オレンジうさぎ

茅野 明空(かやの めあ)

オレンジうさぎ



「オレンジでうさぎはできないの?」


「え?」

 白菜を切る手をとめ、また何か由美がふわふわとした疑問を持ってしまったな、と軽い調子で振り返った。しかし、彼女の小さな目はじっと私を見つめている。これは本気の質問だ。彼女のふっくらとしたほおがぷくっと膨れているのが何よりの証拠だ。

「オレンジでうさぎ?」

 包丁を置き、エプロンで手をぬぐいながら聞くと、こくりとうなずく。

「リンゴではできるけど…オレンジはどうかしらね」

 応えながら、きり終わった白菜をなべに入れる。また学校で千佳ちゃんとお弁当の中身をめぐってケンカしたのかしら。自分のお弁当のほうがキレイだとかおいしそうだとか。そして千佳ちゃんのお弁当のほうがすごかったーとか泣きながら帰ってくるのだ。

 こちらは朝早くから小さなお姫様がご機嫌を損ねないように日々奮闘である。なぜ他のお宅のお弁当と張り合わなければいけないのか。

 しかし由美の口から千佳ちゃんの名前は出てこなかった。ただほおをさらに膨らませ、すねたような顔になる。

「オレンジのうさぎが食べたいの、由美」

 そう聞くと、由美はなぜか首を横に振った。私はきょとんとしてしまう。

「食べたいんじゃないの?」

「食べちゃだめなの!」

 何が気に食わなかったのか、由美は地団太を踏んできぃきぃと叫んだ。

「うさぎがかわいそうなの!」

 私は途方にくれて、小さな爆弾を見下ろした。いつ爆発するかわからないから、こういう時の彼女には徹底的につきあわなくてはいけない。

 私はエプロンをはずすと、火を消して彼女の小さな肩を押しながらリビングに入った。

「どうしてオレンジでうさぎをつくってほしいの?」

 ソファに二人で腰かけ、のんびりと尋ねる。由美はしばらく「あのねー」を繰り返していたが、やがて伝えたい言葉を構成し終わったのか、たどたどしく話し始めた。

「あのねー、うさぎは月にいるでしょ?」

「えぇ、おもちついてるわよね」

 うんうんとうなずいてやると、由美はちらりとえくぼを見せた。

「でもねー、飽きちゃったの」

「……え?月にいることに?」

「うん」

 子供と話すのは何気に頭を使う。

「うさぎはね、まだ子供なの」

「そう、子うさぎなのね」

「うん、真っ白なの!」

 うれしそうににこにこと笑う由美は、動物が大好きだ。そういえば、一時期うさぎを飼いたいと大騒ぎして、しかたなくペットショップにつれて行った覚えがある。値札を見て即座にきびすを返したが。しかしその時見た子うさぎのつぶらな瞳は忘れられない。

 真っ白い綿毛のような、ちいさいからだ。

「子うさぎはねぇ、ある日月を出て行っちゃうの。「つまんない」って言って」

「あら、出てっちゃったの」

「うん。『ボクはもっと楽しいものを見つけたいんだ』って」

 何かが頭の隅に引っかかっていた。それが何かを思い出す前に、由美が意気込んで話を続けた。

「でね、うさぎは星に出会ったの。二人はとっても仲良くなったの」

「…あっ」

 思わず声をあげていた。唐突に古い記憶が蘇る。そうだ、どこかで聞いたことある話だと思ったら、私もずっと小さなときにその絵本を読んでもらったのだ。

「“オレンジうさぎ”でしょ。わがままなうさぎの話」

 微かなほろ苦さを胸のうちに感じながら尋ねると、由美は神妙な顔でうなずいた。

「ママ、知ってるの?」

「うん。ママもね、小さいときにその話、小学校で聞かされたの」

 私の記憶が正しければ、それはこんなお話。




―― 月とうさぎは、とても仲良しでした。

 二人とも、輝くような真っ白い体をしていたからです。子うさぎは月を跳ね回り、よく眠り、そうしてどんどん大きくなっていきました。

 そのうち、うさぎは月の外に興味を持ち始めました。うさぎは月に言いました。

「ボク、旅に出るよ」

 月は寂しがりましたが、うさぎはがまんできずに月を飛び出しました。

「こんな何もないところ、つまんないよ。ボクはもっと楽しいものを見つけたいんだ」

 しかし夜は暗く、うさぎは寂しくなってきました。

 その時、うさぎは暗闇の中で美しく光り輝く星に出会いました。

「あぁ、これこそ、ボクの探していたものだ」

 うさぎはうれしくなり、すっかり星が気に入ってしまいました。二人はとても仲良くなりました。

「お星さん、あなたほどキレイなものはないね」

 うさぎは何度も星に言いました。星はうさぎがそういうたびにまばゆく輝きました。

 しかしそのうち、うさぎは星にあきてきてしまいました。

 ある日、うさぎは星が泣いて止めるのも聞かず、星の元を離れてしまいました。

「つまんないよ」

 うさぎは鼻をひくつかせて言いました。

「お星さんはキレイだけど、いつもいつも同じように光るだけで、何にも変わらないんだもの」

 うさぎは青い小さな惑星を見つけて、何か面白いものはないかとその惑星に降り立ちました。

 そこで、うさぎは一面の花畑を見つけました。そこら中色とりどりの花がいっぱい咲いていて、いい香りが胸いっぱいに広がります。

 その中でも、一番美しく咲き誇っている花をみつけ、うさぎの胸は高鳴りました。

「あぁ、これこそボクの探していたものだ」

 うさぎはすっかりその花が気に入り、二人はとても仲良くなりました。

「お花さん、あなたほど美しいものはないね」

 うさぎは何度も花に言いました。花はうさぎにそういわれるたびに、ますます美しく花開きました。

 しかしそのうち、花は枯れてしまいました。うさぎは花の元を離れました。

「つまんないよ」

 うさぎはしっぽをふりながら言いました。

「ボクは、ずっと一緒にいられないとイヤだ」

 うさぎがぴょんぴょんと草原を飛んでいると、今度は女の子のうさぎに会いました。その子はとってもかわいくて、一緒に草原をはねると心が躍るような笑い声をあげました。

「あぁ、この子こそ、ボクが探していたものだ」

 うさぎは大喜びで、この女の子のうさぎとずっと遊びまわりました。

「君ほど素敵な子は、他にはいないね」

 うさぎがうっとりとそういうたび、女の子うさぎは幸せそうに笑いました。

 しかしある日、女の子うさぎが「ずっと一緒に暮らしましょう」と言うと、うさぎは慌てて空に駆け上ってしまいました。

「つまんないよ」

 しくしくと泣く女の子うさぎを振り返らずに、うさぎは小さく呟きました。

「君はとても楽しいけど、ボクと同じ姿でつまらないよ。ボクはもっと、すごいものと一緒に暮らすんだ」

 その時、うさぎは見たことのないまぶしいものを見つけました。

 大きくて、目がくらむほど美しくて、心まであったまるような光を投げかけてくる、太陽の姿を。

「あれだ!」

 うさぎは叫びました。その顔は喜びにあふれていました。

「ボクがほしかったのはあれなんだ!!」

 うさぎは、女の子うさぎが必死に止めるのも聞かずに、わき目も振らず駆け出しました。太陽に向かって、ひたすら駆けました。

 太陽に近づくほどに、うさぎはドキドキしてきました。なんて大きいのでしょう。なんて力強いのでしょう。なんて美しいのでしょう。

 どれをとってみても、太陽ほどすごいものはないと、うさぎは確信しました。

「これなら、ボクも飽きることはない!」

 うさぎはにんまりして言いました。

「ずっとずっと、一緒にいられる…!」

 しかし、うさぎは気づきませんでした。太陽に近づくほど、自分の真っ白いからだがオレンジ色に染まっていくことに。

 オレンジ色になったうさぎの体は、ちょうど海に沈もうとしていた太陽に溶けて、海にそっと流されました。とてもとても綺麗な夕焼けが広がり、世界は唯一つの色で包まれて。

 やがて、太陽は海の向こうに姿を消し、真っ白い月が反対から顔を出しました。

 何も知らない月は、今日も一人、寂しく泣きました。

 一匹の小さなうさぎが帰ってこないと、静かに輝きながら、一人寂しく泣いていました…  ――




…この話を聞かされたとき、まわりの子供たちは口々にうさぎを責めた。

 うさぎはわがままで、ひどかったから消えてしまってジゴウジトクなのだと。太陽は、そんなうさぎをオシオキしたのだと。

 そんな中で、私は一人だけ、じっとうつむいて黙り込んでいた。

 先生にどうしたのと尋ねられ、そのうちぐしゃぐしゃと泣きじゃくって反対に聞き返した覚えがある。


―― どうしてうさぎは溶けちゃったの?死んじゃったの? ――


 自分でも何が悲しいのかわからないまま泣いていて。


―― うさぎはなにも悪くないのに… ――


 まったく。幼いときから私は変わっていない。

「…ママ?」

 一人苦笑していると、由美がいぶかしげに覗きこんで来た。私は由美をじっと見つめ、ほほえんで小さな彼女の体を抱きしめる。この子も私と同じ運命をたどるのかと思うと、怖い気もしたし、抗えないような気もした。

「うさぎはね、悪くないよ」

 だから、彼女にはその一言だけを伝えた。由美はきょとんとしていたが、私が

「オレンジうさぎ、作ってみようか」

 というと、とろけそうな笑顔でうなずいた。

「うん!」



――私がうさぎに恋したのは、ずっと昔の話。


うさぎはまだ、帰ってこない。


そうね、太陽にでも溶けたのかしら。




      END

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