことを言ったり無礼を働いたりしたら先から名があがっているハイザーなど目でない恐ろしいことになる。男の主人はハイザー――黒組織のボスだったし男自身も様々な組織間の抗争に巻き込まれてきたが、それ以上の最恐怖だったのだ。


 ハイザーの千本釘処刑など可愛く思えてくるほどの悪夢であり、闇の世界に生きる者なら知らない者はいないほど逆の意味で著名であり、有名なひと。後ろについてくるそのひとのことを闇世界の者はたいがい異名で呼んだ。通称さえ呼べるほどの肝もない故。


「沈黙の悪魔、と呼ばれるわりにしゃべ」


「頭の悪い異名は所詮異名だと知れ、ゴミ」


 まったく躊躇なく他人をゴミ呼ばわりした沈黙の悪魔と呼ばれしそのひとは無表情で現在地――ハイザーの根城、まあアジトのひとつの案内を続けるように男を目で促す。


 アジトの裏口からこっち、ずっと表情に欠片の変化もない相手は静かで冷たい、それこそ氷のような瞳で男を見据える。当然、黒組織の下っ端より少し上くらいの男がその瞳の圧に敵う筈なく生唾呑み込み、恐怖を押し込めて案内の続きをするのに足を動かす。


 無表情なまま、能面のままにひとを殺す悪魔。その実力と実績は闇の世界で轟いていてよっぽど耳、もしくは頭が悪いか、剛胆でもなければ逆らう勇気の欠片も絞れない。


 男もその例に漏れなかった。唯一このアジト内でこの悪魔を通称で呼べるのはボスのハイザーだけだったし、無理難題を押しつけることもできるほどの胆力を備えている。


 たまに、これ殺されるんじゃ……とひやひやすることを言いつけるので側近役の護衛たちは悪魔が来る、と聞いた時、闇医者へ胃薬の処方を頼む、と聞いたことがあった。


 そうこうと気を紛らわせるのにどうでもいいことを考えている間に案内が終わったので目の前にある扉をノックする。すると、中から強面の黒服が現われた。が、すでに胃痛を覚えていそうな、そういう顔をしている。彼は無言で黒尽くめの麗人を中に通した。


「よお、サイ。暇だろ?」


「殺すぞ、クソじじい。己が急用だとかぬかして呼びだしたんだろうが。この為にいくつ仕事キャンセルしたと思ってやがる。くだらん用事ならでこ穴開けっぞ。穴から脳味噌という糞が滝のように落ちていく絶景を眺めついででいい感じに社会のゴミも消える」


「そういうことばっかり言ってやがるとな、いい加減豚箱にぶち込ますぞ、サイ。ちょっと厄介を片づけやがれ。裏の裏ルート、真っ暗闇ド真ん中の依頼だ。報酬は弾むぜ」


「キャンセルした仕事の依頼料、三乗額」


「いいぜ。上乗せで危険手当もつけてやる」


「珍しいな、じじい。脳が溶解したか?」


「バイグーシェ社を知っているな?」


 スルー!? と側近たちの心が揃った瞬間だったが誰ひとり声をあげず、闇社会で名のあり、なおかつ政府などにも太い、極太のパイプを持つボスハイザーと悪魔サイの会話らしからぬ会話というか、取引を聞いている。ハイザーは紙切れを取りだし、サイへ。


 書面に躍っている文字を右目で追うサイの瞳に嫌悪感が滲み、反吐を戻しそうな色を宿す。よほどのクソ仕事、というやつなのだろう。一通り眺めてサイは感想を述べる。


「武器商バイグーシェ社の節操なしさは知っていたつもりでいたが、ここまでか?」


「応よ。市民に、だけならまだしもちびガキ共にまで配った上、腐れご丁寧なことに使い方までレクチャーしてやがった。先月の孤児院同士の潰しあいも発端はこいつらだ」


 詳細話を聞き終えたサイはハイザーの寄越してきた依頼書の下方にある署名欄へ簡単に受ける旨を伝えるよう、サインする。見ていたハイザーが新しい紙をサイに寄越す。


 簡潔に標的バイグーシェ社の最も近い支社名と所在地が書き記してあったのでサイは軽く一瞥し、紙をハイザーに返す。あの二秒程度で内容を頭に入れてしまったらしい。


「早めに片せ。いつ狩る? ヘルのところに寄っておくなら先に小遣いをやるが?」


「変態闇医者ヘルビソット・マゼル・リネットの世話なるほどのことにはなるまい」


「ほお? うちの若い連中が先行して片づけにいったが、逆に片づけられちまったんだぜ? 相変わらず可愛げの欠片もねえ悪魔だな、サイ。ま、それでこそ悪魔だからな」


 いまいち褒めているのか貶しているのかわからないハイザーの感想もサイは無表情で凪いだ、まるでなにも感じていないかのような顔で席を立ち、背を向けて部屋をでる。


 出口に向けて動かしていた足はそのままにサイは懐を探り、ハイザーにナニカを投げて渡す。なんの変哲もない板ガムだったが、ハイザーは早速外包みを開けて中の個包装を開けてから紙を確認するように眺める。そこにある文字「また、手配を頼む」とある。


 これだけでハイザーにはなんの手配なのか充分わかったようでひとつ頷く。すぐ側近の男をひとり呼び寄せて耳打ち。サイの地獄耳に届く声が「また、悪魔様の匿名寄付の支度な」と少々嫌み臭くサイを、などと言っているハイザーだが、シカトしとく。


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