16.ともしびピエロ(終)

 ボールペンを使うだろうか。私は文房具が好きで、手帳が好きで、ボールペンを頻繁に使用する。最近は、0.7mmという太めの芯にハマっている。カリカリではなるぬるぬると紙面を滑っていく感覚と安心感ある文字の丸み・太さが私の安堵を引き起こすのだ。

 嫌なことがある前夜、ゲームに走らなければ手帳に走って嫌なこと、でもやらなければいけないこと、その順番等々のスケジュールを整理するのだ。この「手帳時間」は私にとって至福のひとときとなっている。

 今年から、手帳は手作りのものを使っている。手帳そのものを作っているわけではない。中身の話である。「バレットジャーナル」というのが正式名称なのだろうか。

 一年分のカレンダーのページ、今年の抱負、目標、毎月のマンスリーページにデイリーページ、そして体調や睡眠時間、勉強したかなどを記録するトラッカーページを複数枚、ありとあらゆる事が自由に創造可、アレンジ可である。真っ白いノートに自分で一から何でも作っていくのである。私にはぴったりな手帳術だった。

 デイリーページも固定されていないので、特に使う必要のない時は、その日をすっ飛ばしても構わないのである。

 正真正銘、自由で唯一無二、十人十色、千差万別の手帳、それが本当に気楽で楽しくて面白い。

 私の感性はきっと人とちょっとだけズレていて、でも日常生活に支障はきたさない。もしかしたらみんながみんなズレていて、合っていることなんて実はないのかもしれないけれど。

 ちょっとしたことが怖いし、ちょっとしたことが気になるし、でもその分ちょっとしたことで幸せも感じることができている。

 ちょっとしたことに左右されながら、それでも負けじと生きているが、ろうそくっぽいなと感じる。人生を、寿命をろうそくに例える話は、特に怪談話でもよく見られるが、本当に、長い間不朽のものは言い得て妙である。それなりに納得できるものがあるから後世に永らく伝えられているのだろう。

「信じる者は救われる」という言葉は、ずっとデタラメだと思って生きてきた。今でも八割くらいは信じていない。(このことわざに言うのも皮肉な話だが)

 でも、心境の変化はあった。自分が占いにハマっていると自覚してからそう思った。要するに、拠り所がある状態がデフォルトになるから「救われる」つまり「精神的支えがあるようにな」っているのだろう。と理屈を組み立ててみた。

 枕詞に「人の道を外れない」「信じる媒体を間違えなければ」と付けなければいけないことが、完全には信じていない理由なのだが。

 まあ、本人の心境のみに焦点を当てるのならば、「信じる者は救われる」は百発八十五中くらいにはなるのかもしれないが。

 色んな生き方があって、私もそんな「多種多様」の一部なのだ。

 そんなことを思いながらも、今日も「私って人と違うなぁ」を実感もしくは痛感しながら「下界」に参るのだ。

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ともしびピエロ 雪猫なえ @Hosiyukinyannko

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