第4話 水場

 灰狼との戦闘から一刻(百四十四分)ほど歩き続けたところで、川に突き当たった。五歩(四メートル)程度の川幅で、深いところは腰くらいまでだろうか。それでも充分以上に水量がある。

 ここで昼食を取ることに決めた。とは言え、火を熾す程の時間をかけたくはない。干し肉を齧るだけで我慢することにした。


 背負い袋を下ろし、野営で使用してきた食器や調理具と干し肉を取り出した。干し肉をかじりながら、食器と調理具を洗い、水分を払って近くの石の上に置き、日に当てていく。そのうちの一つを使って川の水を汲み、少しずつ飲み干していく。よく冷えた水だ。干し肉の塩気を中和してくれる。二杯ほど飲んだところで、水筒と水袋を取り出し、どちらにも水を満たしていく。これから川沿いを歩くとは言え、何かの拍子にまた森の中に戻らなくてはならない可能性も出てくる。多少の重さがあったとしても、安全策は取っておくべきだろう。


 水の補給を終えたあとは、腕の傷口を洗い、縛り上げていた袖の切れ端も川で洗った。じわりと傷口から血が滲んでいる。ポーチから外傷用の薬草を取り出して軽く揉み、成分を出やすくした。傷口に貼り付け、その上から洗った袖の切れ端で縛り上げる。これで傷口が腐るようなことはないはずだ。

 長靴を脱ぎ、足も洗う。裸になって頭も身体も洗いたいところだが、今それをするのは時間が許さない。早いところ森の出口の目処はつけておきたい。足をしばらく水につけて、指の曲げ伸ばしをしながら疲れを取った。


 それも四半刻もしないうちに切り上げて、川沿いを西へ向かっていく。できれば二刻程度で森の出口、もしくは出口が予想できるあたりまで辿りつきたい。大雑把な位置しか把握できていないため、今はどれくらい森の深い位置にいるのかわかりにくかった。

 少し早足になりながら川沿いを歩く。木が途切れている分、森の中よりも明るく、気分もよくなってくる。相変わらず風は無いが、水場の近くだからか涼しい。夜になると冷える可能性が高い。確実に火だけは熾せるように、ある程度の時間が経過したら出口の目処が立たなくても野営準備に入ることを決めた。それでもできるだけ出口に近づけるよう、さらに足を早めた。


 ふと、日差しが傾いていることに気付いた。正面からの日差しが眩しい。二刻ほど歩いたのだろうか。日があたってるとは言え、空気はだいぶ涼しく、歩みを止めたら寒さを感じるかもしれない。背中はしっとりと濡れている。あと半刻もすれば、眩しさから日差しに向かって歩くのは難しくなるだろう。そしてその後は暗闇だ。出口の目処はついていないが、ここらが潮時か。

 今晩と明日の昼食の量を減らすことを覚悟して、歩を緩める。できる限り平らな地面と、便利で使いやすい岩や石があるところを探して荷物を下ろす。もう少し川から離れるべきか考えたが、増水の可能性は低いだろうと判断した。


 近場で落ちている枝を探したが、相変わらずそこまで集まりそうになかったので、木から何本か枝を切った。穴を掘り、火を熾し、ある程度の火勢が出てから荷物の中の下着やボロ布を出して、川で洗濯をした。自分自身の行水は明日の朝にすることにし、洗濯したものを枝に引っ掛けて、火の側におく。朝には乾いているだろう。ボロ布で剣やナイフを拭き取り、道具の確認をする。胸当ても外して確認したが、新しい引っかき傷ができていた程度で、特に支障はなさそうだった。

 食事の準備をしていると、日が沈み、そして西の空が一部分だけ赤く染まっている。残照だ。東の空を見れば、かなり黒く、それが徐々に濃い青になり、少しだけ明るい青、そして急激に力強い赤。だが、その色も徐々に青に染まり、そして黒になる。

 残照も見えなくなった頃、いつもの食事ができ、それを少しずつ口に入れていく。食事を終えたあとは、水場で器を洗った。


 酒が飲みたい。急激に湧き上がる渇望。酒と、そして女。しかし、これはどちらも一時的なものだとわかっている。旅をしていると人肌が恋しくなるが、それも街に戻ると急激に煩わしくなってしまうのだ。

 なくても別に構わない。生きることに支障はない。そう思ってからは、どちらに対しても一瞬の渇望だけで、何をしてでも手に入れようとは思えなくなってしまった。

 本当に欲しいものさえよくわからないのだ。

 鞘から抜いた剣を眺める。自分の物ではない名前。剣、鉈、ナイフ。この三本はルークスのものではない。引き継いだのだ。元の持ち主は誰かに引き継がせようなど思ってはいなかっただろう。いや、もしかしたらいつかは自分の子供になどと思っていたかもしれない。だが、それを知ることはない。

 ルークス自身も引き継ぐつもりはなかった。そもそも、この内の二本は自分が贈ったものだったからだ。それが戻ってきたことに、悲しさ以上に不思議な感慨があった。そして、そのことこそが自分自身を切り刻むような痛みになり、忘れようと、反吐が出るまで浴びるように酒を飲んだことを思い出す。


 反吐まみれの自分の身体から湧き上がる匂いまで思い出してしまい、酒への渇望も消えた。こんなことを思い出す夜は寝るに限る。剣をしまい、外套を着込んだ。背負い袋を枕に横になる。


 急激に疲れが出てきた。

 灰狼と戦ったからだろう。そう思い込むことにし、目をつぶった。

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