EP.4 バルフォルシアの大剣

【クエスト:パララビットのお世話-ランクC】


「ケージに入ったでっかいウサギのお世話か……これならなんとかなりそうだ」


 日の昇る町、ハルジオン。名前の通りどの地域よりも早く朝日を拝むことのできるこの町では、早朝の宿屋にて、ベッドの上で一人、依頼書の写しを睨む少年の姿があった。


「ギルドの魔物図鑑で調べて見たけど、子供の時は普通の子ウサギ。大人になると原因不明の巨大化を遂げる。飼育成功の例は無いが今のところ禁止令もでていない……つまり飼ってもいいけど危険なのに変わりはないのか」


「あら、勉強中?」


「わっ! ノックしてよ、アリア!」


「あっ……ご、ごめんなさい」


 ルカの思わず出た何気ない一言だったが、まるで亭主関白の如くアリアはしゅんとして即座に謝罪する。ふとした強気な言葉使いに怯える彼女の反応は、間違いなくこの肉体の主、アドリアル・カリオストロの生前の振る舞いによるものだったが、それでもルカは罰が悪そうな顔をした。


「そ、それよりも今回の依頼、かなり大手の畜産農家が依頼主だって。アドリアル家の名に恥じない働きをしないとね」


「そ、そうだね……」


『……アリアには悪いけど、ここでは君とお別れだ。僕は君の知っているアドリアル・カリオストロじゃないし、魔法だって使えない。お母さんを探す旅に、君を巻き込むことはできないんだ……』


 アリアには当初、修行を中止してまでギルドのクエストをする理由を「金がなくなってしまったからだ」と話した。しかし実際のところ金は無くなっておらず、「崖から転落した時に紛失した」という言い訳も、ルカがアリアにバレないようこっそり金貨を隠し持っていただけに過ぎなかった。


「所詮C級だし、そんなに手間はかからないわよね。あぁ、パララビット! 楽しみだわぁ」


「はは……」






ハルジオン近辺 ヒダマリ牧場


「ようこそ、ここはハルジオン最大の牧場、ヒダマリ牧場じゃよ!」


「よろしくお願いします。今回依頼を受注させて頂きましたカリオストロです」


「ワシは経営主のサリヴァン、こっちは妻のロレッタじゃ」


「よろしくね、お二人とも」


「よ、よろしくお願いします……」


 快く迎え入れてくれたのは、牧場の経営主である老夫婦だった。とても愛想の良い少女に、老夫婦はまるで孫に向けるかのような笑顔で、しかし口調だけはカリオストロ家の威光に合わせていた。


「あのカリオストロ家のご子息らが我が牧場に来てくださるとは、依頼とはいえなんとも光栄なことじゃ! して、C級じゃ少し物足りんのではありませんか?」


「いえいえ! 何事も経験ですから、ね! アドル!」


「そ、そうだね! それにパララビットも見てみたかったし……ね、アリア」


 パララビットという言葉が出た瞬間、老夫婦の表情に一瞬の曇りが出たのを、ルカは見逃さなかった。しかしアリアはルカの問いかけに振り向いたばかりに、その空気の変化に気付けずにいた。


「そう! パララビットってすっごく可愛いんだから、アドル、あなたにも見てもらわないよ!」


「ほっほっほ! そう焦らんでもパララビットはどこにも逃げませんよ。ほれ、あそこの林の中に檻がありますじゃろ。一応狂暴な生き物なのでな、刺激せんようにだけ気を付けなされ」


「はーい! ほら、アドル!」


「わっ! ちょっと待ってよぉ!」


 荷物も置き去りに、二人はサリヴァンの指さした林の方へと駆けてしまった。わんぱくな子供のふるまいに老夫婦はにっこりと微笑み、荷物を運んでやらんと親切を働かせた。


「ほっほ、そうさ。パララビットは逃げずにそこにおるからねぇ」






「ミナ、お前ほんとに辞めちまうのか」


 場所は変わって、ハルジオンが誇る元祖ギルド、スタッフルーム。木のテーブルにはギルドの看板娘であった亜人、ミナ・ストレイキャットの差し出した退職届が置かれていた。


「えぇ、はい……まー私に看板娘は向いていなかったってことで、ははは!」


「まぁ確かに、お前はウザがられるし、エロい服着ても構われないし、接客も正直下手くそだったし、あとたまに客の飯食ったり廃棄の飯食ったり、冬場は抜け毛がよく飯に入ってたり……何度俺の方からクビにしてやろうか悩んでたくらいだ」


「えぇ、私そんなに酷かったですっけ……?」


「だがな、それでも愛嬌って奴は人一倍あったよ、お前は……!」


「……店長」


「お前は野良猫だ、それもプライドの高い。元祖といっても、こんなルーキーしか来ねえギルドの看板娘をやる器じゃねえ! もっとでけえ所で羽ばたきな!」


「て、店長ぉ……! ありがとうございます! 私、向こうに行っても頑張ります!」


「……おう! 頑張れよな!」


 涙ながらに別れを告げた二人。ギルドの扉は開かれ、入店を告げるはずのベルは、去る看板娘の門出を祝った。冒険者たちの活気を背に、亜人の猫娘、ミア・ストレイキャットはギルドを出た。


「……って、向こうってどこだよ……?」






『まー私はただの諜報員なので、向こうも何もないんですけどねー……』


「そーいや、A級クエストのノクティア・ドラゴン討伐、剥がされてたな……誰か受注したのかな?」


「あれ、お嬢さん、あのギルドの娘じゃないのかい」


「え? あー私もう辞めたんですよねー……げっ!?」


 ギルドを出てすぐミアに話しかけた男は、2メートル近くある巨体に、、黒の甲冑にボロく色あせた赤いマントをつけた、長髪黒髪の男であった。しかし見るからに不審で、怪しむべきその人物を、ミアは知っていた。


「ちょっとダンナ! なんでこんな所にいるですかー!」


「ん? あぁ! お前ミナか!」


「えぇ、もしかして今更……あの子ならとっくに依頼に行っちゃいましたよー! ほんっとうに鈍くさいですねー!」


「はは、情けないね……方向はどっちかな?」


「えぇと、確かここから……って、どうせ方向音痴でしょうから、一緒に行きますよ!」


「はは、いやぁ本当にすまないね」


「もうっ!」


 その巨躯と雰囲気からは想像もつかない、どこか頼りない男は、ミナに手を引かれるままにルカ達の向かったヒダマリ牧場へと歩いて行った。






「か……」


「か……!」


「かんわい~~~!!!」


 ルカとアリアが目にしているのは、パララビットの幼体であった。幼く、まだ親兄弟の判別能力も不十分なため、狂暴性はほとんどなくその見た目はただの小さい子ウサギである。


「かわいいなぁ、かわいいなぁ、かわいいなぁ!」


「アリア、なんか怖い……」


 恐らくアリアが以前見たというパララビットは成体のものだ。大人になるとかなりの大きさになるというので、彼女は幼体とのギャップで完全に悶絶してしまっているようだ。


「でも、こんだけ広いのに大人のほうは一匹も居ないんだね」


「かんわいぃ……はっ! 確かにそうだわ。幼体のお世話だけならそう書くはずだものね。大人のパララビットがどこかにいるってことよね?」


「あ、じゃあ僕、サリヴァンさんたちに聞いてこようか。もし脱走とかしてたらまずいし」


「あらいいの? 私に隠れてカワイイカワイイしたいんじゃないの」


「し、しないよ!」


『なんか、アリア、最初と雰囲気違うな……もしかして正体がバレちゃった……?』


 疑念を抱いたルカは少し焦ったように、林を抜けてサリヴァン達のいる家へと向かった。牧場の家は遠く離れていたが、そろそろ息も切れそうかというところで、ようやく視界に藁を運ぶ老人の姿が映った。


「あ、サリヴァンさん!」


「あぁアドリアル殿、どうかされましたか」


「はぁ、あの、僕の荷物どこですか……はぁ、ちょっと忘れ物しちゃって」


「荷物なら玄関に置いてありますよ、ほれあそこ」


「ありがとうございます!」


「……ほっほっほ」


 言われた通り荷物のもとへ向かうルカ。


「……アリア、ごめん。せめてお金だけは返すね……」


 アリアの鞄に、金貨の入った革の袋をなかば強引にねじ込む。それはハルジオンへと向かうと決断した際に、アリアにバレないよう隠し持っていたものであり、その金額は自分の旅先での路銀程度に少し頂いた程度で、殆どを彼女の鞄に返してしまった。


「あの、サリヴァンさん、ロレッタさん!」


「はい?」


「すいません、僕は一旦宿に帰らせて頂きます! アリアには……」


「あの子には、なんですかな?」


「……もう、戻らないって伝えてください」


 一瞬表情の固まったサリヴァンだったが、すぐさま何かを察したようで、にっこりとルカに微笑みかけた。


「アドリアル殿にも事情があるのでしょう。私がちゃんと伝えておきます。後の事はお任せを……」


「ほ、本当ですか! ありがとうございます……!」


 この作戦を思いついたあの日。テントで味の感じられないシチューを食べたあの時から、少年は罪悪感に苛まれ続けていた。一人、自分の背中を押してくれる存在が現れたことで、その罪が軽くなったと感じ、牧場のある丘を降りる足取りは軽やかなものになった。


「ごめん、ごめん! アドリアル・カリオストロは、今日から阿藤ルカなんだ……!」


 それでも後ろめたいものは後ろめたい。少年が背を向けたその先には、一人小さなパララビットと共に少年の帰りを待つ者がいる。ルカは涙ぐんで、風を切りながらなるべく全力で走った。走ることに夢中になるよう必死に努めたのだ。


「うっ……おわ!?」


 涙が視界をぼやけさせ、足元を疎かにさせたようだ。丘を降りる速度に足がついていけず、もつれ、転がり落ちてしまった。ただ転がるだけでなく、砂塵を巻き起こしてそのまま道を下っていってしまう。


「なんだ、正面から何か来るぞ」


「う~ん?砂ぼこりで良く分からないですね。道から外れてるし、無視しましょう」


「しかし魔物だったら……」


「ちょっとダンナ! こんなところで剣を抜かないでください! 私にもあたるでしょう!」


「わあああぁ~~!」


 ヒダマリ牧場への道を進む二人の男女が、その異様な光景を目の当たりにする。しかしそれが何かも認識できずに通り過ぎてしまったので、二人は舞った土砂を煙たがりながら、前を向き直した。


「やっぱり人間だったか?」


「無視無視、早く行かないとお子さんに会えないですよ~」


「いや、ミナ、君は待っててくれ。流石にここから先は一人でいける」


「ちょっと、私だって暇じゃないんですよ!」


「大丈夫だ、一方通行だろう? それに、さっきの人が心配だから見に行ってやってくれないか。あの勢いだときっと怪我をしてる」


「も~、ほんっとうにお人好しですねぇ!」


 ミナ・ストレイキャットは予定にない仕事を任され、あからさまに不機嫌な様子を表しながら、ずかずかと道を下って行く。


「あー! そういやまだお子さんの名前言ってませんでしたね。確か……ぶぇ!」


 ミナが後ろを振り返ると、男の姿はもうなかった。代わりに、先ほどよりも大きな砂塵が巻き起こりミナを覆った。丘へと登る道が大きく抉れているのを見ると、物凄い速さで丘を登って行ったらしい。


「げっほ、ごほ、うえ゛っ! あー、もう!」






「アドル……遅いわね……」


「キュイーン、キュイーン」


「ふふ、あなたも一人? かわいそうに……」


 一人の少女と一匹の小さなパララビットが、林の中で寂しく佇んでいた。愛でるほどの気力も失せ、ただアドリアル、もといルカの帰りを待つアリア。ルカが彼女を置いて行ったことを、当人は知らない。


「アドル、あの日からずっと変だわ。それになんだか、あの時、オドの感じが違った……」


 アリアはルカが転生した初日、傷だらけの彼を回復魔法で治したことを思い出す。


「いつもなら、なんにも喋らないし、喋っても嫌味ばっかり。でもなんだか最近は昔のアイツみたい……」


「キュイ?」


「パラちゃんは、転生って信じる? 昔の本にしか書いてないんだけど、肉体はそのままに魂だけ入れ替わるんだって。神様しか使えないようなすっごく難しい魔法らしいの……」


「キュ! キュキュ! ミュ~ン……」


「はは、分かんないよね。そもそも、魂と肉体が分離するだなんて、あり得ないもの。肉体は魂あってこそで、逆も然り。魂がない肉体に後から入ったって、それは生きた屍も同然よ!」


 抱いていたパララビットを小さな檻へ戻し、すっと立ち上がるアリア。自分の中で考えがまとまったようで、勇み足で林の出口へ向かった。


「生きた屍? ふふ、くだらない悩みだったわね。なしなし! 私らしくないわこんなの」


 ステップ混じりに、その軽やかな足取りは徐々に速度を速めていた。


「私はもっと美しく、お淑やかに、そして強かにでいなくちゃ……」


 ズズ……、ズズズ……


 すると、背後で何かを擦る音が聞こえる。明確には、重い何かが引きずられているような……。


「ブオォ……」


「……え?」






「ふう、アリア殿、なかなか帰ってこないねぇ。報酬の話についてまだ終わっていないのに」


「あぁ、カリオストロ家にお金の話は忘れちゃいかん。それにこれだけ帰りが遅いとなると、心配になってくるのう」


 サリヴァン、ロレッタの老夫婦は、相変わらず藁を運び、アリアの帰りを待っていた。すると、林の奥から地鳴りのような振動と共に、何かがやってくるのが分かった。


「きゃあ~~~! 誰か、誰かあ~~~!」


「ありゃ! パララビットの大人が!」


「あなた、早く眠りの魔法を! メモが家の台所にあるはずよ!」


 そのパララビットは当初アリアの想定していたサイズ、ギルドの食堂テーブルよりも遥かに大きい、小さな民家一つ分はある大きさであった。事態の深刻さを悟ったロレッタは咄嗟に指示をだし、サリヴァンはそれに応え、歳に似合わぬ速さで家へと駆ける。


「はぁ、はぁ……もうだめ、走れない……!」


「ブオォォオオン!」


「あ、アドル……! お願い、助けてっ!」


「まてぇい!」


「ロレッタさん!」


 ロレッタは牧畜用の巨大なフォークをパララビットに向ける。その時初めて、パララビットの状態が異常であることに気付いた。


「この子、泣いてる……!」


「ジイさんッ!」


「うおお、眠れいっ! アンサムド!」


 サリヴァンの催眠呪文、アンサムドは見事狂暴化したパララビットを大人しくさせ、眠りにつかせた。


「……お、大人しくなった?」


「あぁ、大人しくなったとも。災難だった、いや、本当にすまなかった、怖い思いをさせたね、アリアちゃん……」


「え、えっと……サリヴァンさん? 二人とも、ありがとうございます」


「あぁ、良いんだよ。私たちの責任だからねぇ……」


 先ほどまで全力で走っていたサリヴァンは、息一つつかず、落ち着いた様子でいる。何より、それまで畏まった喋り方であった二人が、どこか親し気になっていたことに違和感を感じていた。


「あ! そうだ、あの! アドリアルは、アイツはどこにいったんですか? お二人の所に来てるはずなんですけど……」


「うん? アドリアル? 彼ならもう戻ってこないよ」


「えぇ、戻ってこないねぇ」


「な、なんでですか!?」


 突如告げられた衝撃の事実に、アリアは二人の老人に詰め寄る。するとその瞬間、膝から力ががくっと抜け、立ち眩みのような感覚に襲われる。


「どういう、こと……なの……」


「この娘、無意識に魔法防御をしていたのか。随分賢い子だ」


「なに、これ……アンサムド……!?」


 アリアは意識のはっきりしないまま、しかし自分がいつの間にか地に伏していることだけ理解できた。しかしこのまま眠りに落ちる訳でもなく、自分にかけられたのが眠りではなく、麻痺の魔法であることを知る。


「パラサイズ、我々の得意魔法だ」


「麻痺の、魔法……?」


 名門カリオストロ家で育ったアリアは、養子でありながらも魔法に態勢があった。意識は徐々にはっきりとしていく。しかし肝心の体は、一向に力の入らないままであった。


「お嬢さん、パララビットの名前の由来、知っているかい?」


「なによ、いきなり……パラって、もしかして……麻痺?」


 にやり、と異常なまでに口角のあがった老人の笑みが、二つ。


「違うねぇ、サリヴァン! 正解はなにかね」


「うん、パララビットのパラは寄生するという意味だ。パラサイズという魔法も、脳みそに雷の性質のオドを寄生させ、感覚を麻痺させることから来ている……」


「そう、詳しいのね……くっ!」


「パララビットの正体は寄生生物だよ。最も居心地がいいのがあの白くてデカイ動物だったから、たまたま我々が操っているにすぎない……」


「我々って……あんた達は何者なの!?」


「ずっと、自分達より強いものを食ってきた、名前の無い寄生生物さ。そして今回はよりよい苗床を手に入れられた」


 アリアは直感で、このクエストは間違いなくC級の範疇を超えていると理解した。パララビットの生態を理解していなかった、ギルド側の完全なミスだ、と。


「人間、こいつぁイイ! 体内にあるこのエネルギー、このオドってやつ! これがいいんだなぁ……! 特にカリオストロ家の、君やあの少年はオドがとても強そうだった」


「そりゃどうも……こんのっ……」


 未だ力の入らない体を、気合だけでなんとか動かそうとするアリア。しかし、それでも指先の一つも動かない。ただ危機感だけが加速する。


『まずい、本当にまずいわ……状態異常の回復魔法はまだ覚えてないし……!』


「オドは強ければ強いほどいい! このまま人間共に寄生して、支配してやってもいいなぁ……」


 悪巧みを考えるパララビットという魔物は、宿主の顔を奇怪な表情になるまで歪ませながら、笑みを浮かべている。アリアにはまるで悪夢でも見させられているかのようだった。


「あら、アナタ! 来客が来ましたよ」


「なに……? もう人が来る予定はないはずだが……」


「まさか、アドル!?」


「さぁお嬢ちゃん。なーに、痛みはないさね。後でゆっくり寄生してあげるよ……!」


「ちょっと! なにする……の……」


「お、眠らせたかね?」


「ばあさん、コイツを家の中に。見られるとまずいからね」


 今度こそ眠りの魔法アンサムドにより、無抵抗のまま眠りに落ちるアリア。寄生された老婦人は少女を家の中へ隠すと、来客に備えて、今朝ルカ達に見せたような取り繕った笑顔の準備をした。






「あのーすいません、この牧場の方ですか」


 2メートル近い巨体の男は、甲冑をギシギシと鳴らしながら丘を登っていく。山から下りる風がマントや男の長髪をなびかせ、その鋭い目つきから来る視線を時折遮っていた。


「よ、ようこそ! ここはハルジオン最大の牧場、ヒダマリ牧場じゃよ!」


『なんだコイツ! 見るからにただの冒険者じゃない……カリオストロ家を狙ってる刺客か……?』


 ひきつった、分かりやすい作り笑いを浮かべ、今日二度目の決まり文句を述べる老夫婦。


「ここがあなた達の牧場なのか?」


「えぇ! 見学なら、奥にありますパララビットの檻なんかは見物ですぞ旅人さん」


「パララビット以外はいないのか」


「あぁ、この牧場は広いですからなぁ。アランブル、ファルシープなど今放牧しておりますが……」


「本当か? 端まで見て来たが、どこにも居なかったぞ」


「なっ……!?」


『正気かコイツ……? ここの土地は城が建てられるほど広いんだぞ。端まで確認しに行くなんて、とんだブラフをかましやがる……』


「……ご老人、あの奥にあるのは?」


「あぁ、あの奥にあるのがパララビットの檻で……げっ!」


 巨体の男が指さしたのは、先ほど眠らせたパララビットの成体であった。アリアを隠すために必死だったせいか、ここまで大きなものを誤魔化す準備ができていなかったのだ。


「あ、あれがパララビットです! ま、まずいぞロレッタ、今すぐに暴れてしまうかもしれない!」


 サリヴァンの不自然な呼びかけに、ロレッタは察したように巨大なパララビットの成体に催眠を解く魔法をかける。


「旅人さん! 助けて下されぇ!」


「グルル……ブオォォオオ!」


 わざとらしく男を盾にし、その陰に隠れる老夫婦。目覚めたパララビットは狂暴化し、て見境なく周囲の物を壊しながら突進してくる。しかし、男はそれでもその場から離れようとはしなかった。


『ヒヒッ! このデカブツに残らず食べてもらうぜ。こんな得体のしれねえ、気味の悪い奴を放っておけるか! ここで始末する!』


「ご老人方、少し危ないから下がっていなさい」


「……へ?」


 老人の思惑とは反して、男はとても冷静だった。背に羽織ったマントを脱ぎ、二人に投げ渡す。


「可哀想に……」


 次の瞬間、まるで突風にでも吹かれたかのように、老人の持っていた外套が、草木が、大気が揺れた。その世界の中でただ一つ、パララビットに立ち向かう男だけが微動だにせずにいた。


 ゴドッ


 重々しく巨大な鉄の塊が、地面に突き刺さる音が響く。サリヴァンの、いや寄生生物たちの眼には、巨大なパララビットの成体が一瞬にして真っ二つに両断されたように見えた。男の背にある、外套で隠されていた大剣によって。


「な、なんてことだ……! あの巨体がいとも簡単に……!」


「ふぅ、さて、ご老人方」


 真っ二つに分かれ、崩れゆく化け物を背に、大剣を肩に担いだ男は振り向いた。


「あなた方も手遅れだろう?」


「こんな素晴らしい肉体、今すぐに寄生しなくてはッ、ガハァッ!」


「ジイさん!」


 男はサリヴァンの胸に直剣を突き刺した。それは、あまりにも何気ない所作の一つだった。


「なるほど、パララビット。最新の条例では飼育禁止だとあったが……」


 隙をつかれ胸部に剣を刺されたサリヴァンだったが、刃を素手で握り締め、最後の根気を振り絞り叫びだす。


「ロレッタァ! 今のうちに、この男に噛みついて寄生しろォ!」


「ジイさん……っ!」


 ロレッタは片腕を一瞬封じられたその男の死角に回り、その首元に噛みつこうと飛び掛かる。しかし、男はそれでも焦り一つ見せず、担いだ大剣を片手で振り回した。


 ブオォンッ!


「……あなた達に罪はないのにな……本当に、可哀想だ」


「お、お前何者だ! 俺達に何をしたッ! ただの人間じゃないな!? 一体どんな魔法を……!」


 憐む男の傍らに倒れていたのは、下顎を切り飛ばされたロレッタの姿だった。その傷口からは血だけでなく、緑色の半液状の何かが漏れ出ている。


「この緑色がお前らの正体か。パララビットに寄生する……あぁ、名前がないんだっけか」


「質問に答えろ! お前は何者なんだァ!」


「俺の名前か。俺は……」


 サリヴァンは男が質問に答えだした瞬間、胸部の傷口から自身の本体を覗かせた。


「……今だ、寄生してやるッ!」


 緑のゲルのようなものが男の顔面に飛び掛かる。男は構わず口を開き、名前を名乗った。


「竜殺し、バルフォルシア・ドレッドノート……」


「ヒハァッ、アッ、ガッ……!」


 男は即座に胸部の直剣を抜き取り、寄生生物本体の核と思しき、半液状の中の固形物質を切り裂いた。


「もう一つの名は、阿藤竜司だ」


「あど、ウ……!」


 サリヴァンの身体はまさに魂が抜けたように崩れ落ちる。二つの名を名乗った大男は、たった一人で寄生生物を3体仕留めた後も、静かに牧場に巡る風に吹かれながら、じっと牧場にぽつりと建つ木造の家を見つめた。


「誰かいるのか……」


 つづく

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