EP.2 初めて見た大草原は、とても残酷だった気がする。
「お母さん、お父さんってどんな人だったの?」
「竜司さん?とっても優しい人だったわ。流花、あなたにそっくりでかっこよくてかわいくて、とても勇気の溢れる人」
「……どんな風に死んじゃったの?」
「……そんなこと、知る必要ないわ。あの人は安らかに亡くなった、それだけよ」
「う、嘘だ! お母さん、なんか隠してるもん! 本当はお父さんはまだ生きてるんでしょ!? 学校の友達言ってたよ! 皆お父さんとお母さんはフツーにいるって!」
「ふふ、それじゃあ、私たちはフツーじゃないのかもね。でもね、流花。普通じゃないことは何もおかしくなんかないわ。それに、あの人は病気に苦しみながらも、死の間際まで家族のことを思いながら死んでいったのよ」
「でも、だって、だって……どこにも居ないんだもん」
「あなたの心の中にいるわ。心の中で呼べば、心の中で応えてくれるわよ!」
「うぅ……お父さん……っ」
懐かしい記憶だった。夢に見たのは初めてだった。忘れていた訳ではないが、久しく思い出す、父親に関する記憶……。
「お、と……さ……」
「あっ!」
「おか、あ……さ……」
「ちょっと、私はお母さんじゃないわよ?」
「あれ……ここは……?」
少年は寝ぼけた表情で辺りを見渡した。少し汚れた白の天井は、その形状からなんとなく、自分が簡易テントの中にいることを理解できた。
「もう……あんたが崖下で死にかけてたからテントまで運んで来たのよ、私の忠告を無視するから……」
どうやら転生直後、魂が入った『アドリアル・カリオストロ』の肉体は著しく損傷していたようで、痛みのあまりそのまま気絶してしまったらしい。走馬灯を巡らせながら、肉体はもはや死を待つばかりかに思えたが、たまたま通りがかった眼前の少女がルカのことを助けてくれたようだ。
「……はっ!?」
「ひゃっ、いや、その……別に文句があるわけじゃなくて……」
「え?えっと……君は……」
目の前に居るのは、金髪、色白、青い目に細やかなまつ毛。赤らんだ頬が幼さを強調させる、少なくとも日本人ではない女の子だ。ぶかぶかのローブは、その下に着ている貴族らしいコルセットとは妙に不釣り合いではあるが、少女の美人さがそれをものにしている。ルカは初めて見た異世界の人間に、恐る恐る尋ねた。
「君が助けてくれたんだ……よね?」
「な、なによ。従者なんだから当然でしょ! ほら、患部見せなさいな……」
「うん、えっと……」
ルカは転生前、神(と思しき者)に見せられた肉体の記憶を思い出した。
『そうだ。確かアドリアルは従者を連れていた……名前は……名前は……』
「アリア、アリア・カリオストロ……!」
「わっ! なに、いきなり……」
「いや、ごめん……えと、その、ありがとう」
記憶によれば、この少女、アリア・カリオストロはアドリアル・カリオストロの従者であった。苗字こそは同じではあるが、彼女はアドリアルとは兄妹などという関係ではなく、カリオストロ家という名門魔術師一家の養子として、ただ拾われただけの身であったらしい。魔術の研鑽、修行のために旅をする彼についていき、得意の治癒魔法でサポートをする従者の役を務めているというのだ。
「これは、回復魔法……?」
「えぇ。あんた、なかなか怪我しないし回復魔法使えないから、見るのは初めてかしら。魔法の源、『オド』があんたの身体の自然治癒力を促進させて、傷口を高速で再生させてるの」
彼女の手から自身の身体へ。わずかに目に見える何かが流れてくるのが分かる。よくよく目を凝らしてみると、それがヒト型のような、例えるなら妖精に見えてくる。なるほど、どうやら彼らがオドと呼ばれるものらしく、魔法を使う際のエネルギー源になっているのだと、ちょうど肉体の記憶が教えるように思い出してくれた。
「す、すごいね、ありがとう! って、僕には使えないんだ?」
「……うん。あんたそのこと気にしてるんじゃなかったっけ……?」
「え! えーっとー……」
まずい。自分は異世界に転生した身で、知識も記憶も一応引き継いではいるが、それでも肉体の当人ではない。それ故か少年の中にあるアドリアルの記憶は酷く曖昧である。この世界で自分が転生した人間だとバレることが、異世界の人々にとってどういうことなのか。12歳のルカには想像できなかったが、避けるべきかもしれない、と慎重に構えようと気を付けた。
「い、今はもう気にしてないよ! それより、鏡ある……?」
「……? あるけど、はい」
「……わ、あそこで見た通りだ……本当に、本当になれたんだ……」
「あなた……さっきからなんか変よ? 人が変わったみたい」
「い、いやぁなんでも! ちょっと痛かったから、傷口残っちゃったかな~なんて思ったり、うん……」
「そ、そんなっ! ちゃんと治したわよ! 傷なんてどこにも……見せて!」
それはルカにとっては誤魔化しの一言だったが、アリアにとっては責め苛まれていると感じたらしい。酷く焦った様子で、彼女は少年の頭を掴み、額に顔を寄せる。
「わっ! わわわ、ごめん! 大丈夫だから、大丈夫、気にしないでっ!」
年頃の、同じ歳くらいの娘が突如急接近するものだからルカは酷く動揺してしまう。それに、先ほどから自分の言動一つ一つに過剰に怯える彼女の反応が、どうにも気がかりだった。
「……やっぱりなにか変だわ、もっと回復魔法を……!」
「いや良いよ! 全然良い、大丈夫だから! ごめん、ちょっと風当たってくるね!」
アリアの病的なまでの心配性に気圧され、ルカは逃げるようにしてテントから飛び出す。一体この肉体の主アドリアル・カリオストロが彼女にどのような態度で接していたのか分からないが、ひとまず自分が異世界に来たという実感と、そしてこの世界の詳細をこの目で見て得ないことには、少年の冒険は始まらなかった。
「うお、おおお……!」
少年がテントから飛び出した先の景色は、夕日に照らされた、未知の世界の大草原だった。日本では見たことのない鳥、四足歩行の動物。眼下、足元には見たことのない爬虫類や虫。そして何より、肌に触れる空気が一味違った。
「すごい!! すごいすごいすごい!!」
歓喜の中、肌で感じる空気に、先ほど知ったオドが含まれていることが分かった。どうやらこの体は魔法に関してかなり天才的なようで、知識と魔力量については十分であった。
「まてよ? じゃあ僕いきなり魔法使えちゃうんじゃ……?」
記憶を探るように、頭を抱えて思い出す作業に入る。少年の中で一つ、ピンときた言葉があった。
「シズナ!……」
シズナ。確かに脳裏にその言葉が浮かび上がった。聞いた事があるような無いような。
「な、何も起きないじゃないか……!」
ただ目の前の草原から送られる風をその身で浴びるばかり。少年の周りにはなんの変化もない。
「ファルマ! セナ! エルトランジェ! ゴルガ! フォビオ!」
思いつく限り、魔法らしき言葉を叫んでみる。だが、ただ空しく風が頬を撫でるばかりで、全く何も起こらない。少年は思わずその場に座り込む。
「はっ、はずかしいっ……! なんだよぉ、この体の記憶の魔法だろぉ、なんで何も起きないんだ……いっ!」
ここで再び、答えを教えてくれるかのようなタイミングで、記憶が蘇ってきた。と同時に、とてつもない頭痛がルカを襲う。
「いったーっ!! ……ええと、魔法が使えない状態は魔力切れか、死んでいるかのどちらか。魔法教科書(上)の4ページ目に書いてあった……え?」
頭痛のショックから少しの時間が経ち、ルカは心当たりを見つける。自身の転生した瞬間である。あぁ、あの時目覚めてすぐ、猛烈な痛みに襲われ、再び意識を失ってしまった……。
「いや……ちょっと待てよ……?」
ルカはとっさに胸元に手を当てた。こんなにも動揺し、考えを巡らせているというのに、そこに感じるはずの拍動がなく、また身体を通じ振動となって伝わるはずの心音がないのである。そうか、と空しく呟き、少年は肩を落として座り込んだ。
「あぁ……僕、死んだんだ……」
悲しかったが、やはり涙は出なかった。
「夢みたいだと思ったのに」
大草原の風は途端に無慈悲に感じられた。そういえば、先ほどは風を肌で感じたのではなく、それに含まれた魔力の源を感じていただけだった。
「死んだ体で、どうやって会えば良いんだ……」
ズキ、ズキ、と痛みが沸き上がる。この肉体が、大事なことを思い出そうとしているらしい。
「っつ……! あぁもう、なんでっなんで頭の痛みだけあるんだよぉ!」
「アドル……?」
「はっ!?」
座り込んでいた所の少し後ろ、小高い丘になっている岩場に、アリアが立っていた。
「もうすぐ日が暮れるわよ? 風も冷たくなる。暖かいシチューでも飲みましょ」
「アドル……あぁ、この体の……うん、分かった。今行くよ……」
ルカは独り言を聞かれたかと心配したが、彼女にその様子もなく、また自身がアドル、すなわちアドリアル・カリオストロであることを思い出すと、途端に冷静さを取り戻した。彼女にとっては、まだアドルは生きているのだ。
「……美味しい?」
「うん、美味しいよ」
「嘘……あ、いや! 喜んでくれて何よりだわ」
『えっ! もしかして相当マズイのかこれ……?』
今のルカには、何を食べてもその味が分からなかった。刺激を一切感じない肉体になり、目の前のシチューの温かみも分からない。分かるのは液体と固体が混じり合い、ただ喉を流れるのがこんなにも不愉快だとは思いもしなかったということだけである。
「ねぇアドル、あなた……」
「な、なに!?」
「随分優しくなったわね……どういうつもりなの?」
「えっとぉ……どういうつもりって言われても……そりゃあ助けてもらったんだから、たまには、ね……はは、は」
「そ、そう。ちょっと見直したわ」
とうとう正体を追求されるかと思われたが、なぜかアドリアルの株が上がっただけに終わった。このヘタな誤魔化しでも怪しまれず、しかも見直されるとは。どうやら生前のこの肉体の主は酷い性格だったようで、同じ歳くらいの彼女に随分な態度を取っていたらしい。
『どれだけ嫌な奴だったんだ、アドリアル・カリオストロ……僕くらいは、この子に親切でいないと……』
阿藤ルカには強い正義感があった。歳の変わらない彼女に酷いことをしてきたであろう彼、アドリアル・カリオストロのことをを憎みつつも、養子として共に過ごしてきた時間が長い彼女にとっては、そんな彼だって大切な家族の一人に違いない。ましてや、アドリアルという人間が彼女に見直された今、自分が本当は全くの赤の他人であり、肉体の持ち主たる彼はもうどこにもいないだなんて告白すれば、アリアをどれほど傷つけることになるか。
「うぅっ……んっ! ごくっ」
そして、彼女を傷つけずに母親に会うためには、それまでの旅路でずっと彼女の事を騙し続けることになる。少年は不快なシチューを喉に流し込みながら、決意を固めた。
「ねぇ、アリア!」
「な、なに?」
「次に行く所、決まったよ。修行は切り上げてそこに行こう」
「まぁ、ちゃんとした医者に体を見てもらわないといけないし、別に構わないけど……どこに行くの?」
少年の側頭部に、また頭痛が走る。そうだ、この世界には始まりの地がある。その名は……
「ハルジオン、太陽の昇る町だ」
その何かは、異世界のどこかを彷徨っていた。
「暗い、眩しい、寒い、熱い。さっきからこの繰り返しだ……なんなんだこの感覚は……!」
空の向こうか、地の底か。どことも分からない場所で、真っ白な魂だけで彷徨い続けていた。
「いや、意識を強く保つんだ……! 分かる、分かるぞ。きっと今の俺は魂だけの、霊体になっている。強い感情で意識を保って、元の肉体に惹かれる……!」
揺らめき続けていた魂は、次第に明確な形を持ち始める。それは少年の姿をしており、ゆったりと動き始めた。
「どこだ、どこなんだ! 俺の肉体……そこにあるんだろ、なぁ!」
やがて魂はとある崖の下にたどり着く。そこは何者かが転落して死んだ場所であり、また何者かとして生き返った場所であった。時間が経ち、黒々とした血だけがその場に広がっていた。
「くそ、持ってかれたのか……野生の魔物? いや、食われた痕跡もねぇ。盗まれたんだ……誰だ、俺の身体を盗んだのは……!」
霊体は怒りの高まりと同時にその形を揺るがした。そして激しい怒りと、恨みのみによって不安定にその姿を保ちながら、暗い森へと消えていってしまう。
「あちゃ……いやぁ~困ってしまいました。まさかベテラン女神の私が一日で二度も大失敗を犯すとは……いやこれも全てアイツが悪いんですがねぇ……」
魂が居た所よりも遥か高く、雲間から覗き込む人影が一つ。それは自身を女神と名乗り、天上から地上の者達を見守っていた。
「えぇと、例の子供の件ですが、母親に会うその旅路、辛く過酷なものになるだろうという理由で、いっそ不死身にしてあげるのが良いと判断しました。しかし能力を付与するのが遅くなり、死んだ後に不死身をつけちゃいました、申し訳ありません、と……」
女神を名乗るそれは空中に文字を刻む。まるでそこにノートか何かがあるかのように。
「また、転生先の肉体、アドリアル・カリオストロについても、思いのほか精神が強く、魂だけになって地上を彷徨っています。天上の我々が直接手を下す訳にもいかず、現在、経過観察中です。度重なる不手際によりお手数おかけして……あ~、報告ってこれでいいんだっけ」
頭を悩ませた末、女神は突如脱力したかと思うと、覗いていた雲間を閉じ、匙を投げたような仕草をして姿を消した。
「いっか、別に」
つづく
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