8章 地の章
異世界に来たな、と感じる事は、実の所結構多い。
こうして、元々は埃塗れだったベッドで一夜を明かしたところで
寝ぼけ眼でうーんと伸びをして、床でとぐろを巻く同居人に、「おはよう」と挨拶するも、尻尾の先だけを振り振り。随分と気のない返事だ。
ベッドから這い出し、ぐっと腰を伸ばすと、そのまま身体の調子を確かめる様にその場で軽くストレッチする。全身を解しながら血液を廻らしていくと、所々に痛みは有るものの、幸い思った程じゃあない。
ふかふかとはいかないが、温かく心地好い寝床で十分な休息をとれた事は、遭難中という現実が頭からすっぽ抜けるくらいには快適過ぎた。思わず、二度寝を決め込みたい衝動に駆られベッドに目を向けるが、とても厳しい同居人に冷たい目で見られそうだと、そこはグッと堪える。
台所の流しで、昨日の内に汲んで置いた水で顔を洗い、僅かに残った眠気を追い出すと。さあ嬉しい楽しい朝食の時間だ。
とは言っても、有るのは昨晩の残り物だけ。
昨日の夜は、初日にも食べた30センチ程の魚を四匹ありがたく頂戴し、台所に置いてあった包丁で華麗に、とはいかなかったが、手間取りながらも、腹を開いて内臓と鱗とを取り除き、頭を落として身と骨とに分け。その内の三匹分の身を、埃塗れだった謎の物体、洗って舐めたらしょっぱかったので多分岩塩、を下ろし金で削って味付けすると、フライパンで皮目からこんがり芳ばしく焼いた、
ナイフとフォークとで優雅に切り分け口に運ぶと、確かな弾力で歯を楽しませ、淡白ながらもしっとりとした身は、塩気の塩梅もちょうど好い。獲れたて締めたての新鮮な身は臭みも無く、野趣に富んだ香気がふわりと鼻に抜ける。
がっつくでもなく、ゆったりと時間を掛けて味わうと、最後にグラスの水を一杯、口内を清涼感で満たせば、人心地付いて脱力しそうになる体に鞭を打ち、洗い物と、残った魚の下処理に取り掛かる。
残った頭と骨を綺麗に洗い、鰓や血合いを丹念に取り除き、一度湯通しして、もう一度綺麗な水でしっかりと洗う。
大蒜や生姜や葱等の、香味野菜でも有るなら兎も角、無い物は無かったので、臭みの元となりそうな要因は予め念入りに取り除いておくのが吉だ。
それが終われば、全部を鍋に戻し入れ水を張り、少量の塩を加えて、炉の天板で沸騰するまで過熱していく。
それを待っている間、内臓やらの生ゴミを湖の畔へと持っていき、近くに在った石の上にそれを置く。処理法として正しいかは、自信を持って言えそうにないけれど、昼間に放置していた内臓は何時の間にか消えていたので、姿は見えないが、この辺りに住み着いている生き物が持っていったと考えるのが筋だろう。
(まさか、あいつが食ったって事は無いよな・・・?)
お裾分けの心算で、焼いた魚の切り身を口元に差し出しても、一切興味を示さなかった同居人に限って、まさかそれは無いだろう。
内臓なら食うのかな、とはちょっと思ったが、どう考えても、血の滴る内臓を近づけても迷惑がられる未来しか想像出来ない。
食材を無駄にしない為でもあるし。雛でもあるまいし、用意された餌を全て平らげ、浅ましくもっとくれと囀るのも情けない。そう考えれば、こうして残り物を使って朝食分も賄おうとする工夫は、まあ、ほぼほぼがちょっとした意地だ。
鍋の様子にも目を遣れば、小さな気泡が水面にこぽこぽと浮かんでは消え、余り沸騰させ過ぎるのも具合が悪いので、鍋の位置をずらし火加減を調整すると、常に湯気の立つその状態をキープしつつ、時折灰汁と脂を掬っては、じっくりと魚からエキスを吐き出させていく。
食うのは翌日なので、皮目までこんがりと焼き上げ、身は硬くならないようにさっと炙った物は深皿に移し蓋をしておき。鍋は煮詰まり過ぎないように天板から降ろして冷まし、痛まないよう比較的涼しい台所の方に移動させ、これにて朝食の準備は完了。
いい加減くたくたで、眠気も耐え難くなってきたが、最後に温水で軽く汗と汚れを落とし、衣服を着替えて寝床に就いたのが、ざっと昨日までのあらまし。
暖炉に火を入れてもらい、鍋を暖めなおし、切り身の入った深皿にスープを装って味を整えれば、ひとまずはこれで完成だ。本当は、これに野菜を入れるか、もしくはパンでもあれば、ぐっと食卓の見栄えは良くなるのだが。
とはいえ、遭難中の身の上でそこまで望むのは、贅沢というか優雅過ぎる。なので、それを忘れない為にもだ、ちょっぴり質素で、けれども滋養に富み体が温まるスープを、いただきますと、存分に感謝して口に運ぶ。
「うん、まあ、悪くない・・・、かな?」
ある程度は、思い描いていたものに近い味だ。塩気を抑えた、寝起きの胃腸に優しい温かいスープは、
旨いことには旨いが、正直、育ち盛りのジャンクフード上等のお年頃としては、結構物足りなかった。
「お吸い物に近い・・・、意外と主張が弱いな」
コースの一品としてなら、強い味の後の口直しとしても喜ばれそうだが。単品として見ると、味気無いは言い過ぎだが、もう少しこうしたいなと、手を加えたくもなる。
どうだろう。大根と一緒に炊き上げて醤油を垂らし、柚子の皮を散らせば立派な和食、洋食ならば、黒胡椒と大蒜をピリリと効かせ、トマトをベースにした暑い夏にピッタリな冷製スープに、中華なら、スープにはとろみを付けて、茸たっぷり黒酢でコクを足して醤油も少々、白身魚の中華餡かけ。といったくらいはパッと頭に浮かぶ。
(今日は食材でも探そうかなあ・・・)
取り敢えず、塩気が有るだけでも満足度はかなり違う。食事が唯の栄養補給の手段ではないのだと、人が生きていく為に必要なものなのだと、改めて確認出来る。
華やかな食卓は豊かな人生の証。喩え富める者だろうと、食卓が侘しければそこに幸福は無い。逆もまた然りだ。
風雨を凌ぐ場所が在り、飲み水の確保も出来た。ちょっぴりレジャー感覚なのは否めないが、森の恵みをハイキングついでに探したとしても、誰に文句を言われる筋合いがあるというのか。
お気楽なのは重々承知、どんな状況でも、楽しめる時には楽しんでおけと。人生何があるかなんて、神ならぬ身には、どう足掻いたって見通せるはずもなし。
「うし、本日は周辺調査といきますか」
口に出せば、俄然高まるものがあったが、
飽く迄も優雅に、食事は楽しむもので、
思考に没頭し過ぎで少し温くなったスープを口に運ぶと、しっかりと舌に意識を集中させて、
(んーん、やっぱりちょっと臭みが有るなぁ。手際の悪さは、まあしょうがないとして、手順かなぁ・・・、やっぱ)
シンプルなだけに、僅かな違和感でも印象に残る。熟成なんて望むべくもない以上は、いかに調理直前まで鮮度を保てるのかが肝となる。
(要改善、かな)
意外と性に合っているのか、失敗も特に苦にならない。あれこれ考えては、一つ一つ試していくのも一興だし、生活にゆとりが有るからこそと思えば、寧ろ好い傾向だ。
最後の一口までじっくりと味わい、鍋に残った粗も可食部分は解して皿に取り、スープの一滴まで、勿体無いの精神で綺麗に平らげた。何だかんだと文句を言いつつも、食べ終わってみれば、これで正解だったと、そんな気もしてくる。
温かいは正義だ。
その後は、食べ終わった食器類と鍋は流しでしっかりと洗い、布巾で水気を取り棚に戻しておく。灰を洗い水に混ぜるだけでも、皿の脂汚れはそれなりに落ちてくれた。
それにしても、この世界の生活水準は侮れない。
ただまあ、仕方がないとはいえ不満も一つ、見付かったのがこれ一本きりで、来客用の物でもなければ、前の住人の使用済みという事になり。顔も知らぬ誰かと歯ブラシを共用している現況には、内心ちょっぴり複雑になる。
(掃除用なら、更に最悪だな・・・)
気にし過ぎると禿げそうだ。死にゃあしないと、豪放に笑い飛ばせぬ我が身のたおやかさに、
ついついうがいは念入りに、エチケット不足を咎められる心配もなくなったので、
「先に糞しとくか」
出先で催しても面倒臭いし、快食快便は心身の健康のパラメータだ。
幸い、強烈な自己主張こそ無いが、確かな物の存在感を腹に感じており、寝起きにたっぷりと摂ったスープの水分のお陰で腸もすっかり目を覚ましている、
ドクドクと、胸が高鳴るというには、期待と不安半々の奇妙な高揚感が。
あれだけ絶賛しておいて何だが、実際に使う段になって、本当に炭と灰で受け止め切れる物なのか、状態によっては酷い有り様になるなと、泣きながら掃除する羽目になるのではない等々、あれこれ
とは言え、それでも、野糞に逃げるは本懐に非ず。どの道、何時かは通る道だ。
昨日の今日で、葉っぱはもう懲り懲りなので、勿体無いが古紙を数枚持ち出して、いざ決戦の地へ赴かんと、トイレへと。
・・・大業は成った。物の状態は良好、便器も汚さず、紙は最小限。最後に灰を被せて、経過観察も兼ねて、直ぐには処理せずにそのまま放置。これで帰ってくる頃には、臭いも含めて問題があれば直ぐに判る。
どれだけ連続使用に耐え得るものなのか、状態に由っての適切な灰の量の、その見極めは、使っていく内に自然と付くようにもなるだろう。
溜めた尿を庭に撒き、尿瓶と手を水で濯ぎながら思う事は、
(手間は、手間だな)
現代と違って、流して、はいお終い、とはいかない。最後まで面倒見切ってやらないと、
考えてみれば極当たり前の筈なのに、それを負担だと感じた事に少し驚く。どれだけ恵まれていたかを思い知らされる機会は多々有れど、糞尿の始末に頭を悩ませられたのはこれが初めてだ。自分が産み落とした物に、文句を垂れるのも可笑しな話だが。
食料と燃料の確保に水の運搬、炊事洗濯掃除に補修、人一人が唯生きるだけでもコストは掛かり、やらなくてはいけない事と、やるべき事でスケジュールはパンパン、あっと言う間に日も暮れる。
「不便といったら、そりゃその通りだわな」
昔の人はすごいなあと、文明の利器とその恩恵を、徒に浪費してきただけの世代としては、今更な気もするが尊敬の念に堪えない。
「まあ、ぼちぼち、やってくか」
使った尿瓶はトイレに戻し、寝室で防寒用の上着を羽織ると、火事が怖いので、炉の開口部は蓋をして塞いでおく。序でに、盥に水を張って天板の上に載せて置けば、帰ってきた時には、これで体を拭くなり流すなり、予め準備しておけば時間の節約にもなる。
ちらと目を遣ると、同居人は寝室の床でとぐろを巻いて省エネモード、付いて来るのかな、と思ったが、そんな気配も無く、
「いってきます」
と一声掛ければ、尻尾の先を小さく一振り、素っ気無く見送られて、若干の寂しさを抱きつつ小屋を後にした。
「さて、と・・・」
本日は薄曇り。日差しが無い分、余計に木枯らしが身に染みる。
これから先、気温が下がっていく事は有っても、上がる事は無いだろう。昨日のようなポカポカ小春日和は段々と稀に、やがては本格的な冬がこの地にも遣って来る。
吐き出す息も白くなり、水仕事は今よりずっと大変に、
雪は降るのだろうか、湖は凍りはしないか。
そこまで考えて、何時まで此処に居る心算なのかと自問も浮かぶ。幾ら居心地の良い住処と言っても飽く迄仮住まい、自分の物とはならないのに。
(惜しいのかな)
僅かばかり、具体的には約三日、コロコロと状況が変われば、心境も又変わる。思えば、遭難前から迷子のようなものだった。流されるまま、手の届かないものに憧れて、自分を見失っていたと言うより、最初から自分が無かった。
最後の悪足掻きの心算で、環境を変える事を願い出て、今の今までどうしても諦め切れなかった。
「良かったのかもな・・・」
身一つで放り出されて、恥も外聞も無く泣き叫んで、怒りも不満もぶちまけて、そうして死んだと思ったのに、未だに生きている。
そんなものだと、すとんと腑に落ちた。
呑み込みさえしてしまえば、何て事は無い。決してヒーローにもスーパーマンにもなれないし、宝石でも降ってこない限り、金持ちにもなれない。要するに、元の世界と何も変わらない。
変わった事に文句を言い、変わらない事に不満を募らせていた。唯それだけなのだ。
それを不幸だと思い込んでいた嘗ての自分の滑稽さには、恥ずかしいやら恨めしいやら、酔っていたと言われても、正直否定できる気がしない。
(嫌々、それは言い過ぎだ)
悲劇のヒロインを気取るには、主に容姿の面で力不足は否めなかったが、追い詰められていたのも又事実。無為に日々を過ごした事も、それを誰からも責められなかった事だって、普通に考えれば焦って当然。必要とされないのは、やっぱり辛かった。
せめて迷惑は掛けないようにと縮こまっていたら、背中は丸まり目線は常に地面へと、それでは開ける未来も有ったもんじゃない。
少なくとも、此処に来てから背筋は伸びた。目線が上がれば、視界も開ける。今は、目先の事もそのずっと先の事も、ずっとずっとシンプルに捉えられる。
結局誰しも、その時々で選択出来るのは一つだけ、選ばなかった未来に未練を残しつつ、選んだ未来に希望を見出す。何処に居たって誰と居たって、それはきっと、その日を迎えるまで続いていく。歩みを止めても一つ、歩き出しても一つ。
大き目の編み籠を手に持つ。台所兼物置で、裁縫箱やらが収められていた物だが、採集物の類はこれを使えば良い。念の為、刃の部分に布を巻いた包丁とスコップも籠に入れておく。護身用と採集用だ。
本日は建物の周辺から始めて、湖から付かず離れずぐるっと一周、森に入り過ぎさえしなければ、建物の位置の
改めて建物を視界に収めると、懐かしいような、ふわふわと湧き立つものが胸中に込み上げる。
ただいまと言える場所が有るのが幸せで、思わず口元も緩む。
「んじゃ、行きますかね」
一歩を踏み出す。足の裏で、落ち葉がザクザクと小気味良く音を立て、時折、小枝の折れる、ポキッという音も混じる。
代わり映えしない色彩に乏しい森の中は相変わらず、多分収穫となる物もそれ程多くはないだろう。
有ればラッキー、無くても当然。それくらいの、軽い気持ちのレジャー感覚で丁度良かった。期待値が低ければ、きっと収穫の喜びも一入だ。
もしも狼もどきと再会したならば、今度は丸腰じゃない、捌いて食ってやろう。
野生の猛獣に、包丁一本で立ち向かうのは
そもそも、元の世界にだって熊も猪もいた。忘れがちだが、地震もあれば病気も事故も、何処だろうと死の危険は生きてる限り隣人も同然で、何だかんだ上手く付き合っていくしかなかったはず。
幸い今回は、道すがら彼らとの胸焦がすような邂逅もなく、残念なことに、食料と成り得る小動物の類とも出会わなかった。
内臓を持ち去った何者かの正体を突き止める事も叶わず、シンと静まり返った森の中にも水辺にも、特別生命の息吹は感じられない。
果たして、息を潜めて此方の様子を窺っているのか、単に夜行性で寝こけているだけなのか。
聞こえてくる音は、草木のざわめきと風、何時もよりも少し速くなった自身の呼吸音のみと、何だか寒々しい有り様だ。
孤独な旅路は、それでも順調に行程は消化していき、時には葉っぱを拾い集め、雑草の中からはくすみの無い、特に柔らかそうな青い物を摘み、倒木を引っ繰り返すなりして茸、に見えなくもない、口にするにはかなり躊躇するような物も収穫していった。
使えるかどうかは後回し、取り敢えずは手当たり次第でも、興味を惹かれる面白そうな物に手を伸ばす。
最初から寄り道メインで考えていた手前仕方が無いとは言え、そうして、あっちへふらふら、こっちへふらふらしていたら、
「意外とデカかったな」
時間的に、湖一周は困難な状況になっていた。
とは言え、籠の中身は腹八分目。収穫はそれなりで、一応の目的は達したとも言える。それに、光源を持たない身としては、暗くなる前に余裕を持って帰路に就きたいので、さあ引き返そうと踵を返しかけた所、
「川だ」
湖から溢れる様に流れ出した、足首が浸かる程度の浅い狭い川に気が付く。
澄んだ水が石を舐め、ともすれば彩りに乏しくなりがちな森の中、その周辺は一際色濃い緑が鮮やかで、まるで春の様相だ。
「ちめた」
体験を通して、身を以って知ったる水の冷たさはどうやら健在で、浸した手が軽く痺れる程。だ
これを渡る為には、靴を脱いで裸足になるか、水面に顔を出した石の上をぴょんぴょん飛ぶしか、或いは迂回すれば普通に越せる場所でも在るのか。
そこまで考えたところで、面倒臭さが先に立つ。
(今日はこれまでだな・・・)
何とはなしに休憩がてら、その脇に腰と籠を下ろすと、歩き詰めだった足をだんらりと投げ出す。
曇天なのが悔やまれる。晴れていれば、水面は陽の光を反射してキラキラと、緑もより一層鮮やかに美しく目を楽しませてくれたはずに違いない。
(弁当には、おにぎりかサンドイッチ。熱いお茶でもあれば完璧だな)
森林浴にマイナスイオン。
思わず、その場でゴロンと横になって、人生の
相変わらず生き物の気配は無い。
おまけに、蚊やら蝿やら、虫の類も一匹足りと見掛けないが、これはそもそも、この世界に虫というものが居ないかららしい。
否、元の世界に於ける、極小、小型の成体全般が居ないと教えられた。
直接目に見えないプランクトン等は確認しようがないが、確かに、虫の存在を人に訊いてみても、困惑の表情を引き出すばかりで、居るという確証はこの世界の誰からも得られなかった。
物が腐っても蛆が涌かず、蝿も
それだけを聞けば天国だが、こうして森の中に居ても、季節が変わっても、虫の音一つ聞こえないのは、同時に寒々しくもある。
この世界にはこの世界のサイクルが在り、居なくても成り立つ世界というだけなのだが、そういう事に、色々な意味で詳しいクラスメートに由れば、生態系が大雑把で多様性に欠ける、だそうな。
ファンタジー的な意味での神の存在を信じたくなるほどに、目に見えない触れられない者達の比重が極めて大きく、文字通りの異世界なのだと、真面目ぶって言われたのが懐かしい。
ただし、そうは云っても、何事にも例外は有るのだろう。世界の隅々まで調べ尽くされた訳でもなければ、伝聞はそもそもが正確性に欠ける。
どこかの大陸には巨大な昆虫が居るかもしれないし、極小の生物など、大概発見事態が困難なはず。
世界は未知に満ちており、道を歩けばUMAに出逢う、その道に通じた人間なら涎を垂らさんばかりで夢のような。
(まあ、死ぬけどね)
独り旅に出た彼は元気だろうか。
例外は有れども、矢張りこの世界に於いて、人を脅かす存在は、比べるまでもなく質も量も青天井だ。生息域やその生態から、国が襲われる事こそまず無いが、旅する個人の安全を保障する根拠とは成り得ない。
飽く迄、この世界の主役は人ではないのだと、より力の在る者達の影響の及ばない地でその目を盗み、細々と、そして
逞しいやら、業が深いやら。例え世界は違っても、先達に足を向けて寝ることが出来ないのは何ら変わらないなと、しみじみ感慨深く。
「そういえば・・・」
ふと気付いた事には、
「あいつもUMAっぽいな」
意図せず行動を共にするようになった、同居人兼友人の姿が頭に浮かぶ。
比較対象となる生物を、あの狼もどき以外に全く知らない所為で何とも言えないが。流石に、尋常ならざる存在なのは疑う余地も無い。
(何が目的なんかな?)
疑問に思ったのも束の間、それ自体には何の意味も無いと気付き、あっさりと思考を放棄する。
「今更だな・・・。今更どうもこうもねえし」
世界は未知に満ちていて、UMAと暮らす事も、意外と、こっちじゃ良くある事という可能性も捨て切れない。
或いはその線で考えると、あの馴れ様から
訊いた所で答えが得られる、という訳でもなく。それは何処までいっても単なる想像、暇潰しの御慰み。
これ以上は、煮詰まるばかりで実りも少ないと、脱力していた両足に力を籠めてその場で立ち上がると、腰に手を当てて、ぐぐっと上体を反らし背筋を伸ばす。
「さて、帰りますか」
ふーと一息、籠を持ち上げると、その周辺でも特に青々とした部分に目を遣り、同じように収穫に勤しみ、腹八分目は満腹に。喜色満面ホクホク顔で、帰路に就く事と相成った。
今度は寄り道せずに真っ直ぐ戻ると、行きの三分の一程の時間で、見慣れた湖畔に愛しの我が家。
「ただいま~」
扉を開けて玄関を潜れば、ふんわり柔らかく温かな空気に出迎えられ、張り詰めていたものが一気に緩み、そのままソファーにダイブすると、自然と全身の力が抜けた。
昨日散々叩き出したお陰でソファーから埃が舞い上がる様な事もなく。全体重を預けても軋み一つ上げない偉丈夫っぷりも、実に頼りになる。序でに、頬で感じる毛並みの滑らかさはまるで絹の如しだ。
(絹ってどんなだっけ?)
素朴な疑問はさて置き、現在の時刻は精々が、正午過ぎから三時のおやつまでの何処かといった所で、曇天だがまだまだ日は高く周囲も明るい。
午睡に興じるには絶好のタイミングだが、別に眠いという訳でもなく。唯、慣れない土地を闇雲に歩き回った体の疲労よりも、警戒やら緊張やらの気疲れの方が大きく、そうして脳と心が、無意識の内に安息を求めた次第。
そのままダラダラと、無為に毛並みを堪能しているのも一つの手だったが、ただいまの声に反応して、スルスルと近くに遣って来た同居人に、じーと無表情で見詰められれば、概してそういう訳にもいくまい。
「ただいま」
目と鼻の先に迫った顔に、改めてそう一声掛けると、返事も待たずに上体を起こして座り直し、次いで足元の編み籠を持ち上げ、
「どうよこれ!?結構凄くね?」
パンパンに詰まったそれを、誇らしく掲げてみせた。
これといったリアクションは無くとも、話し掛ける対象が、居るのと居ないのとでは大違い、喜び勇んで意気揚々と、テンション高めに収穫物をテーブルの上へと並べていく。
採れ立て、鮮度抜群、如何にもな青臭い香りは正に雑草の類い。派手さこそ無いが、地味な中にも、皺くちゃだったりイボイボだったり、逆にのっぺりつるつるとした、個性豊かで目にも楽しい茸っぽいものたち。食用目的でない葉っぱも、数だけは揃った。
「どうよこれ!?・・・で、どれが食えるんだ?」
勢い込んで並べてはみたものの、途中から薄っすらと、今は確信を持って、
「無駄だったか・・・!」
片手で顔を覆って天井を仰ぐ。
現状飢えに苛まれている訳でもなく、幸せなことに、さっきチラッと視界の端に見えたのは、何時行ったのか、水を張った盥に大きな魚と中位の魚の計二匹。命を賭すには恵まれ過ぎてて、毒を頬張る勇気が湧かない。
どうすっかなと、未練がましく茸もどき片手に、繁々とそれを観察してみても、食用かどうかどころか、元の世界の茸と同じ物かどうかすら怪しく。
君子危うきに近寄らずとは、全くその通りで議論の余地も無いのだが、これ見よがしで揚々とテーブルを埋めた手前、全てを庭の肥やしとするのは如何にも悔しい。
「あー・・・」
どれだけ未練に思って眺めていても、時間が過ぎるばかりで、無毒化、或いは毒の有無について知る力に目覚める筈もなく。失敗を経験として活かそうにも、活かすためには食べねばならず。
堂々巡りは何処まで往っても堂々巡り。喩え一度は諦めたものだとしても、命を天秤に乗せるからには、唯の好奇心では釣り合いが取れない。今更、自棄に振舞える訳でもなし。
「あー・・・、ふうぉっ!!」
最悪を避ける為の次善へと。傷心に気落ちしつつも。いい加減に諦めて腰を浮かし掛けたところで、突然手の中で茸もどきが燃え上がり、それに驚き思わず奇声が零れる。
同時にテーブルの上も火の海となり、なったと思ったらあっという間に即鎮火、茸もどきも雑草も葉っぱも、テーブルの上には一片の灰も残さずに、まるで白昼夢だったかのように消え失せてしまった。幾つかを除いては。
随分スッキリと、見晴らしの良くなったテーブルの上には、辛うじて雑草が数種類。持っていた分も含めて茸もどきも大振りの葉っぱも姿を消して、残ったのは元の量の精々十分の一ほどで、殆ど全滅といっても過言ではない様相を呈していた。
やったのが誰かは、まあこの際脇に置いておこう。考えたいのは、何故かの部分。
「あ~、え~っと?・・・何で?」
今更、返事が無い事に文句は言うまい。それにどちらかと言えば、こうして声に出したのは、確認と整理の意味合いの方が大きい。
知る限りでは、無意味な嫌がらせからは程遠く、情に厚く義理堅いのはご存知の通り。少々潔癖なのも、欠点というよりは何とか御愛嬌レベルときたもんだから、そうして考えると、
「ひょっとして・・・、食える?」
テーブルの上を指差して、確り目線を合わせ半信半疑で問い掛けると、明確な否定や肯定を示す挙動こそ返ってこないものの、何時もの興味無しといった態度の中にも若干の呆れが透けて見え。如何にも、やれやれ世話が焼けるとでも言いたげな空気は、喩え無言無表情からでも察せられた。
種族は違えど、その辺の機微は人とそんなに変わらないのだなあと、嘗ても今も翌々縁の在るその
不甲斐ない我が身に思う事は有れども、こういう時の厚意には甘えておくものだ。多少なあなあでも、そっちの方が友達っぽい。
何時か返せる時が来たらその時に、それまでは忘れなければ良い。
(川縁で摘んだやつかな)
葉の形から記憶を辿り、大体の当たりを付ける。
食欲を誘うかどうかは兎も角、口に運ぶのを躊躇う様な不快さが無いのはありがたい。試しに、ヒョイと一葉齧ってみる。
瑞々しさは採れた場所故か、表面の産毛は舌をなぞれども気になる程でもないし、苦味も癖も控えめで柔らかい。これで
同じ様にテーブルの上の、今度は森で摘んできた種類も試してみたが、筋張っていたりゴワゴワしていたり、そのままでは耐え難い程苦かったり酸っぱかったりと、舌にピリリと口内に厳しくて。こちらはどうやら、生食には向かない類いのようだ。
(毒じゃないのか?茹でれば抜ける?)
その苦味や酸味は、果たして薬効なのか毒性なのか。少量ならば大丈夫なのか、大量に食っても平気なのか。
新たな疑問には事欠かないが、それも試してみれば分かる事、その被験体が、自分だけだという点に不安は尽きないが。
「死なんくても、ケツが灼けそうだな・・・」
トイレに篭る。いやいや、汚したくないので野原で励むだけならいざ知らず、熱を出して数日寝込むのはこの状況では愚の骨頂。
大人しく、煮るか焼くかで火だけは通そう。果敢なチャレンジ精神は大好物だが、何事も時と場合によりけりだ。
そうして、改めてテーブルの上をぐるりと見渡すと、
「茸は全滅・・・、葉っぱは・・・、別に燃やさなくても良かったんだけどなぁ」
危うく無駄にし掛けた成果の中に、茸もどきや葉っぱは欠片も無い。
正直、茸もどきや食えない雑草に未練は無いが、まあ、葉っぱも又拾ってくれば良いのだが、ぶっちゃけ二度手間で、少しだけ面倒臭いとも感じてしまう。
損益で総合的には大幅黒字でも、部門毎の不採算には目を瞑れないのが人の欲。
これといった喫緊の課題も無ければ、別に時間に追われている訳でもないのに、楽を覚えると直ぐに
「全力で、惜しみなく、か、難しいなあ・・・」
やらない理由なら幾らでも。何せ、言い訳の必要性すら此処には無い。
同居人も呆れはしても、基本的には、自主性を重んじる放任タイプだ。何もしなくても、きっと何も言わない。
他人の厚意には素直に甘えても、自分で自分を甘やかすようになったら仕舞いだ。後は堕ちるだけ、浮上の見込みは無い。
冷たい水で顔を洗うようなものだ。ぬるま湯では目が覚めず、それならいっそと寝続けて起きなければ、そんな生活が続けば、少しづつ少しづつ腐っていく。
(身につまされる・・・)
常に自分を律することが出来る程には、どう足掻いても強くは為れなさそうだし、誰かさんみたいに阿呆にも為り切れない。
ありのままで悔いなく生きるには、一体どうしたものなのか。
「目標、で良いのか?」
曖昧であやふや、大まかな道筋すら靄の中。
まだ、金持ちになりたい、アイドルと付き合いたい、みたいな絵空事の方が建設的に思えて可能性も高そう。
「あ~、険し」
それでも、身の置き場にすら難儀していた嘗てと比べれば、格段の進歩。大仰にわざとらしく、嘆いてみせる余裕も有る。
スタートで
まだまだ先は長い。簡単には追い着けなくても、ひいこら言いながら手足を動かしていれば、同じように蹲り動けなくなった誰かに、声を掛けることも手を差し伸べることもきっと夢じゃない。
それはきっと、最後尾を往く自分にしか務まらない。
今この瞬間も、各々が同じ空の下、目標に向かって脇目も振らずに邁進していると、そこに疑いは無い。けれども、誰もが道を外れずに歩ける訳じゃない、時には挫折し、足を止めることもある。
前だけを見て先を往く彼等に、態々それ以外の事で煩わせるのは、重荷となるばかりで誰の為にもならない。
幸い此処に暇人が居る。その分、誰かの為に足を止めよう、疲れているなら背を貸そう、来た道を戻ることだって厭わないと約束しよう。
「何だ、やること一杯有るじゃん」
考えても考えてなくても、滾々と湧く泉のように尽きることなく、煩わしい上に気恥ずかしいのに、如何してか邪険にも出来なかった。
役に立ちたい、認められたい、必要とされたい。それに、いい加減人恋しい。
全て偽りようのない本心。
認めてしまえば何てことなし、と云うには、今も、ムズムズと落ち着かなげな心持ちになるくらいには、抵抗はある。
喩え正しくとも、それらを素直に曝け出せるほど幼くはなかったし、何より自分自身が向き合えなかった。
受け入れることで、それを僅かでも漏らすことで、皆からただ護られるだけの弱者と。同じ場所には立てない存在なのだと、そう思われる事に、耐えられなかった。
「そんで逃げ出して遭難とか、馬鹿過ぎんだろ」
認めるしかない、弱い人間です。独りでは何も出来ないし、序でに始められやしない。愚鈍で愚図、おまけに、プライドなんて不相応なものまで持ち合わせてる始末。
無能な働き者は此処に極まれり、救助待ちの身の上で何を偉そうにだ、迷惑ばかりで、見限られていても怨み言一つ浮かんでこない。
はあ~、と溜め込んでいたものを体外へと吐き出す。
結局、どれだけ自分を腐してみても、大して気分が晴れないのは、待たせている相手が居るからだ。自分一人を納得させてみても、それで御仕舞いとはいかない。
(謝らなくっちゃ、な・・・)
果たしてどう謝ったものなのか。
「勝手に出て行って済いません、か?いや、相談も無しに決めてどうもご迷惑をお掛けしました?」
今一、その時の状況が想像付かない。
(怒ってるのか?悲しむ、泣く?呆れる?)
どれも有りそうで、どれでも無さそう。
「笑う?大穴だな」
感動の再会を気取る心算もないが、一応これでも九死に一生、奇跡の生還に大爆笑で答える様な、サイコパスを友に持った覚えはない、と思う。
かといって、涙で顔面をグショグショにし、万力の如く全力でハグしながら、お前が生きていてくれて神に感謝、なんてのも、柄じゃなさ過ぎて偽者臭い。
悲しい事に、しっくり来るのは、へらへらしながら、元気そうじゃんの一言。
それだけは、余りに容易に想像出来、何なら大爆笑すらワンチャン有って、
「どうせあいつら・・・、最初っから、生きてるかどうかなんて気にしやしてねえぞ」
助けに来ないとは、微塵も想わない。逆なら自分もそうするからだ。
口に出しては、腐れ縁だ何だと、茶化し合う位には長い付き合いで、序でに、挨拶代わりに気安く毒突いても、笑って流せる程度には、互いのことを分かり切っている。
あいつ等が確信もない内から諦める事は絶対に無いし、そのことで、一々ネガティブな思考に囚われる事も、まあ大概無い。
探すと決めたのなら、例え地の果てでも身を隠していても、何年掛かろうとも意地で見つけ出し、待たせたな、の一言で済ませてしまう潔さ。
そう考えれば、随分と友達甲斐は有る。
こうして気楽に過ごせているのも、忘れられる恐怖が皆無だという点に尽き、それは
「謝っても、何が?って感じだろうな」
悩んだところで、徒労と成るのも毎度のパターン、既に新鮮味も無し。
待つと決めたのなら、生きて待つのが礼儀というもの、待ち人に、お疲れさんと労いの言葉を添えれば、後は無事こそ何よりのおもてなし。
「・・・飯にするか」
徒労に終われども無駄とは思い難く、悩んだ分だけ気付きも多い。
死ぬまでの暇つぶしだと笑える程には、達観も人生経験も不足しているからには、大小様々な悩みに事欠くことも無い。
「何分ぐらい茹でれば良いのかなぁ?時間が分からん」
生きてる限り欲望は絶えず、瑣末な、詰まらないと軽んじられそうなことにも、何より当の本人が真面目も大真面目。
今よりもましな暮らしがしたいし、美味いもんが食えるなら、その方が好いに決まっている。
「あ~、あれ、どうすっかな?」
前の住人が残していった台所の乾物や、同じく壷に入った生ものの事が、不意に思い出されて関心が移る。
謎過ぎて手を付けていなかったが、害が無いと判れば、早速口にするのも
目の前に差し出して、これも御願いと可愛くおねだりすれば、消し炭にするかどうかして、再び慧眼を披露してくれそうな、そんな気もする。
絶対嫌な顔をされるだろうし、貸しばかりが増えていく事にも若干思うところは有るが、試してみない手は無い。
(食卓が潤うぞ~)
ソファーからよっと腰を上げ、意気揚々と台所へ向かう。前に、火を熾しておこうと、暖炉の蓋を開けて見ると、随分衰えたものの、燃やし残しの燠は僅かに赤々と、これなら、新たに火種は必要無い。
火口として、掃除の際に出た埃を一山、それは直ぐに燃え上がり、細い物から太い物へと薪を変えつつ、時々火掻き棒で位置を調節しては火力を安定させる。
こんなものかな、と素人判断で及第点を与えると、再び炉口を蓋で塞ぎ、天板に載せて置いた盥の水が沸騰しないように、予め降ろしたところで。
先に手洗いうがいより、
「どうせなら汗流そっかな~」
そのまま流し場に盥ごと移動する。身に着けていた下着もついでに、今度は確りと体を洗う。
浴槽にて脱力し切る至福には及ばずとも、湯を使えるだけで、汚れも疲れも見る見ると落ちホッと一息、冷たい水と比べれば。寧ろあれは、奇麗にはなっても心身共に疲弊し切る重労働。
そうして小ざっぱりしたところで、布で体を拭き、拝借した着替えを纏うと、洗濯済みの下着を空の盥に、小脇に抱えて、鼻歌交じりで洗い場を後にすると、暖炉の前にそれらを掛けておく。
外に干す事も考えたが、万一とはいえ失くすリスクを思えば、室内干しが無難な選択。生乾きの臭いなど、暖炉の乾燥換気能力の前では無力と言っていい。
そういえば、物を放置したトイレの臭いも、実証実験の結果、無臭とはいかなかったが随分控えめで、溜め過ぎなければ問題も無さそうだった。小まめな掃除と処理で清潔を保てば、流し場に洗濯物を直接干すのも一考に値しなくもない。
段々と生活感に溢れていくのを、息を吹き返したと言うか、小汚くなっていくと云うかは判断の分かれるところだが、少なくとも、自分の色に染まっていってるな、とは思う。
どう考えても、前の住人程には美しく保てないだろうなと、内心で御免なさいと詫びつつ、敬服も一入。改めて、さてと台所の珍品の方へ意識を向けて思う。
(遠慮が無くなってくけど、そんなもんだよな?)
馴染んできたと、ここは好意的に受け取っておこう。
初心の通りに、大事に大切に使っていく事で、自分にとっては、という一点が心苦しい限りだったが。何も無駄にはしなかったとだけは、誰ともなく胸は張れそうだ。
単なる自己満足、けれど、否定にも卑下にも傾かず、己を
独り言が増えてきたのもその兆候、人となりにも因るのだろうが、余り孤独に強いタイプとは言えそうにない。
「寂しい、恋しい、逢いたい、とかか?」
自然と思い出される顔が一つ、こんな時には、不機嫌顔が良く似合う。
そういえば、何時頃から、作り笑いをしなくなったんだっけか。記憶の中に居る彼女は、良く笑い良く怒り、良く泣いていた。
心のままに誠実で有れかしと決めたあの日から、お互いに、嘘は吐いても、気兼ねや強がり等は不要で不毛と、自らを偽るのは辞めようと誓い合った。
それは幼年期を過ぎ、思春期を迎え、男女が性差に縁遠くなる時分にも変わらずに、やっかんだ同性やお調子者から囃し立てられても、結局その手を振り解くことは最後まで無く、どんな関係か訊かれる事も
安易に名前を付けてしまえば、定義を定めてしまえば、脆くて儚い、それは気付いたら指の隙間から零れ落ちていそうで、正直煩わしかった。
良いじゃないか答えなんか無くたって。価値なんて当人通しで共有出来ていれば十分、人生は長いようで短いようでやっぱり長く、大切なのは始まりの想いを見失わないことのはず。
流転はこの世の習い。容姿と才に恵まれた彼女が、何時までも立ち位置を変えないと心底から信じ切れる程、自分に自信なんてこれっぽっちも無いが、それでも、
「まあ、約束だしな」
一度こうと決めたなら、意地でも貫きたいのが男子の本懐。
支えたいと、願った側が些細なことに一々ふらついていたら、共倒れの顛末は避けようもないのだから、そこでひたすら耐えるのも男の美学。
「そういやヒーロー、好きだった・・・」
テレビの中のヒーローに憧れて、やがてその対象はより身近なものへと、家族や友達だけじゃない、一期一会の出逢いの中にも。
思えば、生まれてこの方、人との良縁には事欠かず。凡庸な、特別優れたるところも無しと胸を張って言える程度の人間だが、彼らは、その振る舞いに確かな矜持を持ち、甘言を弄さずに、金言で以て教え導かんとする気概に満ちた先達ばかりだった。
母のことで複雑な感情も有っただろうに、一度だってそんな態度はおくびにも出さず、寧ろ、不在がちな父親の分まで面倒見てくれた兄貴たち。
父方の祖母は、今も遠方の大きな旧家で一人暮らし。父の仕事の都合も在り帰省出来るのは精々年二回程だが。何時見ても、
親身に相談に乗ってくれた先生が居た。悪ガキを叱り付け、かと思えば、時々お菓子をくれるようなご近所さんも居た。
今となっては返す術も無く、遠い地から感謝の念を送ることしか出来ないが、教えは今でも確かに息衝き、形作っている。
美化するまでもなく、それらはキラキラと輝いて、どこまでも掛け替えなく愛おしい。
「これも良縁の一つだな」
傍に在る、大きな頭を撫でてみる。何時もながらに神出鬼没な奴。
人語を介さなくとも、揺れた時には近くに居る。まるで、心を読んだかのように。
(え~と、こっちは何とか元気にやっています。だから、また・・・、いつか)
願うことしか出来ない無力さはさて置いて、それでも叶うことを信じて、祈りの中で日々を暮らす。
病傷に苦しまず、貧困に喘がず、今も昔も、顔を合わせ言葉を交わしたきた皆が、出来れば全員が、心穏やかに健やかに暮らしていけたならと、唯ひたすらに真摯に、
(いつか、笑って逢いたいです)
想いを空高く、天へと託す。
叶ったのなら僥倖で、叶わなくとも、叶うと信じて祈り続ける。きっと死ぬまでそれは変わらないのだと、これもまた信じられる。
・・・いい加減に逡巡し過ぎて、何処で何をしようとしていたのか一瞬忘れ掛けたが、「ああ、台所」と思い出し、今度こそ身体を向かわせる。
曇り空は相変わらず、正確な時間は杳として知れないが、僅かに暗さを増した気もする。
こうして日々は忙しなく過ぎて往き、実感の持てないままで、想いだけが埋没していくもの、なのかも知れない。
それでも、最初の想いを忘れても、これからの出逢いと再会の中で、生まれ繋がれ形を変えて、消えずに残るものがきっと有る。
「くっさ・・・、ほんとに食べ物か?これ?大丈夫?」
扉を無造作に開けると、その先にも扉が在って、それを開けるとまたその先にも。鍵が掛かっていた訳でもなく、特別強い力が必要な訳でもなく、押せばすっと開く、同じ形の扉が延々と。
それでも、実際触れてみるまで、開けてみるまではそのことを知る術は無く、なあんだと拍子抜けしたのも、意志で以て手を伸ばしたからに他ならない。
問い続けることで世界に触れ、触れることで世界を広げていく。
産まれたての赤子のように、無垢で無知で脆弱で、その代わりに目一杯の希望を詰め込んで、小さな小さな掌が物語を紡いでいく。
明日を夢見る幼子が、寝しなに目蓋を擦りながら、絵本の続きをせがむように。
亡世諸説あり、山河に雲は流れ ターシャ・ケッチャム @kylerod_egg
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